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第七話
伊勢の国とモフモフと・その六
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「モフ、ふかふか。きもちー!」
幼女はそういって風牙を抱きすくめた。そして嬉しそうに風牙の背中に頬を摺り寄せる。あれから数日が過ぎた。幼女と男児は風牙を「モフモフだから名前はモフ! モフモフのモフ!」と大はしゃぎで名付けた。
(随分と安直な名づけやなぁ……)
風牙はぼんやりと思った。子供たちの父親は船の仕事をしているようだ。風牙に野菜を大量に与えても、家計には響かないほどには裕福な家庭のようだ。腹が膨れて我に返った時は一家の食料にエライ事をしてもうた、と一瞬焦った。だが、ニコニコ見守っている子供たちと母親の笑顔に嘘偽りがないのを確認し、ホッとしたものだ。
「モフ、かーわいーなぁ」
男児も嬉しそうに風牙を撫でる。風牙は目を細め、彼らの好きなようにさせた。
「あ! よくみるとまんまるくてふさふさなしっぽ!」
幼女が物珍しそうにそこに手を伸ばす。
(あんまり尻尾引っ張んなや)
と思いながらもじっとしていた。
「こら! 触るなら優しくしないと駄目だぞ!」
「うん! にいちゃん」
「そうだよ、痛いことしたらあかんよ」
「うん、おっかちゃん」
何故か憎めない子供たちに、気前の良い母親。居心地の良さを感じ初めていた。
(もう少しだけ居てやっても良いかな)
それに、幼女を見ると『お駒』が思い出された。突き放してまで強引に離れ、泣かせたくはない。それに、命を助けて貰った恩義もある。
(……しかし、あの人柱と半妖、この先なんだか危うい感じがしたしのぅ。人柱の方は初めて会た時は恐ろしい程冷静な奴だと思うたもんやったが……。随分と魂が不安定やった。あれじゃぁ、妖魔や悪霊に目をつけられたら簡単に魂を乗っ取られちまう。半妖の小娘も、何やら正常な判断出来なそうな感じがしたし。こりゃ、早めに合流せんとなぁ)
と気が急くのもあった。それに、風牙には分かっていた。子供たちと一緒にいる時間が長ければ長いほど、別れが辛くなる事を。
(離れるなら、早い方がええな。この一家の記憶を操作してワイに出会わなかった事にするか、それとも……)
風牙は子供たちに甘えるようにプイプイプイと小さく鳴きながら決断を急いだ。
「……なぁ、何だかおかしな方向に行ってないか?」
例の如く、巨大な水晶玉に映し出される氷輪と琥珀の様子を見ていた炎帝は、そう言って月黄泉命を降り返った。そこに映し出された二人は、氷輪は左斜め前を、三歩ほど下がってついてくる琥珀は右斜め前を見て歩いている。誰が見ても不自然にギクシャクした二人だった。
「仕方なかろう。宿世の輪が大きく激しく回り始めているのだ。翻弄されるのは致し方あるまい。我々神や邪悪を司る闇のモノでも、この宿世に抗って打ち勝てた者は未だ皆無なのだから」
淡々と応じる月黄泉命。
「けど……」
「何度も同じ事を言わせるな。見守る事しか出来ぬと言った。それに前例が無いだけでこれから先は分から無いだろう?」
「どういう事だよ?」
「お前が先陣切ったのだろう?」
「はっ?」
「宿世を変えようと抗ったのは」
月黄泉命の言葉にハッとした様子の炎帝。そんな彼に、月黄泉は命はほんの少し口元を綻ばせる。そして言葉を続けた。
「だから、これから先の展開は我々神にも未知数なのだ。翻弄されるのは、許してやれ。それだけ激しい宿世の渦が回って来てきるのだから」
炎帝は柔らな笑みを浮かべた。
「……そうだな。勝負事は、頭に血がのぼった方が負ける、て決まってるもんな」
と照れたようにこたえた。
(……兄者、『きよら』(※①)って言う名前なのか? 宿世の女の名前……)
琥珀は、少し先を歩く氷輪の背を、虚ろな眼差しで見つめた。無意識に、右袖に隠し持っている紅い櫛を握り締めながら。
今朝方、夢にうなされる様子の氷輪に気付いた。宿の大部屋で他の客の眠りを妨げる訳にはいかないのと氷輪が心だったのとで、起き上がって琥珀に背を向けて横向きに寝ている氷輪の傍にしゃがみ込む。
『兄者、兄者?』
と、彼の背中を右手で軽く叩き、右耳に向かって囁いた。すぐに目を覚まし、ガバッと起き上がった氷輪は、恍惚な笑みを向けると右手を伸ばし、己の胸に引き寄せた。そして両手で愛おしそうに琥珀を抱き締める。咄嗟の事に虚を突かれ呆然とする琥珀の耳に響いたのは、
『……きよら……』
という見知らぬ女の名前だった。恋焦がれた女を求めるように、艶のある男の囁き声で。
『兄者!?』
助けを求めるように呼びかける琥珀の声に、漸く自分を取り戻した様子の氷輪は、
「す、すまない!」
人目も憚らず謝罪の声をあげ。サッと琥珀を解放し、弾かれたように誰もいない壁側に飛びのく氷輪の姿が目に入った。酷く狼狽している様子だ。その姿は、あたかも求めていた女では無く琥珀だったかと我に返り、激しく失望しているように見えた。
(※①…古語。1.輝くように美しい。気品があって美しい。2.華美。華やかで美しい、という意味がある)
幼女はそういって風牙を抱きすくめた。そして嬉しそうに風牙の背中に頬を摺り寄せる。あれから数日が過ぎた。幼女と男児は風牙を「モフモフだから名前はモフ! モフモフのモフ!」と大はしゃぎで名付けた。
(随分と安直な名づけやなぁ……)
風牙はぼんやりと思った。子供たちの父親は船の仕事をしているようだ。風牙に野菜を大量に与えても、家計には響かないほどには裕福な家庭のようだ。腹が膨れて我に返った時は一家の食料にエライ事をしてもうた、と一瞬焦った。だが、ニコニコ見守っている子供たちと母親の笑顔に嘘偽りがないのを確認し、ホッとしたものだ。
「モフ、かーわいーなぁ」
男児も嬉しそうに風牙を撫でる。風牙は目を細め、彼らの好きなようにさせた。
「あ! よくみるとまんまるくてふさふさなしっぽ!」
幼女が物珍しそうにそこに手を伸ばす。
(あんまり尻尾引っ張んなや)
と思いながらもじっとしていた。
「こら! 触るなら優しくしないと駄目だぞ!」
「うん! にいちゃん」
「そうだよ、痛いことしたらあかんよ」
「うん、おっかちゃん」
何故か憎めない子供たちに、気前の良い母親。居心地の良さを感じ初めていた。
(もう少しだけ居てやっても良いかな)
それに、幼女を見ると『お駒』が思い出された。突き放してまで強引に離れ、泣かせたくはない。それに、命を助けて貰った恩義もある。
(……しかし、あの人柱と半妖、この先なんだか危うい感じがしたしのぅ。人柱の方は初めて会た時は恐ろしい程冷静な奴だと思うたもんやったが……。随分と魂が不安定やった。あれじゃぁ、妖魔や悪霊に目をつけられたら簡単に魂を乗っ取られちまう。半妖の小娘も、何やら正常な判断出来なそうな感じがしたし。こりゃ、早めに合流せんとなぁ)
と気が急くのもあった。それに、風牙には分かっていた。子供たちと一緒にいる時間が長ければ長いほど、別れが辛くなる事を。
(離れるなら、早い方がええな。この一家の記憶を操作してワイに出会わなかった事にするか、それとも……)
風牙は子供たちに甘えるようにプイプイプイと小さく鳴きながら決断を急いだ。
「……なぁ、何だかおかしな方向に行ってないか?」
例の如く、巨大な水晶玉に映し出される氷輪と琥珀の様子を見ていた炎帝は、そう言って月黄泉命を降り返った。そこに映し出された二人は、氷輪は左斜め前を、三歩ほど下がってついてくる琥珀は右斜め前を見て歩いている。誰が見ても不自然にギクシャクした二人だった。
「仕方なかろう。宿世の輪が大きく激しく回り始めているのだ。翻弄されるのは致し方あるまい。我々神や邪悪を司る闇のモノでも、この宿世に抗って打ち勝てた者は未だ皆無なのだから」
淡々と応じる月黄泉命。
「けど……」
「何度も同じ事を言わせるな。見守る事しか出来ぬと言った。それに前例が無いだけでこれから先は分から無いだろう?」
「どういう事だよ?」
「お前が先陣切ったのだろう?」
「はっ?」
「宿世を変えようと抗ったのは」
月黄泉命の言葉にハッとした様子の炎帝。そんな彼に、月黄泉は命はほんの少し口元を綻ばせる。そして言葉を続けた。
「だから、これから先の展開は我々神にも未知数なのだ。翻弄されるのは、許してやれ。それだけ激しい宿世の渦が回って来てきるのだから」
炎帝は柔らな笑みを浮かべた。
「……そうだな。勝負事は、頭に血がのぼった方が負ける、て決まってるもんな」
と照れたようにこたえた。
(……兄者、『きよら』(※①)って言う名前なのか? 宿世の女の名前……)
琥珀は、少し先を歩く氷輪の背を、虚ろな眼差しで見つめた。無意識に、右袖に隠し持っている紅い櫛を握り締めながら。
今朝方、夢にうなされる様子の氷輪に気付いた。宿の大部屋で他の客の眠りを妨げる訳にはいかないのと氷輪が心だったのとで、起き上がって琥珀に背を向けて横向きに寝ている氷輪の傍にしゃがみ込む。
『兄者、兄者?』
と、彼の背中を右手で軽く叩き、右耳に向かって囁いた。すぐに目を覚まし、ガバッと起き上がった氷輪は、恍惚な笑みを向けると右手を伸ばし、己の胸に引き寄せた。そして両手で愛おしそうに琥珀を抱き締める。咄嗟の事に虚を突かれ呆然とする琥珀の耳に響いたのは、
『……きよら……』
という見知らぬ女の名前だった。恋焦がれた女を求めるように、艶のある男の囁き声で。
『兄者!?』
助けを求めるように呼びかける琥珀の声に、漸く自分を取り戻した様子の氷輪は、
「す、すまない!」
人目も憚らず謝罪の声をあげ。サッと琥珀を解放し、弾かれたように誰もいない壁側に飛びのく氷輪の姿が目に入った。酷く狼狽している様子だ。その姿は、あたかも求めていた女では無く琥珀だったかと我に返り、激しく失望しているように見えた。
(※①…古語。1.輝くように美しい。気品があって美しい。2.華美。華やかで美しい、という意味がある)
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