21 / 87
6.一瞬の邂逅
一瞬の邂逅②
しおりを挟む
「ええ。けど他の方とお話をされているのを拝見したんです」
「では、浅緋は君に託す。そうだな……君、書くものは持っているか?」
片倉は常にメモを取れるようにリーガルパッドを持ち歩いていた。
その黒いホルダーを園村に渡す。
「よし! 遺書を書く!」
「は!?」
遺言ではなく『遺書』。
会社のことについては、顧問弁護士や顧問税理士と相談しながら正式な遺言書を残してあると聞いていた。
これはそういうものではない。
園村はたった一人の娘が心配であること、とても大事に思っている事、そして、託すならこの人物しかいないと思っていることなどを連綿と書き綴っていった。
静かな病室にさらさらと紙にペンを走らせる音が響いていたあの空間を、片倉は忘れないだろう。
このままにしていても、必ずしも浅緋が望むようなことにはならないかもしれない。
けれど、この人物は信頼に足る人物だから、と。
「結婚しろ、とは書かない。けれど、そう解釈しても構わないように書いた。あとは君の裁量に任せる」
その時、その手紙を片倉の目の前で封をし、園村は真っ直ぐに片倉を見たのだ。
そうして、それから程なくして、園村が鬼籍に入った……と片倉は聞いた。
一瞬、片倉は信じられなかった。
雪の降りしきる中の葬儀は盛大なものだった。
園村の人格を表すかのように、たくさんの人がお別れに押し寄せていた。
それを、片倉は少し離れたところからそっと見ていたのだ。
参列客に頭を下げる母娘の姿は痛々しくもあった。
しかし「喪服と言うのはたまらないものですね」と下世話な会話が耳に入るに至っては、こうしてはいられない、という焦りにも似た気持ちになったことは間違いがなかった。
園村から預かった『遺書』はカバンの中に常に入っていた。
もちろんその時も。
浅緋が幸せになれるのならば、無理に事を進めるつもりはなかった。
けれど、一度手を離れてしまったら守りたくても、守れない。
一瞬の迷いが判断を誤ることがある、と片倉は知っている。
迷っても決断すべきことがあるのだ。
自分は浅緋が欲しい。
だから自分の判断は信用できない。
欲しいから、目が曇っている可能性があるから。
けれど、園村の判断は信用する。
それが死の間際のものであったのなら、なおさら。
──浅緋さん、ごめんなさい。俺は今からあなたを奪う。
浅緋はきっとあの遺書を読んだら従うだろう。
大事に、しますから。
雪の中の喪服に身を包んだ浅緋は、綺麗と言うよりも融けて消えてしまいそうで、彼女を守りたいという片倉の気持ちをさらに強くさせるようなものだった。
片倉はその後運転手に頼んで、園村家に向かう。
おそらく、今日の今日訪れるような人物はいない、と踏んだ。
自分が図々しいことも分かっている。
それでも後手に回って後悔するようなことはしたくなかった。
運転手には少し離れたところに車を停めてもらうように依頼した。
まさか主人が亡くなったばかりの、女性だけのお屋敷の目前まで車を乗りつけるわけにはいかない。
「慎也さん! 傘を……」
「いや、すぐだからいい」
足早に大きな屋根のある門の中に入り、呼び鈴を押した。
戸惑った声で出たのはおそらくお手伝いさんなのだろう。
故人をお見送りしたばかりなので、今日は遠慮してほしいというようなことを控えめに言われる。
「では、浅緋は君に託す。そうだな……君、書くものは持っているか?」
片倉は常にメモを取れるようにリーガルパッドを持ち歩いていた。
その黒いホルダーを園村に渡す。
「よし! 遺書を書く!」
「は!?」
遺言ではなく『遺書』。
会社のことについては、顧問弁護士や顧問税理士と相談しながら正式な遺言書を残してあると聞いていた。
これはそういうものではない。
園村はたった一人の娘が心配であること、とても大事に思っている事、そして、託すならこの人物しかいないと思っていることなどを連綿と書き綴っていった。
静かな病室にさらさらと紙にペンを走らせる音が響いていたあの空間を、片倉は忘れないだろう。
このままにしていても、必ずしも浅緋が望むようなことにはならないかもしれない。
けれど、この人物は信頼に足る人物だから、と。
「結婚しろ、とは書かない。けれど、そう解釈しても構わないように書いた。あとは君の裁量に任せる」
その時、その手紙を片倉の目の前で封をし、園村は真っ直ぐに片倉を見たのだ。
そうして、それから程なくして、園村が鬼籍に入った……と片倉は聞いた。
一瞬、片倉は信じられなかった。
雪の降りしきる中の葬儀は盛大なものだった。
園村の人格を表すかのように、たくさんの人がお別れに押し寄せていた。
それを、片倉は少し離れたところからそっと見ていたのだ。
参列客に頭を下げる母娘の姿は痛々しくもあった。
しかし「喪服と言うのはたまらないものですね」と下世話な会話が耳に入るに至っては、こうしてはいられない、という焦りにも似た気持ちになったことは間違いがなかった。
園村から預かった『遺書』はカバンの中に常に入っていた。
もちろんその時も。
浅緋が幸せになれるのならば、無理に事を進めるつもりはなかった。
けれど、一度手を離れてしまったら守りたくても、守れない。
一瞬の迷いが判断を誤ることがある、と片倉は知っている。
迷っても決断すべきことがあるのだ。
自分は浅緋が欲しい。
だから自分の判断は信用できない。
欲しいから、目が曇っている可能性があるから。
けれど、園村の判断は信用する。
それが死の間際のものであったのなら、なおさら。
──浅緋さん、ごめんなさい。俺は今からあなたを奪う。
浅緋はきっとあの遺書を読んだら従うだろう。
大事に、しますから。
雪の中の喪服に身を包んだ浅緋は、綺麗と言うよりも融けて消えてしまいそうで、彼女を守りたいという片倉の気持ちをさらに強くさせるようなものだった。
片倉はその後運転手に頼んで、園村家に向かう。
おそらく、今日の今日訪れるような人物はいない、と踏んだ。
自分が図々しいことも分かっている。
それでも後手に回って後悔するようなことはしたくなかった。
運転手には少し離れたところに車を停めてもらうように依頼した。
まさか主人が亡くなったばかりの、女性だけのお屋敷の目前まで車を乗りつけるわけにはいかない。
「慎也さん! 傘を……」
「いや、すぐだからいい」
足早に大きな屋根のある門の中に入り、呼び鈴を押した。
戸惑った声で出たのはおそらくお手伝いさんなのだろう。
故人をお見送りしたばかりなので、今日は遠慮してほしいというようなことを控えめに言われる。
1
お気に入りに追加
459
あなたにおすすめの小説
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
二人の甘い夜は終わらない
藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい*
年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
同級生がCEO―クールな彼は夢見るように愛に溺れたい【完結済】
光月海愛(コミカライズ配信中★書籍発売中
恋愛
「二度となつみ以外の女を抱けないと思ったら虚しくて」
なつみは、二年前婚約破棄してから派遣社員として働く三十歳。
女として自信を失ったまま、新しい派遣先の職場見学に。
そこで同じ中学だった神城と再会。
CEOである神城は、地味な自分とは正反対。秀才&冷淡な印象であまり昔から話をしたこともなかった。
それなのに、就くはずだった事務ではなく、神城の秘書に抜擢されてしまう。
✜✜目標ポイントに達成しましたら、ショートストーリーを追加致します。ぜひお気に入り登録&しおりをお願いします✜✜
上司は初恋の幼馴染です~社内での秘め事は控えめに~
けもこ
恋愛
高辻綾香はホテルグループの秘書課で働いている。先輩の退職に伴って、その後の仕事を引き継ぎ、専務秘書となったが、その専務は自分の幼馴染だった。
秘めた思いを抱えながら、オフィスで毎日ドキドキしながら過ごしていると、彼がアメリカ時代に一緒に暮らしていたという女性が現れ、心中は穏やかではない。
グイグイと距離を縮めようとする幼馴染に自分の思いをどうしていいかわからない日々。
初恋こじらせオフィスラブ
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる