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032.

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 ふ、と瞳が目覚めた時には既に家の中に円の気配はなかった。
 視線を巡らせて時計を見れば、もうすぐ10時といった時間である。ずいぶんと寝てしまった。
 カーテンの隙間から差し込んでくる光は明るい。どうやら今日は晴れらしい。
 梅雨の晴れ間なのか、梅雨明けなのか。
 そんなことを思いながらゆっくりと起き上がると、ベッドのスプリングがギシリと音を立てた。
 クローゼットを開けて着替えを準備してから浴室へ向かう。


(シャワーだけで済ませよう……)


 浴槽に湯をためて入る気力はないし、時間もない。
 ザアッと勢いよくシャワーを出して浴びることで、疲れと気だるさを洗い流した。
 バスタオルで水気を拭き取り、ドライヤーで髪を乾かした頃にはいつも通りの瞳のテンション。だが、今日も『仕事』である。
 用意した着替えは昨夜と同じく黒のスーツ。ネクタイを結び、髪をワックスで整える。
 ダイニングのテーブルには円のメモとラップをかけたサンドイッチが置いてあり、思わず「マメだな」と思いながらありがたくいただくことにする。
 部屋へ戻ってスマホを確認すれば、円からメッセージがあった。なんのことはない朝の挨拶ではあるが、無事に起きたことを知らせるためにも返事を返しておく。サンドイッチの礼も忘れない。
 それから、美作にもメッセージを送った。
 集中的に練習をしたおかげで、おそらく人並み程度の速さで入力は出来るようになったつもりだ。
 美作からはすぐに返信があった。
 瞳はポケットにスマホを入れると、昨夜の分のスーツを袋に入れて家を出る。エントランスで管理人にスーツのクリーニングを頼んだ。


「仕上がりはどのようになさいますか」
「いつも通りでお願いします」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」


 初めの頃こそ、瞳の外見の変わりように目を白黒させていた管理人だが、もうそれにも慣れたようだ。
 そして、仕事柄、住人のプライベートを外にもらすような真似はしない。
 カツン、と足を向けた先は律たちのマンション。
 昨夜と同じように、インターホンを押せば何も言わずとも自動ドアが開かれるからそのままエレベーターへと向かう。今日も部屋の前には美作が立っていた。


「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはようございます。はい、おかげさまで。遅くなってすみません」
「いえ、とんでもないです。律さまがお待ちです」
「はい……」


 美作にそう言われて中へ進み、リビングへ足を向ければ待ち構えていたような律がいるから、瞳はすぐに姿勢を低くした。
 それとほぼ同時にがしりと瞳に抱きつく律。


「瞳。無事で良かったわ」


 本当に心配してくれていたのがわかるから、瞳は律の背中へ腕を回し、ぽんぽんとたたいて安心させる。


「大丈夫です。ありがとうございます。でも律さん」
「なぁに?」
「あなたはレディなのですから、気安くこんなことをしてはいけませんよ」
「あら」


 ふわりと笑いながら言う瞳に、律も笑った。
 そっと身体を離しつつ、律が問いかける。


「今日も『仕事』なのね」
「はい。すみません、また美作さんをお借りしたいのですが」
「構わないわ」
「ありがとうございます。……太陰」


 現時点で律といちばん気が合っているらしい式神の名を呼べば、太陰は瞳への挨拶もそこそこに律と抱き合う。


「リツ!」
「太陰!」


 少女がじゃれ合う姿は微笑ましいが、話によると二人の時間はもっぱら勉強をしているようだ。


「私は中学校には行けてないし、高校は通信制だったわ。大学も行っていなかったし、太陰との勉強は楽しいの」


 まあ仕方のないことなのだろう、と律の姿を見て思うけれど、なんとも複雑な気分だ。
 おそらくは勉強の合間に女子トークも挟んでいるに違いない。ちょっとこわい。


「じゃあ、太陰。律さんを頼んだ」
「はい。お気を付けて」
「二人とも、いってらっしゃい」
「いってきます」
「いってまいります」


 短く言葉を交わして、昨夜と同じようにエレベーターで地下まで下りる。
 車に乗り込むと、美作は慣れた様子でエンジンをスタートさせる。


「まずは高科邸ですか?」
「そうですね」


 示し合わせたように頷くと、車は緩やかに走り出した。
 昨日から数えて三回目の道である。二回目は夜だったが、瞳もなんとなくではあるけれど覚えた道筋。


「美作さん」
「はい」
「美作さんの雇い主は『西園寺』ですか? 律さんですか?」
「……難しい質問ですね」
「重要なことですから」
「そうですね。これは個人的な意見になりますので、お二人にはご内密にお願いします」


 なにやら簡潔な話ではなさそうだな、と思いつつ、瞳はこくりと頷いた。


「お給金は『西園寺』からいただいております。ですが正直な話、律さまをあそこまで追い詰め、円さまをないがしろにする旦那様と今の奥方を、良くは思っておりません」
「そうですよね……」
「はい。ですので、律さまと円さまに関する情報は、何ひとつ真実を伝えておりません」
「へ?」
「報告している住所はデタラメですし、律さまの現在の状態や何をなさっているか、円さまの学校など、全て嘘っぱちです」
「あはははははは!」


 真面目な顔をして美作のすることは面白い。
 瞳は思わず声を出して笑ってしまった。


「それ、内偵調査とか入らないんですか?」
「心配ありません。『西園寺』にはわたしと同じ気持ちの者も多数おりますし、奥方が男子を出産しています。旦那様はそちらを『跡取り』とするお気持ちのようです」
「それ、円は……」
「ご存知ありませんが、『跡取り』に関しては円さま自身が辞退をしておいでです」
「じゃあ、これからも信用していいんですね?」
「そうしていただけると嬉しいですね」


 美作がニコリと笑った時、高科の洋館の前に到着した。
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