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幻の存在
しおりを挟む「あれ、早かったな」
授業が終わり、俺は約束を果たすべく、まっすぐに美術室へと向かった。昨日よりは早めの時間に着いた。それなのに、久城はもう来ていて、何やら機材をテーブルの上に広げていた。
「あぁ、うん。ちょっと準備が必要だったから」
「ふーん」
俺は高そうな機材が並べられたテーブルに近付くと興味本位で覗き込んだ。素人目には何に使うのかさえ分からないような物から、見たことくらいはある物まで様々な機材がキチンと並べられている。
おもむろに手を出しかけて、寸でのところで引っ込めた。もし壊してしまったら弁償なんてとてもできそうもない。恐ろしい想像をかき消すように、俺はテーブルから少し距離をとった。
一方、久城はこちらを気にする素振りも見せずに黙々と機材を組み立てていた。その真剣な様子を見て少し背筋が伸びるのを感じた。正直、こんなに本格的な撮影だとは思っていなかった。安請け合いなんてするもんじゃない、と後悔しても後の祭りだ。引き受けてしまったからには最後まで付き合うしかないが、どうしたらいいのかも分からない。
「俺は? 何か手伝おうか?」
手持ち無沙汰で増してくる緊張感をどうにかしたくて久城に声を掛ける。
「いや、そこに座って待ってて」
久城が指差した先には古い椅子が設置されていた。教室の奥まった場所に置かれたそれには白い布が掛けられていて、いかにも芸術的な雰囲気が漂っていた。
余談だが、俺は久城の作品を見たことが無かった。そういった方面に全くと言っていいほど興味がなかったのもあるが、自分とは別次元の存在のような気がして興味以前に意識にも留まらなかったからだ。昨日の会話でようやく久城が存在するのだと認識出来た程に。
そんな俺が、久城の芸術の一端を担う事になるなんて、人生何が起こるか分からない。
俺は椅子まで移動すると、掛けられている白い布をまくり上げ、丁重に畳むと近くのテーブルに置いた。そして椅子に腰を下ろす。座った瞬間に少し埃が舞ったが、不快になるほどでは無い。むしろ、座った場所から作業している久城が観察出来て、中々の特等席だった。
俺はここぞとばかりに久城を観察した。学校の有名人というほぼ幻の存在から、近くで言葉を交わす間柄まで急激に仲が狭まった。しかし、俺はまだ久城のことを何も知らない。考えてみれば自己紹介すらまだで、お互い一方的に知っている知識だけで、不思議な関係になってしまった。あまりにも軽率だ。しかし、考える前に行動する癖は一生治らないだろうな、とぼんやり考えながら、再び意識を久城に向けた。
久城が有名人になったのは、その才能のせいだけでは無い。その才能を助長させる様な見た目にも光るものがあったからだ。有り体に言ってしまえば、容姿に恵まれているのだ。恵まれている、と一口に言って終わらせられないほどのそれは、生徒の注目の的になるには充分だった。中性的な見た目で同じ年頃の身長の平均からは少し小さめの体格。そんな容姿のせいか、男女問わずモテるらしい、と友人が言っていたのを思い出した。そんな噂に尾鰭がついて、久城はバイだのゲイだの、散々な言われようだった。それを聞いた当時は酷い話もあるもんだと思っていたが、確かにこんなに綺麗な容姿なら、惹かれてしまうのに性別は関係無いのかもしれないとさえ思えてくる。
「…………どうしたの?」
気が付けば、俺は穴があきそうなほど、久城を見ていたらしい。久城は訝しげに声を掛けてきた。
「え、あ、ごめん。気分悪いよな」
じろじろ見られることには慣れているだろう。しかし気分が悪くならないわけでは無い。俺は反省して謝罪した。
「別に。まさとになら、いい」
意外な答えに少し面食らった。どうやら久城は少しずつ打ち解けてくれているらしい。
「そっか」
少し照れ臭いような、嬉しいような気持ちで気分が向上する。人として成長するにつれ、友達と関係を築くのも慣れと惰性の上に成り立ち始めた。きっかけは特殊だが、一歩一歩近づいていく感じが懐かしくて、こんな気分になるのも久しぶりだった。
ライトらしき機材を運んで来た久城はほんの少しだけ目を丸くした。
「椅子に掛かってた布は?」
「えっ? あそこに畳んであるけど」
俺は布を置いたテーブルを指差して言った。
すると久城は少しだけ表情を崩して小さく吹き出した。訳もわからず笑われた俺は、久城の珍しい顔に目を奪われ、笑われた意味はどうでも良くなった。
「あれの上に座ってもらうつもりだったんだけど」
「え、埃除けの布かと思ってた」
やはり俺が芸術を理解するのはまだまだ時間が掛かるらしい。
久城はまた少しだけ吹き出した。
「まぁ、今日はこれでいいや」
久城はそれだけ言うと、機材が置いてあるテーブルの方に歩いて行った。
「ちょっと待て、今日って?」
またしても久城のペースになりそうな所でギリギリ声を上げた。てっきり数回だけの約束だと思っていた。こんなイレギュラーなことをしていたら、撮影回数が延びてどんどんゲームが遠のいていく。
「納得出来るものが撮れるまで付き合って貰うつもりだったんだけど……」
久城はサラリと恐ろしい計画を打ち明けてきた。確かに確認しなかった俺も悪い。しかしそんな重要なことはちゃんの説明して欲しいとも思ってしまう。
「……都合、悪い?」
「え、あー、まぁ、都合って程じゃないんだけど……」
引き受けてしまった手前、今更ゴネるのは潔くない。ゲームは暫く諦めるか、と覚悟を決めると久城の目を見た。
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