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違和感、というのも違う。ちぐはぐしたような感じ、というのも違う。
「Then, since negotiations will be concluded under those conditions, thank you for your continued support.」
彼女が、柔和な笑みを浮かべながら、流暢な英語で。外資系企業の出席者と流れるような会話を交わしていた。
(……スポットライトが似合う人、だなぁ)
俺はその様子を眺めて、そんなことをただただぼんやりと考えていた。
あの大晦日から元旦にかけての二年詣りから、あっという間に4ヶ月が過ぎた。お互いに社会人でなかなかデートらしいデートも出来ていないが、メールでの連絡だったり、時には電話をしたり。ごくごく普通の……恋人同士の時間を過ごしていた。
そう。ごくごく普通の、恋人同士、の……はずだった。
ゴールデンウィーク直前の今日は、貿易協会主催の国際取引に関する討論会が開かれていた。その後の交流会での一幕で。
俺でも知っている、外資系企業の幹部の中でも指折りの実力者といわれている人物と、齢35の彼女が。対等に、会話を交わしている。あまつさえ、商談成立をもぎ取っている場面に遭遇してしまったのだ。
(……住む、場所が……違う)
ただただ。俺は、そう思った。俺は通関業に携わっていて、税関と依頼主としか会話を交わすこともない。淡々とした日々を過ごしている。
けれど。彼女は……俺とは違って。華やかで煌びやかな世界を飛び回って、あまつさえその世界を胸を張って堂々と渡り歩いている。
目の前にいる彼女は、別世界に生きる人間のようだった。目が眩むほどのスポットライトを浴びて、キラキラと輝く彼女と。舞台袖でそれを見ている、俺。
(………彼女を……幸せになんか、できない……)
俺は、自分と彼女の立ち位置の違いを、はっきりと。この討論会で、見せつけられてしまったように、感じた。
「疲れたわねぇ、本当に」
「……」
コツコツと、ヒールの音がする。討論会を終え、交流会も無事に終了し彼女と一緒に会場を出て、春の終わりの夜風に当たりつつ、ゆっくりと帰路についた。
彼女が討論会の感想や交流会での出来事について嬉しそうに話をしていくけれど、俺はそれに生返事しか返せなかった。
俺は、彼女の横に立てる自信がなかった。……何より、彼女の真っ直ぐさが、眩しかった。夏子は幸せに出来なかったけれど、彼女を幸せにしたい、という気持ちだけはあった。
でも。その感情すら、今の俺には烏滸がましく感じられた。
「……和彦さん、さっきから変よ? どうしたの? 飲み過ぎ?」
気がつけば。彼女が俯き気味の俺の顔を覗き込んでいた。琥珀色の瞳が、心配そうに揺れて……俺を見つめている。
「……」
彼女を、幸せにしたい。それは確かな気持ちだ。けれど。
(あんなに……輝く彼女を見てしまったら)
本当は。彼女は俺の手の届かない、眩い世界の人間、ということを、思い知らされてしまった。
「……加奈子、さん。すみません。別れてください」
俺は、ただただ。自分の力の無さを噛み締めながら、ぽつりと小さく呟いた。
彼女は、俺の言葉にひゅっと息を飲んで。琥珀色の瞳を大きく見開いていた。
「………俺は、あなたを幸せには出来ない。あなたの隣に立てるような、そんな器を持ち合わせていはいない。だから、」
「和彦さん。あなたは基本的に他人を下に見ているのよ」
俺の声を遮るように。彼女が震える声で、それでも鋭く声を放った。
「きっとさっきの私を見てそんなことを思ったのだろうけれど」
彼女は琥珀色の瞳を湿らせながら、それでもなお強い口調で言葉を続けていく。
「結局貴方は他人を下に見てるからそうなるの。人間は独りじゃ弱い、だからこそ支え合うの。私の隣に立つのが烏滸がましいと感じるのならば、貴方は自分の隣に自分より格下の人間を選んだら満足するの?」
「……」
そんなつもりは、なかった。格下の人間を選ぶつもりは、無かった、はずなのだ。
「日本人は謙虚さを大切にするけれど、過剰な謙虚さは傲慢の始まりよ」
湿った彼女の瞳から、それでもなお強い意志を宿した瞳から、視線が離せない。
「……ここまで、言っても。わからない? 別れて欲しい、という意志は変わらない?」
「……」
多分、俺は。彼女の地雷を踏み抜いてしまったのだろう。それでも俺は俯いたまま。
ただただ……自分の立ち位置と、彼女の立ち位置の違いに打ちのめされていた。否定の言葉なんて、口に出来なかった。
「……っ、傲慢なのよ、あなたは!」
泣き叫ぶような声が、月明かりが差し込む路地に反響して響いた。彼女はそのまま、くるりと踵を返して、俺から遠くなっていく。
「……」
俯いたままでも。彼女が泣いていた、ということは。
目の前のアスファルトに落ちた、雫のような何かが―――俺に教えてくれていた。
「Then, since negotiations will be concluded under those conditions, thank you for your continued support.」
彼女が、柔和な笑みを浮かべながら、流暢な英語で。外資系企業の出席者と流れるような会話を交わしていた。
(……スポットライトが似合う人、だなぁ)
俺はその様子を眺めて、そんなことをただただぼんやりと考えていた。
あの大晦日から元旦にかけての二年詣りから、あっという間に4ヶ月が過ぎた。お互いに社会人でなかなかデートらしいデートも出来ていないが、メールでの連絡だったり、時には電話をしたり。ごくごく普通の……恋人同士の時間を過ごしていた。
そう。ごくごく普通の、恋人同士、の……はずだった。
ゴールデンウィーク直前の今日は、貿易協会主催の国際取引に関する討論会が開かれていた。その後の交流会での一幕で。
俺でも知っている、外資系企業の幹部の中でも指折りの実力者といわれている人物と、齢35の彼女が。対等に、会話を交わしている。あまつさえ、商談成立をもぎ取っている場面に遭遇してしまったのだ。
(……住む、場所が……違う)
ただただ。俺は、そう思った。俺は通関業に携わっていて、税関と依頼主としか会話を交わすこともない。淡々とした日々を過ごしている。
けれど。彼女は……俺とは違って。華やかで煌びやかな世界を飛び回って、あまつさえその世界を胸を張って堂々と渡り歩いている。
目の前にいる彼女は、別世界に生きる人間のようだった。目が眩むほどのスポットライトを浴びて、キラキラと輝く彼女と。舞台袖でそれを見ている、俺。
(………彼女を……幸せになんか、できない……)
俺は、自分と彼女の立ち位置の違いを、はっきりと。この討論会で、見せつけられてしまったように、感じた。
「疲れたわねぇ、本当に」
「……」
コツコツと、ヒールの音がする。討論会を終え、交流会も無事に終了し彼女と一緒に会場を出て、春の終わりの夜風に当たりつつ、ゆっくりと帰路についた。
彼女が討論会の感想や交流会での出来事について嬉しそうに話をしていくけれど、俺はそれに生返事しか返せなかった。
俺は、彼女の横に立てる自信がなかった。……何より、彼女の真っ直ぐさが、眩しかった。夏子は幸せに出来なかったけれど、彼女を幸せにしたい、という気持ちだけはあった。
でも。その感情すら、今の俺には烏滸がましく感じられた。
「……和彦さん、さっきから変よ? どうしたの? 飲み過ぎ?」
気がつけば。彼女が俯き気味の俺の顔を覗き込んでいた。琥珀色の瞳が、心配そうに揺れて……俺を見つめている。
「……」
彼女を、幸せにしたい。それは確かな気持ちだ。けれど。
(あんなに……輝く彼女を見てしまったら)
本当は。彼女は俺の手の届かない、眩い世界の人間、ということを、思い知らされてしまった。
「……加奈子、さん。すみません。別れてください」
俺は、ただただ。自分の力の無さを噛み締めながら、ぽつりと小さく呟いた。
彼女は、俺の言葉にひゅっと息を飲んで。琥珀色の瞳を大きく見開いていた。
「………俺は、あなたを幸せには出来ない。あなたの隣に立てるような、そんな器を持ち合わせていはいない。だから、」
「和彦さん。あなたは基本的に他人を下に見ているのよ」
俺の声を遮るように。彼女が震える声で、それでも鋭く声を放った。
「きっとさっきの私を見てそんなことを思ったのだろうけれど」
彼女は琥珀色の瞳を湿らせながら、それでもなお強い口調で言葉を続けていく。
「結局貴方は他人を下に見てるからそうなるの。人間は独りじゃ弱い、だからこそ支え合うの。私の隣に立つのが烏滸がましいと感じるのならば、貴方は自分の隣に自分より格下の人間を選んだら満足するの?」
「……」
そんなつもりは、なかった。格下の人間を選ぶつもりは、無かった、はずなのだ。
「日本人は謙虚さを大切にするけれど、過剰な謙虚さは傲慢の始まりよ」
湿った彼女の瞳から、それでもなお強い意志を宿した瞳から、視線が離せない。
「……ここまで、言っても。わからない? 別れて欲しい、という意志は変わらない?」
「……」
多分、俺は。彼女の地雷を踏み抜いてしまったのだろう。それでも俺は俯いたまま。
ただただ……自分の立ち位置と、彼女の立ち位置の違いに打ちのめされていた。否定の言葉なんて、口に出来なかった。
「……っ、傲慢なのよ、あなたは!」
泣き叫ぶような声が、月明かりが差し込む路地に反響して響いた。彼女はそのまま、くるりと踵を返して、俺から遠くなっていく。
「……」
俯いたままでも。彼女が泣いていた、ということは。
目の前のアスファルトに落ちた、雫のような何かが―――俺に教えてくれていた。
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