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第十二話 ジルベールの呪い

ジルベール編

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 眠ると夢が醒めてしまうような気がして、一睡もできないまま、甲板の上に出た。
 海上で見る夜明け前の空は薄桃色に染まっていて、違う世界に迷い込んでしまったかのような気分になる。

 全てを奪われたまま国を離れ、失意のうちに死ぬことでしか解放されない私に神はレプラを返してくれた。
 もう何もいらない。何も求めない。
 どうか、この甘い夢よいつまでも続いておくれ。

 そう願っていると、一人の水夫から声をかけられた。

「王様、ごきげんうるほどにございます!」

 敬語を使うことがなかったのだろう。
 だが、見様見真似で膝をついて私を見上げているあたり、頑張って礼節を尽くそうとしているのだろう。

「かしこまらなくていい。
 私はすでに王ではない。
 権力も威光も金も何も持っていない。
 そなたに何もしてやれんのだから」

 そう言ったが彼は首を強く横に振る。

「今更、なんかしてほしいわけじゃねえっすよ。
 王様にはすでに返せないほどの借りがありますんで」
「借り?」

 私が尋ねると、彼は頭につけたバンダナをとってギュッと握りしめた。

「もう五年くらい前ですかね。
 サイサリス侯爵家が俺たちをさらって農園で強制労働させてくれやがったのは。
 俺はあの時、あそこで働かされていたんですわ」
「ああ……そんなこともあったな。
 あれは散々だった。
 マスコミには叩かれ、父にも怒られた」
「……聞きました。
 俺たちは我慢なりませんでした。
 悪いヤツから俺たちを守ってくれた王様が悪く言われるなんて。
 王都に上ってひと暴れしようかとも考えましたが……レプラ様に止められたんです」
「レプラが?」
「ええ。わざわざ俺たちの村に来てもらって、王様に恩を返したいなら動くのは今じゃない、って」

 レプラめ……当時からこのようなことになる可能性を見込んでいたということか。

「それはそれは……なかなか高くついた貸しだな。
 こんな事をしてお前達もタダでは済まんぞ」
「へへ、王様は王様だから知らないかもしれませんがね。
 好きな人に尽くせるということは、ただそれだけで幸せなことなんですよ。
 俺の村の連中も、この船に乗ってる連中も、追いかけてきている連中も、みんなそう思ってますって」

 ニカっと並びの悪い歯を見せて笑う水夫。
 その言葉と笑顔は少し私の気持ちを和らげたが……

 追いかけてきている連中?

 言葉に引っかかりを覚えた瞬間、マストの上にある見張り台から大声が響く。

「後方から船団接近! 数は……30以上!
 いずれも大型船です!」

 その声に空気が張り詰めた。
 まさか、追っ手がやってきたというのか?

 まもなくしてレプラやディナリス、サリナスにサーシャ、さらには王宮警備隊の面々が次々と船室から出てきた。
 彼らの戦力は昨日ハッキリと見せつけてもらった。
 だが、海上で大砲の撃ち合いのようなことになればなぶり殺しにされる。

 と、悲観的な予測に頭を悩ませていた私の肩をレプラが叩く。
 そして穏やかな口調で告げる。

「大丈夫ですよ。見ていてください」

 ディナリスが昨夜使った筒を取り出し頭上に向かって弾を打ち出した。
 毒々しい赤色の煙を放ちながら高く伸び上がっていく様子を見上げていると、向こうの船団からも同様に赤い煙を放つ弾が打ち上げられた。
 次々と放たれたその数は38。
 38隻の船があるということだろうか。

「彼らは味方です」

 とレプラが言う。
 その言葉がすんなりと入ってこなくて尋ね返す。

「味方? 誰の?」

 レプラは少し呆れ気味に笑いかけてきた。

「無論、貴方様のです」



 船団を率いてきた一際大きな船との間に梯子がかけられた。
 その上を見知った顔の女がおっかなびっくり渡ってくる。

「シウネ・アンセイルか?」

 私の声が届くとシウネはパッと顔を輝かせて、梯子を猛烈な勢いで渡りきり、

「陛下っ!」

 と叫んで走り、こちらの船に飛び乗ってきた。
 着地でバランスを崩し前につんのめった彼女を私は受け止めた。

「私を救うためにいろいろ策を講じてくれたようだな。感謝している」
「もったいなきお言葉……申し訳ありません。
 もっと上手いやり方があれば御身を傷つけることもありませんでしたのに」

 私の胸に顔を埋めたまま上げようとしないシウネ。
 大したことではない、と励まして彼女の顎を掴んで顔を上げさせた。
 頬を紅潮させて涙を目尻に溜めている。
 私との再会を喜んでくれている、ということでいいのだろう。

「おつかれー! シウネ!
 お前の作った信号弾、使い勝手よかったぞ!」

 ディナリスがシウネを私から引き剥がすようにして彼女の肩を抱いた。

「チ……ああ、そりゃどーも。
 ともあれ、無事合流できましたし、これでひと段落ですね。
 みんなで新天地目指して出発ですよ!」

 新天地か……しかし、

「多すぎないか? これ」

 各船の甲板に乗員が出てきている。
 老人こそ少ないが子どもや犬まで連れている者もいる。
 少なく見積もって一隻あたり50人以上、それが38隻ということは約2000人の集団になる。
 小さな町くらいの人口だ。
 これだけの人間を食わしていくだけでも大変だぞ。
 しばらくは船に備蓄があるとはいえ、その後は……

「なに不安そうな顔をしているんだ?」

 ディナリスが私に笑いかけてきた。

「不安にもなるだろう。
 これだけの数の人がいなくなって王都が騒ぎにならないわけがない」

 と、私が言うとシウネがニヤリと笑う。

「いやあ、どうですかね。
 そんな事を気にするほどの余裕があればいいんですが」
「脱出させる以外にも何か手を打ったのか?」

 私の問いにシウネはため息混じりに応える。

「陛下はお気になさらず。
 これから王都で起こる不幸の九割以上は彼らの自業自得ですから……」

 不穏な事を口にするものだから気になって仕方ないんだが。
 モヤモヤしているとレプラが耳元で囁いてきた。

「あなたはもう王ではないのでしょう。
 気になさらなくて良いのですよ。
 故国のことも、我々のことも」
「そういうわけにはいかんだろう。
 皆、私のために身を投げ出して来てくれたのだろう。
 後悔させるようなことは————」
「私たちに後悔することがあるとすれば、あなたを幸せにできないまま、死んでしまうことです」

 レプラは声を張って叱るように私に言った。
 すると周りの者達は強く首を縦に振る。
 さらにレプラは続ける。

「ここに集いし者たちは何らかの縁あってあなたのことを愛している者、もしくは現在の王国やマスコミに耐えきれないほどの不満を持っており、それに立ち向かったあなたに憧れた者たち。
 ここにしか居場所がなく、ここで生きていくことを望んだ者たちです。
 あなたを傷つけ苦しめた連中と一緒にしないでください。
 私たちはあなたの重荷にはならない。
 むしろ私たちがあなたを背負って生きるのです。
 私たちの忠誠は、今日までのあなたの在り方に対する報酬と思って受け取ってください」

 レプラの声を邪魔しないためかと思われるほど、海は凪いでいた。
 声を聞き取った者たちは皆深くうなづいている。

 きっとレプラの言うことは正しいのだろう。
 だけど、色々なことがありすぎて頭で理解していても心が追いついてこない。
 
 だから私は一歩前に出て、声を張り上げた。

「余は————俺は愚王だ!!」

 生まれて初めて自分のことを俺と呼んだ。
 少し恥ずかしかったが、悪くはない。

「自分の力量を弁えず賢王になろうとし、民に優しく、敵対勢力であっても宥和を重んじた!
 屈辱に耐え身を削る事が国のためになるなどと考えていたどうしようもなく浅はかな小僧だ!
 貴様らを救ったのは俺が正義を為しているという実感が欲しかっただけだ!
 ダールトンやジャスティンだって、殺しておけば犠牲者が出なかったのに、できなかった!
 俺は中途半端で……今や何の価値も残っていないただの、流刑者だ」

 謙遜ではなく本気で自分のことを愚かで無能な男だと思っている。
 そして大嫌いだ。
 もし私が彼らの立場ならば、こんな奴について行ったりしない。
 なのに何故……

「だから……俺は貴様たちになにもしない。
 貴様たちにあらゆる危険から守らせて、貴様たちが集めてきた食糧を調理させ、ただ貪るだけだ。
 好き勝手生きてやる!!
 今までの俺のような在り方を期待するな!!
 文句があるなら————」
「文句なんてねえよ!!」

 さっき、私に語りかけてきた水夫が叫んだ。
 それをきっかけに皆が口々に私に言葉を投げかける。

「好き勝手なさって構いません!!」
「王様を守るのが臣下の務めでしょうが!
 あなたが無茶苦茶強かっただけで……」
「陛下の敵は王だろうが神だろうが皆殺しに致します!!」
「野菜づくりはオレらの仕事さ!」
「陛下に美味しいもの食べていただくために船に乗ったんですよ!」
「私! 愛人志願です!」
「ちょっと!? 抜け駆けしないで!!」
「オルタンシアにいた頃よりずっと良い暮らしさせてあげますよ! ジルベール様!」

 明るい声が、温かな感情が津波のように押し寄せてきて、溺れた。
 ただただ、涙が溢れて仕方なかった。

 きっとレプラはこの光景を見せたくて、わざわざ回りくどく、大仕掛けな大規模な亡命を企てたのだろう。

 レプラが背後から語りかけてくる。

「ただ生きてくれているだけで良い。
 笑ってくれていたらそれ以上はない。
 見返りがいらないほどに夢中になれる相手のために自らを捧げること。
 愛、ってそういうものだと思うの」
「ねえ様に愛を説かれる日が来るなんて思わなかった」
「恥ずかしいじゃない。
 愛しているわ、なんて伝えるのは」

 そう言うと、レプラは人目もはばからず私を後ろから抱きしめた。

「あなたは自分が思っているより、優れた王だった。
 だから今もみんなに愛されているのよ」

 水平線の奥から太陽が昇ってくる。
 黄金色の日差しが船団に降り注ぐ。
 どうしようもない多幸感に包まれて、同時に感謝の気持ちで溢れた。

 私は、国を幸せにすることはできなかった。
 ついてきてくれた彼らを幸せにする自信もない。
 だけど、今……私に光を与えてくれたみんなのためにも、幸せになりたい、と願った。
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