ボクらはあの桜の麓で

由海

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 まぶしい。

  そっと目を開けると窓から青い空と白い雲、元気に飛び回る小鳥たちが見えた。
  ああ、僕はあのあと疲れて何もせずに寝てしまったんだ。僕の上には布団がかけられている。きっとばあちゃんだ。時計は七時を差す、普段は自分からこんなにも快適に起きることなんてない。布団から出ると少し肌寒くて身震いがした。
「おはよう」
「ああおはようはるくん、昨日は疲れていたんだねよく眠れたかい?」
「うん、夜ご飯とか食べなくてごめん」
「気にしなくていいよ、ほらお風呂入って服着替えて朝ごはん食べな、お腹空いてるでしょう」
「ありがとう」
  僕はすぐに用意をした。なんだかいつも一人で食べていたスーパーの菓子パンとは違ってばあちゃんの朝ご飯は数倍美味しい気がした。
 「ごちそうさま」
  お天気キャスターが写るニュースを見るばあちゃんに言ってから食器を洗う。
「はるくんは今日何かする予定があるのかい?」
  ニュースを見ていたばあちゃんが振り向いて言った。僕は何もないと言おうと思ったが、昨日バスの中から見たあの桜を見に行くと僕は決めていたのを思い出した。
「桜を見にいこうと思う」
「そうかい、もしかして朝日病院の丘の桜かい?」
「うん、昨日バスの中から見えたから」
「今頃きっと満開だろうね、私も昔ははるくんのおじいちゃんとよくそこへお花見しに行ったよ、でも今は足が痛くてなかなか行けないね」
「じゃあ僕写真撮ってくるから」
「ほんとかい?それは楽しみだねえ」
  そう言ってばあちゃんは嬉しそうに笑った。
  僕がカメラと時計とお茶とケータイを持って玄関で靴を履いていると後ろから。
「この飴を持ってきな、ばあちゃんが作ったから」
  ばあちゃんから綺麗な黄金色をした飴を渡された。べっこう飴だ。
 「はるくん小さいときこの飴好きだったでしょう?気をつけていくんだよ」
「ありがとう、行ってきます」
  ばあちゃんからもらった綺麗な飴をズボンのポケットに入れて家を出た。

  今日は余裕を持ってバスに乗れて "朝日総合病院前駅"  に着いた。ほんとに平坦な道をただまっすぐ進んだところに丘は見える。まっすぐ、まっすぐ進んで行く。そして丘の下にたどり着くが緩やかに続く坂道は僕に少しだけ脅威を感じさせた。これは大げさに言いすぎたかもしれない。けれど持久力のない僕には少しだけ他の人よりもこの丘が大きく見えたのは間違いない。
  僕の足元には桜の花びらが落ちている、昨日すでに満開だったあの桜がもうすでに散ってきている、時は一刻も争う。こんなところでぐずぐずしてたってしょうがない。僕は必死に足を動かした。
「ふぅー」
  やっと丘を登り一息つく、そして顔をあげれば先ほどの疲労が一瞬でどこかへ行ってしまうような光景が広がっていた。
「綺麗だ」
  僕はシャッターを切る。何度も。
  青い空と白い雲と薄くて今にも消えそうな花びらが舞う。
  
「綺麗だ」

  僕はファインダーを覗きレンズ越しに彼女を見つけた。

  一瞬だった。

  何も考えられなかった。

  今にも消えそうな彼女をどうしても引き止めたかった。




  僕はシャッターを切っていた。
  


  
  初めてだった。こんなにも頭上には美しい桜が咲いているというのに。もう僕は彼女から目をそらすことができない。桜の麓で大きな幹に寄りかかる白いワンピースを着た彼女はとても小さく見えた。今まで長いまつ毛で閉じられていた青みがかった茶色の瞳に僕が映る。その薄く淡い色の唇が動く。

「君は、、」

  もし僕があの時。

 「私」

  シャッターを切っていなければ。

「私は芽衣」

  君と僕はただ出会っていなかったんだ。

「君は、、だれ?」


「僕は春翔、貴方に逢いに来ました」



  強い風が吹き、僕らは目を細めた。満開の桜から無数の花びらが散っていく。
「春翔、春翔ね、よろしくね」
  彼女はくすくすっと小さく笑った。
「ちなみに今何時かわかる?」
  初めてあった彼女に唐突にそんな質問をされた僕は腕時計の存在など忘れ時間を確認できる何かを探すためにポケットに手をねじ込んだ。何かがその拍子に落ちた。
「何か落ちたよ?それなに?」
「あ、それは」
「わぁとても綺麗!」
  彼女がまるで小さい子供のように目を輝かせるものだから僕はつい。
「それ、あげます、落ちてしまったけどちゃんと包んであるから大丈夫だと思います」
「ほんとに?ありがとう」
  彼女の屈託のない笑顔に僕もつられて笑った。それよりも、初めて女性にあげたプレゼントがべっこう飴だった事がおかしかったのかもしれない。渡すならもう少しスマートに渡したかった、僕は気を取り直すために腕時計を確認した。
「今は十時です」
「そっかあ、もうそんな時間か」
  彼女はいったいいつから此処にいたんだろうか。するとまた彼女は唐突に質問をしてきた。
「ねぇ、君は枝垂れ桜の花言葉は知ってる?」
「えっ」
「その顔は知らないんでしょ、きっと」
「はい知りませんけど、、」
「"優美"」
  彼女は僕らの頭上に広がる桜を見ながらそう呟いた。この桜が枝垂れ桜というのも初めて知った僕はましてや花言葉なんて知るはずがなかった。
「素敵でしょ」
「ええそうですね」
  また彼女はくすくすっと笑う。
  そして彼女は僕にいう。
「今日はありがとう、また明日も会いに来てね、でも今日はもう帰ってお願い」
「えっどうして」
「私、ここに毎日来てるんだけどいつも決まった時間に家族が迎えに来るの、いつもは一人だからいいけど男の子と一緒ってバレたらもうここに来るのダメって言われちゃうかもしれないから、ね、お願い、私のお父さんそういうのに厳しいの」
「そうなんですね、わかりました」
  僕も彼女に逢えなくなるのはなんだか嫌だった、だから彼女の言う通りにする事にした。
「ありがとう、また明日ね春翔」
「はい、また明日」
  僕はもと来た道をひたすらに歩く。ふと後ろを振り返ってみたら彼女が小さく手を振っている。僕はそんな光景を見て少しだけ自分の口角が上がっているのがわかった。今日はなんだか楽しかった。
  帰ったらばあちゃんに桜の写真を見せよう。
  彼女と会ったのは少しの間だったけど、社交性がなく、友好的でもない僕としてはわりとよく喋れていた方だと思う。べっこう飴をまるで宝石を見るかのような目で見る彼女に会ったからだろうかなんだか少しだけ前向きになれた自分がいた。

  
  



  
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