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3.『政略結婚』
『政略結婚』②
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浅緋の父はキッチンに立つような人ではなかったので、そんな風に言ったのだが、どうやら間違っていたようだ。
「ごめんなさい」
「謝らなくていいんです。では、こうしましょうか。夜は僕は帰りが遅いし、食事を自宅で取ることはあまりできません。だから朝食はできるだけ一緒に。で、一緒に作る。どうですか?」
そう提案されると、それはとても素敵な案のような気がした。
浅緋は先程までの気持ちがすうっと楽になる。
「すごいです」
「ん? なんです?」
「そんな風に思いついてすぐ言ってくださることが」
片倉はくすくす笑った。
「そんな風に思っていただけて嬉しいですよ。これから、少しづつ馴染んでいきましょうね」
「はい」
一緒に何かしようと言ってくれたり、浅緋に合わせてゆっくり歩み寄ってくれる片倉に気持ちを持っていかれていることに、今はまだ浅緋は気づいていなかった。
事業継承のこともあり、浅緋はしばらく会社には出勤できていなかった。
先日、相続関連の手続きも終わり会社に出勤すると、浅緋のいた総務部ではみんなが優しく声をかけてくれる。
「園村さん、お疲れ様だったね。もう大丈夫なの?」
「はい。ありがとうございます」
浅緋は今まで父がいた時は、社長室で父の手伝いをしていた。
片倉からは同じ業務でいいと言われているけれどそれでいいのだろうか、と迷う。
すると、浅緋は課長からいつも通りに社長室に行くように声をかけられた。
浅緋は社長室の前に立つ。
本当はまだ中に元気な父がいるのではないかと思うけれど、そんなことはないことは分かっている。浅緋は思いを振り切ってドアをノックした。
「どうぞ」
中から聞こえてきたのは、比較的若い男性の声で、もちろん父とは違う。
そうよね……と浅緋は分かっていたことではあったけれど、寂しい気持ちでドアを開けた。
「失礼します」
浅緋がドアを開けると、中にいた男性が振り返る。
部屋の中にいたのは、片倉とそれほど年齢の変わらない男性だ。
身長も片倉と同じくらいに背が高くて、浅緋には少し威圧感があって怖い。
その人はじろっと浅緋を見やった。
高い身長と切長の瞳、濡れ羽色というのか真っ黒な髪の持ち主で、その鋭い目つきと雰囲気はまるで黒い狼のようだ。
社長室の入り口で立ち尽くしてしまった浅緋の方に、彼は歩み寄ってきた。
「園村浅緋です」
「知ってる。俺はここに派遣されてきた槙野祐輔という。園村さん、前社長のお嬢さんなんだって? 君が片倉の政略結婚のお相手なんだな」
そのひんやりとした言い方に、浅緋は背中から水を浴びせられたような気持ちになった。
槙野の言うことは間違っていない。
片倉に大事にされていたから、忘れた気持ちになっていたけれど、確かにその通りなのだ。
『政略結婚』
ハッキリと槙野にそう言われて、改めてそうだったのだと浅緋は理解する。
父の遺言がなければ、片倉は浅緋と婚約などすることはなかったかもしれない。
あれほど素敵な人なのだ。
どうして今まで、そのことに考えが及ばなかったのか……。
片倉が優しいのも、婚約者だと思ってくれるのも、父の遺言があるから。
託された会社のことがあるから。
浅緋は、自分の血の気が引いていくのを感じた。そうして視界も暗くなったような気がする。
槙野はふと気づいたように、浅緋の顔を見た。
「なんだ、驚いたような顔をして。知っていて婚約したんだろう?」
「……はい」
「じゃあ、驚くことではないと思うが。指輪もしているんだな」
そうして槙野は、浅緋の左手を無造作に手に取る。
「ごめんなさい」
「謝らなくていいんです。では、こうしましょうか。夜は僕は帰りが遅いし、食事を自宅で取ることはあまりできません。だから朝食はできるだけ一緒に。で、一緒に作る。どうですか?」
そう提案されると、それはとても素敵な案のような気がした。
浅緋は先程までの気持ちがすうっと楽になる。
「すごいです」
「ん? なんです?」
「そんな風に思いついてすぐ言ってくださることが」
片倉はくすくす笑った。
「そんな風に思っていただけて嬉しいですよ。これから、少しづつ馴染んでいきましょうね」
「はい」
一緒に何かしようと言ってくれたり、浅緋に合わせてゆっくり歩み寄ってくれる片倉に気持ちを持っていかれていることに、今はまだ浅緋は気づいていなかった。
事業継承のこともあり、浅緋はしばらく会社には出勤できていなかった。
先日、相続関連の手続きも終わり会社に出勤すると、浅緋のいた総務部ではみんなが優しく声をかけてくれる。
「園村さん、お疲れ様だったね。もう大丈夫なの?」
「はい。ありがとうございます」
浅緋は今まで父がいた時は、社長室で父の手伝いをしていた。
片倉からは同じ業務でいいと言われているけれどそれでいいのだろうか、と迷う。
すると、浅緋は課長からいつも通りに社長室に行くように声をかけられた。
浅緋は社長室の前に立つ。
本当はまだ中に元気な父がいるのではないかと思うけれど、そんなことはないことは分かっている。浅緋は思いを振り切ってドアをノックした。
「どうぞ」
中から聞こえてきたのは、比較的若い男性の声で、もちろん父とは違う。
そうよね……と浅緋は分かっていたことではあったけれど、寂しい気持ちでドアを開けた。
「失礼します」
浅緋がドアを開けると、中にいた男性が振り返る。
部屋の中にいたのは、片倉とそれほど年齢の変わらない男性だ。
身長も片倉と同じくらいに背が高くて、浅緋には少し威圧感があって怖い。
その人はじろっと浅緋を見やった。
高い身長と切長の瞳、濡れ羽色というのか真っ黒な髪の持ち主で、その鋭い目つきと雰囲気はまるで黒い狼のようだ。
社長室の入り口で立ち尽くしてしまった浅緋の方に、彼は歩み寄ってきた。
「園村浅緋です」
「知ってる。俺はここに派遣されてきた槙野祐輔という。園村さん、前社長のお嬢さんなんだって? 君が片倉の政略結婚のお相手なんだな」
そのひんやりとした言い方に、浅緋は背中から水を浴びせられたような気持ちになった。
槙野の言うことは間違っていない。
片倉に大事にされていたから、忘れた気持ちになっていたけれど、確かにその通りなのだ。
『政略結婚』
ハッキリと槙野にそう言われて、改めてそうだったのだと浅緋は理解する。
父の遺言がなければ、片倉は浅緋と婚約などすることはなかったかもしれない。
あれほど素敵な人なのだ。
どうして今まで、そのことに考えが及ばなかったのか……。
片倉が優しいのも、婚約者だと思ってくれるのも、父の遺言があるから。
託された会社のことがあるから。
浅緋は、自分の血の気が引いていくのを感じた。そうして視界も暗くなったような気がする。
槙野はふと気づいたように、浅緋の顔を見た。
「なんだ、驚いたような顔をして。知っていて婚約したんだろう?」
「……はい」
「じゃあ、驚くことではないと思うが。指輪もしているんだな」
そうして槙野は、浅緋の左手を無造作に手に取る。
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