115 / 186
111.
しおりを挟む
学校行事である体育祭を休み、文化祭の準備をのらりくらりと躱していた瞳であるが、2日前となる今日から風邪という名目で欠席し始めた。学校では「身体が弱い」という設定の瞳である。体育はいつも見学だし何かと体調を崩して休みがちなので、誰も不審には思っていないらしい。
円はといえば、執事服はさすがのモテ男、女子たちが率先して採寸して準備をしてくれていたのでそちらは問題ない。
問題があるとすれば。
「なーんで『仕事』でもないのに学校休むんだよ?」
「当日だけ休んでたら不自然だろ?」
「それはそうだけどさぁ」
律の事務所で不満顔の円である。
そうなのだ。瞳は風邪でもなければ『仕事』でもない。いたって健康、暇を持て余して律の事務所で読書などしている。
それが、円は不満で仕方がないのだ。
「円の執事姿はこっそり見に行ってやるよ」
「えー、一緒に回りたかったのにー」
「まあそれは無理だろうなぁ」
「準備の方はもうよろしいのですか?」
「ああ、うん。執事喫茶って言ってもただ執事の格好するだけだし、普通の喫茶店とそんなに変わらないんだよ。メニューも文化祭じゃ大したもの出せないから当日に女子たちが準備してくれる」
「円が作るお菓子の方が美味しいと思うわ……」
「それは同感です」
試食すらしていないのに、律と美作のこの酷評。女子たちが聞いたら怒るだろう。
「まあ、俺は料理できないことになってるし」
「え?」
円の『料理できない設定』に驚いた声を上げたのは瞳だ。
「ん?」
「だって、いつも弁当……」
毎日欠かさず弁当を作り、瞳と昼休みに屋上で食べることを日課としている円が『料理できない設定』であることに驚いたのだが、その事実に更に律と美作が驚いた声を上げる。
「え? 円お弁当作ってるの?」
「今まで購買で済ませていた円さまがですか?」
「あれ?」
どうにも瞳と律たちとの認識がズレる。
どういうことだ、と円に瞳が視線で問えば。
「あーもう! だってそうでもしなきゃ学校で一緒にいる口実なくなるじゃん!」
「は……」
ぽかんとしてしまったのは瞳だけではなかった。けれど、真っ先に我に返ったのは律だった。
「なんというか、意外ではないけれど予想以上ね」
「わたしはなんというか、複雑な心境ですよ」
くすくすと笑う律に、美作が同意なのか頷きながらも言葉の通り複雑な表情をしている。
もはや突っ込むことを諦めた瞳はため息をつくしかない。実はこっそりと円の執事姿を楽しみにしているなんて、口が裂けても言えないな、と思ったのであった。
そんなふうにして迎えた文化祭当日。
いつもより少し早めにバタバタと出かけていく円をのんびりと見送った瞳は、さて、と呟いて立ち上がると、今日くらいはやらせろということでそのままにしておいた朝食の食器を洗い始める。
最近はことあるごとに家事を引き受けてしまう円にも困ったものだが、流されて任せてしまう瞳にも問題がある。
洗い物を済ませて洗濯機を回している間に軽く掃除をする。円が来る前はそれがいつもの生活だった。それなのに、何か新鮮な感じがするのはなぜだろう。
それから、着替える前にいつもの癖でシャワーを浴びてしまって苦笑する。今日の瞳は『仕事』仕様の上に淡い色のサングラスという、下手をしたら『その筋』の人かと疑われそうな出で立ちである。
準備を済ませて美作へとメッセージを送れば、すぐに返信があった。あちらも準備は整ったようだ。
瞳はスマホと財布だけをポケットに入れて律たちのマンションに向かう。
二人はエントランスまで迎えに出ていた。
「すみません、お待たせしました」
慌てて小走りになれば、律が面白いものを見た、というように瞳をまじまじと眺める。
「今日はいつもよりワイルドね?」
「あー、サングラスのせいですかね?」
「これは年齢不詳ですねぇ」
「その方がいいですよね。というか、律さんは本当にいいんですか?」
「私まで行ったら混乱するわ。二人で楽しんできて」
そんな会話を交わしながら、三人は誰とはなしに移動を始める。エレベーターに乗って、地下駐車場へ。
美作が運転する車はまず西園寺邸へ向かった。
門の前で停車すれば、律はここまででいいと言う。
「では、念の為に太陰を置いていきます」
「ありがとう」
舞とのお茶会だろうから、やはり太陰が適任だろう。
律と太陰を迎えに出た使用人に任せ、時間を確認すればちょうど文化祭が始まる頃だった。
「いい頃合いですね」
「ですね。確か円のシフトは前半だったはずなので」
「今日は誰を護衛になさるんです?」
「え、美作さんがいるから大丈夫じゃないですか?」
「いえ、どなたかお願いします」
「うーん、じゃあ。白虎」
瞳たちの高校の文化祭は一般に公開される。
そんな中で完全に浮くことが分かっているから、敢えての白虎だった。白虎は特に体術に長ける。不審者がいた場合には、今日はその方が都合が良いのである。
自家用車での来校は避けるようにとの通達があったので、近くのコインパーキングに駐車して学校を目指す。
いつもの『仕事』とは違う雰囲気に、白虎はワクワクと楽しそうである。
「主、マドカは?」
「これからその円に会いに行くぞ。たぶん、ちょっと面白いことになってる」
瞳の言葉に、美作は笑う。たぶん面白いことになっているし、瞳が姿を見せれば更に面白いことになるだろう。
文化祭が開幕して、少し時間が経っている。人の入りは上々のようだ。瞳は迷いなく自分たちのクラスの方へと足を向ける。
周囲から遠巻きに奇異の目で見られるけれど、そんなことはどうでもいい。
美作によれば、奇異の目のみならずうっとりとしたような視線も感じられたので瞳さまの美貌は隠しきれるものではありません、ということだったけれどまあ大丈夫だろう。
教室の近くでは、クラスの女子がチラシのようなものを配っていた。こちらを見てギョッとするのが分かる。
チラシには、執事役の男子生徒の集合写真。やはりというか、真ん中には円の姿。
「執事を西園寺円で指名したいんだけど」
いつもと少し違う声色で瞳がニコリと笑って言えば、女子生徒は、少々お待ちくださいと叫ぶようにして教室に戻って行った。
「逃げられた……」
「そりゃ今の主、ヤクザだもん」
「失礼だな……」
そんなやり取りをしていれば、慌てた円が教室から出てきて、目を見開き、ガックリと脱力した。
「ごめん。アレ俺の身内。悪いけど席つくってもらえる?」
「え……。あ、うん」
近くの女子に言い置いて、円がこちらへ歩いてくるから、周りの視線も更に集まる。
円はそんな外野や美作、白虎には目もくれずに瞳の腰に手を回す。
「どこが! こっそりなんだよ!」
「えー? だってただの『仕事着』じゃね?」
「屁理屈いうな……。まあいいけど。こっち。美作と白虎も」
ああ良かったちゃんと認識されてた、というのは美作と白虎の共通の心の声だろう。
腰に手を回してエスコートするのは、『執事』というより『彼氏』では? というのも美作の心の声であるが、それをどちらでもいいものだとしてしまうオーラが二人にはある。それにしても白虎も何も言わないのだな、と美作がチラリと見やれば当の白虎とバチリと目が合った。
「なぁ。マドカっていつもあんな感じ?」
「あんな、とは……」
「主の扱い」
「ああ。そうですね、概ねいつも通りです」
「そっか」
なるほどねー、となにやら納得している白虎だったが、美作にはよく分からなかった。
円は完全に『彼氏』のそれで瞳をエスコートし、用意された席に案内する。美作と白虎はただ後ろをついて行くだけだ。
教室内にはテーブル席のようにいくつかの席が用意されており、ご想像のとおり、ほぼ女性で埋まっていた。瞳たちは少しどころかかなり浮いた存在だった。
円はコホンと咳払いすると、スッと腰を折る。
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま、旦那さま」
「おぉ……」
シナリオ通りのセリフを言った後で、円は声を潜める。
「ていうか、家で飲む紅茶のが美味しいんだけど」
「とりあえず鑑賞に来た」
裏の話をしてしまえば、衛生上の理由から、焼き菓子くらいしか作れないし、飲み物はペットボトルのものをグラスに移しただけだ。けれど、円はそうだ、と思い出す。
「ちょっと待ってて」
一度裏方に戻って、またすぐに戻ってきた円はなにやら小さな包みを持っていた。
「今朝ちょっと試作させてもらったパウンドケーキなんだけど、良かったら食べて」
ラップに包んでリボンで留めたパウンドケーキが三切れ。
「白虎も、食べる分には食べられるんだろ?」
たしか、前に瞳が言っていた。食べられるけれど、血にも肉にもならない、と。
この状況で、白虎だけ食べないのはおかしいと思われるから念の為に持ってきたのだ。
「円が作ったのか?」
「そうだけど」
「じゃあいただきます。白虎も食べていいぞ」
「やった! マドカ、ありがとう」
美作も、では遠慮なくいただきます、と言って口に運ぶと師匠の顔になる。円の料理の師匠なのだから仕方がない。
瞳も包みを開いてひと口頬張る。しっとりとしたパウンドケーキ。ほんのりと口に広がるのは、紅茶の風味。
「紅茶?」
「うん。どうかな?」
「これでも美味しいけど、もう少し紅茶強めでもいいかも」
「なるほど」
「あと一歩といったところですね」
「美作はやっぱり厳しいな」
あははと笑った所で、廊下の方が騒がしくなった。
ザワザワとした中から時折悲鳴まで聞こえる上に、声がどんどん近くなってくる。
「白虎。見てこい」
「御意」
白虎が立ち上がり、教室を出ようとした瞬間だった。
いかにもガラの悪そうな、それでいて弱そうな、集団でしか何も出来なさそうな連中が入ってくる。
『白虎、止まれ』
『はい』
(六人……)
ざっと確認した瞳は、いつでも飛び出せる体勢だけれど、それを周りには悟らせない。
下手に手を出せば教室内の誰かに怪我を負わせてしまうかもしれない。そもそも何者だ。
「あー、いたいた。西園寺」
「あー……」
闖入者の言葉と、天を仰ぐ円。
「……知り合い?」
「去年の卒業生。俺の顔が気に入らないらしいんだよねぇ……」
「へぇ……」
「どっかの組に入ったとか聞いてたけど……カタギに手を出すのはどうなの?」
「そりゃあもちろん」
「だよねぇ?」
言っているそばから近付いてくる『卒業生』とやらは円しか見ておらず、なにかごちゃごちゃと言ってくるけれど語彙力が無さすぎてもはや瞳の理解を超えている。いかにも、下っ端のチンピラ、といった感じである。
そういえば、ちょうど白虎にも『ヤクザだ』と言われた見た目だ。ここはちょっと痛い目を見せてやらねばなるまい。この様子だと、一般に開放される行事ごとに乗り込んで来そうだ。
出る杭は打たれることを教えてやらねば。
瞳は、静かに、けれどしっかりと気配に殺気を滲ませてカタリ、と立ち上がる。それだけで存在感がある。
「……で? お前らは何がしたい?」
円が慌てて何かごまかそうとするのを制し、黙ってろ、と視線に乗せる。
シンと静まり返った室内。廊下からも様子を見ている生徒たちがいる。
「顔が気に入らないって理由で暴力沙汰に出来るんなら、こっちもテメェら全員の顔が気に入らねぇな!」
滲ませていただけの殺気を、今度は六人に向けてビリビリと圧力を感じるほどに放つ。
ぞくり、と。近くにいる美作にも伝わった程だ。向けられた本人たちはたまらないだろう。かわいそうとは思わないけれど、その場にへたり込む姿はいっそ憐憫を誘う。
「西園寺はオレの恩人だ。何かしたらタダではおかない。まずはこの場の落とし前キッチリつけてもらおうか。おい、全員連れてけ」
「はい」
白虎は片手に三人ずつ大の大人の襟首を掴んで引きずっていく。
「あー、すみません。この場はオレが預かりますね。皆さんあとは安心してください」
声のトーンを変えて室内室外どちらにも聞こえるように言った瞳は、円と美作だけに聞こえるように「あとは頼んだ」と言って白虎を追いかけた。
『白虎、とりあえず殺すなよ』
『まだ生きてますよ』
白虎は衆人環視の中、さすがに『跳ぶ』ことはできないのでズルズルと引きずり、どこかいい場所はないだろうかと探しながら校舎から出る。校庭の、少し人の少ない所にまとめて放れば、周囲から人が逃げていく。
「さて」
とりあえず、瞳が来るまで待機である。白虎は腕を組み監視する体勢に入った。
瞳の殺気を正面から浴びて腰が抜けるだけで済んだことを感謝した方がいい。彼が本気を出せば気迫だけで人を殺せる、と白虎は思っている。
「どんな具合だ?」
「主」
コツリ、と瞳が追い付いて来た。悠然と構える瞳の目には、怒り。この場を乱したこと、それから無自覚だろうけれど円を傷付けようとしたことに対するものだろう。
この六人と瞳とでは格が違う。ある程度の力があれば分かるだろう。それが分からないのは力が無い者だけだ。
残念な事に、六人は後者だった。
なにやら汚い言葉で罵られたような気がするが、低俗な人間の言葉をいちいち聞いてやるほど暇ではない。殴りかかってくるので、ひらりと躱して蹴って沈める。白虎とともに数回繰り返したら全員が落ちる計算だ。そしてこれは正当防衛である。
六人全員片付けると、周囲から歓声と拍手が沸き起こった。何事かと思ってしまったほどだ。
「すみません、ヒモかなにかありませんか? 結束バンドでもいいです」
声をかければすぐさま出てくる結束バンドで、六人を後ろ手で親指同士を固定する。地味でいてなかなか拘束が外れないやり方だ。
完全に気絶しているようなのだが、念の為だ。それから、ぐるりと周りを見回した。
「どなたか先生に報告していただけませんか?」
この場合、教師に警察へ届けるか否かの判断を委ねるべきだと思ったのだ。
もちろん瞳たちへの暴行容疑でも通報することは出来るだろうが、被害者届けを出すつもりはない。届けがなければ警察には動いてもらえないのだ。
「まったく、面倒だな」
「そう言ってくれるな」
式神の世界なら、おイタをしたら即刻制裁だ。それがままならない人間の世界に住む瞳はそのルールに従わねばならない。
そんな会話を交わしていると、呼ばれたのか騒ぎを聞きつけたのか、教師が走ってくるのが見えた。担任ではなかったことに心底ホッとして、瞳は事情を説明する。それには周りで見ていた人たちも加勢してくれるから、それほど手間はかからなかった。
教師へ六人を引き渡し、美作にメッセージで概要を送ると、なぜか円から着信がある。
「は……」
『ちょっとお前何やってんの!? もう危ないことしないって言わなかった!? なんで連絡こっちじゃないの!? 怪我してない!?』
「ちょ、質問多い! 怪我はないよ、大丈夫。それより、そっちは?」
『なにが!』
「いや、オレ変な感じに出てきちゃったから、空気悪くなってないか?」
『こっちはみんな心配してるよ!』
「みんな……?」
『あ、ちなみにこれスピーカーで通話全部、教室にいる人たちにも聞こえてるから』
「はあぁ!?」
『とりあえず戻ってきて!』
「待て、それすごい気まずい!」
『聞く耳持ちません』
ぶつり、と一方的に通話を切られて、やられた、と思う。
あとは頼んだとは言ったけど、こういう意味じゃない。
それでもあの流れでは戻らない訳にはいかないではないか。
「あー、もう! 白虎、戻るぞ!」
「はい!」
再び、校舎の方へ足を向ける。さっきよりやたら見られている気がするのだが気のせいだと思うことにして教室へ急いだ。
教室に入るのが気まずくてこっそり覗いたつもりだったのに、客として来ていた誰かに見つかった。
「あ! 帰ってきた!」
「西園寺くん!」
果ては円まで呼ばれてしまって引くに引けなくなった。そう思った瞬間にはもう円が目の前に居て、全身隈無く触ってチェックされる。
「ちょ、なに? なに?」
「よし、痛いとこないな!?」
「子どもかよ……」
「あー、もう。お前がいつも心臓に悪いことするから! 俺が早死にしたらお前のせいだからな!」
「あれくらいなら大丈夫だろ……」
がっちりと肩を掴まれながら、瞳はボヤくけれど。
「主。6対2は普通は大丈夫じゃないぞ?」
白虎にまで言われてしまって閉口する。
とりあえず、あの場をおさめてくれたお礼だと、クラスメイトたちが特別に紅茶を淹れてくれる。ペットボトルではない、茶葉を使ったものだった。加えてメニューにある焼き菓子全てが出てきてしまってさすがに慌てるが、クラスメイトたちはあの六人には相当嫌な気持ちになったらしい。
そうして最終的に、代金は受け取ってもらえなかった。
しかも。しかもである。
案内人とばかりに円をあてがわれ、円は執事の任務を解かれてしまった。
円にとってはラッキー、瞳にとってはなぜだ、という展開である。
結局瞳は円にエスコートされて校内を見て周り、円は念願の文化祭デートを実現させた。もっとも、常に美作と白虎が後ろに居たのだけれど、そこは円は見なかったフリなのであった。
円はといえば、執事服はさすがのモテ男、女子たちが率先して採寸して準備をしてくれていたのでそちらは問題ない。
問題があるとすれば。
「なーんで『仕事』でもないのに学校休むんだよ?」
「当日だけ休んでたら不自然だろ?」
「それはそうだけどさぁ」
律の事務所で不満顔の円である。
そうなのだ。瞳は風邪でもなければ『仕事』でもない。いたって健康、暇を持て余して律の事務所で読書などしている。
それが、円は不満で仕方がないのだ。
「円の執事姿はこっそり見に行ってやるよ」
「えー、一緒に回りたかったのにー」
「まあそれは無理だろうなぁ」
「準備の方はもうよろしいのですか?」
「ああ、うん。執事喫茶って言ってもただ執事の格好するだけだし、普通の喫茶店とそんなに変わらないんだよ。メニューも文化祭じゃ大したもの出せないから当日に女子たちが準備してくれる」
「円が作るお菓子の方が美味しいと思うわ……」
「それは同感です」
試食すらしていないのに、律と美作のこの酷評。女子たちが聞いたら怒るだろう。
「まあ、俺は料理できないことになってるし」
「え?」
円の『料理できない設定』に驚いた声を上げたのは瞳だ。
「ん?」
「だって、いつも弁当……」
毎日欠かさず弁当を作り、瞳と昼休みに屋上で食べることを日課としている円が『料理できない設定』であることに驚いたのだが、その事実に更に律と美作が驚いた声を上げる。
「え? 円お弁当作ってるの?」
「今まで購買で済ませていた円さまがですか?」
「あれ?」
どうにも瞳と律たちとの認識がズレる。
どういうことだ、と円に瞳が視線で問えば。
「あーもう! だってそうでもしなきゃ学校で一緒にいる口実なくなるじゃん!」
「は……」
ぽかんとしてしまったのは瞳だけではなかった。けれど、真っ先に我に返ったのは律だった。
「なんというか、意外ではないけれど予想以上ね」
「わたしはなんというか、複雑な心境ですよ」
くすくすと笑う律に、美作が同意なのか頷きながらも言葉の通り複雑な表情をしている。
もはや突っ込むことを諦めた瞳はため息をつくしかない。実はこっそりと円の執事姿を楽しみにしているなんて、口が裂けても言えないな、と思ったのであった。
そんなふうにして迎えた文化祭当日。
いつもより少し早めにバタバタと出かけていく円をのんびりと見送った瞳は、さて、と呟いて立ち上がると、今日くらいはやらせろということでそのままにしておいた朝食の食器を洗い始める。
最近はことあるごとに家事を引き受けてしまう円にも困ったものだが、流されて任せてしまう瞳にも問題がある。
洗い物を済ませて洗濯機を回している間に軽く掃除をする。円が来る前はそれがいつもの生活だった。それなのに、何か新鮮な感じがするのはなぜだろう。
それから、着替える前にいつもの癖でシャワーを浴びてしまって苦笑する。今日の瞳は『仕事』仕様の上に淡い色のサングラスという、下手をしたら『その筋』の人かと疑われそうな出で立ちである。
準備を済ませて美作へとメッセージを送れば、すぐに返信があった。あちらも準備は整ったようだ。
瞳はスマホと財布だけをポケットに入れて律たちのマンションに向かう。
二人はエントランスまで迎えに出ていた。
「すみません、お待たせしました」
慌てて小走りになれば、律が面白いものを見た、というように瞳をまじまじと眺める。
「今日はいつもよりワイルドね?」
「あー、サングラスのせいですかね?」
「これは年齢不詳ですねぇ」
「その方がいいですよね。というか、律さんは本当にいいんですか?」
「私まで行ったら混乱するわ。二人で楽しんできて」
そんな会話を交わしながら、三人は誰とはなしに移動を始める。エレベーターに乗って、地下駐車場へ。
美作が運転する車はまず西園寺邸へ向かった。
門の前で停車すれば、律はここまででいいと言う。
「では、念の為に太陰を置いていきます」
「ありがとう」
舞とのお茶会だろうから、やはり太陰が適任だろう。
律と太陰を迎えに出た使用人に任せ、時間を確認すればちょうど文化祭が始まる頃だった。
「いい頃合いですね」
「ですね。確か円のシフトは前半だったはずなので」
「今日は誰を護衛になさるんです?」
「え、美作さんがいるから大丈夫じゃないですか?」
「いえ、どなたかお願いします」
「うーん、じゃあ。白虎」
瞳たちの高校の文化祭は一般に公開される。
そんな中で完全に浮くことが分かっているから、敢えての白虎だった。白虎は特に体術に長ける。不審者がいた場合には、今日はその方が都合が良いのである。
自家用車での来校は避けるようにとの通達があったので、近くのコインパーキングに駐車して学校を目指す。
いつもの『仕事』とは違う雰囲気に、白虎はワクワクと楽しそうである。
「主、マドカは?」
「これからその円に会いに行くぞ。たぶん、ちょっと面白いことになってる」
瞳の言葉に、美作は笑う。たぶん面白いことになっているし、瞳が姿を見せれば更に面白いことになるだろう。
文化祭が開幕して、少し時間が経っている。人の入りは上々のようだ。瞳は迷いなく自分たちのクラスの方へと足を向ける。
周囲から遠巻きに奇異の目で見られるけれど、そんなことはどうでもいい。
美作によれば、奇異の目のみならずうっとりとしたような視線も感じられたので瞳さまの美貌は隠しきれるものではありません、ということだったけれどまあ大丈夫だろう。
教室の近くでは、クラスの女子がチラシのようなものを配っていた。こちらを見てギョッとするのが分かる。
チラシには、執事役の男子生徒の集合写真。やはりというか、真ん中には円の姿。
「執事を西園寺円で指名したいんだけど」
いつもと少し違う声色で瞳がニコリと笑って言えば、女子生徒は、少々お待ちくださいと叫ぶようにして教室に戻って行った。
「逃げられた……」
「そりゃ今の主、ヤクザだもん」
「失礼だな……」
そんなやり取りをしていれば、慌てた円が教室から出てきて、目を見開き、ガックリと脱力した。
「ごめん。アレ俺の身内。悪いけど席つくってもらえる?」
「え……。あ、うん」
近くの女子に言い置いて、円がこちらへ歩いてくるから、周りの視線も更に集まる。
円はそんな外野や美作、白虎には目もくれずに瞳の腰に手を回す。
「どこが! こっそりなんだよ!」
「えー? だってただの『仕事着』じゃね?」
「屁理屈いうな……。まあいいけど。こっち。美作と白虎も」
ああ良かったちゃんと認識されてた、というのは美作と白虎の共通の心の声だろう。
腰に手を回してエスコートするのは、『執事』というより『彼氏』では? というのも美作の心の声であるが、それをどちらでもいいものだとしてしまうオーラが二人にはある。それにしても白虎も何も言わないのだな、と美作がチラリと見やれば当の白虎とバチリと目が合った。
「なぁ。マドカっていつもあんな感じ?」
「あんな、とは……」
「主の扱い」
「ああ。そうですね、概ねいつも通りです」
「そっか」
なるほどねー、となにやら納得している白虎だったが、美作にはよく分からなかった。
円は完全に『彼氏』のそれで瞳をエスコートし、用意された席に案内する。美作と白虎はただ後ろをついて行くだけだ。
教室内にはテーブル席のようにいくつかの席が用意されており、ご想像のとおり、ほぼ女性で埋まっていた。瞳たちは少しどころかかなり浮いた存在だった。
円はコホンと咳払いすると、スッと腰を折る。
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま、旦那さま」
「おぉ……」
シナリオ通りのセリフを言った後で、円は声を潜める。
「ていうか、家で飲む紅茶のが美味しいんだけど」
「とりあえず鑑賞に来た」
裏の話をしてしまえば、衛生上の理由から、焼き菓子くらいしか作れないし、飲み物はペットボトルのものをグラスに移しただけだ。けれど、円はそうだ、と思い出す。
「ちょっと待ってて」
一度裏方に戻って、またすぐに戻ってきた円はなにやら小さな包みを持っていた。
「今朝ちょっと試作させてもらったパウンドケーキなんだけど、良かったら食べて」
ラップに包んでリボンで留めたパウンドケーキが三切れ。
「白虎も、食べる分には食べられるんだろ?」
たしか、前に瞳が言っていた。食べられるけれど、血にも肉にもならない、と。
この状況で、白虎だけ食べないのはおかしいと思われるから念の為に持ってきたのだ。
「円が作ったのか?」
「そうだけど」
「じゃあいただきます。白虎も食べていいぞ」
「やった! マドカ、ありがとう」
美作も、では遠慮なくいただきます、と言って口に運ぶと師匠の顔になる。円の料理の師匠なのだから仕方がない。
瞳も包みを開いてひと口頬張る。しっとりとしたパウンドケーキ。ほんのりと口に広がるのは、紅茶の風味。
「紅茶?」
「うん。どうかな?」
「これでも美味しいけど、もう少し紅茶強めでもいいかも」
「なるほど」
「あと一歩といったところですね」
「美作はやっぱり厳しいな」
あははと笑った所で、廊下の方が騒がしくなった。
ザワザワとした中から時折悲鳴まで聞こえる上に、声がどんどん近くなってくる。
「白虎。見てこい」
「御意」
白虎が立ち上がり、教室を出ようとした瞬間だった。
いかにもガラの悪そうな、それでいて弱そうな、集団でしか何も出来なさそうな連中が入ってくる。
『白虎、止まれ』
『はい』
(六人……)
ざっと確認した瞳は、いつでも飛び出せる体勢だけれど、それを周りには悟らせない。
下手に手を出せば教室内の誰かに怪我を負わせてしまうかもしれない。そもそも何者だ。
「あー、いたいた。西園寺」
「あー……」
闖入者の言葉と、天を仰ぐ円。
「……知り合い?」
「去年の卒業生。俺の顔が気に入らないらしいんだよねぇ……」
「へぇ……」
「どっかの組に入ったとか聞いてたけど……カタギに手を出すのはどうなの?」
「そりゃあもちろん」
「だよねぇ?」
言っているそばから近付いてくる『卒業生』とやらは円しか見ておらず、なにかごちゃごちゃと言ってくるけれど語彙力が無さすぎてもはや瞳の理解を超えている。いかにも、下っ端のチンピラ、といった感じである。
そういえば、ちょうど白虎にも『ヤクザだ』と言われた見た目だ。ここはちょっと痛い目を見せてやらねばなるまい。この様子だと、一般に開放される行事ごとに乗り込んで来そうだ。
出る杭は打たれることを教えてやらねば。
瞳は、静かに、けれどしっかりと気配に殺気を滲ませてカタリ、と立ち上がる。それだけで存在感がある。
「……で? お前らは何がしたい?」
円が慌てて何かごまかそうとするのを制し、黙ってろ、と視線に乗せる。
シンと静まり返った室内。廊下からも様子を見ている生徒たちがいる。
「顔が気に入らないって理由で暴力沙汰に出来るんなら、こっちもテメェら全員の顔が気に入らねぇな!」
滲ませていただけの殺気を、今度は六人に向けてビリビリと圧力を感じるほどに放つ。
ぞくり、と。近くにいる美作にも伝わった程だ。向けられた本人たちはたまらないだろう。かわいそうとは思わないけれど、その場にへたり込む姿はいっそ憐憫を誘う。
「西園寺はオレの恩人だ。何かしたらタダではおかない。まずはこの場の落とし前キッチリつけてもらおうか。おい、全員連れてけ」
「はい」
白虎は片手に三人ずつ大の大人の襟首を掴んで引きずっていく。
「あー、すみません。この場はオレが預かりますね。皆さんあとは安心してください」
声のトーンを変えて室内室外どちらにも聞こえるように言った瞳は、円と美作だけに聞こえるように「あとは頼んだ」と言って白虎を追いかけた。
『白虎、とりあえず殺すなよ』
『まだ生きてますよ』
白虎は衆人環視の中、さすがに『跳ぶ』ことはできないのでズルズルと引きずり、どこかいい場所はないだろうかと探しながら校舎から出る。校庭の、少し人の少ない所にまとめて放れば、周囲から人が逃げていく。
「さて」
とりあえず、瞳が来るまで待機である。白虎は腕を組み監視する体勢に入った。
瞳の殺気を正面から浴びて腰が抜けるだけで済んだことを感謝した方がいい。彼が本気を出せば気迫だけで人を殺せる、と白虎は思っている。
「どんな具合だ?」
「主」
コツリ、と瞳が追い付いて来た。悠然と構える瞳の目には、怒り。この場を乱したこと、それから無自覚だろうけれど円を傷付けようとしたことに対するものだろう。
この六人と瞳とでは格が違う。ある程度の力があれば分かるだろう。それが分からないのは力が無い者だけだ。
残念な事に、六人は後者だった。
なにやら汚い言葉で罵られたような気がするが、低俗な人間の言葉をいちいち聞いてやるほど暇ではない。殴りかかってくるので、ひらりと躱して蹴って沈める。白虎とともに数回繰り返したら全員が落ちる計算だ。そしてこれは正当防衛である。
六人全員片付けると、周囲から歓声と拍手が沸き起こった。何事かと思ってしまったほどだ。
「すみません、ヒモかなにかありませんか? 結束バンドでもいいです」
声をかければすぐさま出てくる結束バンドで、六人を後ろ手で親指同士を固定する。地味でいてなかなか拘束が外れないやり方だ。
完全に気絶しているようなのだが、念の為だ。それから、ぐるりと周りを見回した。
「どなたか先生に報告していただけませんか?」
この場合、教師に警察へ届けるか否かの判断を委ねるべきだと思ったのだ。
もちろん瞳たちへの暴行容疑でも通報することは出来るだろうが、被害者届けを出すつもりはない。届けがなければ警察には動いてもらえないのだ。
「まったく、面倒だな」
「そう言ってくれるな」
式神の世界なら、おイタをしたら即刻制裁だ。それがままならない人間の世界に住む瞳はそのルールに従わねばならない。
そんな会話を交わしていると、呼ばれたのか騒ぎを聞きつけたのか、教師が走ってくるのが見えた。担任ではなかったことに心底ホッとして、瞳は事情を説明する。それには周りで見ていた人たちも加勢してくれるから、それほど手間はかからなかった。
教師へ六人を引き渡し、美作にメッセージで概要を送ると、なぜか円から着信がある。
「は……」
『ちょっとお前何やってんの!? もう危ないことしないって言わなかった!? なんで連絡こっちじゃないの!? 怪我してない!?』
「ちょ、質問多い! 怪我はないよ、大丈夫。それより、そっちは?」
『なにが!』
「いや、オレ変な感じに出てきちゃったから、空気悪くなってないか?」
『こっちはみんな心配してるよ!』
「みんな……?」
『あ、ちなみにこれスピーカーで通話全部、教室にいる人たちにも聞こえてるから』
「はあぁ!?」
『とりあえず戻ってきて!』
「待て、それすごい気まずい!」
『聞く耳持ちません』
ぶつり、と一方的に通話を切られて、やられた、と思う。
あとは頼んだとは言ったけど、こういう意味じゃない。
それでもあの流れでは戻らない訳にはいかないではないか。
「あー、もう! 白虎、戻るぞ!」
「はい!」
再び、校舎の方へ足を向ける。さっきよりやたら見られている気がするのだが気のせいだと思うことにして教室へ急いだ。
教室に入るのが気まずくてこっそり覗いたつもりだったのに、客として来ていた誰かに見つかった。
「あ! 帰ってきた!」
「西園寺くん!」
果ては円まで呼ばれてしまって引くに引けなくなった。そう思った瞬間にはもう円が目の前に居て、全身隈無く触ってチェックされる。
「ちょ、なに? なに?」
「よし、痛いとこないな!?」
「子どもかよ……」
「あー、もう。お前がいつも心臓に悪いことするから! 俺が早死にしたらお前のせいだからな!」
「あれくらいなら大丈夫だろ……」
がっちりと肩を掴まれながら、瞳はボヤくけれど。
「主。6対2は普通は大丈夫じゃないぞ?」
白虎にまで言われてしまって閉口する。
とりあえず、あの場をおさめてくれたお礼だと、クラスメイトたちが特別に紅茶を淹れてくれる。ペットボトルではない、茶葉を使ったものだった。加えてメニューにある焼き菓子全てが出てきてしまってさすがに慌てるが、クラスメイトたちはあの六人には相当嫌な気持ちになったらしい。
そうして最終的に、代金は受け取ってもらえなかった。
しかも。しかもである。
案内人とばかりに円をあてがわれ、円は執事の任務を解かれてしまった。
円にとってはラッキー、瞳にとってはなぜだ、という展開である。
結局瞳は円にエスコートされて校内を見て周り、円は念願の文化祭デートを実現させた。もっとも、常に美作と白虎が後ろに居たのだけれど、そこは円は見なかったフリなのであった。
0
お気に入りに追加
55
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
専業種夫
カタナカナタ
BL
精力旺盛な彼氏の性処理を完璧にこなす「専業種夫」。彼の徹底された性行為のおかげで、彼氏は外ではハイクラスに働き、帰宅するとまた彼を激しく犯す。そんなゲイカップルの日々のルーティーンを描く。
男の子たちの変態的な日常
M
BL
主人公の男の子が変態的な目に遭ったり、凌辱されたり、攻められたりするお話です。とにかくHな話が読みたい方向け。
※この作品はムーンライトノベルズにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる