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サトシの譚
ゴブリンの襲来
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日も沈み、当たりが薄暗くなったころ、サトシは小屋に帰った。両親はすでに帰宅しているようだ。
「あらおかえり、遅かったわね。」
「魔獣は居たか?」
農器具の確認をしている父から、からかい気味に問われる。魔獣の見張りの真似事でもしていたと思われているんだろう。冒険者を目指していることは伝えているが、両親とも真に受けてはいない。根がやさしい子だし、腕っぷしが強いわけではない。年だけは一人前だが、まだ仕事は半人前という評価だ。
確かに、現代の日本では14~5歳と言えば、まだ中学生で独り立ちするような歳ではない。が、今置かれている貧しい環境では、一人で生きていく術を身につけておかなければならない年齢だ。
父の言葉を聞きながら、サトシは日本での人生を思い返していた。まだ記憶があやふやではあるが、ある程度は思い出している。大学に通っていたこと、中学・高校とゲームに明け暮れていたこと。両親との仲は良かったことなど、懐かしさと共にホームシックにも似た淋しさを感じていた。
「おい、どうした?神妙な顔して。本当に魔獣が居たのか?」
「いや、居ないけどさ。ああ、野兎とリスを捕まえたよ。捌いてもらえる?」
今日の獲物を父に渡す。
「どうした?その肩の血は。」
「ああ、野兎を担いできたから付いたんじゃないかな。」
咄嗟に嘘をつく。気弱な息子がスライムに殺されかかったとなれば、両親も動揺するだろうとの思いからだ。
「そうか、ならいいが。おお、この野兎は良いカタだな、肉付きもいいし。ちょっと待ってろ、今捌くよ。」
「あら、ちょうどよかった、ウルサンではあまりいい物がなかったのよ。サトシのおかげで今日は豪華な食事ができそうね。」
母の声も明るい。ジルも母の料理を手伝いながら楽しそうにしている。サトシは父の手伝いをすることにした。父は小屋の外に行き、丸太で組んだ三脚に野兎を吊り下げ、手際よく捌いてゆく。内臓を取り出し、手首、足首を切り取ってから皮を剥ぐ。ナイフ一本で鮮やかにさばいてゆく。サトシはその手さばきに見惚れていた。
「手際良いね。父さんは。」
「慣れてるからな。お前も捌けるだろ?前やってみなかったっけ。」
確かにさばいたような記憶がある。日本にいたときの記憶ではなく、この世界の記憶だろう。
「じゃあ、もう一匹の方はお前が捌くか?」
「そうだね。やってみるよ。」
父がナイフを持ち替えて、柄の部分を差し出す。サトシがナイフを受け取った時、嫌な音が響いていることに気付いた。
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
大勢の足音。四足歩行ではない、二足歩行の生き物だ。サトシには覚えがあった。この感覚。肌が粟立つ。恐怖に身がすくむ。
小屋の中から母とジルの悲鳴が聞こえている。中にもこの地響きが届いたのだろう。サトシと父は急いで小屋の中に駆け込む。中ではジルが両手で耳を塞ぎ蹲っている。母はそれを抱えるようにしゃがんでいるが、目はおびえ切っている。
「アンヌ!ジル!隣の小屋に隠れろ!あそこなら中から閂(かんぬき)がかかる!早く行け!サトシ!ジルを連れていけ!早く!」
「ダン!あなたも逃げて!」
「わかってる!俺は表の方から逃げる。大丈夫だ!掴まらんさ。お前たちは早く隠れろ!」
父は囮になる気だ。逃げ切れるだろうか。だが今の自分では足手まといにしかならない。集落の外に出ても魔獣がうろついているかもしれない。夕方のスライムですら倒せないサトシでは外に逃げるのは不可能だ。アンヌ、ジルと共に小屋に隠れて朝を待つしかないだろう。
「父さん!これを持って!」
野兎を捌くために使ったナイフを父に渡す。大した役には立たないだろうがないよりはマシだ。サトシも日中使っていた鉈を手に取り、ジルに肩を貸しながら隣の小屋へと向かう。
隣の小屋は以前ジルの家族が住んでいた家だ。あそこの入り口には閂(かんぬき)が付いている。引きずるようにジルを小屋の中に入れると、慌てて扉を閉める。大きい閂(かんぬき)のため、両手で持ち上げているが、腕が震えてうまくかからない。
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
足音はすぐそこまで来ている。見なくても音の正体は判る。ゴブリンたちだ。前回と同じだ。100を超える数のゴブリンがこちらに向かってくる。父さんが逃げていくのに気付いたのだろう。ゴブリンたちの足音がそれていくのがわかる。
『この隙に閂をかけてしまわないと』
気だけが焦る。震える腕を抑えるように、白い手が閂を支えてくれる。アンヌのアンヌだ。
「さあ、しっかり。閉めて…」
声は消え入りそうだ。父を見殺しにしてしまった後悔と恐怖で今にも崩れ落ちそうになっている、が、力を振り絞るように閂を閉める。
扉がしっかりとしまったことを確認し、サトシは一息つく。力なく扉にもたれかかり扉が開かないように抑え込む形で地面に跪いた。
「大丈夫。大丈夫よ。父さんは大丈夫。きっと逃げてくれるから。私たちはここでじっとしてましょう。」
消え入りそうな声で、自分自身を奮い立たせるようにアンヌはつぶやいた。外に声が漏れるのもまずいと思い。サトシは静かに頷いた。ゴブリンの足音だけが周囲に響く。その時だった。
「ギヤァーーーーーーー!!はなせぇーーーーーー!!はなぁせぇぇーーー」
聞き覚えのある声が悲鳴として響き渡る。サトシの目は焦点を失い絶望の色に染まって行く。アンヌは目に大粒の涙をためて、口を両手で押さえ、声を押し殺しながら嗚咽に震えている。ジルは耳を抑えてうずくまったまま震えている。3人の間には恐怖と緊張と悲しみの入り混じった空気が漂う。
「あぁーーぁ。」
父親の命が力ない悲鳴と共に消えてゆくのがわかった。アンヌは肩を揺らしながら蹲る。サトシはその様子を何もできずにじっと見ていた。
「いやぁーーーー!!」
ジルが恐怖に耐え切れず耳をふさいだまま悲鳴を上げる。
サトシはハッと我に返り、ジルの口を押えたが遅かった。はたと止まった足音は、一斉にこちらへ向かってくる。もう目の前に迫っているのが足音だけでわかる。そして、轟音を立てながら、壁や扉を鈍器のようなもので叩き始める。粗末な小屋の壁や扉はたたかれるたびに木屑を飛ばしながら変形してゆく。
ジルの悲鳴を聞いたことで冷静になったサトシは、気持ちを落ち着けようと必死に自分に言い聞かせる。
「これはゲームだ。落ち着け!落ち着くんだ!」
手足の震えが止まり、思考がクリアになる。サトシは冷静に、そして迅速に次の行動を考える。
「行動加速」
自分自身にヘイストをかける。次に外にいるゴブリンのステータスを確認する。
ステータス画面が一気に視界を埋め尽くす。小屋の周りを完全に囲まれているようだ。加えて
「ゴブリン Lv5」
「ゴブリン Lv12」
「ゴブリン Lv9」
「ホブゴブリン Lv15」
ざっと確認しただけでも小屋の周囲には20体以上のゴブリンとホブゴブリンが居る。それもLvはサトシを大きく上回る。催眠は効かないだろう。バフで勝負するしかない。
「行動加速、防御向上」
サトシがバフに集中していると、目の前の扉が大きな音をたてて破壊される。閂(かんぬき)は真っ二つに折られ扉は完全に開き切っている。外には棍棒や剣を持ったゴブリン達がこちらをにやけながら窺っている。
すると、一匹のゴブリンがジルの髪の毛をつかもうと手を伸ばしてくる。その様子がサトシにはゆっくりと見えた。
『イケる!』
そう思ったサトシは、上段に構えた鉈をゴブリンの肘めがけて振り抜く。肘関節の間を抜けた鉈はゴブリンの腕をたたき切り地面に突き当たって止まる。腕を失ったゴブリンはまだ気づいていないのかにやけた顔のままだ。サトシは鉈の刃をゴブリンの顔に向けると、喉元めがけて振り抜く。
骨に当たった手ごたえがあったがそのまま力を籠める。手ごたえが軽くなり振り抜くと、ゴブリンの顔が宙を舞う。
一瞬の静寂ののち頭の中にメロディーが鳴り響く。
テテレテーレーテッテレー!!
「経験値75獲得、サトシのレベルが5に上昇、体力の最大値が上昇しました、腕力が向上しました。攻撃力が向上しました。生命力が向上しました。素早さが向上しました。防御力が向上しました。運が向上しました。剣の熟練度が向上しました。」
『ヘイストを維持して、死角から狙えば勝てる!』
レベル差はあるが、相手の背後を突ければ勝機がある。サトシはそう思った。
『次ぃ!』
隣にいるゴブリンは何が起こったのかまだ理解できていない。首を落とすか、目を狙うか。
ゴキン!!
首を狙った鉈からとんでもない衝撃を受ける。岩を叩いた様な手応えだった。
「ぐあぁ!」
衝撃がサトシの手に直接跳ね返り、鉈が手からすっぽ抜ける。目の前のゴブリンは痛がってはいるが致命傷にはなっていないようだ。痺れる右手を庇いながら左手で地面に落ちた鉈を拾おうとしたとき、視界がブレる。
一瞬遅れて背中に激痛が走り、サトシは自分が宙を舞っていると理解した。背後から蹴り上げられ、2mほど飛び上がっているようだ。数匹のゴブリンを飛び越えて地面に叩きつけられる。痛みのあまりうめき声しか出せない。サトシを蹴り上げたホブゴブリンが怒りの形相でゆっくりとサトシの顔を覗き込む。
ホブゴブリンの振り上げた手にはサトシより一回り以上大きい棍棒が握られている。それが一気に振り下ろされる。
『やられる』
咄嗟にサトシは後ろに飛びのく。激痛に身もだえながらも辛うじて棍棒をかわす。地面に当たった棍棒は土と小石を周りにまき散らし、それが散弾のようにサトシにぶつかる。皮膚が裂け血しぶきが上がる。できる限り距離を取ろうと後ずさるが、後ろにいるゴブリンがサトシの退路を塞ぐ。
ホブゴブリンが今度は棍棒を横なぎに振る。豪快な風切り音と共にサトシにクリーンヒットする。体中の骨が折れる音が聞こえる。壊れたマネキンのようにサトシの体がくるくると回りながら飛んで行く。地面にワンバウンド、ツーバウンドして止まる。辛うじて意識を保っているが、体は限界だ。腕と足は解放骨折している。サトシは朦朧とする意識の中必死でつぶやく。
「頭部治癒!頭部治癒!」
最優先で脳の損傷を抑えようとした。それが功を奏したのか、意識がはっきりしてきた。その分激痛が全身を襲う。
「腕治癒!足治癒!」
内臓にも損傷は受けているだろうが、それは後回しだ。この場を逃げなければ。そのためには、次に治すのは足と腕だとサトシは思った。
「いやぁーーーー!!」
「ジル!!!」
ジルの悲鳴と、アンヌの叫ぶ声が聞こえる。血でぼやける視界の中で、遠くに二人の姿が見える。ジルはゴブリンに髪の毛をつかまれ引きずられている。アンヌは数匹のゴブリンに服をはぎ取られ襲われようとしている。滲んでゆく視界には泣き叫びながら凌辱される二人の姿と、先ほど自分をぼろ雑巾のように吹き飛ばしたホブゴブリンがある。次第にホブゴブリンの姿が大きくなり、それにと共に恐怖がサトシの心を塗りつぶす。
『殺される!治癒が間に合わない』
ようやく動く様になった腕と足で、腹ばいになりながら地面を這いながらホブゴブリンから逃げようと必死にもがく。サトシは頭の中で治癒の言葉を繰り返す。這いながら逃げ、徐々に治癒してゆく手足を使い必死で距離を取ろうともがく。匍匐前進状態から四つん這いに、そしてようやく立って歩けるようになった時、また強烈な衝撃が背中を襲う。
駆けこんできたホブゴブリンは大きく振りかぶった棍棒でサトシを背後から打ち抜いて吹き飛ばした。
サトシは天高く舞い上がり、空中で不自然に手足を振りながら放物線を描いて飛んで行く。落下地点には井戸があった。サトシはその中にちょうど落ち込んで行った。数匹のゴブリンが大笑いしながら井戸の中を覗き込む。井戸の中は深く、ゴブリンの中まで入っていこうとはしない。
が、止めを刺そうとしているのか、はたまた遊んでいるだけなのか、周りから石やら岩やらを井戸に投げ込む。ひとしきり投げ込んで飽きたのか、ゴブリンたちは井戸から離れて行った。
響き渡っていたジルとアンヌの悲鳴が聞こえなくなった頃、ゴブリンたちは暗闇へと姿を消した。
「あらおかえり、遅かったわね。」
「魔獣は居たか?」
農器具の確認をしている父から、からかい気味に問われる。魔獣の見張りの真似事でもしていたと思われているんだろう。冒険者を目指していることは伝えているが、両親とも真に受けてはいない。根がやさしい子だし、腕っぷしが強いわけではない。年だけは一人前だが、まだ仕事は半人前という評価だ。
確かに、現代の日本では14~5歳と言えば、まだ中学生で独り立ちするような歳ではない。が、今置かれている貧しい環境では、一人で生きていく術を身につけておかなければならない年齢だ。
父の言葉を聞きながら、サトシは日本での人生を思い返していた。まだ記憶があやふやではあるが、ある程度は思い出している。大学に通っていたこと、中学・高校とゲームに明け暮れていたこと。両親との仲は良かったことなど、懐かしさと共にホームシックにも似た淋しさを感じていた。
「おい、どうした?神妙な顔して。本当に魔獣が居たのか?」
「いや、居ないけどさ。ああ、野兎とリスを捕まえたよ。捌いてもらえる?」
今日の獲物を父に渡す。
「どうした?その肩の血は。」
「ああ、野兎を担いできたから付いたんじゃないかな。」
咄嗟に嘘をつく。気弱な息子がスライムに殺されかかったとなれば、両親も動揺するだろうとの思いからだ。
「そうか、ならいいが。おお、この野兎は良いカタだな、肉付きもいいし。ちょっと待ってろ、今捌くよ。」
「あら、ちょうどよかった、ウルサンではあまりいい物がなかったのよ。サトシのおかげで今日は豪華な食事ができそうね。」
母の声も明るい。ジルも母の料理を手伝いながら楽しそうにしている。サトシは父の手伝いをすることにした。父は小屋の外に行き、丸太で組んだ三脚に野兎を吊り下げ、手際よく捌いてゆく。内臓を取り出し、手首、足首を切り取ってから皮を剥ぐ。ナイフ一本で鮮やかにさばいてゆく。サトシはその手さばきに見惚れていた。
「手際良いね。父さんは。」
「慣れてるからな。お前も捌けるだろ?前やってみなかったっけ。」
確かにさばいたような記憶がある。日本にいたときの記憶ではなく、この世界の記憶だろう。
「じゃあ、もう一匹の方はお前が捌くか?」
「そうだね。やってみるよ。」
父がナイフを持ち替えて、柄の部分を差し出す。サトシがナイフを受け取った時、嫌な音が響いていることに気付いた。
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
大勢の足音。四足歩行ではない、二足歩行の生き物だ。サトシには覚えがあった。この感覚。肌が粟立つ。恐怖に身がすくむ。
小屋の中から母とジルの悲鳴が聞こえている。中にもこの地響きが届いたのだろう。サトシと父は急いで小屋の中に駆け込む。中ではジルが両手で耳を塞ぎ蹲っている。母はそれを抱えるようにしゃがんでいるが、目はおびえ切っている。
「アンヌ!ジル!隣の小屋に隠れろ!あそこなら中から閂(かんぬき)がかかる!早く行け!サトシ!ジルを連れていけ!早く!」
「ダン!あなたも逃げて!」
「わかってる!俺は表の方から逃げる。大丈夫だ!掴まらんさ。お前たちは早く隠れろ!」
父は囮になる気だ。逃げ切れるだろうか。だが今の自分では足手まといにしかならない。集落の外に出ても魔獣がうろついているかもしれない。夕方のスライムですら倒せないサトシでは外に逃げるのは不可能だ。アンヌ、ジルと共に小屋に隠れて朝を待つしかないだろう。
「父さん!これを持って!」
野兎を捌くために使ったナイフを父に渡す。大した役には立たないだろうがないよりはマシだ。サトシも日中使っていた鉈を手に取り、ジルに肩を貸しながら隣の小屋へと向かう。
隣の小屋は以前ジルの家族が住んでいた家だ。あそこの入り口には閂(かんぬき)が付いている。引きずるようにジルを小屋の中に入れると、慌てて扉を閉める。大きい閂(かんぬき)のため、両手で持ち上げているが、腕が震えてうまくかからない。
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
足音はすぐそこまで来ている。見なくても音の正体は判る。ゴブリンたちだ。前回と同じだ。100を超える数のゴブリンがこちらに向かってくる。父さんが逃げていくのに気付いたのだろう。ゴブリンたちの足音がそれていくのがわかる。
『この隙に閂をかけてしまわないと』
気だけが焦る。震える腕を抑えるように、白い手が閂を支えてくれる。アンヌのアンヌだ。
「さあ、しっかり。閉めて…」
声は消え入りそうだ。父を見殺しにしてしまった後悔と恐怖で今にも崩れ落ちそうになっている、が、力を振り絞るように閂を閉める。
扉がしっかりとしまったことを確認し、サトシは一息つく。力なく扉にもたれかかり扉が開かないように抑え込む形で地面に跪いた。
「大丈夫。大丈夫よ。父さんは大丈夫。きっと逃げてくれるから。私たちはここでじっとしてましょう。」
消え入りそうな声で、自分自身を奮い立たせるようにアンヌはつぶやいた。外に声が漏れるのもまずいと思い。サトシは静かに頷いた。ゴブリンの足音だけが周囲に響く。その時だった。
「ギヤァーーーーーーー!!はなせぇーーーーーー!!はなぁせぇぇーーー」
聞き覚えのある声が悲鳴として響き渡る。サトシの目は焦点を失い絶望の色に染まって行く。アンヌは目に大粒の涙をためて、口を両手で押さえ、声を押し殺しながら嗚咽に震えている。ジルは耳を抑えてうずくまったまま震えている。3人の間には恐怖と緊張と悲しみの入り混じった空気が漂う。
「あぁーーぁ。」
父親の命が力ない悲鳴と共に消えてゆくのがわかった。アンヌは肩を揺らしながら蹲る。サトシはその様子を何もできずにじっと見ていた。
「いやぁーーーー!!」
ジルが恐怖に耐え切れず耳をふさいだまま悲鳴を上げる。
サトシはハッと我に返り、ジルの口を押えたが遅かった。はたと止まった足音は、一斉にこちらへ向かってくる。もう目の前に迫っているのが足音だけでわかる。そして、轟音を立てながら、壁や扉を鈍器のようなもので叩き始める。粗末な小屋の壁や扉はたたかれるたびに木屑を飛ばしながら変形してゆく。
ジルの悲鳴を聞いたことで冷静になったサトシは、気持ちを落ち着けようと必死に自分に言い聞かせる。
「これはゲームだ。落ち着け!落ち着くんだ!」
手足の震えが止まり、思考がクリアになる。サトシは冷静に、そして迅速に次の行動を考える。
「行動加速」
自分自身にヘイストをかける。次に外にいるゴブリンのステータスを確認する。
ステータス画面が一気に視界を埋め尽くす。小屋の周りを完全に囲まれているようだ。加えて
「ゴブリン Lv5」
「ゴブリン Lv12」
「ゴブリン Lv9」
「ホブゴブリン Lv15」
ざっと確認しただけでも小屋の周囲には20体以上のゴブリンとホブゴブリンが居る。それもLvはサトシを大きく上回る。催眠は効かないだろう。バフで勝負するしかない。
「行動加速、防御向上」
サトシがバフに集中していると、目の前の扉が大きな音をたてて破壊される。閂(かんぬき)は真っ二つに折られ扉は完全に開き切っている。外には棍棒や剣を持ったゴブリン達がこちらをにやけながら窺っている。
すると、一匹のゴブリンがジルの髪の毛をつかもうと手を伸ばしてくる。その様子がサトシにはゆっくりと見えた。
『イケる!』
そう思ったサトシは、上段に構えた鉈をゴブリンの肘めがけて振り抜く。肘関節の間を抜けた鉈はゴブリンの腕をたたき切り地面に突き当たって止まる。腕を失ったゴブリンはまだ気づいていないのかにやけた顔のままだ。サトシは鉈の刃をゴブリンの顔に向けると、喉元めがけて振り抜く。
骨に当たった手ごたえがあったがそのまま力を籠める。手ごたえが軽くなり振り抜くと、ゴブリンの顔が宙を舞う。
一瞬の静寂ののち頭の中にメロディーが鳴り響く。
テテレテーレーテッテレー!!
「経験値75獲得、サトシのレベルが5に上昇、体力の最大値が上昇しました、腕力が向上しました。攻撃力が向上しました。生命力が向上しました。素早さが向上しました。防御力が向上しました。運が向上しました。剣の熟練度が向上しました。」
『ヘイストを維持して、死角から狙えば勝てる!』
レベル差はあるが、相手の背後を突ければ勝機がある。サトシはそう思った。
『次ぃ!』
隣にいるゴブリンは何が起こったのかまだ理解できていない。首を落とすか、目を狙うか。
ゴキン!!
首を狙った鉈からとんでもない衝撃を受ける。岩を叩いた様な手応えだった。
「ぐあぁ!」
衝撃がサトシの手に直接跳ね返り、鉈が手からすっぽ抜ける。目の前のゴブリンは痛がってはいるが致命傷にはなっていないようだ。痺れる右手を庇いながら左手で地面に落ちた鉈を拾おうとしたとき、視界がブレる。
一瞬遅れて背中に激痛が走り、サトシは自分が宙を舞っていると理解した。背後から蹴り上げられ、2mほど飛び上がっているようだ。数匹のゴブリンを飛び越えて地面に叩きつけられる。痛みのあまりうめき声しか出せない。サトシを蹴り上げたホブゴブリンが怒りの形相でゆっくりとサトシの顔を覗き込む。
ホブゴブリンの振り上げた手にはサトシより一回り以上大きい棍棒が握られている。それが一気に振り下ろされる。
『やられる』
咄嗟にサトシは後ろに飛びのく。激痛に身もだえながらも辛うじて棍棒をかわす。地面に当たった棍棒は土と小石を周りにまき散らし、それが散弾のようにサトシにぶつかる。皮膚が裂け血しぶきが上がる。できる限り距離を取ろうと後ずさるが、後ろにいるゴブリンがサトシの退路を塞ぐ。
ホブゴブリンが今度は棍棒を横なぎに振る。豪快な風切り音と共にサトシにクリーンヒットする。体中の骨が折れる音が聞こえる。壊れたマネキンのようにサトシの体がくるくると回りながら飛んで行く。地面にワンバウンド、ツーバウンドして止まる。辛うじて意識を保っているが、体は限界だ。腕と足は解放骨折している。サトシは朦朧とする意識の中必死でつぶやく。
「頭部治癒!頭部治癒!」
最優先で脳の損傷を抑えようとした。それが功を奏したのか、意識がはっきりしてきた。その分激痛が全身を襲う。
「腕治癒!足治癒!」
内臓にも損傷は受けているだろうが、それは後回しだ。この場を逃げなければ。そのためには、次に治すのは足と腕だとサトシは思った。
「いやぁーーーー!!」
「ジル!!!」
ジルの悲鳴と、アンヌの叫ぶ声が聞こえる。血でぼやける視界の中で、遠くに二人の姿が見える。ジルはゴブリンに髪の毛をつかまれ引きずられている。アンヌは数匹のゴブリンに服をはぎ取られ襲われようとしている。滲んでゆく視界には泣き叫びながら凌辱される二人の姿と、先ほど自分をぼろ雑巾のように吹き飛ばしたホブゴブリンがある。次第にホブゴブリンの姿が大きくなり、それにと共に恐怖がサトシの心を塗りつぶす。
『殺される!治癒が間に合わない』
ようやく動く様になった腕と足で、腹ばいになりながら地面を這いながらホブゴブリンから逃げようと必死にもがく。サトシは頭の中で治癒の言葉を繰り返す。這いながら逃げ、徐々に治癒してゆく手足を使い必死で距離を取ろうともがく。匍匐前進状態から四つん這いに、そしてようやく立って歩けるようになった時、また強烈な衝撃が背中を襲う。
駆けこんできたホブゴブリンは大きく振りかぶった棍棒でサトシを背後から打ち抜いて吹き飛ばした。
サトシは天高く舞い上がり、空中で不自然に手足を振りながら放物線を描いて飛んで行く。落下地点には井戸があった。サトシはその中にちょうど落ち込んで行った。数匹のゴブリンが大笑いしながら井戸の中を覗き込む。井戸の中は深く、ゴブリンの中まで入っていこうとはしない。
が、止めを刺そうとしているのか、はたまた遊んでいるだけなのか、周りから石やら岩やらを井戸に投げ込む。ひとしきり投げ込んで飽きたのか、ゴブリンたちは井戸から離れて行った。
響き渡っていたジルとアンヌの悲鳴が聞こえなくなった頃、ゴブリンたちは暗闇へと姿を消した。
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