1 / 45
一 婚約者、発覚
一
しおりを挟む
オペラなどが催される大きなホールで、 山のように賑わう人々がステージに立つルファに注目している。
豊かに波打つ白髪──このルテリア公国で最も美しいとされるその髪色は、元々の色素を抜いたせいで傷んではいるが、遠目の観客達にはわかるまい。
どこまでも澄んだ青い瞳は、内陸国であるこのルテリア公国で白の次に重宝される色であり、 国民は見たことのない海を連想して海の瞳と呼ぶ。
ルファの髪は繰り返し色を抜いたことによってかなり傷んで手触りは良くないが、 瞳は透明度が高く、誰よりも綺麗な色をしている。
卵型の顔立ちも、きめ細かな白い肌によって瞳や、 形の良い唇を映えさせている。
小さなその唇はわずかに震え、最後の音を口に乗せる。
ホール内に高音が響き渡り、 そして消えていく。
観客達はしばらく余韻に浸り、 やがてまばらな拍手が聞こえ始め、 徐々にその数が増え──大きな喝采となってホールを包む。
観客達は見事な独唱の歌い手に、 興奮を抑えきれず席から立ち上がり、絶賛した。
「ブラボー!」
老若男女。 全ての紳士淑女が、 歌い手──ルファ・エレ・コルドニアの声に魅了された。
心地良い幸福感に酔いしれ、 ルファは微笑んだ。 ふわりと揺れるライトグレーのドレスを両手で軽く掴み、ゆっくりとお辞儀をする。
息を吸って、吐いて。酸素を存分に体内へ流しながら目を閉じる。──何かの音がする。
そう感じた途端、 ルファは幸せな夢から現実へ引き戻された。
***
どん、 と強くドアを思い切り蹴られた。 続いて乱暴なノックが三度。
「ネズミ! 早く仕事しなさい、 この能無し女!」
「今日は朝からなのよ。 ぐずぐずしてないで早く来て!」
甲高い女性達の罵声がドアの向こうから飛び、 ルファは慌てて体を起こした。
上掛けをめくり、 ベッドサイドの小さな円形テーブルの上に置かれた靴下に手を伸ばす。
つま先から通して、細いひも状の靴下留めで固定し、床に揃えて置いてある古びたストラップシューズを履く。床でつま先を何度かノックし、靴の履き心地を確かめながら、息を吐いた。
唇からこぼれた息は、気温のせいで白く浮かび、すぐに消えた。
今着ている麻のシュミーズの上から短い黒のエプロンを腰に縛りつけ、自分のベッドを整える。
長い髪が肩にかかり、 ルファは視界に入る自分のダークグレーの髪に本日二度目のため息をつきたくなりながら指先ではらう。
ルテリア公国では雪のような白髪と、澄んだ海の瞳が女性の美人の基準とされる。
もっとも重要とされるのが白色で、建物、服装、装飾などは白が主となっている。白髪に至っては白ければ白いほど女性の価値が上がる。
中でも白髪、海の瞳の容姿を持つ美声の女性を《人魚》と呼び、その条件を満たした者達を囲う施設──《人魚館》は、ルテリア公国の大公妃を輩出したことから、毎日多数の貴族達が妻や子供として家に迎え入れようと品定めに来る。
元々、この一定の条件を満たした女性のことを、内陸国であるルテリア公国で人魚と呼ぶようになったのは人魚館──当時は別名で運営していた──で、初めて大公妃として選ばれた女性の容姿があまりにも美しく、その歌声が聞いた者を魅了するという事から人魚と呼び始めたのがきっかけだった。
それからは白髪、蒼眼、美声の女性はたとえ庶民でも貴族の妻になることが認められ、絶賛され、一種のステータスともなった。
それから時が経った現在の大公は七代目になるが、現大公妃も人魚館出身の人魚だ。
人魚館で下働きをするルファは一番最下層の身分だったが、声を気に入られて奴隷市場で、ここを取り仕切る老女、バセット夫人に買われた。
ルファの日課は、集まる貴族達の目に留まるために、 施設の敷地内にあるホールで行われる人魚達の歌を披露するための準備。
もちろんルファはこの国の美人の枠から大きく外れているので、歌など披露させてもらえない。
歌を気に入って買ったのだから披露させてほしいのだが、どうやらバセット夫人は自分用のオルゴールかなにかにしたいらしく、彼女の部屋に呼ばれて歌ったり、たまに人魚館から出て歌ったりするくらいだ。
容姿の優れないルファはこのままずっと人魚館で働き続けるか、歌を披露して貴族の目に留まるしかない。
しかし、明らかに前者の可能性が高く、齢十六の身としてはかなり将来性がない。ついつい不安になって長い長い溜息をつく。
息が白くなり、そして儚く霧散していくさまは、まるで自分のようだと卑屈気味な考えが浮かんだ。
人魚達から罵倒を今から浴びなくてはならないと思うと気が重たくなっていくが、いつまでもここにいるわけにも行かない。ここから先、外に出れば周りは敵ばかり。自分を守れるのは自分だけ。
足に馴染んだストラップシューズを踏みしめ、本日の日課をこなすために勇気を出してドアノブをひねり、ルファは安全地帯から出発した。
***
豊かに波打つ白髪──このルテリア公国で最も美しいとされるその髪色は、元々の色素を抜いたせいで傷んではいるが、遠目の観客達にはわかるまい。
どこまでも澄んだ青い瞳は、内陸国であるこのルテリア公国で白の次に重宝される色であり、 国民は見たことのない海を連想して海の瞳と呼ぶ。
ルファの髪は繰り返し色を抜いたことによってかなり傷んで手触りは良くないが、 瞳は透明度が高く、誰よりも綺麗な色をしている。
卵型の顔立ちも、きめ細かな白い肌によって瞳や、 形の良い唇を映えさせている。
小さなその唇はわずかに震え、最後の音を口に乗せる。
ホール内に高音が響き渡り、 そして消えていく。
観客達はしばらく余韻に浸り、 やがてまばらな拍手が聞こえ始め、 徐々にその数が増え──大きな喝采となってホールを包む。
観客達は見事な独唱の歌い手に、 興奮を抑えきれず席から立ち上がり、絶賛した。
「ブラボー!」
老若男女。 全ての紳士淑女が、 歌い手──ルファ・エレ・コルドニアの声に魅了された。
心地良い幸福感に酔いしれ、 ルファは微笑んだ。 ふわりと揺れるライトグレーのドレスを両手で軽く掴み、ゆっくりとお辞儀をする。
息を吸って、吐いて。酸素を存分に体内へ流しながら目を閉じる。──何かの音がする。
そう感じた途端、 ルファは幸せな夢から現実へ引き戻された。
***
どん、 と強くドアを思い切り蹴られた。 続いて乱暴なノックが三度。
「ネズミ! 早く仕事しなさい、 この能無し女!」
「今日は朝からなのよ。 ぐずぐずしてないで早く来て!」
甲高い女性達の罵声がドアの向こうから飛び、 ルファは慌てて体を起こした。
上掛けをめくり、 ベッドサイドの小さな円形テーブルの上に置かれた靴下に手を伸ばす。
つま先から通して、細いひも状の靴下留めで固定し、床に揃えて置いてある古びたストラップシューズを履く。床でつま先を何度かノックし、靴の履き心地を確かめながら、息を吐いた。
唇からこぼれた息は、気温のせいで白く浮かび、すぐに消えた。
今着ている麻のシュミーズの上から短い黒のエプロンを腰に縛りつけ、自分のベッドを整える。
長い髪が肩にかかり、 ルファは視界に入る自分のダークグレーの髪に本日二度目のため息をつきたくなりながら指先ではらう。
ルテリア公国では雪のような白髪と、澄んだ海の瞳が女性の美人の基準とされる。
もっとも重要とされるのが白色で、建物、服装、装飾などは白が主となっている。白髪に至っては白ければ白いほど女性の価値が上がる。
中でも白髪、海の瞳の容姿を持つ美声の女性を《人魚》と呼び、その条件を満たした者達を囲う施設──《人魚館》は、ルテリア公国の大公妃を輩出したことから、毎日多数の貴族達が妻や子供として家に迎え入れようと品定めに来る。
元々、この一定の条件を満たした女性のことを、内陸国であるルテリア公国で人魚と呼ぶようになったのは人魚館──当時は別名で運営していた──で、初めて大公妃として選ばれた女性の容姿があまりにも美しく、その歌声が聞いた者を魅了するという事から人魚と呼び始めたのがきっかけだった。
それからは白髪、蒼眼、美声の女性はたとえ庶民でも貴族の妻になることが認められ、絶賛され、一種のステータスともなった。
それから時が経った現在の大公は七代目になるが、現大公妃も人魚館出身の人魚だ。
人魚館で下働きをするルファは一番最下層の身分だったが、声を気に入られて奴隷市場で、ここを取り仕切る老女、バセット夫人に買われた。
ルファの日課は、集まる貴族達の目に留まるために、 施設の敷地内にあるホールで行われる人魚達の歌を披露するための準備。
もちろんルファはこの国の美人の枠から大きく外れているので、歌など披露させてもらえない。
歌を気に入って買ったのだから披露させてほしいのだが、どうやらバセット夫人は自分用のオルゴールかなにかにしたいらしく、彼女の部屋に呼ばれて歌ったり、たまに人魚館から出て歌ったりするくらいだ。
容姿の優れないルファはこのままずっと人魚館で働き続けるか、歌を披露して貴族の目に留まるしかない。
しかし、明らかに前者の可能性が高く、齢十六の身としてはかなり将来性がない。ついつい不安になって長い長い溜息をつく。
息が白くなり、そして儚く霧散していくさまは、まるで自分のようだと卑屈気味な考えが浮かんだ。
人魚達から罵倒を今から浴びなくてはならないと思うと気が重たくなっていくが、いつまでもここにいるわけにも行かない。ここから先、外に出れば周りは敵ばかり。自分を守れるのは自分だけ。
足に馴染んだストラップシューズを踏みしめ、本日の日課をこなすために勇気を出してドアノブをひねり、ルファは安全地帯から出発した。
***
0
お気に入りに追加
66
あなたにおすすめの小説
【1/23取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~
コトミ
恋愛
結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。
そしてその飛び出した先で出会った人とは?
(できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです)
hotランキング1位入りしました。ありがとうございます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる