【完結】雨降らしは、腕の中。

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雨降らしは、切る。

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前方に向かって伏せた耳。
艶のある黄金色の尻尾は微動だにせず、こめかみには青筋が浮かんでいた。


"どうやら、彼は不機嫌だ"と認識した二人の反応はバラバラで、それがまた彼の苛立ちを増幅させるのだった。







 





日もすっかり暮れ、あと少しで夜の森へと変わる頃。
蔦の彫刻が施された玄関の扉の向こうから、ノックの音がした。

この家を訪ねてくる者は、ここ数日でたった一人。おそらく今日もその人物だろうと、家の主ティエティは碌に出迎えもせず『開いてるわ』と声だけ掛ける。

ティエティは今、手が離せない。



カラン、コロン、とドアベルが軽快な音を立て扉が開くと、予想通りの相手リュシアンが立っていた。

彼がキョロキョロと部屋を見渡しても、住人二人の姿が見えない。
すんっと鼻を鳴らし、匂いで二人の場所を探し出そうとした時、『こっちよ』とティエティの声がして、リュシアンは二階へと向かった。


視界に住人二人の姿が入った途端、足が止まったリュシアンの青磁色の瞳の奥には、炎が宿っていた。



「・・・明日からウォーグを連れてくる。」

「は?!」
「来て早々あんたいきなり何言ってんの?家壊すつもり?」

「・・・見張りが必要そうだ。」

「み、見張り!?俺、ここから逃げようなんて、考えてな、」
「エリオットくん。あれは男の見苦しい嫉妬よ。相手にしなくていいわ。」

「・・・・・・んん?」



誰が誰に・・・?と、状況を理解できていないエリオットは首を傾げ、ティエティは呆れたようにため息をついた。


ここは、小さなバルコニー。
臙脂色の大布の上に、ちょこんと座ったエリオット。そしてその小さな背中にくっ付けるようにして置かれた木製のスツールに座るティエティの手には鋏が握られていた。


その状況からやましい事は何もなく、何をしていたかなんて一目瞭然。
エリオットとしては三年ほど伸びっぱなしで、ガタガタだった髪の毛を少しだけ切り揃えたかっただけ。

だが、それでも尚不機嫌な顔のままずんずんと大股で二人の元に近づいたリュシアンは、スツールに座るティエティを見下ろした。



「そこまで頼んだ覚えはない。」

「これはエリオットくんから頼まれたの。まあ、喜んで引き受けたけど、ねー?♡」

「はっ、えっ、はい、え?」

「離れろ。」

「やーよ。まだ拘りたいの。」

「もう十分だ。」

「な、な、何!?俺の髪切るのに、リュシアンさんの許可が必要なの!?」

「・・・・・・・・・・・・」

「えええ?!な、何でそんな、こ、こ、怖い顔するのぉおお、わああっ、い!いきなり、俺を持ち上げないでって言ってんのに!!」




脇の下に手を入れられ、ぶらーん、と宙吊りにされたエリオット。

一応立派に成人した人間の男だが、獣人の彼らからすればエリオットを腕の力だけで持ち上げるなど、造作も無いこと。
だからと言って、エリオットは全く楽しくも嬉しくもない。こんな簡単にぷらーん、だなんて、大人としての小さなプライドを指先でつんつん突かれているのと同じである。



「~~っ、もう!降ろしてください!」

「・・・シャワー浴びて髪を流してきなさい。夕飯はそれからだ。」

「は、はあ?・・・わ、わかりました。それは今日の土産ですか?!ありがたくいただきます!もうっ!」

「・・・ああ。」



バルコニー入り口の床に乱雑に置かれた深さのある籠の中には、果物とパンが入っていた。逃げるように籠を抱え、階段をドタドタ降りていくエリオット。
それを見送り、大布を片づけ始めるティエティは、くすくすと笑う。



「・・・お前の分は、私が食う。」

「はあ?駄目よ。今日はエリオットくんお手製の木の実のシチューなんだから、パンは必須よ。渡さないわ。」

「・・・髪を触らせるなんて、随分と懐かれたものだ。」

「ええ。そりゃあ、祈る姿も見せてくれたぐらいだからね。」



その言葉にぴくり、と黄金色の耳が動き、青磁色がティエティへと真っ直ぐ向けられる。
少し身構えたティエティだったが、リュシアンはふぅっと一つ息を吐いた。



「・・・・・・何か、わかったか。」

「あら、意外ね。妬かないなんて。」

「・・・・・・・・・」

「訂正するわ。わたし、八つ裂きにでもされるのかしら。」

「・・・今はしない。」

「含みのある言い方するのやめてくれない?」

「で、どうなんだ。」

「なによ、本当つまんない男ね。」



日が完全に沈み、暗闇に飲み込まれた森。
月明かりもまだ十分ではないこの場所で、リュシアンの瞳は鋭く、光っていた。


「・・・東方諸国のかなり古い文献に載っていたわ。厄災の大雨は御伽話ではなく、おそらく史実よ。」

「だとしても単なる異常気象の一例だろう。それが何故他国にまで話が広がるんだ。」

「それが天災ではなく、人災だからよ。」

「・・・は?」



冗談だろう、とリュシアンは言えなかった。
ティエティの顔が真剣そのものだったからだ。
ぐっと奥歯を噛んだリュシアンが思い出したのは、エリオットが泣きそうな顔で空に乞い願うあの姿だった。



「それに至った経緯は分からない。色々と調べてみたけど、記録には一切残っていなかったわ。もう、存在しないと思う。」

「・・・そうか。」

「・・・・・・ただ・・・・・・」

「・・・ただ、なんだ?」



歯に衣着せぬティエティが言い淀むなんて珍しい。だが、リュシアンが北の中央図書館で調べても、歴史に詳しい文官に聞いてみても結局何も分からなかった。
御伽話として書かれたものは数知れど・・・無いのだ、文献なんて。



「勿体振らず、早く言え。そろそろ彼が、」
「・・・・・・る、の。」

「・・・何?」

「だから・・・・・・ーーーーー・・・」








カラン、と手元からスプーンが滑り落ちた音で我に帰る。
目の前には自分が持ってきたパンと、美味しそうなシチューがあった。


「わわ、だ、大丈夫ですか?服汚れませんでしたか?」

「・・・大丈夫だ。すまない、少し考え事をしていた。」

「・・・そ、そうですか・・・、あの・・・リュ、シアンさん・・・何かまた怒ってます・・・?」

「こいつはいつもこんな顔よ。気にしないで。」

「ええ・・・?また喧嘩ですか?やめてくださいね。俺、新しいスプーン持ってきます。」

「・・・ありがとう。」

「・・・ど、ういしまして・・・?」


揶揄う素振りのないお礼なんて初めてかも知れない、と不思議そうな顔でキッチンに向かうエリオットの背を見つめるリュシアン。
その男の足を、彼に見つからないよう蹴り飛ばしたのは勿論マダラ模様の耳を持つ美丈夫だ。


「顔に出過ぎよ。怖すぎるわ。誰か殺すの?」

「・・・殺せるなら、殺してやりたい。」

「あんたが殺したい相手はもう死んでますから。何百年前の話だと思ってるのよ。」

「・・・・・・・・・彼が、責任を感じる必要はないのに。」

「それはまた別の話なんじゃないの。当事者とわたし達とでは、次元が違うわ。」

「・・・・・・・・・」



納得がいかない、と顔に書いてある男の足をもう一度蹴り飛ばした頃、エリオットは戻ってきた。
彼の使うスプーンと比べると、自分の物はとても大きく見える。
その小さな手は、薬草の葉で所々怪我をしていて、リュシアンはそれをとても好ましく思った。



「ウォーグを連れてくるのはやめておくがいつでも準備はできているからな。」

「・・・俺別に悪い事してな」
「分かったか?」

「・・・・・・あい。」

「あんた見てると獣人の嫉妬深さが分かるわ。」

「お前も獣人だろ。」

「一緒にしないでもらえるかしら。」

「寝る前に喧嘩しないでください!」

「「・・・・・・・・・」」



玄関先で獣人二人の口元が不満気に歪んだが、エリオットはそれを全く気にせず『あ、』と何か思い出したように後ろを向く。

まるで、そうすることが当然かのように。


切り揃えてもらったとは言え、結べる程度にはまだ長い髪が揺れて、甘い香りがする。






「・・・ボソボソ(これは完全に調教よね)」

「黙れ、ティエティ。」

「・・・あれ?いつもの挨拶しないんですか?・・・って、べ、べ、別にし、し、しなくてもいいですけ、どっ、うわっ、」

「する。」

「うひっ、そこで喋るのくすぐったいです、って!」



リュシアンはエリオットのうなじに顔を埋め、お腹辺りに手を回しぎゅっと抱きしめる。
自分の鼻先をそのうなじに二度擦り付けるようにして、離れる。
エリオットの耳は、見事に真っ赤になっていた。



「耳が赤いな。」

「だ、だ、だ、だって、き、狐流の挨拶とは、聞きましたけど、な・・・・・・慣れません!」

「・・・ボソボソ(一人にしかしないけどね)」

「ティエティ、顔が煩い。」

「ほっっんと、失礼な狐ね!」

「喧嘩しないでください!!」

「・・・また明日な、エリオット。腹出して寝るなよ。」

「・・・・・・あい。」


リュシアンは最後にぽんぽんと、頭を撫でて帰っていく。
実はそれが少し嬉しい気がする・・・なんて、エリオットは口が裂けても言うつもりはない。



「・・・・・・獣人にもね、いろんな種類がいるから。」

「?そうなんですね!俺、あんま知らなくて。勉強します。」

「・・・んー・・・しなくていいんじゃない。」

「・・・??」



二人が温かい薬茶を飲みながら、そんな会話をしていた頃、馬を走らせるリュシアンの頭には、何とも言えない負の感情が渦巻いていた。



『だから・・・殺されてるのよ。その本人の血縁関係にある者のほとんどが。』





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