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最終章

09 メリーさんの回想

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 小高い丘の上で戦況を見ていた男は絶句した。

虚空魚ピスキスが敗れただと……!」

 彼はジラフで魚を降臨させた司教だ。己の呼び出した同胞が、どのような働きをするか、念のためコンアーラ帝国の近郊まで来て、観戦していたのである。
 しかし、戦いは虚空魚ピスキスの敗北で終わった。

「何故だ。かつては天魔など相手にならなかったというのに」

 理由はいくつか考えられる。
 この世界に適応するため、魚達は目を持つことにした。目を持った魚達は、かつてのように人間の絆を辿らなくても、標的を目で探せるようになった。この性質の変化が弱体化につながったのではないだろうか。
 一番の敗因は、今回の虚空魚ピスキスは虚無の鎧を身にまとっていなかったせいだろう。今回は人間に神だと思わせるため、鎧を脱いだ白い本体で降臨させた。
 サザンカは魚の色の違いを「絶縁の魔王に耐性を付けた」と表現したが、実際は逆だった。人間に宿る天魔の欠片など、虚無の鎧なしでも十分蹴散らせるとたかを括っていたのだ。今考えると甘い計算だったと思わざるをえない。
 厄介な天魔の剣の主、絶縁の魔王はサザンカが騙して戦わせないようにする予定だったのだが、どうやら彼女は失敗したらしい。

「こうなれば軍勢を召喚して……」

 虚空魚ピスキスは一匹だけではない。
 世界の壁の外側では、待機中の魚達が召喚を今か今かと待ち望んでいる。
 司教は腕を上げて時空を歪ませる術を使おうとした。
 空間に小さな丸い穴が空き、徐々に広がっていく。
 その向こうには無数の魚がひしめいていた。
 人が通れるくらいまで穴が広がり、あともう少しだと思われた時。

「メエエー」

 羊の鳴き声がした。

「なっ!」

 次の瞬間、司教は柔らかいものに吹っ飛ばされて、自分が空けた穴に突っ込む。
 司教は世界の外側に追い出された。
 慌てて戻ろうとする彼の前で、穴は急速に閉じ始める。

「待て、待ってくれ!」

 モコモコの白い小柄な羊が、穴の前でお座りしている。
 喚きながら穴を再び広げようとする司教だが、その努力は実を結ぶことはない。穴は確実に狭まり、空間は修復していく。
 時空の穴を覗きこみながら司教は怒鳴った。

「この、裏切り者め!」
「メエメエ(知らんぷり)」

 羊はわざとらしくそっぽを向く。
 シュンと呆気ない音と共に穴は消失した。
 虚空魚ピスキスの侵略は羊に阻まれたのである。

「メエエー(あの二人は再会できたかなあ)」

 羊のメリーさんは平和になった空を見上げて感慨深そうに鳴く。
 彼女が「あの二人」と出会ったのは、とてもとても昔のこと。



 そう、それはあの、世界の終わりの日のことだった。



 メリーさんは、あの世界の終わりの日、仲間達と一緒にこの世界にやってきた。仲間と一緒に逃げ惑う人間を、ぱくんぱくんと丸呑みにしていたところ、絶縁の魔王が世界を切り離した。
 あらゆるえにしを断つ、かの魔王の力は、虚空魚ピスキスとこの世界の繋がりを断ち切って、世界の外へ追い返したのだ。
 仲間達が一斉に退却する中で、メリーさんは一匹逃げ遅れた。
 どうしたら良いか分からずに陸に上がった魚のように地面でビチビチ跳ねていると、崩れかけたお城のバルコニーで綺麗な金髪の女性が泣いていることに気付いた。
 女性は動かない黒髪の男の遺体を抱えて、とめどなく涙を流していた。
 
「ああ、もう名前も思い出せない。私との絆も断ってしまうなんて……」

 泣き続ける女性を、メリーさんは興味深く観察した。
 視線に気付いた女性は顔を上げ、ぎょっとした。

「異形の魚……まだ残っていたのですか」

 メリーさんは答える代わりに、ビチビチ跳ねてみた。
 まだ言葉をよく知らなかったし意思疎通が上手くできなかったのだ。
 驚愕していた女性は一瞬、憎いものを見るようにメリーさんを見たが、すぐに表情を暗くした。

「失った命は戻ってこないものね。それにこの魚も独りきり……」

 女性は随分長く悩んだ末に、メリーさんに手を差しのべた。

「いらっしゃい。人間を食べないなら、私達は仲良くできるでしょう。試してみましょうか」

 メリーさんはお腹いっぱいだったので、しばらく人間を食べなくても良かった。一度満腹になったら数十年は栄養補給する必要は無いのだ。
 取り残されて途方に暮れていたメリーさんは女性の提案を受け入れた。
 奇妙な共同生活のスタートだ。
 女性は人間の村や街を渡り歩き、人々を助けて回った。
 旅の果てに、やがて彼女は一ヶ所に留まり、仲良くなった人間達と天魔の生き残りを仲介するようになった。その活動は多くの人々が集まって大きな組織に成長した。
 メリーさんは人目に付かない場所で女性の仕事を見守っていた。
 暇で仕方なかったメリーさんは、自分も人間と話したいと思った。
 だが人間達はメリーさんの姿を見ると逃げてしまう。
 
「そうですねえ。もっと柔らかくてフワフワの生き物だったら、皆、貴方を怖がらないと思うのですが」

 女性は考え込んでいた。
 こうして生活するうちに、メリーさんと女性に長い長い時間が通り過ぎ、全ての生き物がそうであるように、女性にも寿命がやってきた。
 
「貴方が人間を食べないように、私は最後の力で呪いをかけます」

 死ぬ直前に、女性は最後の力を振り絞ってメリーさんに呪いを掛けた。
 それは柔らかくて優しい呪い。
 メリーさんは呪いによって、フワフワの柔らかい生き物に生まれ変わった。もう人間は食べられない。けれど、代わりに人間と仲良くなれる。
 可愛いメリーさんを怖がる人間はいない。
 仲間達の元には帰れなくなったけれど、メリーさんはそんなに悲しくなかった。草を食べるようになって、人間より草の方が美味しかったので、この世界も悪くないという結論に達したのだ。

 メリーさんは自由を満喫した後、次はどうしようかと思った。
 何か生きる目的が欲しくなった。
 数年掛けてのんびり考えて、そうだ、と思い付く。

 この世界には「生まれ変わり」というものがあるそうだ。
 厳密には本人がそのまま生まれ変わるものでは無いらしいが、とにかく、生まれ変わりがあるのなら、またあの女性と巡りあえる。
 女性と出会えたら、お礼が言いたい。
 柔らかくて可愛い生き物にしてくれて、ありがとう、と。自由になって、世界を旅するのは楽しいと、彼女に伝えたい。
 お礼だけでは足りないな。
 あの女性は、死んでしまった大好きな黒髪の男性と会いたいと、いつも嘆いていた。
 そうだ、彼女をあの男性に会わせてあげよう。

 可愛いメリーさんは、愛のキューピットなのだ。
 ふふふ、とメリーさんは思い付いたアイデアに上機嫌になった。
 これなら退屈しなくて良い。喜んでもらえて一石二鳥。

 メリーさんは、二人をずっとずっと見守ることに決めたのだ。

 

 
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