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分かったところで抗えるかは別の話

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 一回タガが外れると……っていうやつなんだろうか。背中にある透き通った羽をはためかせながら、大きな手がひっきりなしに、甘やかすように俺の頭を、頬を、背中を撫で回す。

 部屋の奥で鎮座している、キングサイズよりも大きなベッドへ腰を下ろしている逞しい膝。鍛え上げられたその上に向かい合う形で俺を乗せて。支えるように、抱き寄せるように、引き締まった腕を腰へと回す彼の手が、繰り返し優しく。

 それだけでも俺の心臓は大はしゃぎの真っ最中。なのに穏やかな笑みを浮かべた唇までもが、繋いだ手に、目尻に、頬にと何度もそっと触れてくれるもんだから困ってしまう。

 ……オーバーワークもいいところだ。いい加減壊れちゃうんじゃないか? ドキドキし過ぎて。

 とはいえ、止める気にはならなかった。一切。だって嬉しい。好きな人から触れてもらえて、おまけに喜んでもらえるんだから。メリットしかないんだから。

 青い水晶で作られたシャンデリアが見守る中。大きな窓の外から、俺達が暮らす別棟にほど近いお城の本棟から、徐々に賑やかな生活音が届き始めている。

 ……ウソみたいだ。ほんの少し前まで……驚いて、泣いて、喜んで。感情がジェットコースターのように、目まぐるしく変化していたのが。いや、まだ喜びだけは、絶賛右肩上がりなんだけどさ。

 けれども、ひと心地ついてはいた。だからかもしれない。本来なら、最初に聞くべきであろう疑問が不意に浮かんできたんだ。

「……その、今更ですけど。バアルさんは……気にしないんですか? 俺、男で……しかも人間、ですけど……」

 ホントに、キスまでしてもらっているのに今更だ。でも、一度浮かんでしまえば我慢出来なくて。何も考えず、唐突に尋ねてしまっていた。

 案の定、ゆるりと細められていた緑の瞳が、ぱちくり瞬く。背を行き交っていた手もぴたりと止まり、上機嫌に揺れていた額の触覚も、はためいていた美しい羽も、続けて止まった。固まってしまったみたいに。

 カッコいいとキレイを兼ね揃えた中性的なお顔。色気のある大人なシワも、渋くて男らしい髭も無い。若返った彼が、きょとんと俺を見つめている。

 笑顔から真顔に近い表情へと変わったことで、はたと込み上げてきた。

 余計なことを聞いたんじゃないかとか。一時的に記憶を失っているにも関わらず「愛する妻」と言ってくれた彼に失礼じゃないかとか。次から次へと、もやもやと。

「っすみませ」

「ああ、些末なことでしたので、疑問すら抱いてはおりませんでした」

「へ?」

 重なった、あっけらかんとした高めの声と回答に、開いた口が固まってしまっていた。間の抜けた音を出したままの形で。

 そして、今度はふにゃりと緩んでしまうことになる。恭しく俺の手を取り微笑んだ、彼の言葉によって。

「……透き通った琥珀色の瞳に、私の名を呼んで下さる愛らしい声……何より、溢れんばかりの可愛らしさと眩しい笑顔……アオイ様という存在に、ひと目で心を奪われた私にとって、そのような事柄は取るに足らないことでしたので」

「ひぇ……」

 歌詞とか文章とかでよく、愛を謳うって出てくるけれども。まさか、身をもって知ることになろうとは。

 ノンブレスで、歌い上げるようにツラツラと高らかに想いを伝えてくれただけじゃない。熱を帯びた鮮やかな緑の眼差しを一心に注がれながら、艷やかに微笑む唇で手の甲に触れてもらえてしまったんだ。

 ……ホントに勘弁して欲しい。オーバーキルもいいところだ。こっちは常日頃、貴方の言動に一喜一憂してしまうくらい、好きで好きで仕方がないんだぞ?

 一気にお花が咲き乱れた頭はオーバーヒート寸前。顔なんかもっと酷い、絶対に。好きな人の前で見せちゃいけないレベルだ。緩み過ぎて。なのに、

「ふふ、誠に貴方様はお可愛らしい御方でございますね……斯様にお顔を真っ赤になさって……」

 うっとりと瞳を細めながら、蕩けるような笑みを浮かべた唇で、今度は頬にも触れてもらえてしまったもんだから、大変だ。

「……好きぃ……も、無理……大好き……」

 あふれまくった気持ちが、うっかり口からこぼれてしまっていた。

 ……やってしまっ……いや、やってしまってはないだろう。だって、間違ってない。好きだし。バアルさんのこと。とはいえ、どんな顔をしたら……

 今更な不安は、あっという間に何処かへと吹き飛んだ。一瞬、トマトかな? と思ってしまったくらいに真っ赤な顔をした、バアルさんとご対面したことによって。

 熱くなっていた顔の温度が、一気にクールダウンしていくのが分かる。あれだ。自分よりも慌てている人を見ると逆に落ち着くってやつだ。それと同じだ。多分。

「……かわいい」

 また、こぼれていた。

 そんでもって、手も出ていた。触り心地のいい髪に触れ、彼にしてもらっているみたいに頭を撫でてしまっていた。見た目の年が近いからだろうか。いつもより、大胆になれてしまう。

 ガッシリとした肩がびくんっと跳ねる。でも、すぐに瞳がとろんと細められ、固まっていた表情もふにゃりと綻んでいく。撫でる度にゆらゆらと触覚が揺れ、ぱたぱたと羽がはためいた。

 きゅっと高鳴った胸が、擽ったくなってくる。すっかり身を委ねてくれているバアルさんのご様子に。

 ……これだ。この感覚が拍車をかけてるんだ。この感覚に突き動かされているんだ。

 何となくでも分かったからとはいえ、衝動に抗えるのかといえば、それはまた別の話しで。

「……やっぱり、かわいい」

 吸い寄せられるように赤みを帯びたままの頬へ、そっと口を押しつけていた。唇に感じる、いつもより高い体温。

 ……熱いな。見た目通り。なんて、ぼんやり考えていた余裕は瞬く間に消え失せた。

「おわっ!?」

 一瞬、吹き飛ばされたのかと思った。

 全身を襲った突然の浮遊感。直後、背中に感じたふかふかの感触。視界に映った青い石造りの天井と俺を射抜く熱のこもった眼差し。

 あぁ……押し倒されたのか、俺、バアルさんに。

「バアルさ」

「あまり、煽らないで下さい…………私は、申した筈ですよ? ひと目で貴方様に心を奪われた、と」

 少しトーンの落ちた声が、俺の言葉を遮った。

 動けない。身体を跨いで覆いかぶさられて。両の手を、指を絡めて繋いだ形でシーツにシワが出来るまでしっかり縫い付けられて。物理的に動けないってのもある。

 でも、それ以上に見惚れてしまっていたから。余裕のない、焦がれるような緑の瞳から、目が離せなくなっていたから。そもそも動こうという気にならなかった。

「貴方様を愛しております……将来の私に負けないくらい……」

 伏せられた、透明感のある白い睫毛が銀糸のように美しい。切なげに眉をひそめた、何処か憂いを帯びた表情も。

 小さな吐息を漏らした桜色の唇が、ぽつりと呟き言葉を切る。

「私めを……可愛い、と仰って下さるのは大変嬉しく存じます」

 少しの間の沈黙。息を整えているような、覚悟を決めているような間の後に、強い光を宿した緑が俺を真っ直ぐに見下ろした。

「ですが、私だって男です……いつ如何なる時も、紳士的に振る舞えるとは限らないのですよ?」
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