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第六話 彼女が幸せなら、かまわない

彼女が幸せなら、かまわない③

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 その夜、公務を切り上げた後、自室に戻ってバルトとワインを片手に歓談した。
「男だけでは華がない」とバルトがディナリスも同席させたのは予想外だったが、それだけ信頼を置いているということだろう。
 それに……鎧を外し、袖のないシャツと下着のように短いズボンといったラフな出で立ちになった彼女は、たしかに目の保養になる。
 白く引き締まった四肢に視線が吸い寄せられていると彼女はからかうように笑いかけてきた。

「物珍しいかな?
 筋肉質な女の身体は」
「そ、そんなつもりでは!
ただ、綺麗だと思って」

 狼狽しながらそう漏らすと、バルトが高らかに笑った。

「ほう、華奢な貴婦人を囲われている陛下に見せるには申し訳ない無骨な身体と思ったが、案外捨てたものではないな」
「ディナリス。
 陛下の御前だ。
 敬語くらい使え」

 諌めるバルトだがディナリスは取り合わない。

「言葉遣いのマズさは勘弁してくれ。
 敬語まで覚えるのは難儀するんだ」
「ああ、私はかまわん。
 気安い方が酒も美味く飲めるというものだ」

 さすが話が分かる、とディナリスは酒瓶を掴んで私のグラスになみなみと注いだ。


 かしましい令嬢方のように喋って、笑って、酒量はみるみる増えていった。
 気が緩んでしまった私は穴の空いた樽のように愚痴をこぼしていく。
 バルトは新聞社の情報よりも正確に詳しい情報を持っていた。
 おそらくはを王都中に放っているのだろう。

 だが、そんな彼でもフランチェスカの淫行は知らなかった。
 バルドは唸り、ディナリスは不愉快そうに舌打ちをして立ち上がった。

「ゲスにも程があるだろう!!
 王妃の立場でやることか!!
 どうなっているのだ!! この国は!!」

 彼女は諸国を旅しながら腕を磨いてきた冒険者らしく、見識が広い。
 そんな彼女にとってもこの国の今は歪なものに見えるようだ。

「叔父上はジャスティンと手を組んだ。
 フランチェスカが調子に乗っているのも私から王位を簒奪するつもりだからだろう。
 公爵家とマスコミを敵に回してまで私を守ろうとする議員はいない。
 王でいられる時間はあまり残されていないかもしれない」

 その時はいずれ訪れる。
 平和的な退位で済まされるのか弾劾されるか、最悪暗殺もあり得る。

「もう自ら王の座を退いてはどうだ?
 仮病を使って、静養地で隠居すると宣言すればそれ以上攻められる故もなくなる」

 ディナリスの提案は非常に魅力的なものだった。
 何度も何度も私の胸をよぎった甘い誘惑。
 それこそレプラがいた頃から。
 だが、私の呪いはその誘惑に乗ることを許さない。

「それは……できんよ。
 叔父上は決して優秀な君主になれない。
 姫であるレプラが次期王と目されたり、側室の子で年端もいかない私が王になれたことからも分かるだろう。
 今は調子づいているがジャスティンの傀儡と成り下がるのがオチだ。
 それはつまりこの国を動かす全てがジャスティンの手中に入るということだ。
 権力とマスコミが合致して国民を洗脳し、染まらないものを粛清していけば民の価値観を自在に定められる。
 歴史上最悪の独裁者になるだろうな」
「独裁者が真っ先にやることは敵対者の抹殺だ。
 逃げ方を考えなければ手遅れになるぞ」

 脅すようにまっすぐに目を見てくるディナリス。
 きっと、この騎士は強いのだろうな。
 怖いものがなく、運命を自分の力で切り拓いてきたのだろう。
 今の私には眩しすぎて、目を逸らして嘯くしかない。

「所詮、私一人の命だ。
 私が国王特権を使って強引に進める政策で救われる数は一日であろうと何百何千となる。
 一と大勢。比べるべくもない。
 最期のその時まで、私は私の責務を全うするだけだ」

 それに私が王位にしがみついている間に奇跡が起こって叔父上やジャスティンがくたばる可能性だってある。
 他力本願で情けないこと極まりないが。
 果てしない海原で陸地を探す漂流者のように、私は祈り続けている。
 そんな私をディナリスが嘲笑うように吐き捨てるのは当然だろう。

「ハッ、これだから男は……くだらないプライドなんて自殺の口実みたいなもんだ」
「おい! ディナリス!
 流石に不敬だぞ!」

 慌てるようにディナリスを諌めるバルト。
 いつも私やレプラにたしなめられていた彼が気をつかう人間になっていて可笑しい。

「良い。今日は無礼講だ。
 歯に衣着せずに話してくれる相手はありがたい」
「それはそれは、剛毅で男らしいな。
 だが恩知らずだ」
「恩知らず?」
「ああ、そうさ。
 領主殿がここに来たのは王様に媚を売りに来たんじゃない。
 マスコミにあらぬ事を書かれて、世間に冷たい目で見られ、挙句、大切な人まで奪われたあなたを心配してやってきたんだ」

 バルトに目を向ける。
 彼は私と目が合うと豪快に瓶ごとワインを呑んで、プハー、と息を吐いた。
 気恥ずかしさを隠しているようだった。

「バルト……」
「チッ、ディナリス。
 喋りすぎだ。
 この席に呼んだこと後悔してきたぞ」

 プイとバルトから顔を背けたディナリスは言葉を呑み込むように酒を呷った。

「すまんな、心配をかけて。
 駆けつけてくれたこと、心から感謝している」
「滅相もございません。
 レオノー……レプラから手紙が来て、ようやく貴方の窮状を知ったマヌケに感謝などしないでください。
 今更駆けつけたところで、ろくに何もできやしない。
 厚顔無恥にも友のような顔で酒を酌み交わすことしかできない無能者です」

 私は胸がつまった。
 シュバルツハイム領は王国東部の国境線を含み、隣国ヴィルシュタインと小競り合いを繰り返しているだけでなく、強力なモンスターが多数発生する危険地帯だ。
 領主は統治者であり、軍の責任者でもある。
 バルトが領地を離れるということは相当な決断であった筈だ。
 それなのに遠く離れた辺境の地から、わざわざやってきてくれた。
 私の心を慰めようと、それだけのために。
 
 そんなの嬉しいに決まってる。

「そなたの心意気だけで十分だ」

 私は立ち上がり、ワインのボトルに栓をする。

「他に用事がないならば明日には領地に戻れ。
 いなくてもかまわない、そんなお飾りの領主ではないだろう。
 は」

 即位前の時のようにバルトを呼ぶ。
 なんだか重い荷物を下ろせた気分だ。

「陛下…………」
「案ずるな。
 そなたが心意気を見せてくれたおかげで、私も自分の価値を見つめなおせた。
 私が治める国に私が大切に思う人達がいる。
 易々と王位も命もくれてはやらんさ」

 そう答えるとディナリスはパッと笑顔になって、うんうんと頷く。

「そうだそうだ。
 前向きなのが一番だ。
 それが心意気に報いるという事だぞ。
 なあ、領主……どの?」」 

 ディナリスは驚いた顔を見せた。
 バルトが目を充血させ泣くのを堪えるように唇を歪めているからだ。

「何故悲痛な顔をする?」
「だって……悔しいじゃないですか。
 ジル様は頑張ってる、いやずっと頑張ってきたじゃないか。
 なのに、無責任な連中はその事を知ろうともせず、石を投げる始末。
 こんなのおかしいだろ」

 バルトはテーブルに突っ伏して、寝息を立て始めた。
 ああ、この人はいつもこうだ。
 他人の痛みを自分の痛みのように受け止める。
 領主でありながら自ら戦場に赴き槍働きをするのも、兵たちとともに痛みを背負うため。

「ディナリス。
 そなたの主君は優しい男だな」
「酒に弱いのが、締まらないところだがな」

 レプラ以外にも私のことを想ってくれる人がいる。
 それが分かっただけでこの先、何十年でも戦い続けられると思った。
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