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第六話
その愛は仮初につき……
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エリアスは執務室のデスクで写真を眺めていた。その金色の双眸に映し出されるのは、淡雪のように儚げで。触れたら溶けて消えてしまいそうな美女、アラベラ・スターシャ・アイビー……彼の『魂の番』、その人だ。
Ωは男女を問わず、華奢で儚げな容姿を持つものが多い。けれども、その外見にそぐわず心身共に健康で打たれ強い傾向が高いという。未だにその原因は解明されていないが、より強くて優秀な子孫を残す為パートナーとなった者の庇護欲をそそり、モチベーションをアップ、仕事等をやる気にさせる為だとされる説が有力だ。
エリアスの犬科の猛獣を思わせる野性的で鋭利な美形とはビジュアル的にもお似合いだ、とフォルティーネは素直に思った。
(悔しいけどお似合いね。もの凄く腹が立つけど、嫉妬から苦し紛れに言う負け惜しみはみっともないし。それにしても……)
フォルティーネはまじまじとエリアスを見つめた、というよりも見上げたと言うべきだろう。彼は愛しい『魂の番』の写真を見ている筈なのに、金色の双眸は冷たい光を湛えている。冷淡と言って良いほどの面持ちだ。
「やっぱり、思い出さないどころか何も感じないみたいね?」
(いくら記憶喪失と言っても、魂で惹き合う運命の女な訳だし、何かしら魅力やら時めきやら感じそうなものだけどなぁ……)
内心ではそう思いながらも、現実的な話題をふる。
「あぁ、本当に。何の感情も湧かないなぁ。本当に『魂の番』とやらなら、写真を見ただけで何か本能で惹かれるものがありそうなもんだが……」
と彼は溜息混じりに写真を机の上に放った。
「あらあら、私が感じた事と同じ事を思ってるのねぇ。私からしたら、『本当かしら?』とか疑ってしまうところだけど……」
フォルティーネは少し皮肉を言ってみる。彼を見上げ、(鼻孔まで形が良くて綺麗って凄いわね)等とぼんやりと思いつつ。背中に彼の鼓動を聞き、逞しい腕に包み込まれているとどうしても甘えてしまう。習慣とは恐ろしいものだと改めて感じた。
と言うのも、フォルティーネは今エリアスの膝の上に腰を下ろしていたのだ。彼に背後からすっぽりと抱き締められているこの態勢で、どんなに憎まれ口を叩いても説得力は皆無だ、ひとえにそれは甘え以外なにものでもないだろう。
「相変わらず甘くて美味しそうな香だな、食欲をそそる……」
エリアスはその腕に少しだけ力を籠め、フォルティーネの耳元で囁くように言うと愛おしそうにそのシャンパン色の髪にそっと口づけを落とした。彼に全てを守られている安心感、まるで自分がヒロインのお姫様になったようなふわふわとした夢心地になる。
「ヘリオトロープはバニラに似た香がしますものね。……エリアス、駄目ですわよ。誤魔化されません」
いつも……彼が『魂の番』に出会う前だったならば、このまま恋人同士のじゃれ合いへと流れて行っただろう。とは言っても、異性に対しては堅物で潔癖と評されるほど高潔な彼とフォルティーネの二人は、睦み合うと言っても文字通りライトキス止まりだ。本格的に唇と体を許すのは結婚初夜と決めていた。
ともすると、流されてしまいそうになる甘やかな情感を、フォルティーネ必死に意思の力で引き止めた。
「頼む、それだけはどうか!」
エリアスは幼子がイヤイヤをするように身を縮め、フォルティーネの肩に額を擦り付けた。
「……あなたはきっと、番様に再会したらまた彼女の元へ行ってしまうわ。あの時みたいに、行方知れずになってしまったら、私はもう身動きが取れない。二度と帰って来ないあなたを待つなんて嫌なの」
(彼が好きだ、どうしようもなく。もしこのまま番様と再会しなければ……彼が記憶を取り戻さなければ……彼の妻としてずっといられるのではないか)
そう感じてしまう。だが、心を鬼にして婚約解消の用紙を差し出した。先ずはここにサインをして貰って。それから彼の喪われた記憶と空白の時間に何があったのか? 番は何処にいるのかを突き止める算段を立てるのだ。
「後生だ! どうか、もし『番』に再会しても絶対に流されない! だから……」
「本当にそう言える? あなたは今、何等かの理由で番様に出会った事全てを忘れているだけ。だから、出会ったその時の激情を知らないから言えるのよ。もう、あんな惨めな想いは嫌! ねぇ? あなたに分かる? 二人で積み重ねて来た愛情も、宿命の前にはゴミ屑のように打ち捨てられ忘れ去られてしまうのよ? それも一瞬にして……」
胸の奥がツーンと痛くなる。やがてその痛みは喉へと移動し、目が霞む。頬に涙が伝い落ちる。これまで誰にも見せて来なかった感情の発露。否、精一杯虚勢を張っていた堤防が崩れ落ちたのだ。
「ごめん! 本当にごめんな……」
エリアスは膝の上の彼女を抱え上げ、横座りにさせると包み込むようにしてフォルティーネを抱き締めた。彼の温かい腕に包み込まれ、彼の鼓動を感じながら堪え切れスずに嗚咽を漏らした。
(今だけ、彼が全てを忘れている今だけはこのままで……この愛は仮初だとしても……今だけは……)
フォルティーネはありのままの感情に任せ、彼の胸で泣き続けた。
Ωは男女を問わず、華奢で儚げな容姿を持つものが多い。けれども、その外見にそぐわず心身共に健康で打たれ強い傾向が高いという。未だにその原因は解明されていないが、より強くて優秀な子孫を残す為パートナーとなった者の庇護欲をそそり、モチベーションをアップ、仕事等をやる気にさせる為だとされる説が有力だ。
エリアスの犬科の猛獣を思わせる野性的で鋭利な美形とはビジュアル的にもお似合いだ、とフォルティーネは素直に思った。
(悔しいけどお似合いね。もの凄く腹が立つけど、嫉妬から苦し紛れに言う負け惜しみはみっともないし。それにしても……)
フォルティーネはまじまじとエリアスを見つめた、というよりも見上げたと言うべきだろう。彼は愛しい『魂の番』の写真を見ている筈なのに、金色の双眸は冷たい光を湛えている。冷淡と言って良いほどの面持ちだ。
「やっぱり、思い出さないどころか何も感じないみたいね?」
(いくら記憶喪失と言っても、魂で惹き合う運命の女な訳だし、何かしら魅力やら時めきやら感じそうなものだけどなぁ……)
内心ではそう思いながらも、現実的な話題をふる。
「あぁ、本当に。何の感情も湧かないなぁ。本当に『魂の番』とやらなら、写真を見ただけで何か本能で惹かれるものがありそうなもんだが……」
と彼は溜息混じりに写真を机の上に放った。
「あらあら、私が感じた事と同じ事を思ってるのねぇ。私からしたら、『本当かしら?』とか疑ってしまうところだけど……」
フォルティーネは少し皮肉を言ってみる。彼を見上げ、(鼻孔まで形が良くて綺麗って凄いわね)等とぼんやりと思いつつ。背中に彼の鼓動を聞き、逞しい腕に包み込まれているとどうしても甘えてしまう。習慣とは恐ろしいものだと改めて感じた。
と言うのも、フォルティーネは今エリアスの膝の上に腰を下ろしていたのだ。彼に背後からすっぽりと抱き締められているこの態勢で、どんなに憎まれ口を叩いても説得力は皆無だ、ひとえにそれは甘え以外なにものでもないだろう。
「相変わらず甘くて美味しそうな香だな、食欲をそそる……」
エリアスはその腕に少しだけ力を籠め、フォルティーネの耳元で囁くように言うと愛おしそうにそのシャンパン色の髪にそっと口づけを落とした。彼に全てを守られている安心感、まるで自分がヒロインのお姫様になったようなふわふわとした夢心地になる。
「ヘリオトロープはバニラに似た香がしますものね。……エリアス、駄目ですわよ。誤魔化されません」
いつも……彼が『魂の番』に出会う前だったならば、このまま恋人同士のじゃれ合いへと流れて行っただろう。とは言っても、異性に対しては堅物で潔癖と評されるほど高潔な彼とフォルティーネの二人は、睦み合うと言っても文字通りライトキス止まりだ。本格的に唇と体を許すのは結婚初夜と決めていた。
ともすると、流されてしまいそうになる甘やかな情感を、フォルティーネ必死に意思の力で引き止めた。
「頼む、それだけはどうか!」
エリアスは幼子がイヤイヤをするように身を縮め、フォルティーネの肩に額を擦り付けた。
「……あなたはきっと、番様に再会したらまた彼女の元へ行ってしまうわ。あの時みたいに、行方知れずになってしまったら、私はもう身動きが取れない。二度と帰って来ないあなたを待つなんて嫌なの」
(彼が好きだ、どうしようもなく。もしこのまま番様と再会しなければ……彼が記憶を取り戻さなければ……彼の妻としてずっといられるのではないか)
そう感じてしまう。だが、心を鬼にして婚約解消の用紙を差し出した。先ずはここにサインをして貰って。それから彼の喪われた記憶と空白の時間に何があったのか? 番は何処にいるのかを突き止める算段を立てるのだ。
「後生だ! どうか、もし『番』に再会しても絶対に流されない! だから……」
「本当にそう言える? あなたは今、何等かの理由で番様に出会った事全てを忘れているだけ。だから、出会ったその時の激情を知らないから言えるのよ。もう、あんな惨めな想いは嫌! ねぇ? あなたに分かる? 二人で積み重ねて来た愛情も、宿命の前にはゴミ屑のように打ち捨てられ忘れ去られてしまうのよ? それも一瞬にして……」
胸の奥がツーンと痛くなる。やがてその痛みは喉へと移動し、目が霞む。頬に涙が伝い落ちる。これまで誰にも見せて来なかった感情の発露。否、精一杯虚勢を張っていた堤防が崩れ落ちたのだ。
「ごめん! 本当にごめんな……」
エリアスは膝の上の彼女を抱え上げ、横座りにさせると包み込むようにしてフォルティーネを抱き締めた。彼の温かい腕に包み込まれ、彼の鼓動を感じながら堪え切れスずに嗚咽を漏らした。
(今だけ、彼が全てを忘れている今だけはこのままで……この愛は仮初だとしても……今だけは……)
フォルティーネはありのままの感情に任せ、彼の胸で泣き続けた。
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