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一 婚約者、発覚
五
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***
真新しい深緑のドレスは、少しサイズが大きかったが、急いで用意してくれたのだから仕方ない。
自分一人しか乗っていない馬車の中、身じろぎしてドレスを確認する。
普段は灰色の服しか身に着けないために、暗めの色とはいえ似合っているか気になる。
しかし、 気にしている自分に恥ずかしくなってきて、足元に置いた少ない荷物を隅へ押しやり窓の外を眺めた。
流れる景色は、もう自分の知っている場所ではない。馬車に揺られて数刻。見慣れた景色はすでにない。
見慣れた、といっても人魚館からほとんど出たことのないルファにとっては、どこも知らない場所だ。
ごとごとと揺られながら、窓に頭を預ける。
「公爵家か……。どんなところなんだろう」
目を閉じて、目的地を頭の中で思い描く。広い庭に、大きな屋敷。綺麗な服を着た優しい人達と──自分の婚約者。
自分とは交わることもない、別の世界の人達。
そんなところでやっていけるのだろうか。段々と暗くなっていく自分の思考を、慌てて叱咤する。
「だから根暗なんて言われるのよ! だめだめ、暗いことは考えない! 禁止!」
閉じていたまぶたを開けて顔を上げる──そして、窓の向こうに飛び込む景色に、思わず目を丸くした。
高い塀に囲まれた大きな屋敷。淡い色合いのその屋敷はまるで童話の世界みたいで、思わず圧倒される。
ルファのちっぽけな想像など、何の意味も持たない。
「あ、あそこが公爵家……」
庶民家と比べて人魚館もそれなりに大きく立派だが、その比ではない。
貴族達の中でも最高位にあり、代々続く歴史と、王家からの信望もある公爵家。
たとえ後を継ぐ長男が、国が崇拝する白を纏わない変人だとしても許される──そんなもの、些細な問題だと思わせる、この権力。
ルファは大きな瞳をさらに見開いて、どんどん近づいてくる別世界への門を、ひたすら凝視した。
「き、緊張してきた」
いそいそとドレスや髪を整え始める。その間にもルファを乗せた馬車は門をくぐり、公爵家へと入っていく。広い庭園の先にある屋敷の入り口には、すでに迎えの人達がいた。
ばくばくと早くなっていく自分の心臓を感じながら、ルファはこのまま馬車が到着しなくていいのに、と願い始める。
出来ることなら逆走してほしい。それが駄目ならあの待ち人達の目の前をそのまま横切って、どこか人気のない所で降ろしてほしい。
「ああああ、逃げたい! 思いっきり逃げたいいぃ」
馬車の窓からもしかしたら自分の姿が見えているのかもしれない。急いで窓から離れながら、体を小さく丸める。変な汗が出そうになるのをこらえながら、馬車の速度が落ちていくのを感じて、さらに緊張していく。
「もう着いちゃう! どうしよう、着いちゃう……」
ごとん、と大きな音がして、馬車がついに停止した。御者が台から降りる音、それからこちらへ歩いてくる足音がして──馬車の扉が開かれた。
「到着しましたよ。お手をどうぞ」
御者の青年が、乗った時と同じように手を差し伸べてくれる。
「あ、ありがとうございます」
人の良さそうな笑顔を見せてくれる青年の手をおずおずと取り、馬車の外へゆっくりと出る。
時刻は昼頃で、日の光が眩しい。手を引かれるまま馬車から降り、にこやかな笑顔で待っている人達の元へと誘導される。
「お待ちしておりました。ようこそ、ハーキントン家へ」
恰幅の良い老女が、青年からルファの手を受け取り、優しく撫でてくれる。コリアランの時と同じで、心の中がほわりと温かくなる。緊張がほぐれて、ルファはゆっくりと口を動かした。
「は、はじめまして。お世話になります」
緊張で声が震えるが、老女はルファに微笑んだ。
「ハーキントン家でメイド長をしておりますグルテと申します。ロジェ様からお世話を任されました。どうぞ、よろしくお願いします」
グルテは次に後ろで控えていた人達の方にルファを向かせる。
「ここにいる者はハーキントン家の使用人達です。なにかご用がありましたらお申し付けくださいね。 旦那様とロジェ様はもうすぐ帰られると思います。……あら、荷物は少ないのですね。後で運ばせますから先にお部屋にご案内します」
グルテに手を引かれてそのまま屋敷の中へ導かれる。
目の前に現れた玄関ホール。大理石はルファとグルテの姿を映し、天井から下がったシャンデリアは落ちてきたらひとたまりもないくらいの大きさ。上の階へと続く階段は大きな螺旋を描き、その階段から真っ赤な絨毯がなだらかに玄関ホールへ敷かれている。
見たことのない豪華な造りに唖然としながらグルテに先導されるまま二階へ上がり、紅色の廊下を突き進んだ先。一つのドアの前で彼女の足は止まった。
《ネズミの巣》と汚く罵られたドアは薄い木製で、色も褪せていた。
それに比べ、目の前のドアはシンプルだが程よく装飾もあり、ドアノブは金で彩られていた。
グルテはポケットから鍵を取り出し、鍵穴へ差し込む。
カチャリと解除された音が小さく鳴り、鍵を抜いてルファに手渡すと、グルテはドアノブを回して中へ招き入れた。
「ここが、ロジェ様がご用意したお部屋になります」
「ロジェ様が? ここが私の部屋……?」
淡い色で整えた部屋の装飾。色とりどりの花を飾った花瓶。カーテンは薄桃の柔らかい色で、端にはレースが施されている。
ベッドの寝具も、そこに置かれた家具一つでさえも、この部屋のなにもかもがルファのために揃えられたもの。
真新しい深緑のドレスは、少しサイズが大きかったが、急いで用意してくれたのだから仕方ない。
自分一人しか乗っていない馬車の中、身じろぎしてドレスを確認する。
普段は灰色の服しか身に着けないために、暗めの色とはいえ似合っているか気になる。
しかし、 気にしている自分に恥ずかしくなってきて、足元に置いた少ない荷物を隅へ押しやり窓の外を眺めた。
流れる景色は、もう自分の知っている場所ではない。馬車に揺られて数刻。見慣れた景色はすでにない。
見慣れた、といっても人魚館からほとんど出たことのないルファにとっては、どこも知らない場所だ。
ごとごとと揺られながら、窓に頭を預ける。
「公爵家か……。どんなところなんだろう」
目を閉じて、目的地を頭の中で思い描く。広い庭に、大きな屋敷。綺麗な服を着た優しい人達と──自分の婚約者。
自分とは交わることもない、別の世界の人達。
そんなところでやっていけるのだろうか。段々と暗くなっていく自分の思考を、慌てて叱咤する。
「だから根暗なんて言われるのよ! だめだめ、暗いことは考えない! 禁止!」
閉じていたまぶたを開けて顔を上げる──そして、窓の向こうに飛び込む景色に、思わず目を丸くした。
高い塀に囲まれた大きな屋敷。淡い色合いのその屋敷はまるで童話の世界みたいで、思わず圧倒される。
ルファのちっぽけな想像など、何の意味も持たない。
「あ、あそこが公爵家……」
庶民家と比べて人魚館もそれなりに大きく立派だが、その比ではない。
貴族達の中でも最高位にあり、代々続く歴史と、王家からの信望もある公爵家。
たとえ後を継ぐ長男が、国が崇拝する白を纏わない変人だとしても許される──そんなもの、些細な問題だと思わせる、この権力。
ルファは大きな瞳をさらに見開いて、どんどん近づいてくる別世界への門を、ひたすら凝視した。
「き、緊張してきた」
いそいそとドレスや髪を整え始める。その間にもルファを乗せた馬車は門をくぐり、公爵家へと入っていく。広い庭園の先にある屋敷の入り口には、すでに迎えの人達がいた。
ばくばくと早くなっていく自分の心臓を感じながら、ルファはこのまま馬車が到着しなくていいのに、と願い始める。
出来ることなら逆走してほしい。それが駄目ならあの待ち人達の目の前をそのまま横切って、どこか人気のない所で降ろしてほしい。
「ああああ、逃げたい! 思いっきり逃げたいいぃ」
馬車の窓からもしかしたら自分の姿が見えているのかもしれない。急いで窓から離れながら、体を小さく丸める。変な汗が出そうになるのをこらえながら、馬車の速度が落ちていくのを感じて、さらに緊張していく。
「もう着いちゃう! どうしよう、着いちゃう……」
ごとん、と大きな音がして、馬車がついに停止した。御者が台から降りる音、それからこちらへ歩いてくる足音がして──馬車の扉が開かれた。
「到着しましたよ。お手をどうぞ」
御者の青年が、乗った時と同じように手を差し伸べてくれる。
「あ、ありがとうございます」
人の良さそうな笑顔を見せてくれる青年の手をおずおずと取り、馬車の外へゆっくりと出る。
時刻は昼頃で、日の光が眩しい。手を引かれるまま馬車から降り、にこやかな笑顔で待っている人達の元へと誘導される。
「お待ちしておりました。ようこそ、ハーキントン家へ」
恰幅の良い老女が、青年からルファの手を受け取り、優しく撫でてくれる。コリアランの時と同じで、心の中がほわりと温かくなる。緊張がほぐれて、ルファはゆっくりと口を動かした。
「は、はじめまして。お世話になります」
緊張で声が震えるが、老女はルファに微笑んだ。
「ハーキントン家でメイド長をしておりますグルテと申します。ロジェ様からお世話を任されました。どうぞ、よろしくお願いします」
グルテは次に後ろで控えていた人達の方にルファを向かせる。
「ここにいる者はハーキントン家の使用人達です。なにかご用がありましたらお申し付けくださいね。 旦那様とロジェ様はもうすぐ帰られると思います。……あら、荷物は少ないのですね。後で運ばせますから先にお部屋にご案内します」
グルテに手を引かれてそのまま屋敷の中へ導かれる。
目の前に現れた玄関ホール。大理石はルファとグルテの姿を映し、天井から下がったシャンデリアは落ちてきたらひとたまりもないくらいの大きさ。上の階へと続く階段は大きな螺旋を描き、その階段から真っ赤な絨毯がなだらかに玄関ホールへ敷かれている。
見たことのない豪華な造りに唖然としながらグルテに先導されるまま二階へ上がり、紅色の廊下を突き進んだ先。一つのドアの前で彼女の足は止まった。
《ネズミの巣》と汚く罵られたドアは薄い木製で、色も褪せていた。
それに比べ、目の前のドアはシンプルだが程よく装飾もあり、ドアノブは金で彩られていた。
グルテはポケットから鍵を取り出し、鍵穴へ差し込む。
カチャリと解除された音が小さく鳴り、鍵を抜いてルファに手渡すと、グルテはドアノブを回して中へ招き入れた。
「ここが、ロジェ様がご用意したお部屋になります」
「ロジェ様が? ここが私の部屋……?」
淡い色で整えた部屋の装飾。色とりどりの花を飾った花瓶。カーテンは薄桃の柔らかい色で、端にはレースが施されている。
ベッドの寝具も、そこに置かれた家具一つでさえも、この部屋のなにもかもがルファのために揃えられたもの。
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