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091 いたよ

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 朝、ギルドで必要物資をまとめた俺たちはテーブルを囲んで座っていた。
 ソリスは紅茶を一口飲むと、その香りに目を細めた。エスクは活気に溢れた街だ。紅茶一つをとっても上質なものらしい。
 相変わらず俺とルーンはコーヒーを飲んでいる。ルーンなんかは毎度毎度大量の砂糖を放り込み、最早原型も残ってない程甘い汁をすすっている。そんなに苦手ならやめればいいのにと思うが、コーヒーを飲んでいる方が大人っぽい気がする、とのことで。……うん、もう何も言うことはないよ。

「ここには物資の補給に来ただけだから、すぐに出発するんだよね?」

 俺が訊ねると、ソリスはティーカップをダンと置いた。割れそうなほど大きな音を立てるのはやめてくれ、心臓に悪い。

「そうよ! アタシ達が次に向かう街はギクル連山のワープゲート!」

 彼女は地図を広げて指を差す。俺とルーンがそれを覗き込む。街の名前は……。

「ナムロック?」
「ナムロック! ここでアタシたちは魔大陸に入るわけだけど、一度ランクを上げておきたいわね。理想はアタシがランク6、リドゥとルーンがランク5ってとこね」
「そう簡単に上がるかな……」
「アタシたち三人なら大丈夫よ! ランク4なら最大適正ランク7までの依頼を受けられる訳だし、それをいくつかやればすぐよすぐ!」

 ランク7の依頼ってどんなものなのか想像もつかないが、ソリスが嬉しそうに笑っている。彼女が笑っているということは危険なものが多いということなわけで、俺とルーンは身を震わせるしか出来ない。
 とは言え、俺もこの三人でならどんな敵にも立ち向かえるような気がしている。……悪魔みたいなとんでもない奴が相手じゃなければ。

「ナムロックへはここから二か月くらいかかるわ。心して行くわよ!」
「おう!」

 ソリスの声に、俺は強く答える。荷物を担ぎ、ギルドの扉を開いて外へ出る。
 すると、ルーンが南区を指さしてこちらを向いた。

「最後に僕らの実家に声掛けてからでもいいかい?」
「あ、忘れてた」

 もちろんだ、と頷こうとした時ソリスがそう溢した。
 ソリスがこの街に帰ってきて、真っ先に彼女の母に叱られていた光景を思い出す。そしてその時の母と同じように、ルーンが目を吊り上がらせた。あまりに似ていた為俺は噴き出した。

「忘れてた、じゃないよ。君ねぇ、実家への手紙全部僕に任せたり、急に旅だったり、いつもいつも僕が気を使ってるじゃないか! 僕はね、反抗期に反抗したかったけど、ソリスに付き合わされてそれどころじゃなかったんだよ!」
「まあまあ! ほらアタシも反抗期だったから! ごめんね! そのおかげで今もお父さんとお母さんと仲いいじゃん!」
「おかげさまでね! もう、行くよ!」

 珍しくルーンがぷんすか怒りながらソリスの手を引いて歩き始めた。
 この街は二人の故郷だけあって、普段見れない姿をたくさん見た街だったな。

「お、そうか。いってらっしゃい三人とも! 気を付けるんだぞ!」
「ソリスちゃんはあまり元気に暴れないこと。ルーンは野菜をたくさん食べること。ディージュくんは二人を頼って無理しないこと! 気を付けていってきなさい!」

 実家に到着すると、両親はあっさりと見送ってくれた。あっけらかんとした様子に、なんとなく苦笑してしまう。
 寂しそうにしていたのがメーネだった。

「お姉ちゃんもう行っちゃうの? ギルドのお仕事いっぱいすると思ってたから寂しい……」
「ごめんねー! お姉ちゃんも寂しいー!!」

 目を潤ませる少女に、ソリスはデレデレとした表情で妹を撫で倒した。
 初めは寂しそうに抱き着いていたメーネが、数秒後には若干迷惑そうにし始めたのは可笑しかった。ずっと見てて気付いたけど、荒いんだよなあ、ソリスの愛情表現。

「お兄ちゃんも行って来るよ」
「……うん、気を付けてね」

 ルーンも妹を抱きしめた。しばらくぎゅぅうとしがみつくと、メーネは手を離した。
 彼女はそのまま俺の方へやって来る。彼女が両手を差し出すので、真似をして俺も手を差し出す。
 メーネが俺の手をガシリと掴むと、俺をぐいと引き寄せる。引き寄せられるまま膝をつくと、同じ目線にルーンそっくりな白髪の少女の顔が並ぶ。

「リドゥさん! お姉ちゃんは暴れて大変だし、お兄ちゃんはだらしないところがあるし、大変なことばっかりだと思うけど頑張ってくださいね!」
「はは、ありがとう。頑張るよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんは俺に任せておいてくれ」
「わたしの体のこともありがとうございました! リドゥさんが見つけてくれたおかげで今までにないくらいに元気なんです!」

 メーネが元気な声で俺に言う。本当に元気そうだ。
 俺の主観では初めて会った時は死体だった。その後に会った時も元気に見えたが、自身の体質で慢性的な不調を抱えていた。今の本当に元気そうな姿を見ると、年甲斐もなく泣きそうになる。
 元気になってよかった。小さく呟くとメーネは大きく頷いた。
 少女は俺の両手をぎゅっと握る。そしてソリスと、ルーンそれぞれに声を掛ける。

「いってらっしゃい、お姉ちゃん!」
「ええ、行って来るわ」
「お兄ちゃんも!」
「うん、またすぐに帰って来るよ」

 二人が優しく微笑んで答える。
 少女は俺を見る。黒い瞳に俺が映っている。何か言いたげに彼女は俺をじっと見つめる。……なんだろう、なにかがその奥にある気がする。
 時間にして数秒ほど、しかしとても長い時間彼女は俺の目を見ていた気がする。やがて口を開いた。

「いってらっしゃい、リ――」

 言いかけて、メーネは言葉を詰まらせた。
 瞳の奥にあるなにかが揺れている。それは俺にしか見えていないのは当然ながら、俺にしかわからない揺らぎに思えた。
 メーネが目を瞑った。何かを思い出そうとするように眉をひそめている。その表情にも覚えがあった。見たことがあるわけじゃない。だけど最も近くで感じたことのある表情。
 まるで頭の中に記憶を送り込まれている時のような。
 そう。未来を変えた時の、俺が新しい未来の情報を得る時と同じ表情。

「……そうだ。わたしは」
「メーネ」
「わたしはリ、ドゥ……に救われたんだ」

 その呼び方には覚えがあった。だけどあり得ないことだった。メーネは俺をリドゥさんと呼ぶはずだった。
 俺はこの時間で初めてメーネに会った時のことを思い出した。彼女は俺の名を知っていた。何故だっただろう。その時も、今のように瞳の奥になにかを宿らせていた。
 リドゥと呼ぶメーネはこの時間のメーネじゃない。死後、死霊術師に無理矢理魔法を使う人形のようにされていた時の。あの未来でのメーネだ。

「リドゥ……そうだ、リドゥだ……!」

 メーネはハッとした表情で俺を見つめた。
 瞳の奥にはあの未来があった。彼女にとって幸せではないはずの未来。しかしそれがとても大事なものであると、彼女の表情は告げている。俺に向けて、叫んでいる。

「リドゥ……! リドゥ!」

 少女が俺に抱き着いた。
 ソリスとルーン、両親は驚いて目を見開いていた。四人にとってこれが何のことなのかわかっていない。俺だってちゃんと理解出来ていない。
 だけど、目の前にいるメーネがあの未来のメーネであること。俺にはそうとしか思えなかった。あり得ないことなのに、そうとしか考えられなかった。

「メーネ、君は……まさか」
「覚えてるんだよ! わたし、リドゥに救われた!」
「!!」

 少女が大粒の涙を流して俺の体に腕を回した。俺もゆっくりと手を回し、その背中を出来るだけ優しく抱く。

「そうか、君は……そうなのか」
「リドゥ、リドゥ! おかえりなさい、リドゥ!!」
「……ああ」
「わたしはこれがずっと言いたかったんだ! おかえり、って! リドゥに言いたかったんだ!!」
「ああ……ああ! ただいま、メーネ……!」

 メーネが俺の胸に飛び込んで来た。俺は少女の頭に顔を寄せて返事をする。
 俺は未来の仲間たちと別れた。俺のことを覚えている人間がいなくなった。

「ありがとう、リドゥ……! おかえりなさい、リドゥ……!!」
「ただいま、メーネ……ありがとう、メーネ……!」

 熱い涙が溢れて抑えられない。
 何故メーネが俺を覚えているのかわからない。奇跡のような出来事が起きていることは間違いなかった。
 あの未来が全部なかったことになったわけじゃない。だけど、本当に全てと別れたと思っていたから。それがとても悲しかったから。
 メーネが俺を覚えてくれていることがとても、とても嬉しい。

「だけど、ダメだ、メーネ」

 俺は鼻水をすすりながら少女を離した。
 泣き腫らした少女はヒックヒックと声を上げながら俺を見上げる。

「俺は他の人に祝福を教える訳にはいかないんだ。メーネがそれを知った今、影響値が……」

 指を振り画面を出す。影響値を確認する。
 ……0.18。影響値には変化はない。

「メーネに知られてもいい……のか?」
「大丈夫だよリドゥ」

 少女は未だ止まない涙を流しながら笑う。真っ赤な顔は何かを確信しているように明るく見えた。
 俺は首を傾げて続きの言葉を待った。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんに知られちゃダメなんでしょ? だったらもう一回やり直してきていいよ」
「だけど、それじゃメーネがまた……」
「大丈夫」

 メーネは明るく笑うと、再び俺の首に手を回した。
 そして俺の耳元に口を近付けると、囁いた。

「わたし、絶対にリドゥを忘れない」
「……」
「大丈夫だよ」

 メーネが笑っているのがわかる。
 ああ、神様。と。俺は普段祈りもしない神に祈る。
 震える手で画面を操作すると、過去の画像を選ぶ。
 ……いいんだな。
 呟くと、少女は俺の顔を覗き込んで告げた。

「いってらっしゃい、リドゥ」

 ……。
 光が溢れる。

「いってらっしゃい、お姉ちゃん!」

 メーネが俺の手を握ったまま、ソリスに声を掛けている。
 時間は先程の数分前。ソリスとルーンの実家、その玄関前。

「ええ、行って来るわ」
「お兄ちゃんも!」
「うん、またすぐに帰って来るよ」

 続けてルーンに告げ、彼が頷いた。
 そして最後にメーネが俺を見た。無意識にメーネの手を握り返してしまう。
 心臓がうるさい。不安で心が押しつぶされそうだった。
 少女は俺の目をじっと見てから、溢れんばかりの笑顔を向けた。ああ……これは……そうか。

「リドゥ」

 ソリス、ルーン。
 いたよ。
 俺のことを覚えてくれている存在が、こんなところにいた。

「おかえりなさい、リドゥ!」




 エスク編、終。

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