愚痴と黒猫

ミクリヤミナミ

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夢の終わり

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 今日は朝からモブの野郎がうるさい。
 ずーっと俺に話しかけてくる。
「で、少しはすっきりしましたか?パートの件についてはあなたの管理責任を問われることは無いと思いますよ」
「良いから黙っててくれ」

 出勤までのわずかな時間、ラジオを聞きながら朝食を済ませる。今日はトーストにジャムをたっぷり塗ってみたがほとんど味がしない。
 やっぱりモブのせいかなぁ。

「何でも人のせいにするのは良くないですよ。味がしないのは寝起きだからじゃないですか?」
「だから!俺の心を読むなよ!」
「ならちゃんと返事してくれればいいじゃないですか。そうすれば心を読む必要もありませんし」


『今日の東濃地方の天気は午前中は晴れ。午後から所によりにわか雨があるでしょう』

 雨か。嫌だな。客足も鈍るし、何より帰宅時の雨は気が滅入る。

「まあ、そんな日もありますよ」
「だから読むなって」
『明日は前線が通過するため暖かな一日になるでしょう』

 明日は客足が伸びそうだ。発注内容を見直さないとな。

『季節外れの高温が予想されますので、アイスなども発注するとよいでしょう』

「は?」
 今なんつった?このラジオ。

「最近のラジオは親切ですね。発注品目まで教えてくれるなんて」
「うるせぇ!」
 疲れてんのかな。聞き間違いだろう。

 ……

 でもまあ、ちょうどいい。アイス系も多めに発注しとくか。腐るもんでもなし。

「疲れの原因は何ですか?悩みがあるなら相談に乗りますよ?」
 むしろお前らが悩みの種だっつーの。

「そんなことは無いでしょう。我々は話を聞くだけですから」
「聞くだけって言いながら、やいのやいのうるせえじゃねぇか!……我々?」
「俺も聞いてやってるだろ?」
 なんで黒猫がこんな時間にここに居る?
「なんだかお前が話したそうにしてるみたいだからな。来てやった」
「来てやったじゃ……ねぇ……って、お前も俺の心読めるのか?」
「お前の考えてることくらいは判るさ。長い付き合いだからな」
「そんなに長くもねぇだろ!」
 
『今日のラッキーアイテムは黒猫です』
 
「ほら!ラジオも言ってるじゃねぇか。な?」
「『な?』じゃねぇよ。大体ラジオなんて、不特定多数に向けて言ってるだけだろうが。俺はラッキーアイテムとか運勢とか信じねぇんだよ」
 
『あなたにぴったりのラッキーアイテムです。信じる者は救われますから、ぜひ身に着けるか。悩みを相談してください』

 ……

 は?

 なに?このラジオ。喋るの?

『ラジオは普段からしゃべっております』
 
「ですよねぇ。何おかしなこと考えてるんですか?」
「やっぱり疲れてんだな」

「いや!そう言う事じゃねぇよ!なんでラジオと会話が出来んだよ!?」
 
『ラジオはリスナーのご意見を受けて放送しております』
 
「だから!そう言う事じゃないだろうよ。なんでリアルタイムで話が出来んだよ。盗聴か!?」
「自意識過剰ですね。あなたを盗聴して何になります?」
「そうだぞ。盗聴されるほど人気は無いな。せいぜい俺たちに話を聞いてもらえるくらいのもんだ」
『さあ、悩みがあるならぜひ相談してください』

 なんだよ。こいつら。頭おかしんじゃねぇか!?

「頭がおかしいとすれば、あなたの方でしょうね」
「だな」
『そう考えるのが妥当でしょう』

 なんだよ。こいつら。容赦ねぇな……

「ですから。疲れてるんですよ。さぁ。今の悩みを話してみてください」

 悩みって言ってもなぁ……

「愚痴でも構いませんから、まずは吐き出してみましょう」
 
「愚痴ねぇ……」

 ……


 ………


 …………



 気が付くと、俺は小綺麗な部屋でベッドに横たわっていた。

 病室か?

「気が付きましたか」

 聞き覚えのある声の方を見ると、そこには「あきら」が居た。

 あきらは俺が社員だった頃、一緒の店で働いていた若手社員だ。俺はあきらと気が合ったので仲良くしていたが、奴は仕事ができる方ではなかったため周囲からの当たりはかなり厳しかった。俺が異動して店長になってからは、身の置き場が無くなり辞めてしまった。今は深夜バイトを掛け持ちしていて、日中たまに連絡があり相談に乗っていた。
 
「あきら……」

「俺の事判るんですね。よかった。ああ、そのままで。無理しないでください」
 あきらは起き上がろうとする俺の肩を軽く押さえる。

「どうですか?体調は?気分が悪かったり、痛いところありませんか?」
「いや。特には」

 体の具合を確認するが、特に痛むところも無いし、気分も悪くない。

「大丈夫だ。あきら、お前どうした?」

 いや。違うな。

「俺、どうなったんだ?」

「あ、いや。ゆっくり休んだ方が良いですよ。お疲れの様子でしたから」

 お疲れの様子?

 ……

「俺。どうなったんだ?」

「……最近の事覚えてます?」

「最近の?」

「はい」

 ここ数日の記憶……

「黒猫やスポンジ、ラジオと話したくらいだな……」
 そこまで言い及んで、「しまった」と思った。
 が、あきらから帰ってきた返答は意外なものだった。

「ああ、憶えてるんですね」
「憶えてる?」
「はい。いや。ちょっと俺相談事があったもんですから、この間からメッセージ送ってたんですけど、全然「既読」つかなくって。で、心配になったもんですから昨日家に行ったんですよ」
「昨日……」
「ええ、で、玄関先まで行ってインターホン押そうと思ったら、引き戸が少しあいてたんですよ。ちょっと嫌な予感がしたもんですから申し訳ないとは思ったんですが中に入らせてもらったんです」
「嫌な予感って」
「倒れてたりしたら大変だと思って……ほら。既読もつかないし」
「そういうことか。で?」
「玄関から入って居間の方に向かうと、にぎやかな声がして。最初はお客さんが居るのかと思って帰ろうとしたんですが……どうも中の声の様子がおかしくて」
「おかしい?」

「はい。会話……なんでしょうけど、相手の声がしないんですよね。電話かな?とも思ったんですが、どうも複数人と話してる感じだし……それに、相手を「黒猫」とか「ラジオ」とか呼んでるし。そんなあだ名なのかとも思ったんですが……盗み聞きしててもらちが明かないと思って中に入ったら……」
 あきらは随分言いづらそうに言葉を区切る。

「どうした?俺はどうなってた?」
「憶えてないんですね」
「ああ」
「カーテンを閉め切って真っ暗な部屋の中で、一人でぶつぶつ喋ってたんですよ。何度呼びかけてもこっち向いてくれないし、「黒猫」がどうとか「スポンジ」がどうとか言いながらじっとラジオの方を見てたんですよ。薬物か何かやったのかと思ったもんですから、つい救急車呼んじゃったんですよ」
「救急車を?」
「はい。しばらくしたら救急隊員が来たんですけど、救急隊員の呼びかけにも答えないし、もしかしたらこのまんま元に戻らないんじゃないかって心配しましたよ」
「俺、一人で話してた?」
「ええ。家の中は比較的奇麗でしたけど、なんか干からびた刺身とか、腐ったキャットフードが台所に置いてありましたね」
「あ!店は!?」
「あ、その事でしたらこの後有山マネージャー来るそうですよ。店とか仕事の詳しい事は有山さんが教えてくれると思います。はぁ。」
 あきらは、一つ大きなため息をつくと。俺に向き直って話を続けた。

「でも、良かったですよ、話ができるようになって。心配したんですからね、このまま元に戻らないんじゃないかって。たぶん有山さんも安心すると思います。じゃあ、一旦俺帰りますね。また明日にでも来ます」

 そう言うと、あきらは立ち上がり一礼して病室を後にした。

 その後、看護師や医師がひっきりなしに俺の所にやって来て、検査や投薬や点滴をせわしなく行っていった。
 日が暮れたころ、隣エリアのエリマネ。有山さんが面会に来てくれた。

 俺を店長に推薦してくれた人だ。

「おう。ちょっとやつれたか。どうだ?体調は」
「大丈夫です。ちょっとボーっとしますが、ここイチで体調は良い気がします」
「そうか。まあ、最近お前さん大変だったもんな」
「大変だった?」
「なんだ?とぼけてるのか?」
「いえ……そう言うわけじゃないんですけど、今日俺休んでて大丈夫ですか?俺の店どうなってますか?」

「今日……か。お前……」

 有山さんはまっすぐに俺の目を見て、言葉を選びながらゆっくり話す。

「最後に出勤したのいつか覚えてるか?」

 最後の出勤?

「一昨日ですかね」
「一昨日っていつだ?何月何日かわかるか?」

「嫌だなぁ。わかりますよ。そのくらい。えーと。あれ?」

 一昨日って、何日だ?だいたい今何月だ?

 その様子を有山さんはじっと見つめている。

「いや。これが記憶の混濁ってやつですかね?それか、度忘れって言うんですか?今が何月かすらわかんなくなっちゃいましたよ。はは」

 俺の乾いた笑いを、有山さんはクスリともせずにじっと見つめていた。そして、やおら話始める。


「そうか。やっぱり覚えてないんだな……

 医者からは、様子を見て段階的にって言われてるんだが……ちょっと今のお前にはショックが大きいかもしれんが……」

「ショック?」

「どうする?聞くのやめとくか?」

 そこまで言われたら、今度は逆に気になって休めない。

「いや。余計に気になります。それにこれ以上休めないですから」

「……そうか。まあ、お前がゆっくり休むためにも知っといた方が良いかもな」

「ゆっくり休むんですか?」

「ああ、お前は今休職中だ。先月からな」

「休職?いや。俺……なんで」

「そうか。最後のシフト。誰と組んだか覚えてるか?」

「服部君と森本さんだったと思いますが」

「そうか。そのあたりから記憶が無いんだな」

「そのあたりって……どういうことですか?」

「服部も森本もとうにクビになってるよ。それこそ2か月ほど前だ」

「へ?なんでです?服部はやっとモノになってきたのに……森本さんは……」
「森本には思い当たる節があるのか?」
「いや。まあ。でもなんで」
「なんでも何も、売春と恐喝だよ。社員に売春を持ち掛け、挙句にそれを材料に恐喝まがいの事をしたからな」
「それは誰に……」
「お前が店長になる前に異動した社員だよ。あいつも素行が悪くてな。ホントはお前の下で働くはずだったんだが、新店舗配属後すぐに問題起こして異動だ。お前が店長研修中の事だよ」
「そいつに恐喝したってことですか?」
「というか、本人に直接じゃなく、奴が今在籍してる店舗(みせ)に「オタクの社員にレイプされたどうしてくれる?」って連絡したもんだから揉めに揉めた。って。ここまで言っても思い出さないか?」
「あ、はい。知らないです」
「そうか。聞き取りをしたところ社員の方は「売春を持ち掛けられて金を払って応じた」と悪びれずに言うし、森本本人もその事実は否定しなかった。が「同意していない」と意味不明の主張だ。こうなったら基本的には当人同士の問題だからな。店舗として関与する話じゃないが、この内容だと恐喝の疑いもあるので警察に通報すると森本に伝えたら、森本が「それは冗談だ」とかなんとかと言い逃れをしてきた。結局そっちの話は有耶無耶だが、売春・買春する従業員は解雇ってことで落ち着いた」
「じゃあ、服部は?」
「服部の事も覚えてないか。あいつは女子高生に対するストーカー行為だ。お前が指導役として組ませてた女子高生に一方的に好意を寄せて付きまといを行ったうえ、その女子高生の彼氏を逆恨みして暴行した。刑事事件になったよ」
「朱莉には彼氏が居たんですね」
「この期に及んで、気になるのはそこかよ。なんだかなぁ……」
 有山さんは呆れ気味につぶやいた。

「おれ、自分で休職するって言ったんですか?」
「ああ、それも覚えてないか。二人の問題が立て続けに出て、村戸マネージャーがお前の店に行ったろ?そこで休職を申し出たって聞いてるぞ」
「村戸さんにですか……」
 ウチのエリマネだ。名前を聞いただけで陰鬱な気分になる。
「じゃあ、今うちの店は村戸さんが?」
「いや。今は林が店長代理だ。それなりにやってるよ。だから心配しなくていい」
「村戸さんは何て?」
「お前……村戸さんの事も覚えてないのか?」
「何かあったんですか?」
「そうか。村戸さんは今ベトナムだ」
「ベトナム!?」
 なんでそうなる?
「まあ、海外新店舗の出店準備となってるが、実質の左遷だな」
「何でですか!?」
「お前も知ってるだろ。評判悪かったの。一応|我が社(うち)は創業一家が役員を占めてるからな。あの人も一応遠縁の親戚だ。なんやかんやで優遇されてたんだよ。でも流石に庇いきれなくなったんだろうな」
「庇うって?」
「お前児島は知ってるよな?やめたのは覚えてるか?」
「あ、はい。この前退職するって連絡ありましたから」
「そうか。それは覚えてるんだな。あいつが休職する時も、村戸さんのパワハラは問題になったんだよ。児島からも「パワハラを受けた」って相談があったからな。ウチの本部が聞き取りに来ただろ?覚えてないか?」
「ああ、何か児島の事をアルバイトに聞いてたのは覚えてますけど……」
「まあ、直接パワハラの確認だとは言わないからな。休職申請があった際に「現場で何があったかの事実確認をする」っていう体で事情聴取をして回ったんだよ。パートやバイトからの事情聴取でも村戸さんからのパワハラは確認されたんだけど、役員がもみ消したんだよ。で、今回のお前の休職だ。
 お前からのパワハラ申告こそ無いものの、本部としては村戸さんを問題視してたからな。パート・アルバイトに事情聴取して今回も黒と判断したんだよ。で、役員に上申。このままだと今回の件も含めて大きな問題になると判断しての左遷だ」
「でも。ベトナムで問題起こしたりしませんか?」
「あっちは別会社だ。ウチの名前も使ってないし。社員も現地の人間がほとんどで数も少ない。問題が起きても切り捨てる気だよ。それに、問題が起きたときに責任を取るのは現村戸「取締役」だ。役職名こそ昇格だが給料も下がってるはずだしな、実質大幅降格だ」

「そうですか」

 本当に記憶が全くない。俺は黒猫たちに何を相談してたんだろう。

「まあ、当分ゆっくり休め。お父さんも心配してたぞ。全然顔を出さんってな。まずは体調を戻して。それからお父さんに面会に行け」
「はい。ありがとうございます」
 
「ちなみに、俺は復帰できるんですか?」
「それはお前次第だろう?俺じゃなくて医者に聞け」
「いや。そう言う事じゃなくて。店長に……戻れるんですか?」
「ん~。そうだな」

 有山さんは腕を組んでしばらく考え込む。そして、俺の目を見てゆっくりと話し始めた。

「それもお前次第だな。俺はお前に任せたいと思ってるが……お前が店長を固辞するんなら、それはそれで仕方ないと思ってる。会社としても本人が望んでいるにもかかわらず降格させるつもりはないと思うぞ」
「そうですか」

「な。しっかり休んで体調を戻せ。そんで、また呑みに行こうや」


 ……

「はい。ありがとうございます」

 俺の言葉を聞いて、有山さんはゆっくりと立ち上がる。軽く手を上げてから病室を出て行った。

 その姿を見送り、視線を窓の外に向けようとしたとき、再度病室のドアが開く。有山さんが病室に戻ってきた。

「言い忘れてた事を思い出した。あのな。医者がな『ストレスなんかを発散するためにモノに話しかけるのは悪い事じゃない。でもな。話しかけた物が、お前の言葉に答えたら……病院に来い』と言ってたぞ。気を付けろよ。じゃあな」
 

 そう言うと、有山さんはにこやかに去っていった。
 
 そうか、話し相手ができるのも考えもんだな。
 これからは注意しよう。
 
 じゃあ、しばらく休むとするか。
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