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第六話

謀略・その四

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「……なんまんだーなんまんだーなんまんだー……」

 風牙は恐怖のあまり、小声かつ早口でうわ言のように念仏(?)らしきものを唱えている。

「……なんまんだーなんまんだーなんまいだー何枚だ―何枚だー何枚あげたら許してくれるだー……」

 そして唱えている内に全く異なる内容を口にしている。改めて文字に起こしてみるとふざけていうように見えるが、本人はその事にも気づかないくらい震えていた。

 ハァ―……禍津日神は盛大に溜息をついた。そっと風牙の目前に降り立つ。

「あのー、どうか落ち着いて下さい。何か勘違いされているようですが、私は宿世でもないのに勝手に災厄を起こしたりなどしませんよ。しかも個人などに起こすなどありえません、てば!」

 となだめすかすようにして話しかけた。

「……何枚だ―何枚だー何枚あげたら許してくれるだー何枚だ―何枚だー何枚あげたら許してくれるだー……」

 禍津日神の声など聞こえないようだ。相変わらず同じ姿勢でただひたすら震えあがって念仏(?)を唱え続けいる。

「ふぅー……」

 禍津日神は再び苦笑混じりの溜息をついた。

「……あのー、もしもし?」
「……何枚だ―何枚だー何枚あげたら許してくれるだー何枚だ―何枚だー何枚あげたら許してくれるだー……」
「聞こえてます? 別にあなたに危害など加えるつもりはありませんよ」
「……何枚だ―何枚だー何枚あげたら許してくれるだー何枚だ―……」
「あのー、だからですね、私もこう見えて高位の神のはしくれですから! 個人的な理由で危害など加えませんってば! ただ、あの神の捧げモノと半妖の二人に会いに行くのでしたら伝言をお願いしたいと……もしもし?」
「……何枚だ―何枚だー何枚で……」

 少しずつ苛立っていく禍津日神に次第に落ち着きを取り戻していく風牙。やがて二人は無言となった。川原を吹き抜ける風が、風牙の鋼色の毛を撫でて行く。

(……あかん、しもうた! ワイとした事が完全に自我を失ってもうた……偉く小物ぶりを発揮してもうたやないかい、意味分からん念仏になってたし。なんや? 何枚だ、て……)

 いささか気拙く思う風牙。

(せやかて、このままにしている訳にもいかんし……。先を急がなあかんし……)

 少しずつ自分を取り戻していく。だが、その間も心の声を読まれぬように保護をする事は忘れていない。まずは頭を抱えていた両手を外し、次第に頭を上げていく。白い足袋に袴と狩衣姿が目に入る。続いて白玉色の髪、真っ白い首筋、血が滴り落ちるような真っ赤な唇、そこでゾクッと寒気を感じた。更には、禍々しい程の赤い二眸……。

「えろう、失礼致しました」

 風牙は素直に謝罪した。いきなり我を失って怖がられたら、感じの良いものではないだろう、そう思った。禍津日神は再び苦笑し、静かに溜息をついた。

「……まぁ、初対面の者は多かれ少なかれ恐怖感に見舞われるみたいですから、致し方ありませんでしょう。災厄を司る神だなんて知ればねぇ。けれども、どうやら私にはあらぬ噂が立っているようですねぇ。一体どんな噂を聞いているんです?」
「あ……えーと……」

 風牙は答えに窮し、視線を左へそ反らした。

「構いませんよ、話してくれて。聞けば少しは善処出来るかもしれないですしね」
「いや、あの、でも……」
「大丈夫ですよ、その噂を聞いた者に罰を与えたりなんかしませんから」
「でも……」
「信じてください。これでも高位の類に入る神の端くれ。嘘などつきませんよ。正確には嘘はつけないように出来ています。あなたもかつて神の末席に名を連ねていた訳ですから。お分かりになるでしょう?」

 と口元を綻ばせた。唇が裂け、尚一層血が滴り落ちているように見えてゾッとしたながら、風牙は

「は、はぁ……」

 と迷いながらこたえた。





「ねぇねぇ、あの僧侶様の弟さん?」

 興味津々、瞳をキラキラさせて話しかけて来る三人の娘に、琥珀は笑顔で対応しながらも(またかよ! これで何人目だよ!)と内心で毒づいた。

「ねぇ、やっぱり奥さんとか持ったらいけないの?」
「恋人くらいならいいんじゃない?」

 琥珀と会話をしている筈の三人の娘たちは、如何にも町娘という雰囲気でお洒落で垢抜けた感じだ。琥珀を通り越して、明らかに後ろで壁に身を預けて眠っている氷輪を見ている。

「ん、まぁ兄弟子、て感じですね。勿論、破戒僧になどなる気はありませんから、その修行の一環で、旅に出ている訳でしてね。さ、もうお引き取り願えますか? 兄は今体調が優れないので、すこしでも寝かせてやりたいので」

 琥珀は冷たくそう言い切ると、追いかえすようし両手を前に着き出した。渋々引き下がる娘たち。

「何あれ? 感じ悪い」
「ね」
「礼儀作法のなってない子ね」

 等と口々に不満を言い合いながら去って言った。

(へへーん、人目も憚らず悪口を言い合う下品なお前らよりはマシだよーだ!)

 と内心で舌を出して見せた。そして氷輪の傍に戻ると、じっと彼の寝顔を見つめた。人から表情が見えぬよう、網代笠を殊更目深に被り直す。

(睫毛、長いなぁ。寝顔も美形……。今だけ、あたしのもの。いいよね? だって宿世のひとに出会ったら、もうそれ以降は彼女のものになるんだもん)

 うっとりと見つめながら、右手で懐の紅い櫛を握り締めた。

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