1 / 16
序章 神が死んだ世界
しおりを挟む
『人間は神の一つの失策にすぎないのであろうか?
あるいは神は人間の一つの失策にすぎないのであろうか?
ーーフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ』
あなたは、この世の果ての風景を見たことがありますか?
僕はあるんですよ。
あの寒々とした恐ろしい光景を。
今でも夢でうなされるんです。
あなたにも、その風景を見せてあげようと思うんですよ。
だってそうでしょう?
あの悪夢はすべて……あなたがた一族のせいなんだから……。
ねえ……社長?
この世の果て
壇上を一筋のスポットライトが照らす。
その光の中には黒光りする大きなグランドピアノ、その前には女が一人。
ウェーブの掛かった艶やかな髪を揺らし、一心不乱にピアノを弾く女が一人。
ステージとは対照的な闇に閉ざされた客席には、大人達に混じって、行儀良く座る少年が一人。
少年の耳には、聞いたことがないのになぜか懐かしいメロディが、心地よく響いている。
少年の目には、目まぐるしいスピードで旋律を奏でる、女の細く白い指先と、目を閉じた女の白い顔が交互に映っていた。
と、女の華奢な肩が、大きく揺れると同時に、繊細な指先の動きが止まった。
女は椅子から立ち上がると、ちょっぴり腰を下ろし、黒いロングドレスの端を両手で掴み、一礼した。
女の礼と同時に、割れんばかりの拍手が起こった。
次々と壇上に投げ込まれる花束。
鳴りやむ気配のない拍手の波。
観客達は椅子から立ち上がり、口々に彼女を称えた。
女はゆっくりと顔を上げた。そして、にっこりと微笑んだ。
少年は、拍手することも、立ち上がることも忘れて、ただ女の輝くような笑顔を見つめていた。
*
今日はその兄妹の母親のバースデーであった。
二人は日々のおやつを我慢してお金を貯め、こっそりとプレゼントを用意していた。
美しく咲き誇る桜色のブラウスと、小さなショートケーキ。本当は大きなケーキを買いたかったけど、
二人でこつこつ貯めたお金はブラウスを買った時点で小銭しか残っていなかった。
二人は母親の喜ぶ顔を想像しながら、高鳴る胸を抱えて帰宅した。
「お母さん~。ただいま~!!」
真っ先に居間に駆け込んだのは、妹の方だった。
どちらかというと控えめな性格だった彼女のはしゃぎぶりに、兄である少年は愉快そうにゆっくりと靴を脱いだ。
その時、玄関の隅に父親の革靴があるのが見えた。今の時間なら父はまだ自らが経営する工場にいるはずなのに。
少年は不思議に思いながらも居間へ向った。
「あれぇ?お母さん、いないよ」
居間に入ると、きょとんとした顔をした妹にぶつかった。
「おかしいなぁ。買い物に行ったのかな?」
だが、父の靴に並んで母のサンダルもハイヒールも玄関にあった。
「二階は見たかい?」
妹はゆるゆると首を振った。
二人は手を繋いで二階へと向った。
狭くて急な階段を昇りきると正面に兄妹の部屋があり、その右手に両親の寝室があった。
妹は急に兄の手をきつくきつく握った。その小さな手は小刻みに震えて、冷たかった。
この先に広がる光景を予感しているかのように。
少年はゆっくりと両親の部屋の襖を開けた。
そこには、天井からぶら下がる両親の姿が……。
「きゃあああああああっ!!」
「見るなっ!!」
少年は慌てて妹の目を覆った。少女はその兄の手の汗ばんだぬくもりを感じながら、闇に落ちた。
あるいは神は人間の一つの失策にすぎないのであろうか?
ーーフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ』
あなたは、この世の果ての風景を見たことがありますか?
僕はあるんですよ。
あの寒々とした恐ろしい光景を。
今でも夢でうなされるんです。
あなたにも、その風景を見せてあげようと思うんですよ。
だってそうでしょう?
あの悪夢はすべて……あなたがた一族のせいなんだから……。
ねえ……社長?
この世の果て
壇上を一筋のスポットライトが照らす。
その光の中には黒光りする大きなグランドピアノ、その前には女が一人。
ウェーブの掛かった艶やかな髪を揺らし、一心不乱にピアノを弾く女が一人。
ステージとは対照的な闇に閉ざされた客席には、大人達に混じって、行儀良く座る少年が一人。
少年の耳には、聞いたことがないのになぜか懐かしいメロディが、心地よく響いている。
少年の目には、目まぐるしいスピードで旋律を奏でる、女の細く白い指先と、目を閉じた女の白い顔が交互に映っていた。
と、女の華奢な肩が、大きく揺れると同時に、繊細な指先の動きが止まった。
女は椅子から立ち上がると、ちょっぴり腰を下ろし、黒いロングドレスの端を両手で掴み、一礼した。
女の礼と同時に、割れんばかりの拍手が起こった。
次々と壇上に投げ込まれる花束。
鳴りやむ気配のない拍手の波。
観客達は椅子から立ち上がり、口々に彼女を称えた。
女はゆっくりと顔を上げた。そして、にっこりと微笑んだ。
少年は、拍手することも、立ち上がることも忘れて、ただ女の輝くような笑顔を見つめていた。
*
今日はその兄妹の母親のバースデーであった。
二人は日々のおやつを我慢してお金を貯め、こっそりとプレゼントを用意していた。
美しく咲き誇る桜色のブラウスと、小さなショートケーキ。本当は大きなケーキを買いたかったけど、
二人でこつこつ貯めたお金はブラウスを買った時点で小銭しか残っていなかった。
二人は母親の喜ぶ顔を想像しながら、高鳴る胸を抱えて帰宅した。
「お母さん~。ただいま~!!」
真っ先に居間に駆け込んだのは、妹の方だった。
どちらかというと控えめな性格だった彼女のはしゃぎぶりに、兄である少年は愉快そうにゆっくりと靴を脱いだ。
その時、玄関の隅に父親の革靴があるのが見えた。今の時間なら父はまだ自らが経営する工場にいるはずなのに。
少年は不思議に思いながらも居間へ向った。
「あれぇ?お母さん、いないよ」
居間に入ると、きょとんとした顔をした妹にぶつかった。
「おかしいなぁ。買い物に行ったのかな?」
だが、父の靴に並んで母のサンダルもハイヒールも玄関にあった。
「二階は見たかい?」
妹はゆるゆると首を振った。
二人は手を繋いで二階へと向った。
狭くて急な階段を昇りきると正面に兄妹の部屋があり、その右手に両親の寝室があった。
妹は急に兄の手をきつくきつく握った。その小さな手は小刻みに震えて、冷たかった。
この先に広がる光景を予感しているかのように。
少年はゆっくりと両親の部屋の襖を開けた。
そこには、天井からぶら下がる両親の姿が……。
「きゃあああああああっ!!」
「見るなっ!!」
少年は慌てて妹の目を覆った。少女はその兄の手の汗ばんだぬくもりを感じながら、闇に落ちた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
【毎日20時更新】アンメリー・オデッセイ
ユーレカ書房
ミステリー
からくり職人のドルトン氏が、何者かに殺害された。ドルトン氏の弟子のエドワードは、親方が生前大切にしていた本棚からとある本を見つける。表紙を宝石で飾り立てて中は手書きという、なにやらいわくありげなその本には、著名な作家アンソニー・ティリパットがドルトン氏とエドワードの父に宛てた中書きが記されていた。
【時と歯車の誠実な友、ウィリアム・ドルトンとアルフレッド・コーディに。 A・T】
なぜこんな本が店に置いてあったのか? 不思議に思うエドワードだったが、彼はすでにおかしな本とふたつの時計台を巡る危険な陰謀と冒険に巻き込まれていた……。
【登場人物】
エドワード・コーディ・・・・からくり職人見習い。十五歳。両親はすでに亡く、親方のドルトン氏とともに暮らしていた。ドルトン氏の死と不思議な本との関わりを探るうちに、とある陰謀の渦中に巻き込まれて町を出ることに。
ドルトン氏・・・・・・・・・エドワードの親方。優れた職人だったが、職人組合の会合に出かけた帰りに何者かによって射殺されてしまう。
マードック船長・・・・・・・商船〈アンメリー号〉の船長。町から逃げ出したエドワードを船にかくまい、船員として雇う。
アーシア・リンドローブ・・・マードック船長の親戚の少女。古書店を開くという夢を持っており、謎の本を持て余していたエドワードを助ける。
アンソニー・ティリパット・・著名な作家。エドワードが見つけた『セオとブラン・ダムのおはなし』の作者。実は、地方領主を務めてきたレイクフィールド家の元当主。故人。
クレイハー氏・・・・・・・・ティリパット氏の甥。とある目的のため、『セオとブラン・ダムのおはなし』を探している。
孤島の洋館と死者の証言
葉羽
ミステリー
高校2年生の神藤葉羽は、学年トップの成績を誇る天才だが、恋愛には奥手な少年。彼の平穏な日常は、幼馴染の望月彩由美と過ごす時間によって色付けされていた。しかし、ある日、彼が大好きな推理小説のイベントに参加するため、二人は不気味な孤島にある古びた洋館に向かうことになる。
その洋館で、参加者の一人が不審死を遂げ、事件は急速に混沌と化す。葉羽は推理の腕を振るい、彩由美と共に事件の真相を追い求めるが、彼らは次第に精神的な恐怖に巻き込まれていく。死者の霊が語る過去の真実、参加者たちの隠された秘密、そして自らの心の中に潜む恐怖。果たして彼らは、事件の謎を解き明かし、無事にこの恐ろしい洋館から脱出できるのか?
戦憶の中の殺意
ブラックウォーター
ミステリー
かつて戦争があった。モスカレル連邦と、キーロア共和国の国家間戦争。多くの人間が死に、生き残った者たちにも傷を残した
そして6年後。新たな流血が起きようとしている。私立芦川学園ミステリー研究会は、長野にあるロッジで合宿を行う。高森誠と幼なじみの北条七美を含む総勢6人。そこは倉木信宏という、元軍人が経営している。
倉木の戦友であるラバンスキーと山瀬は、6年前の戦争に絡んで訳ありの様子。
二日目の早朝。ラバンスキーと山瀬は射殺体で発見される。一見して撃ち合って死亡したようだが……。
その場にある理由から居合わせた警察官、沖田と速水とともに、誠は真実にたどり着くべく推理を開始する。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
一輪の廃墟好き 第一部
流川おるたな
ミステリー
僕の名前は荒木咲一輪(あらきざきいちりん)。
単に好きなのか因縁か、僕には廃墟探索という変わった趣味がある。
年齢25歳と社会的には完全な若造であるけれど、希少な探偵家業を生業としている歴とした個人事業者だ。
こんな風変わりな僕が廃墟を探索したり事件を追ったりするわけだが、何を隠そう犯人の特定率は今のところ百発百中100%なのである。
年齢からして担当した事件の数こそ少ないものの、特定率100%という素晴らしい実績を残せた秘密は僕の持つ特別な能力にあった...
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる