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とある王様は、とびきりの笑顔で迎えたい

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 行き交うメイド達や兵士達から微笑ましい視線を向けられながら、秘書殿と隊長殿と仲良しこよしで行き着いた先は、兵舎であった。

 同時にパッと手を離されたかと思えば、流れる様な動作で二人から開けてもらったドアの先へと背中を押され、押し込まれる。力加減は勿論してもらえているとはいえ、やはり雑では? 私の扱い。

 舎内に入った途端、ふわりと香る。私の好きなチーズの香り、甘酸っぱいソースのような香り、甘いバターの香り。

 ……不思議だ。うんともすんとも鳴かなかった腹の虫が、途端に空腹を訴え始める。

 足が勝手に動いていた。美味しそうな香りに誘われ、ふらふらと。何やら、賑やかなざわめきも聞こえ始めた。

「……食堂か」

 辿り着いた木製の大きな扉。そっと開き、飛び込んできた光景に驚きはしたが、納得した。ああ、確かに、今の私には聞かせられぬであろうと。

「こんにちは、ヨミ様! 来てくれてありがとうございます!」

 緑のエプロンを揺らし、駆け寄って来てくれた満面の笑顔。アオイ殿が、いつもと何ら変わらない愛らしい笑みを私に向けてくれている。

 ……どうして、私に笑いかけてくれるのだ?

 浮かんだ疑問は瞬く間に消え失せた。圧倒的に嬉しさの方が上回ったからだ。上回り過ぎて込み上げてきそうになった。視界を滲ませようとする熱さを堪え、口を開く。

「あ、ああ……こんにちは、アオイ殿」

 目の前の笑顔がより一層深くなる。つい、まじまじと見つめてしまっていると、柔らかく温かいものが手に触れた。

 ……アオイ殿が、私の手を握っている。反射的に顔を上げればかち合う琥珀色。丸く透き通ったその瞳を輝かせ「聞いてくださいっ」と声を弾ませた。

「俺、大分、上手くなったんですよ? チーズたっぷりのスクランブルエッグ! あ、勿論ハンバーグも上達しました! それから、それから……付け合わせも作れるようになりましたっ! 人参のグラッセ!」

「……スクランブルエッグ? ハンバーグ? グラッセ?」

 繋いだ手をぶんぶん振りながら、誇らしげに語ってくれたアオイ殿。何か気の利いた言葉の一つや二つ、返さねばならぬというのに出てこない。

 ぽかんと開きっぱなしの口は、ただ記憶に新しい単語を、アオイ殿に贈ったレシピに加えていた料理名を口にするだけ。それでも、アオイ殿はうんうんと頷きながら小さな口を綻ばせてくれる。

 またしても、目の奥がじわりと熱を持ち始めた時、今更ながら気づいた。私達を見守るような温かい視線の数々に。

 彼の後ろ、部屋の奥へと目を向ければ見知った面々が席を立ち、柔らかく微笑んでいる。はたと気づき手を振るグリムに頭を下げるクロウ。敬礼するシアンやサロメら親衛隊の皆。そして。

「ち、父上っ!?」

 一番大きなテーブルの側で、どこか安心したように微笑む真っ赤な瞳と目が合った。

「はいっサタン様にも協力してもらっていたんです」

 弾んだ声で答えるアオイ殿の細い肩、そこにも馴染みの友人が居たことに遅れて気づく。寄り添うようにちょこんと乗っかり、ぴかぴか瞬く緑の粒。コルテが細い手足をんばっと上げ、私の方へぶんぶん振っていた。

「今の時間、使っても問題ない厨房をお探しとのことでしたので、手狭で申し訳ないのですが……此方へお招き致しました」

 振り返していると、後ろから聞こえた低い声。胸に手を当てガッシリとした長身をピシリと伸ばすレダが、兵舎にアオイ殿が居た理由を説明してくれる。

 ああ、すっかり忘れておった。ここに来るまでの道中、彼とレタリーに手を引かれて来たのであったな。

「ありがとうございます、レダさん。ヨミ様を呼んできてくれて」

「いえ」

「レタリーさんも来てくれてありがとうございます」

「いえいえ、これくらいお安い御用でございます」

 会釈するレダに続けて、レタリーが砕けた調子で微笑む。

「え? レタリー……そなた、いつの間にアオイ殿と仲良しさんに?」

 基本的に彼は私と執務室に居る。であれば、アオイ殿と会う機会など、ほぼ無い筈なのだが。

「それが、ヨミ様が忙しい時に、代わりに焼き菓子を渡してもらっていて……」

「お礼にと私にも焼き菓子を頂けたり、時々ご夫婦のお茶会にお邪魔させてもらったりしております」

「……はぁ!? 私、聞いておらぬが!?」

 直ぐ様疑問は解消された。だが納得はいかぬ。

 もしかして、あれか? 時々「所用がございますので……」とか言って抜け出していた時なのか? 私だって、時間さえあれば何時だって、何度だってバアルとアオイ殿とお茶したいのにっ!! 私に内緒で抜け駆けしておったのか? 此奴!!

「そりゃあ、申し上げておりませんでしたので」

 堂々と言い放った彼には悪びれる様子は一切ない。当然の権利だとでも言いたげだ。

「ご、ごめんなさい」

「いやいや、アオイ殿が謝る必要はないであるからな」

 よっぽど大きい声を上げてしまっていたんだろう。緑の三角巾を結んだ、オレンジ色の頭をぺこぺこ下げ続けている。秘書殿も見習って欲しいものであるな。

 少し落ち着いてきたところで、元々の、最大の疑問が浮かんでくる。

「……しかし、なにゆえアオイ殿は兵舎の食堂に? 見たところ……料理をしていたようだが……」

 考えをそのまま口にしていた私に、アオイ殿が小さく頷く。琥珀色の瞳が私を真っ直ぐに見つめた。

「……考えたんです。俺が、バアルさんの為に……今、出来ることを。そしたら、やっぱり、美味しい料理を作ることかなって……温かい料理でお出迎えしたいんです。笑顔でお帰りなさいって言いたいんです。皆さんと一緒に」

「アオイ殿……」

 ……バアルだけではなかった。彼も強かった。

 不安に押し潰されそうで見送れなかった私より、嫌われたくなくてアオイ殿から逃げていた私よりも、ずっと。

「それで、クロウさんに教えてもらって……皆さんには味見をお願いしてもらってました。だから……」

 父上を、皆の者を、ぐるりと見回した眼差しが、柔らかく細められた瞳が私を映す。

「ヨミ様も、味見してくれませんか?」

「っ……ああ……是非、手伝わせてくれぬか?」

 思わず力を込めてしまっていた私の手を、小さく優しい手のひらが握り返してくれる。

「はいっ! お願いします」

 ゆっくりと手を引かれ、笑顔あふれる輪の中へと導かれる。背中を優しく父上に叩かれた途端、堪えていたものがボロボロこぼれ落ちてしまったが、幸いなことにアオイ殿には見られずに済んだ。

 緑の輝きに見守られながら、厨房へと元気よく駆けていった、華奢な背中が戻ってくるまであと少し。さっさと流し切って、拭って、とびきりの笑顔で迎えなければ。
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