灰色人魚の婚約者

天嶺 優香

文字の大きさ
上 下
19 / 45
三 小さな淑女、訓練す

しおりを挟む
 皮肉を言われたりはするが、エリーチェには関係ないはずの淑女訓練も必ず付き合ってくれている。
 本人に言わせると、暇だから退屈をしのいでいるだけらしいが、照れ隠しだと言うのは容易にわかる。
 頬は赤くなるし、まともに目を合わせないところが特にわかりやすいのだ。
 エリーチェもグルテも、キエルでさえも表情を読むことは難しくない。
 キエルはティセルカを中心に物事を考えていて、ルファの特訓をして彼女に褒められたいと思っているのは明白だ。
 同時に、ルファをうとんでいるわけではないのもわかっている。
 厳しくしているのはルファのためだと思っていることも知っている。
 キエルは読み取りにくそうではあるが、元々表情豊かな質だからだろう、そんなに難しくはない。
 だが、隣で歩くロジェの表情を読み取ることは、難題中の難題だ。
 全く読み取れないわけではない。笑顔を浮かべている時は、本当に笑っているのだとわかる時もあるし、エリーチェやキエルに対しては作り笑いをしていることもわかっている。
 だが、ルファに向ける感情を上手く読み取れない。
「どうかした?」
 俯いたルファを気遣って、ロジェは少し歩く速度を緩めてくれる。
 この気遣いは本物だと思えるし、自分に向ける笑顔も偽物だとは思えない。
 ただ、ひたすら何かを隠しているような気配があるのも確かで、それがなんなのかがわからない。
「あの、ロジェ。あなたは一体……」
──なにを隠しているのですか。
 その問いは虚しく霧散むさんした。
 屋敷の入り口で、何やら話しこむ男女の声にかき消されたからだ。
「だから、今日は休日と伝えてあるだろう!」  
 聞き覚えのある声はロジェの姉であるティセルカのもので、彼女は苛立ちを押さえる為か、こめかみに指をあて、ため息をついていた。
「いえ、俺は聞いてません」
 淡々とそう言う男は、真っ黒の髪からのぞくエメラルドの綺麗な瞳をティセルカに向けて、反論する。
「聞いてなくても知っているだろう……っ!」 
「俺が直接聞かない限りは受理されないんです!」
「どういう理屈だ!!」
 男はティセルカの騎士服と似たものを着ていて、おそらくは同僚、または同職なのだろう。 
「サルーク、また来ていたのか」
「ああ、ロジェ。君からもなんとか姉さんに言ってくださいよ。ティカは俺に内緒で休暇きゅうかを取っていたんですから」
 ロジェとも親しいのか、サルークはこちらに話しかけ、隣のルファに気づくと柔らかく微笑んだ。 
「ルファさんですね。初めまして、カロラティエ様の護衛隊副隊長のサルークです。ちなみにティカは俺の未来のお嫁さんです」
「誰がお前の嫁だ!」
 真っ赤になったティセルカが鋭く噛みつく。顔が赤いのは怒りからか照れなのかは、さすがのルファにも読み取れなかった。
「初めまして。ルファと申します」
「いや、こんな可愛いお嫁さんをもらうなんて驚きです! てっきりあなたは一生独り身だと思っていましたよ」
 わずかに、ロジェの表情が動く。 ──否、作り物めいた表情に変わった、と言うべきか。
 ロジェはゆっくりと苦笑を浮かべた。
「きついな。それを言われると困る」
 表面上は確かに困った顔つきだ。だが、中身が見えない。
 底のない、ぽっかりと空いた穴。
 何かを抑え付ける、もしくは我慢する。思い出さないように、思い起こさないように。
 そんなイメージが脳裏に浮かんで、ルファは顔が強張るのを抑えれなかった。
「ルファ、どうかした?」  
 何も掴めず、ただ虚空を切るだけの手のひら。ルファはロジェの感情も、真意も読み取れない。 
 ルファの異変に気づいたロジェが優しく声をかけてくれるが、意思を感じない上辺だけの言葉など、まったく意味がない。
 しかし、なにも返事を返さないわけにもいかず、ルファは声を絞り出す。
「い、いえ。大丈夫です。なんでもありません」
 背中に嫌な汗が流れる。
 さらに追求されても、ルファはうまく答えられない。このまま話題が変われと祈る──と、後ろから追って来たエリーチェがサルークを見つけ、呆れ返った長い長いため息をついた。 
「また来てたんですか、サルーク様。しつこい男は嫌われるのですよ?」 
「俺は押して駄目なら更に押せ、ですから。押して押して、最後に転ばせたら勝ちです。ちなみにティカはドジっ子だと思います」
「……これは何の話だ?」
 ティセルカがエリーチェとサルークを交互に見て、半目になっている。
 また話の話題がティセルカになった。エリーチェのおかげで話題がそれたのだ。
 サルークを鬱陶うっとうしそうにしているティセルカには申し訳ないが、ルファは安堵の息をついた。
「もちろん、 ティカと俺の未来の話です」
「そうか。それは何世紀も越え、世界に存在する男がお前一人になった時の未来だな」  
 あしらわれているのに意味深に微笑むサルークを、慣れた様子でティセルカは軽く流している。
 エリーチェはそんな二人を見て大きくわざとらしい咳払いをした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

運命の歯車が壊れるとき

和泉鷹央
恋愛
 戦争に行くから、君とは結婚できない。  恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。    他の投稿サイトでも掲載しております。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

婚約者にフラれたので、復讐しようと思います

紗夏
恋愛
御園咲良28才 同期の彼氏と結婚まであと3か月―― 幸せだと思っていたのに、ある日突然、私の幸せは音を立てて崩れた 婚約者の宮本透にフラれたのだ、それも完膚なきまでに 同じオフィスの後輩に寝取られた挙句、デキ婚なんて絶対許さない これから、彼とあの女に復讐してやろうと思います けれど…復讐ってどうやればいいんだろう

処理中です...