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三学期・後半

第154話 バレンタインデー (2)

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 ――二月十四日 夜 幸子の自宅

 ピピッ ピピッ ピピッ

 ベッドで寝ている幸子は、自分の脇の下から体温計を取り出す。

(あー……熱下がんないなぁ……)

 ポスッ

 幸子は、力なくベッドに腕を投げ出した。

 コンコン

「はいるね」

 カチャリ

「さっちゃん、どう……?」

 マスクをした澄子が部屋に入ってきた。

「九度六分……」
「中々熱が下がらないわね……でも、薬も飲んでるし、しばらくは大人しく寝てなさい」
「お母さん……」
「なに?」
「感染っちゃうから、来なくても大丈夫だよ……」

 澄子を気遣う幸子。
 澄子は、そんな幸子に優しい笑顔を向け、頭をそっと撫でた。

「そうだ、さっちゃん。これなーんだ」

 ピンクのリボンで可愛くラッピングされた透明の袋をエプロンのポケットから取り出す。
 中には、木のスプーンが刺さったチョコレートとハートのマシュマロが、それぞれ数個ずつ入っていた。

「なに、それ……?」
「はい、さっちゃんへバレンタインのチョコレートだって」

 澄子は、寝ている幸子の枕元に袋を置く。

「えっ……?」
「さっちゃんが寝てる間に、高橋(駿)くんが来たの」
「駿くんが……?」

 ◇ ◇ ◇

 ――一時間前

 ぴんぽーん

 カチャン カチャン ガチャッ

「高橋くん、いらっしゃい」
「澄子さん、こんばんは。遅くに突然申し訳ございません」

 澄子に頭を下げる駿。

「ううん、いいのよ。さぁ、さぁ、入って頂戴!」
「すみません、お邪魔します」

 駿は居間に通され、テーブルを挟んで澄子と駿が向かい合って座った。

「幸子さん、具合はいかがですか……?」
「熱が下がらなくてね……今は薬飲んで寝てるわ……」
「そうですか……」
「せっかくお見舞いに来てくれたのに悪いんだけど……」
「インフルエンザじゃ、会わない方が良いでしょうね……顔出しても、きっと幸子さんに無理させてしまうと思いますし……」
「そうね……ごめんなさいね……」

 申し訳無さそうな澄子。
 駿は、バックパックの中から可愛くラッピングされた透明の袋を取り出す。

「これ、幸子さんに渡していただけますか」
「あら、可愛い。幸子へのバレンタインチョコかしら?」
「はい、ホットチョコレートスプーンを作ってみたんです」
「高橋くんの手作りなのね!」
「もらうのを期待して待ってるだけじゃダメかなって。大急ぎで作ったんで、美味しく出来てるかは微妙ですが……」

 頭をかきながら苦笑いした駿。

「これ、レンジでホットミルクを作って、これをそのまま入れて、かき回しながら溶かせば、ホットチョコレートになりますんで。マシュマロは、ホットチョコに浮かべるとカワイイですよ!」
「具合の悪い幸子のために、わざわざホットチョコにしてくれたのね……」
「食欲無くても、甘い飲み物ならもしかしたら飲めるかなって。あ、低脂肪乳とか使うと、すっきりした感じになりますんで、胃に重そうであれば低脂肪乳使ってみてください」
「高橋くん……あなた、どこまで優しいの……」
「それと……」

 駿は、バックパックの中からもうひとつ袋を取り出す。
 こちらは赤いリボンでラッピングされていた。

「これは、澄子さんに」
「わ、私にも……?」

 同じようにホットチョコレートスプーンが入った袋を澄子に渡す駿。

「こっちは、チョコレートリキュールを使っていますので、大人専用です」
「高橋くん、ありがとう……」

 澄子は、目に涙を湛えた。

「す、澄子さん、大げさですよ!」
「大げさじゃないわ……私、これまでの人生でチョコなんてあげたことないのに、先にもらっちゃったんですもの……」

 嬉しそうに微笑む澄子。

「こんなオバサンに、ありがとね……」
「オバサン? オレにとって澄子さんは、幸子さんと同じとても大切な、そして特別な女性ですよ」

 駿はニッコリ笑った。

「ガールフレンドの母親を夢中にさせちゃってどうするの? ふふふっ」

 頬を赤らめ、嬉しそうな澄子。

「そこまで喜んでいただけると、プレゼントした甲斐がありますよ」

 駿は笑顔を返した。

「じゃあ、これはさっちゃんに渡しておくわね!」
「はい、よろしくお願いいたします!」

 ◇ ◇ ◇

 ――幸子の部屋

「……ということで、プレゼントを預かったの」
「…………」

 幸子は悔しげな表情を浮かべた。

「お母さん……私、悔しいよ……」

 ベッドに寝ている幸子の目から、涙が一筋落ちる。

 幸子は、手作りのチョコを駿にあげようと考え、土曜日に自分の小遣いでチョコや調理器具を購入していたのだ。
 精一杯の勇気をもって、駿にチョコを渡したい。幸子にしてみれば、清水の舞台から飛び降りる覚悟をもって望むバレンタインデーになるはずだった。
 しかし、翌日の日曜日に発熱。チョコ作りどころではなくなり、月曜日の今日、バレンタインデーは学校を休まざる得なかったのだ。

「私……大事なところでいつもこうだ……」
「…………」

 何も言えない澄子。
 幸子は視線を枕元の袋に向ける。

「あれ……?」

 袋にはQRコードの印刷されたシールが貼られていた。
 澄子もそれに気付く。

「お母さんがもらったものには貼ってなかったわ」
「お母さん……そのあたりにスマホ落ちてない……?」

 ベッドから落ちたのであろう、床に幸子のスマートフォンが落ちていた。

「はい、これね」

 澄子からスマートフォンを受け取った幸子は、辛そうに身体を起こす。

「んしょ……」

 カメラを起動して、QRコードを読み込んだ。
 すると、WeTube(動画サイト)のアプリが起動して、動画が再生され始める。

 画面に映し出されたのは、音楽準備室だった。
 軽音楽部から奪取して、現在は音楽研究部の活動場所として利用している。
 そんな音楽準備室に、ぽつんと椅子だけが一脚置かれていた。

「あ……」

 画面の端から現れたのは、アコースティックギターを持った駿だ。
 駿は椅子に座り、話し始めた。

『えーと……さっちゃん、こんにちは……あれ?……ちゃんと映ってんのかな……?』

 どこか、しどろもどろな感じの駿。

「あはは……駿くん、可愛いな……」

『ほら、この間撮影したジュリアへの動画、あれスゴく本人の評判が良かったから、第二弾ということで、さっちゃんへ動画でお見舞いです』

「わざわざ私のために……」

『あ、ただ、みんなに言うと、どうせまたからかわれるから、今回はオレひとりでやります。だから、この動画はオレとさっちゃん、ふたりの秘密ね!』

「うん、ふたりの秘密……」

『ということで、今回はアコースティックギター一本で一曲プレゼントします。ピックは、コレ、使うからね!』

 駿は、クリスマスに幸子からプレゼントしてもらった、ネーム入りの木製ピックをカメラの前に出した。

「使ってくれて嬉しいな……」

 笑顔になる幸子。

『前置き長くてゴメンね、それでは……』

 アコースティックギターから優しい音色が生み出されていく。

 駿が歌うのは、数十年前に発表されたのシンガーソングライターの一曲。多くのミュージシャンにカバーされ、世界中の人に愛されている名曲だ。

 <何もかもがうまくいかず、暗い気持ちに覆われた時>
 <ボクのことを心に思い描いてごらん>
 <キミの心の中を明るく照らしてあげる>

(駿くん……駿くんはどうして……)

 <心までもが凍えるような、冬の北風が吹き付ける時>
 <ボクのことを心に思い描いてごらん>
 <キミの心を抱きしめて暖めてあげる>

(駿くんはどうして、私が欲しい言葉がわかるの……?)

 駿の野太い声で、優しく歌い上げていく。

 <誰もがキミに冷たく、無視して、優しさも感じられない>
 <誰もがキミを傷付け、見捨てて、息吹さえも奪おうとする>

 <でもね、キミがどこにいたって、ボクが守ってみせる>
 <そうさ、キミがどこにいたって、ボクが抱きしめてあげる>

 <キミはボクにとって、かけがえのない人なのだから>

 曲が終わる。

(駿くんの思い……確かに受け取ったよ……)

 心が暖かい気持ちでいっぱいになる幸子。
 幸子と澄子は、静かに歌の余韻に浸っていた……が、動画はここで終わらなかった。

『あっ!』

 何かを思い付いたように、動画の中の駿が叫んだ。

『オレがさっちゃんにチョコあげればいいじゃね⁉』

 慌てだす駿。

『だとしたら、時間ねぇじゃん! ヤベェ!』

 駿は、カメラがあることに気付いた。

『あっ……カメラ止めてねぇや……まぁ、いっか! オレがポンコツなのは、もうさっちゃんにバレてるしな!』

 苦笑いする駿。

『じゃあね、さっちゃん! 早く元気になってね! オレは急いでチョコ作りまーす!』

 駿が笑顔で手を振っているところで、動画が終わった。

「あははははは! 駿くん、可愛い!」
「ふふふっ、そうね。高橋くん、歌はうまいし、とっても可愛いわね」

 澄子も楽しそうに笑っているのが、マスク越しでもわかる。

「お母さん……」
「ん?」

「私……駿くんが好き……大好き……」

 幸子は、とても幸せそうな笑顔を浮かべていた。
 幸子の頭を優しく撫でる澄子。

「ねぇ、さっちゃん」
「なに、お母さん……」
「チョコをあげるのは、バレンタインデーじゃなきゃダメなのかしら?」
「え……?」
「さっちゃんの気持ちがこもっていれば、高橋くんはきっとそれを感じ取ってくれる……さっちゃんとは、心を重ね合わせられる関係でしょ?」

 少し考え込んだ幸子。

「お母さん……」
「うん」
「インフルエンザが治ったら、チョコ作り、手伝ってくれる……?」

 澄子は笑顔で答える。

「もちろんよ!」
「ありがとう、お母さん……」

 熱で苦しそうではあるが、嬉しそうな表情を浮かべて横になった幸子。

「じゃあ、早く治るように、高橋くんがプレゼントしてくれたチョコでホットチョコレート作ろうか?」
「うん……!」
「じゃあ、それ預かるわね。残りは、冷蔵庫に入れておくからね」

 幸子の枕元のホットチョコレートスプーンを手にする澄子。

「ちょっと待っててね」

 カチャリ パタン

 階段を降りていく音が聞こえた。

 < * * * * * * * >

 心の奥底に疼きを感じる幸子。

(まただ……この感覚は何だろう……ホッとするような、ドキドキするような……)

 ――数分後

 コンコン

「さっちゃん、入るわね」

 カチャリ

 手にトレイを持った澄子が部屋に入ってきた。
 トレイの上のマグカップからは、湯気がふわっと立っている。
 小皿には、ホットチョコレートスプーンと、ハートのマシュマロが乗っていた。

「はい、さっちゃん。このアツアツのホットミルクに、このチョコ付きのスプーンを入れて、クルクルかき混ぜてみて。マシュマロは、飲む前にホットチョコへ浮かべてね」

 幸子は身体を起こし、膝の上のトレイの上でマグカップに入れたスプーンをクルクル回している。
 チョコがみるみる溶けていき、甘いチョコレートの香りが部屋に広がっていった。
 最後に浮かべたハートのマシュマロは、幸子への駿の気持ちを示しているかのようだ。

「いただきます……」

 ズズズッとホットチョコを飲む幸子。

「甘くて、あったかくて、美味しい……」
「当たり前でしょ。高橋くんの気持ちがこもってるんだから」

 澄子は、笑顔で幸子の頬をつついた。

「うん、そうだね……」
「早く直さなきゃね」
「うん……!」

 嬉しそうに両手でマグカップを抱える幸子。

(私も、気持ちを込めた美味しいチョコを駿くんにあげるんだ!)

 バレンタインデーは終わってしまったが、『幸子のバレンタインデー』は、これから始まるのだった。

 そして、駿の思いが通じたのであろう。
 幸子の高熱はこの日の夜を境にぐっと下がり、翌朝には平熱に戻った。

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