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145.

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 その日は3月最後の日で。春休みだったこともあり、夕食が終わってから円の求めに応じて抱き合った。
 それ自体はたぶん問題はない。けれど、円はなんだか不満顔だった。


「……どうかしたか?」
「結局、瞳の誕生日が分からないままだな、と思って」
「うん?」
「だってもう今日で3月終わるよ? 見てても分からなかったよ」
「……今日って、31日だったか」
「ん? もう日付け変わるけど、そうだよ?」


 円の言葉に、瞳は慌てたようにシャツを羽織り、ベッドから降りようとする。


「悪い、今日は部屋に戻る。何があっても……」


 何があっても入ってくるな、そう、続けようとした言葉は声にならなかった。
 カチリ、と時計の針が頂点で全てが重なった瞬間に、ソレ、、は襲ってきた。


「う……ぁ……っ!」


 ぶわり、と瞳の内側から溢れる大きな『力』が、身体の内で荒れ狂う。
 思わず声をもらしてガタリ、と膝から崩れ落ちれば、円が慌てて抱き起こそうとする。


「触るなっ!」


 気力を振り絞って、瞳は叫んだ。
 両手で己の身体を抱くようにしてギリ、と爪を立てる。そうでもしないと正気を保っていられない。身体の中で暴走しそうになる『力』の大きさに、めまいさえする。
 聞いてない。誕生日、、、に封印が解けるとは知っていたが、日付けが変わった途端だなんて。


「瞳……? もしかして」
「今のオレは……、円に何をするか、分からない……。だから、さわるな……」


 荒れ狂う『力』を、どう制御したらいいのか分からない。だから触ってくれるな、と言うのに。
 それでも円は、今にも床に倒れそうになっている瞳に腕を伸ばしてベッドに引き上げる。


「ぐ……っくぅ……」


 びくり、と引き攣るように震える瞳の身体に、円はそれ以上は触れられない。円の方こそ何をするか分からない。
 瞳の両親が遺したノートに記されていた。
 瞳の『力』の半分は、封印されている、と。望んだことではないにしろ、結果的に現代においては誰よりも『狐』の血が濃い瞳は、何世代もそして時代さえも超えた『先祖返り』だった。瞳が産まれた瞬間にそれを悟った両親によって、17歳の誕生日まで、という期限をつけた上で『狐』の能力を封印されていたのだ。


「ぅ……っ」
「瞳っ」
「さわ、るな……」


 触れようとする円を、必死の思いで制止する。
 瞳はなにより、自分の『力』が円を傷付けることを恐れていた。


(落ち着け……。コレはオレの、、、ちからだ……。押さえつけるんじゃない……馴染ませろ……)


 瞳は胎児のように丸くなって暴走をこらえる。爪を立てた皮膚はうっすらと血が滲んでいた。けれど、痛みなど少しも感じられない。


「……っ、くっそ……」


 ままならない己の身体に、悪態をつく。一気に馴染ませるのは無理だと悟り、少しずつ、時間をかけて身体に『力』を馴染ませる。暴れて出口を求める『力』を宥め、自分のものにしていく作業は、精神力も体力も必要とした。身体中に滲んだ汗が流れ落ちる。


「ふ……っう」


 ぶるりと震える身体に、円が手を伸ばしかけて止める。瞳の集中を途絶えさせることはできない。円はただ見守ることしか出来ず、瞳はそんな彼に気付かないほどに意識を内側へと向けていた。
 瞳は少しずつ『狐の力』を馴染ませ、使い方を理解していった。『狐』が教えてくれる。少しずつ、少しずつ。丁寧に。
 いっそ気を失えた方が楽だと思えるほどに、気が遠くなる時間をかけて苦痛に耐えながら『力』を馴染ませていく。
 その行為は、空が白白と明るくなるまで続けられた。終わった瞬間に、一瞬だけ気を失ったかもしれない。
 汗でびっしょりになった顔に黒髪が張り付く。うっすらと目を開け、ずっと見守ってくれていた男の名を呼んだ。


「まどか……」


 ゆるく手を持ち上げて差し伸べれば、しっかりと握られる。


「瞳……っ」
「おわった、よ……。ありがと……」
「瞳……、その目……」
「え……?」


 何を言われているのか、瞳には理解できない。目、が。どうかしたのだろうか?
 そう思っていると、円はゆっくりと瞳を抱き上げて浴室に向かう。脱衣所にある鏡で確認すれば、瞳の右目は、綺麗な白銀に染まっていた。


「うわぁ……。これは見事なオッドアイ……」


 思わず感嘆の声がもれてしまったが、これは紛れもなく自身に起こった変化である。さて、どうしよう。そう瞳が考えていると、円がとりあえず風呂で汗を流すことを提案し、瞳も頷いた。


「瞳、お風呂出たら少しでもいいから寝て」
「いや。ここまできたら、むしろ寝るとリズムが狂うだろ。円こそ寝ろよ。お前、オレに付き合って一睡もしてないだろ」
「それこそ同じ理由で却下」


 瞳は円に全身を洗われシャワーで流される。すると、背中を円の手が、つつ、と撫でた。


「おい……」
「いや。身体はそのままなんだな、って」
「見た目はたぶん、このだけだろうな。霊力は……試してみないと分からないな」


 ざぶり、と浴槽に入り、円に後ろから抱きかかえるようにされながら瞳は頭を円の肩にコトリと預けた。


「コレは……どうごまかすかなぁ……」
「ねえ、カラーコンタクトにしたら?」
「ん?」
「今はいろんな色が出てるし、ブラウン系とかダーク系もあったはずだよ」
「そうなのか……」
「さすがに手入れは大変だろうけど……」
「人間のオッドアイは……まあかなり珍しいからな。視線を集めるくらいなら、手入れくらい我慢するよ……」
「処方箋は必要になると思うけどね」
「まあ、そうだろうな。小田切さんに頼むとするか……」


 普通に眼科に行ってもいいのだが、いろいろとめんどうだ。さっそく今日のうちに小田切の所へ行くことにした。


「円。とりあえず、朝食を頼めるか?」
「もちろん」


 瞳が言えば、円はにこりと笑って頷いた。
 善は急げという。朝食が終わってから小田切に午前中のうちに向かうことを連絡すれば、急遽、午前中だけ休診にして往診に来てくれるということになった。
 円が迎えに出て、瞳は大人しく部屋で待てば、しばらくして小田切を連れた円が帰ってくる。


「おはようございます。忙しいのにすみません」
「いや、町医者の方はじーさんばーさん相手がほとんどだからな。大丈夫だ。それより、診せてみろ」
「あ、はい」


 言われるまま、瞳は小田切へと顔を向ける。


「ちょっと触るぞ。上見ろ……うん、次は下。視力は?」
「問題ありません」
「そうか」


 拡大鏡のようなものを着けながら瞳の目を見ていた小田切は、器具を外してため息をつく。


「目の色以外には問題なさそうだな。しかし、ここまで変わると人目も引くな。それで、コンタクトだったか?」
「はい、できれば……」
「直接目に入れるものだからな。簡単には処方箋も出せない。信用できる店に段取りをつけておくから、最初はそこから買うようにしてくれ」
「わかりました。すみません、お手数をおかけします」
「助手。今週は休みでいい。付き添ってやれ」
「あ、はい!」
「あとでまた連絡する」


 テキパキと指示を出し、念の為にと眼帯を置いて、じゃあな、と言って小田切はあっという間に去っていく。
 それを見送って、瞳は大きく吐息した。


「瞳?」
「いや。小田切さんだし大丈夫だって分かってるけど、さすがに目の前に顔が来るのは……ちょっとこわい……」
「ああ、そうか」


 単なる診察だけれど、やはり間近に来るとなると緊張するのだ。円は正面から瞳を抱きしめると、背中を撫でてくれる。


「大丈夫だよ」
「うん……」


 強ばった瞳の身体から、少し力が抜けたような気がした。
 小田切から連絡があったのは、その日の午後だった。円のスマホに、位置情報の共有と共に時間の指定だけが送られてきた。


「あ、これすぐ近くだ。って、今日の夜に行けって?」
「ああ、夜の方が目立たず行けるからかな……」
「そっか、そういうことか」
「まあ、眼帯もらったからコレで行く時はなんとかなるけど……」
「でも眼帯だと平衡感覚へいこうかんかくおかしくなるよね? 手を繋いであげるね」
「……え?」
「とりあえず、なにか軽く食べて行こうね」
「あ……ハイ」


 有無を言わさない様子の円に押し切られ、夕方に軽い食事を済ませて眼帯をした瞳は、円に手を握られて家を出ることになったのだった。
 片目を塞がれるというのは本当に不便だな、というのが瞳の感想である。平衡感覚どころか距離感もあやしい。普通に歩くこともままならなくて、結果、円に手を繋いで、更にゆっくり歩いてもらえたことに感謝するしかなかった。
 目的の店にたどり着き小田切の名前を出せば、すぐに紹介の人ですね、と言われて奥に通された。そこにいたのは初老の男性だった。


「小田切から聞いています。さっそく検査に入りますが、よろしいですか?」
「あ……はい」
「では、こちらへ」
「お願いします」


 瞳から見える範囲に円がいることを確認し、瞳はいろいろな機材が並ぶ中で検査を受けた。
 検査が終われば、今度はコンタクトレンズの試着だった。


「視力の矯正は要らないのでしたね」
「はい、大丈夫です」
「片眼のみにしますか? 両眼とも入れますか?」
「あ、ええと。両眼ともお願いします」
「わかりました。さて、肝心の色ですが……」
「普通に日本人に見える色でお願いします」
「そうですか。ではこれがオススメです」


 くすり、と笑われたような気がした。見ればいつの間にか円がそこにいる。
 コンタクトレンズのつけ方、外し方、洗浄の仕方などを教えてもらい、実際に試してみる。ソフトレンズなので、特別な違和感はない。鏡越しに、円が見ているのが分かって振り向いた。


「どう?」


 問えば、円は近付いてきて間近でじっくり見ると、頷いた。


「うん、大丈夫だと思う」
「じゃあ、これにします」
「オススメしたものが1日使い捨てしかないのですが大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「では、何ヶ月分のご用意をしましょう」
「ええと……」
「最初はせめて3ヶ月くらいで様子を見てください」
「じゃあ、3ヶ月分お願いします」
「かしこまりました。ご用意しますので、そのままお待ちください」
「はい」


 瞳が頷けば、男性は店の方へと出ていった。するとやはり、この場所、、、、がいわゆる特別な場所で特定の人物しか入れないのだろうか、などと考えてみる。


「瞳、大丈夫?」
「ああ、うん。今はなんとか。でも、帰ったら……ちょっと」
「わかった」


 暗に抱きしめてほしいと瞳が告げれば、円はすぐに頷いた。
 やがて男性が戻って来ると、手には店のものらしき紙袋があった。片眼1ヶ月分で1箱。計6箱だと説明され、会計は店の方で頼むと言われる。それから、カルテも準備しておくけれど、くれぐれも買いに来る時はコンタクトをした状態で来るようにと念押しされた。
 聞けば、小田切とは『闇医者』繋がりなのだということだった。なるほど、それで信用できる店、、、、、、ということか、と瞳と円は納得した。
 それから改めて礼を言って店で会計を済ませ、家に戻った。
 瞳が部屋に荷物を置いてリビングへ行けば、円はキッチンでコーヒーを淹れていた。瞳はそんな円のそばに行き、後ろから抱きつく。


「瞳。待って、待って」


 円が瞳の腕を引き剥がすと、くるりと向き直って正面から瞳を抱きしめた。


「がんばったね……」
「……うん」


 瞳は円の腕の中で深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けている。


「……ネロとピノと遊ぶ?」
「大丈夫かな……」
「ん?」
「オレ、たぶん気配が変わったから……」
「そう?」
「だって『狐』だぞ?」
「それでも、たぶん大丈夫だと思うけど……」
「そうだといいけど……」


 そろり、と瞳が猫部屋に近付く。中に入れば、ネロとピノが一瞬だけ固まり、瞳を見て近寄ってくる。
 瞳がおそるおそる手を出せば、ネロもピノもそのにおいを嗅いで、スリスリと嬉しそうに擦り寄ってくる。


「あ……」


 瞳はその二匹の様子におさえきれない嬉しさを満面の笑みに乗せて円を見上げる。その瞳が可愛くて、円は瞳を再び抱きしめた。
 それから二人と二匹でさんざん遊び、疲れ果てて眠る二匹を見ながら笑って。瞳と円も風呂に入り、徹夜明けの二人もそのままぐっすりと眠ったのだった。
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