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048.

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 夏休みに入って数日が過ぎた頃。
 久しぶりに『仕事』が舞い込んだ。
 恒例となった朝のトレーニングが終わって帰宅し、瞳はシャワーを浴びて、円は朝食の準備をしていた矢先の連絡だった。
 今日は土曜日ということもあって律の事務所は休みだったし、例の半ば強引に決められた奈良旅行の前ということもあり、映画でも見ながら旅行用の買い物をしようと円と約束をしていた。
 そんな日に限って『仕事』である。


(めんどくさい……)


 いつだって『仕事』はめんどくさいけれど、今日ほどせめて別日にしてくれないか、と思ったことはなかった。
 瞳なりに今日は楽しみにしていたのだ。円なんかもっと楽しみにしている様子だったというのに。
 でも仕方がない。
 他の術者にはどうしようもないから依頼が回ってくるのだ。行くしかない。
 キュッとシャワーを止めて、バスタオルで水気を拭き取りながら気が重くて仕方がなかった。


(もう一度、改めてみそぎをしないとな……)


 とりあえず、Tシャツとハーフパンツだけを身につけて浴室を出る。バスタオルは頭から被ったままだ。
 あまりにも珍しい瞳のその姿に、円はギョッとしているようだった。
 瞳は俯いてバスタオルで表情を隠して。そして言った。


「円、ごめん。……『仕事』が入った」
「え……」


 一瞬固まって声が出なかった円の表情は瞳からは見えない。


「難しい『仕事』なのか?」
「いや、そうでもないけど……」


 声が、いつも通りだった。だから瞳は顔を上げる。
 円は心配そうに瞳を見ていた。


「なあ、瞳。買い物も映画も、また今度行ける。だから、元気で帰ってきてくれ」


 それだけを望んでいるから、と。
 今日の約束が反故になったことを少しも責めない円に救われた気がした。


「わかった。また今度、だな」
「そうだよ!」


 いつだって危険と背中合わせ。そんな『仕事』をしていながら甘いな、と思いつつも、円との約束をはたしたいと思った。


「じゃあ『美作風フレンチトースト』です!」
「やった!」


 テーブルに置かれた皿には、イングリッシュマフィンで作ったフレンチトースト。今や瞳の大好物である。


「よし! じゃあ食べよう」
「いただきます」
「いただきまーす」


 サラダにフレッシュジュースも添えて食卓に並べ、二人で完食した。

 朝食を食べ終わって、円が後片付けをしている間に瞳は禊を済ませて準備を完了させる。
 瞳がソファに座ってひと息ついたその時。


「はぁ!?」


 突然の瞳の声に驚いた円がそちらへ走る。


「どうした?」
「あンの、バカ嬢が!」
「へ?」


 瞳が発した言葉の意味が分からなくて素っ頓狂な声を上げる円だ。それに気付いて、瞳はいや、と言い訳を始める。


「四人の嬢を覚えてるか? あの、狐の……」
「ああ、うん」
「あのうちの一人がオレに会わせろと、家出をした上に術者に直談判してるらしい」
「ええっ!?」


 瞳は心底疲れたようなため息をついた。


「それって、えっと高科の……?」
「いや、別の嬢だ。いちばん酷い状態だったヤツ。ちょっとしつこくてな。気の迷いだといいんだがな……」


 式神の話では、どうやら好きだとか運命の人だとか言っていて、興奮状態らしい。


「玄武」


 呼べば、困った顔の玄武が立っている。


「完全にルール違反です。どうなさいますか」
「嬢の様子はどうだって?」
「全くのお手上げ状態だそうです。『あの人だって私の事が好きなのに』『私とあの人は運命なのよ』『運命の人との仲を引き裂くなんて酷いわ』『あんたたちなんて神さまに言ってこらしめてやるんだから』だそうです」
「……妄想癖でもあるのか」


 なにがどうしてそうなった。
 本気で頭痛がしてきた瞳である。これから『仕事』だというのに、精神力を削らせないでほしい。


「大丈夫か?」
「…………」


 心配そうに下から覗き込んでくる王子さま顔に、瞳は何か閃いたらしい。


「……玄武」
「はい」


 瞳はスマホを取り出しカメラを起動させて玄武に渡した。


「円」


 ちょいちょい、と手招きして瞳が座る膝の間を示されて、訳が分からないまま円はそこに座る。自然と瞳の顔を見上げる形になる。


「……悪い」
「うん?」
「帰ってきたら殴られてやるから、犬にでも噛まれたと思ってくれ」
「んん?」


 何を言っているんだ、と円が思ったのは一瞬だった。
 瞳は円の顔を両手で包むようにして仰向けさせ、その口に、本当にかぶりつくように唇を落とした。


「……っ!」


 キスとも呼べないほどに色気のないキスだった。

 カシャリ。

 音がして、瞳がすぐに円を解放する。


「撮れたか?」
「バッチリです」


 瞳が画像を確認すれば、明らかに瞳とわかる人物がキスをしている証拠写真。だが、相手が誰なのか全く分からないのは角度のせいなのか。当の本人である円ですら自分なのかどうかも分からなくて困惑した。


「画像だけ見せてやれ。データは渡すな。それと、相手が誰か絶対に突き止められないように加工しろ。何としても説得するように圧力をかけてやれ」
「御意」


 知らないところでどんどん話が進んでいく気がして、円は戸惑う。
 えっ、瞳ってそうなの? などと考えていると、読んだように瞳が円を振り向いた。


「……瞳」
「円、悪い」
「いや、えっと……」


 短い、沈黙。
 耐えかねるように口を開いたのは瞳だった。


「アセクシャルって、知ってるか?」
「え?」


 聞こえなかった訳ではなく、なんの事だか分からないという問い返しだった。
 だから、瞳はそのまま、『仕事』のために家を出た。
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