灰色人魚の婚約者

天嶺 優香

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一 婚約者、発覚

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 オペラなどがもよおされる大きなホールで、 山のようににぎわう人々がステージに立つルファに注目している。
 豊かに波打つ白髪はくはつ──このルテリア公国で最も美しいとされるその髪色は、元々の色素を抜いたせいでいたんではいるが、遠目の観客達にはわかるまい。
 どこまでも澄んだ青い瞳は、内陸国であるこのルテリア公国で白の次に重宝ちょうほうされる色であり、 国民は見たことのない海を連想して海の瞳オーシャンアイと呼ぶ。
  ルファの髪は繰り返し色を抜いたことによってかなり傷んで手触りは良くないが、 瞳は透明度が高く、誰よりも綺麗な色をしている。 
 卵型の顔立ちも、きめ細かな白い肌によって瞳や、 形の良い唇を映えさせている。
 小さなその唇はわずかに震え、最後の音を口に乗せる。
 ホール内に高音が響き渡り、 そして消えていく。 
 観客達はしばらく余韻よいんに浸り、 やがてまばらな拍手が聞こえ始め、 徐々にその数が増え──大きな喝采かっさいとなってホールを包む。 
  観客達は見事な独唱の歌い手に、 興奮を抑えきれず席から立ち上がり、絶賛した。 
「ブラボー!」
 老若男女。 全ての紳士淑女が、 歌い手──ルファ・エレ・コルドニアの声に魅了された。
 心地良い幸福感に酔いしれ、 ルファは微笑んだ。 ふわりと揺れるライトグレーのドレスを両手で軽く掴み、ゆっくりとお辞儀をする。
 息を吸って、吐いて。酸素を存分に体内へ流しながら目を閉じる。──何かの音がする。 
 そう感じた途端とたん、 ルファは幸せな夢から現実へ引き戻された。

    ***

 どん、 と強くドアを思い切り蹴られた。 続いて乱暴なノックが三度。
「ネズミ! 早く仕事しなさい、 この能無し女!」
「今日は朝からなのよ。 ぐずぐずしてないで早く来て!」
 甲高かんだかい女性達の罵声がドアの向こうから飛び、 ルファは慌てて体を起こした。
 上掛けをめくり、 ベッドサイドの小さな円形テーブルの上に置かれた靴下に手を伸ばす。
 つま先から通して、細いひも状の靴下留めで固定し、床に揃えて置いてある古びたストラップシューズを履く。床でつま先を何度かノックし、靴の履き心地を確かめながら、息を吐いた。
 唇からこぼれた息は、気温のせいで白く浮かび、すぐに消えた。
 今着ている麻のシュミーズの上から短い黒のエプロンを腰に縛りつけ、自分のベッドを整える。
 長い髪が肩にかかり、 ルファは視界に入る自分のダークグレーの髪に本日二度目のため息をつきたくなりながら指先ではらう。
 ルテリア公国では雪のような白髪と、澄んだ海の瞳が女性の美人の基準とされる。
 もっとも重要とされるのが白色で、建物、服装、装飾などは白が主となっている。白髪に至っては白ければ白いほど女性の価値が上がる。
 中でも白髪、海の瞳の容姿を持つ美声の女性を《人魚》と呼び、その条件を満たした者達を囲う施設──《人魚館》は、ルテリア公国の大公妃を輩出はいしゅつしたことから、毎日多数の貴族達が妻や子供として家に迎え入れようと品定めに来る。
 元々、この一定の条件を満たした女性のことを、内陸国であるルテリア公国で人魚と呼ぶようになったのは人魚館──当時は別名で運営していた──で、初めて大公妃として選ばれた女性の容姿があまりにも美しく、その歌声が聞いた者を魅了するという事から人魚と呼び始めたのがきっかけだった。
 それからは白髪、蒼眼、美声の女性はたとえ庶民でも貴族の妻になることが認められ、絶賛され、一種のステータスともなった。 
 それから時が経った現在の大公は七代目になるが、現大公妃も人魚館出身の人魚だ。
人魚館で下働きをするルファは一番最下層の身分だったが、声を気に入られて奴隷市場で、ここを取り仕切る老女、バセット夫人に買われた。
 ルファの日課は、集まる貴族達の目に留まるために、 施設の敷地内にあるホールで行われる人魚達の歌を披露ひろうするための準備。
 もちろんルファはこの国の美人の枠から大きく外れているので、歌など披露させてもらえない。
 歌を気に入って買ったのだから披露させてほしいのだが、どうやらバセット夫人は自分用のオルゴールかなにかにしたいらしく、彼女の部屋に呼ばれて歌ったり、たまに人魚館から出て歌ったりするくらいだ。
 容姿の優れないルファはこのままずっと人魚館で働き続けるか、歌を披露して貴族の目に留まるしかない。
 しかし、明らかに前者の可能性が高く、齢十六の身としてはかなり将来性がない。ついつい不安になって長い長い溜息をつく。
 息が白くなり、そして儚く霧散むさんしていくさまは、まるで自分のようだと卑屈気味な考えが浮かんだ。 
 人魚達から罵倒ばとうを今から浴びなくてはならないと思うと気が重たくなっていくが、いつまでもここにいるわけにも行かない。ここから先、外に出れば周りは敵ばかり。自分を守れるのは自分だけ。
 足に馴染んだストラップシューズを踏みしめ、本日の日課をこなすために勇気を出してドアノブをひねり、ルファは安全地帯から出発した。

    ***
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