上 下
271 / 702

この世界が地獄と呼ばれる所以

しおりを挟む
 静かな吐息がゆっくり繰り返す。吸って、吐いて、もう一度。生気のない、青白かった頬に少しづつ色が戻っていく。

 ……こんな時、だからだろうか。どうでもいいことを考えてしまうのは。やっぱりバアルさんの足は長いな、だなんて。大きく高いベッドの端から足を伸ばしても、絨毯につま先が届くかどうかの俺と違って長いな、なんて。

 同じく、すらりと長く引き締まった腕が俺の肩を抱き寄せる。恭しく手を取り、繋いでくれた彼の視線の先には俺の薬指が、彼と一緒に選んだペアリングが、銀の輝きを湛えていた。

 顔を上げた彼が口を開く。その眼差しは、俺には見えていない何かを見ているようだった。

「この世界……地獄は、常々『穢れ』という脅威にさらされております」

「穢れ……」

 またしても馴染みがない。というよりは、俺が居た世界には無いものだろう。

 ……とにかく悪い予感しかしない。その音を口にしただけで、背筋がゾクリと慄いたのだから。

「この地に落ちる者……天さえ見放した、深い罪を犯した人間。彼等の魂は、地獄の業火によって長きにわたり焼却され続け、ようやく無へと還ることが赦されます」

 物語を読み聞かせるみたいに淡々と語る声。ただただ事実だけを述べていく抑揚の無い音に、言葉にできない恐怖を覚えてしまっていた。俺の大好きな声のハズなのに。

「その際、魂にこびりついた罪や悪意、負の感情を焼却する際に湧いてしまうもの、それが『穢れ』なのです」

 後ろ向きな感情に心を乱されているせいだろう。彼が語ることを頭の中で上手く噛み砕けない。整理できない。

 ……脅威にさらされてるって、言ってたよな? それじゃあ、バアルさん達の世界を苦しめてるものって……

 ……ああ、そうか。ぐちゃぐちゃな頭でも一つだけ、分かってしまった。

「……俺達のせいで……バアルさん達が……」

「貴方様のせいではございません」

「でも……人間のせい、なんですよね……」

 僅かに伏せた、彼の白くて長い睫毛が震える。歪なラインを描いていた唇が、静かに引き結ばれた。

 ……沈黙は肯定と同じって聞いたことがある。誰だったか、何からだったかは忘れてしまったけれど。こういうことなんだな、と身を持って知る。

「……善があれば悪もおります。そして、一部が悪だからといって、全てが悪だということにはなりません。決して」

 静かに取り込んだ空気が重たい吐息に変わる。ふと、繋いでいる手に力がこもる。釣られて顔を向ければ、温かい光を帯びた緑とかち合った。

「何より……今、貴方様は私達の為に心を痛めていらっしゃる……その事実が、アオイ様のような御方がいらっしゃるということが、私の私達の癒やしとなっているのです」

 ふわりと蘇り、駆け巡った笑顔……ヨミ様、グリムさん、クロウさん。

 サタン様、レダさん、スヴェンさん、シアンさんやサロメさん親衛隊の皆さんや兵士さん、お城の皆さん。人間の俺に普通どころか、優しく接してくれている温かい方々。

 そして、何より目の前のバアルさんの言葉が、繋いでくれている温もりが、胸で渦巻く暗がりを払ってくれた。

「……ありがとうございます…………もう、大丈夫ですよ……だから、話の続き、聞かせてくれませんか?」

 正直、まだ上手く整理出来ていない。こんなにも優しい方々を、人間の悪意が苦しめているなんて。

 でも、今はバアルさんのことが大事だ。しっかりしないと。熱もないのに鈍く痛む頭を軽く振り、息を吐く。空いた方の拳を握り、気合を入れようとしていたところで、穏やかな声が優しい提案をしてくれる。

「……お茶を淹れましょう。ひと息ついてから、改めて穢れについて、儀式についてお話致します」

 口を挟む間もなく、手品のようにぽぽんっと馴染みのある白い陶器のティーポットと、お揃いの花柄のティーカップが現れる。

 意思を持っているかのように自動的にふわふわ浮かぶそれらは、手早く紅茶を注ぎ淹れ、湯気立つカップが俺達の手元へそっと収まった。

「……ありがとうございます」

「いえ……さあ、どうぞ……お熱いので気をつけて召し上がって下さいね」

「……はい。いただきます」

 琥珀色で満たされたカップから漂う、花のように甘い香り。いつもの紅茶が乾いた喉を潤し、冷えた身体を、心を温めてくれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺は成人してるんだが!?~長命種たちが赤子扱いしてくるが本当に勘弁してほしい~

アイミノ
BL
ブラック企業に務める社畜である鹿野は、ある日突然異世界転移してしまう。転移した先は森のなか、食べる物もなく空腹で途方に暮れているところをエルフの青年に助けられる。 これは長命種ばかりの異世界で、主人公が行く先々「まだ赤子じゃないか!」と言われるのがお決まりになる、少し変わった異世界物語です。 ※BLですがR指定のエッチなシーンはありません、ただ主人公が過剰なくらい可愛がられ、尚且つ主人公や他の登場人物にもカップリングが含まれるため、念の為R15としました。 初投稿ですので至らぬ点が多かったら申し訳ないです。 投稿頻度は亀並です。

悪役令息に憑依したけど、別に処刑されても構いません

ちあ
BL
元受験生の俺は、「愛と光の魔法」というBLゲームの悪役令息シアン・シュドレーに憑依(?)してしまう。彼は、主人公殺人未遂で処刑される運命。 俺はそんな運命に立ち向かうでもなく、なるようになる精神で死を待つことを決める。 舞台は、魔法学園。 悪役としての務めを放棄し静かに余生を過ごしたい俺だが、謎の隣国の特待生イブリン・ヴァレントに気に入られる。 なんだかんだでゲームのシナリオに巻き込まれる俺は何度もイブリンに救われ…? ※旧タイトル『愛と死ね』

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

束縛系の騎士団長は、部下の僕を束縛する

天災
BL
 イケメン騎士団長の束縛…

お願いだから、独りでいさせて

獅蘭
BL
 好きだけど、バレたくない……。  深諮学園高等部2年きっての優等生である、生徒会副会長の咲宮 黎蘭は、あまり他者には認められていない生徒会役員。  この学園に中等部の2年の9月から入るにあたって逃げた居場所に今更戻れないということを悩んでいる。  しかし、生徒会会長は恋人だった濱夏 鷹多。急に消えた黎蘭を、2年も経った今も尚探している。本名を告げていないため、探し当てるのは困難を極めているのにも関わらず。  しかし、自分の正体をバラすということは逃げた場所に戻るということと同意義であるせいで、鷹多に打ち明けることができずに、葛藤している。  そんな中、黎蘭の遠縁に当たる問題児が転入生として入ってくる。ソレは、生徒会や風紀委員会、大勢の生徒を巻き込んでいく。 ※基本カプ ドS生徒会副会長×ヤンデレ生徒会会長 真面目風紀委員長×不真面目風紀副委員長 執着保健医×ツンデレホスト教師 むっつり不良×純粋わんこ書記 淫乱穏健派(過激派)書記親衛隊隊長×ドM過激派会長親衛隊隊長 ドクズ(直る)会計監査×薄幸会計 ____________________ 勿論、この作品はフィクションです。表紙は、Picrewの証明々を使いました。 定期的に作者は失踪します。2ヶ月以内には失踪から帰ってきます((

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

愛されなかった俺の転生先は激重執着ヤンデレ兄達のもと

糖 溺病
BL
目が覚めると、そこは異世界。 前世で何度も夢に見た異世界生活、今度こそエンジョイしてみせる!ってあれ?なんか俺、転生早々監禁されてね!? 「俺は異世界でエンジョイライフを送るんだぁー!」 激重執着ヤンデレ兄達にトロトロのベタベタに溺愛されるファンタジー物語。 注※微エロ、エロエロ ・初めはそんなエロくないです。 ・初心者注意 ・ちょいちょい細かな訂正入ります。

処理中です...