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第四話

神無月、神有月・中編

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 氷輪の視線は大海原を沿って、遥か遠くを見つめている様子だ。海には船が活発に行き来している。今までは父親が描いた物しか知り得なかった氷輪は初めて間近に見る船に感激していた。

(兄者……)

 琥珀は、氷輪がそのまま自分を置いて遠くへ旅立ってしまいそうな気がした。何となく、氷輪の視線の先に天女のような美しい女性が手招きしているような気がした。それが先読みのいうところの『宿世のひと』かと、突如として言い知れぬ寂しさが胸の奥から突き上げる。

「行かないでっ!」

 自然にそう懇願する女子の声が流れ、気付いたら夢中で氷輪の背に抱きついていた。

「……琥珀?」 

 氷輪は留めるようにして抱きついて来た琥珀に虚を突かれ、探るようにして見やる。

(震えて……いるのか?)

 自らの背中に感じる、微かに震える体。グッと抱き締めて安心させてやりたい衝動に駆られる。けれども理性の力でその激情に歯止めをかけ、右手を後ろに回してポンポン、と軽く琥珀の背中を叩いた。

「どうした? 何を心配している? 私がお前を置いて何処へも行くというのだ?」

 と優しく問いかけた。

 琥珀は氷輪に優しく背中を叩かれる毎に、少しずつ不安が消えていくを感じていた。そして彼の優しい声が心地良く耳に響くと不安は消え、心地良い安心感に包まれるのだった。

「……兄者……」

 甘えたように呼び、そして氷輪の背中に額を擦りつける。

(女の子だし、精一杯頑張って男子のふりをして生きているのだ。たまにはこうして無防備になる事も必要だろう)

 氷輪はそう判断し、しばらくそのまま動かずにいた。

ザブーン、ザー、と規則正しい波の音が二人に安らぎを与える。やがて、琥珀の耳には浜辺を行きかう行商人を始めとした人々の足音も響いてきた。一気に我に返る。同時に文字通りボッと顔から火が出る思いがした。

「う、うわっ! す、すまねー! 兄者!」

 大慌てでサッと後方にのけぞるようにして氷輪から離れた。唐突な琥珀の変わり身に、心の臓が躍り上がる氷輪。そして二人だけの束の間の時が終わってしまった事をちょっぴり残念に感じた。

「いや、あの……その、なんだ……」

 琥珀はどもりながら必死で言い訳を考える。

「ほら、えーと。そうそう!」
 
 瞬時に閃いた。

「ここの海ってな、海女の妖が出るんだと。波間を見つめてるとな、海に引きずりこんで死へと誘う。物凄い美女がな、男を海へ誘い込むんだとさ」
「ほほぅ、私がその妖に魅入られたかもしれぬ、と?」


 氷輪は咄嗟に誤魔化す琥珀に、少々意地悪な気持ちが起こった。

「あ、うん。だって男は殆ど例外なく引きこまれるっていうし。ほ、ほら! 周り歩いている男どもは誰も海に目をくれないだろ?」

 必死な様子の琥珀。真っ赤になっているところが可愛らしいと思う。

「お前も男ではないか」

 氷輪は悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。

「あ! あー、あのほら、元服迎えた男限定なんだよ、うん」
「はっはっは。なるほど、そうか。さて、先を急ぐぞ。今日中に尾張の国へ行っておきたい」

 琥珀は軽くあしらうようにして流すと、スタスタと歩き出した。

「あ、え……?」

 呆気に取られて見守る琥珀。

「あ、あー!」

 揶揄われたのだと漸く悟った琥珀は、慌てて彼の後を追った。

「待てよー、兄者ーーーー!」






「姫、それはなりませんぞ。自らが宿世の相手を出向くなぞ!」

 黒の束帯装束に身を包んだ精悍な顔立ちの男が、毅然とした態度で言った。

「いいえ、来月の神無月を待てば、魑魅魍魎や妖魔ども、邪神が活発になります!」

 竜胆の襲に身を包んだ美しい姫君はきっぱりとそう答え、キッと男を見据えた。

 


 
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