28 / 38
六 手紙
四
しおりを挟む
「なによ、暴言でも吐かれるの?」
「私はいつもそうですね。冷ややかな暴言を言われますよ」
頭の中で想像してみるが……、中々浮かばない。
アランシアは興味をひかれて尋ねた。
「例えば?」
「地の底の様な低い声で『わざわざ殺されに来たのか、この腐れ虫が』とか『お前みたいな汚物をなぜ朝から見なくてはいけない』とかですね」
「……それは最悪ね」
起こすだけでそんな事を言われるだなんてとんでもない。
アランシアがゾアの頼みを拒否しようと口を開こうとし、ゾアの言葉がそれを遮った。
「でも、それはあくまでも私の場合です。アランシア様はわかりませんよ?」
「……そうは全然思えないんだけど」
胡乱な目で彼を見るが、結局はため息で感情を飲み込む。用があるのだから、どのみち起きてくれないと困る。
「いいわ。案内して」
ゾアは思い切り笑顔を見せてアランシアを中庭へと案内する
いくつかの回廊を渡った先にある中庭へ導かれ、大きな木下で寝そべる王太子を見つけた。
ベンチどころではない。地面に直接寝転がっている。
「ちょっと、ゾ……」
従順な彼が、先ほどまで隣にいた彼が──風の速さで建物内に駆けて行った。
そのまま姿が見えなくなり、おそらくゼイヴァルの執務室で帰りを待つつもりなのだろう。
清々しいほど薄情な男だ。
アランシアはため息を吐き、仕方なくゼイヴァルを起こすために近寄る。
腕を枕にして大胆に寝る彼は、寝顔がさらされていた。それを初めて見たアランシアは思わずしゃがみこんで手を伸ばす。
寝顔は見たことがない。
初夜だって、アランシアの寝顔は見られただろうが、彼のは見れなかったのだ。
だから、思わず確かめたくなる。
こんなに良く整った──高い鼻梁、薄い唇に、淡い茶髪、長い睫の──精悍な顔を持つ男が、アランシアの夫だろうか。
ドレスが汚れるのも構わずアランシアは手入れの行き届いた芝生に座り、横で寝そべるゼイヴァルの顔を覗き込む。
──よく眠ってるわね。
寵姫の所へ昨夜、ゼイヴァルが赴いたと愛人達は言っていたが、ラリアの話を聞く限り、やましい事はなかったのだろう。
もしかして、すぐに帰ったのかもしれない。
そんな事を考えていると、寝ているゼイヴァルが顔をしかめ、
「っくしゅ!」
くしゃみをした。
その子どもみたいな仕草にアランシアは思わず頬を緩めて彼の頭を撫でる。
──寒いのかしら。
指で頬をさすり、熱でもないかと手のひらを額へ移動させる。
平常の体温を感じさせるその額に熱はなさそうだ。
「……アラン?」
薄くまぶたを開けて、ゼイヴァルが問いかける。起きたのだろうか。
「おはよう、殿下」
「……おはよう」
苦笑気味に彼は挨拶を返す。そして、自分の手が今、彼の額にある事に気づいて、羞恥で顔が赤く染まった。
慌てて引こうとしたアランシアの手を、ゼイヴァルが掴んだ。
「起こしに来てくれたの?」
「……ゾアに、頼まれて」
そう答えるが、彼はあまり聞いていない様子だ。まっすぐ見つめられ、更に顔が熱を持つ。
「起きたのなら離して頂けないかしら」
問うても返事はない。
なぜかと不思議に思っていると──急に押し倒された。
いつの間にか彼が自分を見下ろしていて、アランシアは柔らかな芝生に寝転がっている。射抜くような瞳が、すぐ近くにある。
ゆっくりと顔を近づけられて、額や頬に口づけされた。
「やっ、殿下!?」
彼は何も言わない。
抵抗しようともがくアランシアの両腕は、糸も容易く頭上で彼の片腕に固定される。
耳を甘噛みされて、唇にも口づけられそうになり、アランシアは真っ赤に染まりながら顔を背ける。
だが、空いたもう片方の彼の手でおとがいを捕まれて、彼の方へ向かされる。
強引に口づけされて、涙があふれた。それを彼の指が拭う。
──熱い。
「ごめんね」
それは何に対しての謝罪なのか、アランシアは考える事ができなかった。
ただ胸が苦しくて、無性に泣きたくなる。
──謝らないで欲しい。
「アラン」
耳元で囁かれる自分の名前に、酷く胸が高鳴る。
「アラン」
乞うように口づけされて、段々と理性が鈍くなってきて──ガチャンと茶器の割れる音がした。
「も、申し訳ありません!」
女官が顔を真っ赤に染めて駆けていき──ようやく自分の現状を思い出す。
「殿下、いい加減にして下さい!」
のしかかる彼の胸を押すと、ようやく理性が戻ったのか、ゼイヴァルはすぐに退いた。
「……寝ぼけてた」
顔をしかめてそう言う彼に、アランシアは目を見開く。
──ゾアとは別の意味で怖いわね。
***
「私はいつもそうですね。冷ややかな暴言を言われますよ」
頭の中で想像してみるが……、中々浮かばない。
アランシアは興味をひかれて尋ねた。
「例えば?」
「地の底の様な低い声で『わざわざ殺されに来たのか、この腐れ虫が』とか『お前みたいな汚物をなぜ朝から見なくてはいけない』とかですね」
「……それは最悪ね」
起こすだけでそんな事を言われるだなんてとんでもない。
アランシアがゾアの頼みを拒否しようと口を開こうとし、ゾアの言葉がそれを遮った。
「でも、それはあくまでも私の場合です。アランシア様はわかりませんよ?」
「……そうは全然思えないんだけど」
胡乱な目で彼を見るが、結局はため息で感情を飲み込む。用があるのだから、どのみち起きてくれないと困る。
「いいわ。案内して」
ゾアは思い切り笑顔を見せてアランシアを中庭へと案内する
いくつかの回廊を渡った先にある中庭へ導かれ、大きな木下で寝そべる王太子を見つけた。
ベンチどころではない。地面に直接寝転がっている。
「ちょっと、ゾ……」
従順な彼が、先ほどまで隣にいた彼が──風の速さで建物内に駆けて行った。
そのまま姿が見えなくなり、おそらくゼイヴァルの執務室で帰りを待つつもりなのだろう。
清々しいほど薄情な男だ。
アランシアはため息を吐き、仕方なくゼイヴァルを起こすために近寄る。
腕を枕にして大胆に寝る彼は、寝顔がさらされていた。それを初めて見たアランシアは思わずしゃがみこんで手を伸ばす。
寝顔は見たことがない。
初夜だって、アランシアの寝顔は見られただろうが、彼のは見れなかったのだ。
だから、思わず確かめたくなる。
こんなに良く整った──高い鼻梁、薄い唇に、淡い茶髪、長い睫の──精悍な顔を持つ男が、アランシアの夫だろうか。
ドレスが汚れるのも構わずアランシアは手入れの行き届いた芝生に座り、横で寝そべるゼイヴァルの顔を覗き込む。
──よく眠ってるわね。
寵姫の所へ昨夜、ゼイヴァルが赴いたと愛人達は言っていたが、ラリアの話を聞く限り、やましい事はなかったのだろう。
もしかして、すぐに帰ったのかもしれない。
そんな事を考えていると、寝ているゼイヴァルが顔をしかめ、
「っくしゅ!」
くしゃみをした。
その子どもみたいな仕草にアランシアは思わず頬を緩めて彼の頭を撫でる。
──寒いのかしら。
指で頬をさすり、熱でもないかと手のひらを額へ移動させる。
平常の体温を感じさせるその額に熱はなさそうだ。
「……アラン?」
薄くまぶたを開けて、ゼイヴァルが問いかける。起きたのだろうか。
「おはよう、殿下」
「……おはよう」
苦笑気味に彼は挨拶を返す。そして、自分の手が今、彼の額にある事に気づいて、羞恥で顔が赤く染まった。
慌てて引こうとしたアランシアの手を、ゼイヴァルが掴んだ。
「起こしに来てくれたの?」
「……ゾアに、頼まれて」
そう答えるが、彼はあまり聞いていない様子だ。まっすぐ見つめられ、更に顔が熱を持つ。
「起きたのなら離して頂けないかしら」
問うても返事はない。
なぜかと不思議に思っていると──急に押し倒された。
いつの間にか彼が自分を見下ろしていて、アランシアは柔らかな芝生に寝転がっている。射抜くような瞳が、すぐ近くにある。
ゆっくりと顔を近づけられて、額や頬に口づけされた。
「やっ、殿下!?」
彼は何も言わない。
抵抗しようともがくアランシアの両腕は、糸も容易く頭上で彼の片腕に固定される。
耳を甘噛みされて、唇にも口づけられそうになり、アランシアは真っ赤に染まりながら顔を背ける。
だが、空いたもう片方の彼の手でおとがいを捕まれて、彼の方へ向かされる。
強引に口づけされて、涙があふれた。それを彼の指が拭う。
──熱い。
「ごめんね」
それは何に対しての謝罪なのか、アランシアは考える事ができなかった。
ただ胸が苦しくて、無性に泣きたくなる。
──謝らないで欲しい。
「アラン」
耳元で囁かれる自分の名前に、酷く胸が高鳴る。
「アラン」
乞うように口づけされて、段々と理性が鈍くなってきて──ガチャンと茶器の割れる音がした。
「も、申し訳ありません!」
女官が顔を真っ赤に染めて駆けていき──ようやく自分の現状を思い出す。
「殿下、いい加減にして下さい!」
のしかかる彼の胸を押すと、ようやく理性が戻ったのか、ゼイヴァルはすぐに退いた。
「……寝ぼけてた」
顔をしかめてそう言う彼に、アランシアは目を見開く。
──ゾアとは別の意味で怖いわね。
***
0
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説
【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜
七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。
ある日突然、兄がそう言った。
魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。
しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。
そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。
ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。
前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。
これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。
※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です
貴方様の後悔など知りません。探さないで下さいませ。
ましろ
恋愛
「致しかねます」
「な!?」
「何故強姦魔の被害者探しを?見つけて如何なさるのです」
「勿論謝罪を!」
「それは貴方様の自己満足に過ぎませんよ」
今まで順風満帆だった侯爵令息オーガストはある罪を犯した。
ある令嬢に恋をし、失恋した翌朝。目覚めるとあからさまな事後の後。あれは夢ではなかったのか?
白い体、胸元のホクロ。暗めな髪色。『違います、お許し下さい』涙ながらに抵抗する声。覚えているのはそれだけ。だが……血痕あり。
私は誰を抱いたのだ?
泥酔して罪を犯した男と、それに巻き込まれる人々と、その恋の行方。
★以前、無理矢理ネタを考えた時の別案。
幸せな始まりでは無いので苦手な方はそっ閉じでお願いします。
いつでもご都合主義。ゆるふわ設定です。箸休め程度にお楽しみ頂けると幸いです。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
旦那様に離縁をつきつけたら
cyaru
恋愛
駆け落ち同然で結婚したシャロンとシリウス。
仲の良い夫婦でずっと一緒だと思っていた。
突然現れた子連れの女性、そして腕を組んで歩く2人。
我慢の限界を迎えたシャロンは神殿に離縁の申し込みをした。
※色々と異世界の他に現実に近いモノや妄想の世界をぶっこんでいます。
※設定はかなり他の方の作品とは異なる部分があります。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる