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第二章

05 汝の欲することをなせ

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 硬直を真っ先に脱したのは壁近くに立っていたゴブリンロードだった。彼は状況が変わったとみるや、身を翻して闇の中へ去ろうとする。

「あっ」

 リリィは小さく声を上げるが、ゴブリンロードを追いかけて駆け出すことはしなかった。壁の向こうの暗闇を見て、さすがの彼女も恐れの気持ちが勝ったらしい。
 ゴブリンロードが退却したのを見て、人々の間から安堵のため息が漏れた。例外なのは女性神官イアンナで「もう少しだったのに」と悔しそうにしている。

「坊や、公務執行妨害で教会に来てもらうよ!」
「僕は何も悪いことをしていないので出頭する理由がありません。それよりも、気絶しているアニスを介抱しなくていいんですか」
「ちっ」

 素知らぬ顔で返答するリヒトに、イアンナが行儀悪く舌打ちする。
 リヒトは気にせず、とうとう意識の落ちてしまったレイルを背負いあげると、呆然としているパン屋の少女に声を掛けた。

「リリィちゃん、帰ろう」
「でも」
「お母さんも心配してる」

 やんわりと言うと、少女は頷いてリヒトと一緒に歩き始めた。
 トコトコと羊のメリーさんが後に続く。
 子供と羊の組み合わせに大人達は不思議そうな顔をしたが、すぐにそれどころではないと仕事に戻っていった。ゴブリンロードに破られた壁の修繕と、今後の警備計画の練り直しをするらしい。

 パン屋に帰ると涙ぐんだ母親に迎えられる。
 彼女はリヒトの背で失神している少年の姿とメエメエ鳴く羊に疑問を持ったようだが、娘を連れ戻してくれた恩人を無下にはできないようで、レイルと羊の面倒も看てくれることになった。
 翌日、適度な睡眠と飲食をへて回復したレイル少年は事の次第をリヒトから説明されて、こう言った。

「じゃあ、リリィちゃんが王様のとこにお嫁に行けば、万事解決なんじゃね?」
「いやいやいやいや」

 リヒトは気楽すぎる友人の台詞に、つい否定を四度も重ねてしまった。
 一方で、昨日までゴブリンの王様に会いたいとあれほど積極的だった少女は、一変して後ろ向きになっていた。

「ゴブリンの王様、街の人と戦ってた……私がゴブリンさん達のところに行ったら、お母さんに迷惑がかかる……?」

 間近で戦闘を見たこと、そして出迎えた母親が少女を抱きしめて涙したことが、リリィの認識を変えたらしい。

「そうだね。ゴブリンは敵だから、誰も君が王様のところへ行ったって祝福しない。むしろ裏切り者と、君と君のお母さんを非難するだろう」
「リヒト! そんな言い方ないだろ。もしかしたら誰かが理解してくれるかもしれないじゃないか」
「じゃあ君が理解して祝福してあげるといい。僕はしないけど」

 実は女子に弱いレイルはすっかりリリィに同情してしまっていた。
 彼は立ち上がって拳を握る。

「なら俺は、俺だけはリリィちゃんを応援するぞ! 一宿一飯の恩もあるしな」
「……宿泊費用とか実は僕が払ってるんだけど」
「そうと決まれば、嫁入り準備をしよう!」

 思い立ったら一直線のレイルはリヒトの言葉を聞いちゃいない。
 
「準備?」
「女子の夢、嫁入りと言えばアレだろ!」
「あれ?」
「ウェディングドレス!!」

 自信満々に言い放ったレイルに、リヒトと少女はそろってポカンと口を開けた。

「本気で言ってるの?」
「もちろん本気だ! ふふふ、街へ出るためにこっそり内職で針仕事をしていたのが役に立つ時が来たぞ!」
「君、そんな副業をしてたんだ」
「おうさ! 布と針さえあれば服を作ってみせるぜ! ここは大きな街だし、資金さえあれば材料は調達できるはず……リヒトお前、村を出る時に村長さんに何かもらってなかったか」
「ぎくっ」

 金があるだろう、出せと言われてリヒトは閉口する。
 赤の他人なら「ふざけるな」と突っぱねるところだが、そこは幼馴染、さすがのリヒトも一方的に強くは出られない。

「分かった、分かったよ! どうせ大した出費じゃない。ウェディングドレスだか何だか知らないけど、君が満足するまで縫えばいいよ!」
「ひゅー、男前だな、リヒト。さんきゅ」

 レイルは楽しそうに「どんなデザインにしよう」と悩み始めた。実は針仕事が好きなんじゃないだろうか。
 黙って聞いていたリリィが困惑した顔になる。

「あのう……」
「放っておけばいい。君は気にしなくていいから。あれは、レイルが好きでやってることだ」

 勝手に自分用のドレスを作られると聞いて、さすがに平静ではいられないらしい。
 少女はうつむいて、沈んだ声を出した。

「私、昨日まで調子の良いことを言ってたんだって、今になって思った。怖くなっちゃったの。だから、せっかく応援してくれても、もう……」
「君は君のしたいことをすればいい。誰がなんと言っても」

 リヒトはきっぱりした口調で少女の戸惑いを断ち切る。

「僕は祝福しないと言った。だけど反対もしない。僕は君と無関係の他人だから、好き放題に言える。だから言うけど、何が正しいとか間違っているとか、そんなことは本当は些細なことだ。君は君の思う人生を生きればいい。それが最終的に、皆を幸せにすることになる」

 ま、僕はお勧めできないけどね。
 そう言って、目を丸くする少女に向かってリヒトは軽く肩をすくめてみせた。


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