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バアルさんにしてもらえて、嫌なことなんて
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バアルさんは、目を大きく見開いたまま、口を真一文字に結んでしまっている。指先や触覚すら動かさずに、ピシッと固まってしまっている。明らかに様子がおかしい彼に、俺は驚くと同時に焦っていた。
何が引き金になったかは、見当もつかない。が、確実に、俺がやらかしたせいだと思ったからだ。
……え、いきなり呼び捨てにしたのが、いけなかったのか? いやでも、そもそも彼からして欲しいって、ずっと強請られていた訳だから、嫌ってことはないだろうし……
思考をぐるんぐるん回していた俺は、ますます追い詰められることになる。思いもよらない彼の行動によって。
「ば、バアルさん? ……ぅあっ」
取り敢えず、いつものように呼びかけた俺の身体に突然あの感覚が。思わず身を捩りたくなるような、ぞくぞくする感覚が背筋に走った。
いつの間にかバアルさんは、俺の首元に顔を寄せていた。彼の柔らかい唇が、首のラインに沿って、下の方から徐々に上へと、軽く触れては離れていく。
おまけに俺を撫でてくれる彼の手つきが変わってしまっていたのだ。優しく甘やかすものから、ドロドロに蕩けさせるものに。
お陰で気持ちはお祭り騒ぎに、頭の方は完全にパニックに陥ってしまっていたんだ。
「ちょっ……ま、待ってくださ……ぁっ…………待って、ホント、まずいんで……」
「……何か、問題がございますでしょうか?」
いやいやいや、問題しかないでしょうがっ……
わざとらしくリップ音を鳴らしてから顔を離したバアルさんは、悪びれた様子もなく艷やかな笑みを浮かべたまま。
それどころか、小首を傾げた彼に対して、俺が慌てて叫んだ言葉である。勿論、心の中で。
咄嗟に、力いっぱい握り締めてしまっていた、彼の白いシャツから手を離す。艶のある雰囲気を纏う彼から、思わず視線を逸らしてしまっていた。
しかし、それは悪手だった。代わりに俺の視界に映ってしまったのだ。緩んだ襟元から覗く、綺麗な鎖骨が。鍛え上げられた筋肉で出来た、逞しい谷間が。
くっきり浮き出ている滑らかな線を、彫刻のように盛り上がったカッコいい胸板を、つい俺はじっくり見つめてしまっていた。
不意に、頭の上からクスクスと笑いを押し殺した声が降ってくる。嬉しそうに、色っぽい笑みを深めている彼の瞳には、すでに妖しい熱を灯していた。
「あ……いや、その…………だ、だって……まだ朝ですよ?」
ついさっきの自分の行動を棚に上げ、逃れようとしている俺に、バアルさんは優しい声で提案してくる。
「……室内の明るさを気にしていらっしゃるのでしたら、術でお望みの暗さに致します。勿論、防音対策も万全に施しましょう」
頬をするりとひと撫でして、彼がパチンと綺麗なウインクを俺に送ってくれた瞬間、全ての窓を黒いモヤが覆い尽くした。
青い水晶で作られたシャンデリアの明かりだけが頼りになった室内は、程よく薄暗くなっていた。外から僅かに聞こえていた生活音も、すっかり消えてしまっている。
つい、この世界に居るのが、俺達二人だけになってしまったような。あり得ない錯覚を覚えてしまう。
「いかがでしょうか?」
どこか得意気に羽をはためかせている彼によって、俺が一番気にしていた問題はあっさり解決してしまった。
「う……あっほら、もうすぐグリムさん達だって来ますし……」
「……時間の操作など、私めにとって造作もないことは……貴方様ならば、良くご存知でしょう?」
「うぅ……それは、そうですけど……」
確かに、俺は重々承知している。
悪戯っぽい笑みを浮かべている彼が、この部屋に流れる時間を遅くしたり、早くしたりと自由自在に操作できることを。
なんせ、今までの大量の焼き菓子作りで、大変お世話になりっぱなしだったからな。
ここで突然だが、断られるのを前提にワザと高めの要求を最初にしておいてから、次に小さめのお願いをするという交渉術を、ご存知だろうか。
なんでも、要求を下げてくれたことによって、下げてもらえた方は、相手が自分の意志を尊重して譲ってくれたと感じて、受け入れやすくなるんだそうだ。
「……では、今ではなく……今晩でしたら……貴方様に昨晩のように、触れさせて頂いても宜しいでしょうか?」
気がつけば、部屋には本来の明るさが戻っていて、彼からも鼓動が煩くなってしまうような艶やかさがなくなっていた。側に居てくれるだけで安心出来るような、柔らかく温かい雰囲気に戻っていた。
両手で包み込むように俺の手を握り、先程の勢いとは打って変わって、おずおずと尋ねてくるバアルさん。あまりのギャップに気持ちが緩んだのか、自然と素直な気持ちが口からこぼれていく。
「へ? あ、はい勿論。夜まで待ってくれるんだったら、全然大歓迎ですよ。バアルさんに触ってもらえるの、俺……スゴく嬉しいですから……」
「……左様で……ございますか?」
「はい」
どこか不安げに細められていた緑の瞳が、即答し、頷いた俺を見てキラキラと瞬く。
ほんのり頬を染め、ぴょこっと立っている触覚を忙しなく揺らしている。バアルさんが再び、俺の顔色を窺うように見つめながら、握っている手に軽く力を込めた。
「……お嫌では、ございませんでしたか?」
「バアルさんにしてもらえて嫌なことなんて、俺にはありませんよ……その、好き……ですから」
「アオイ様……」
途端に大きくぶわりと広がった、白い水晶のように透き通った羽が、温かい日差しの中で淡く輝く。
この世のものとは思えない美しさに見惚れていた俺を、長く引き締まった腕が抱き寄せてくれる。あふれる喜びを隠しきれていない低音が「私も愛しております……」と囁いてくれる。
一瞬で頭の中にお花が咲き乱れてしまった俺は、腰どころか全身の力まで抜けてしまって。ふわふわした夢見心地のまま、彼の逞しい胸板に頬を寄せる形で、情けなくへたり込んでしまっていたんだ。
何が引き金になったかは、見当もつかない。が、確実に、俺がやらかしたせいだと思ったからだ。
……え、いきなり呼び捨てにしたのが、いけなかったのか? いやでも、そもそも彼からして欲しいって、ずっと強請られていた訳だから、嫌ってことはないだろうし……
思考をぐるんぐるん回していた俺は、ますます追い詰められることになる。思いもよらない彼の行動によって。
「ば、バアルさん? ……ぅあっ」
取り敢えず、いつものように呼びかけた俺の身体に突然あの感覚が。思わず身を捩りたくなるような、ぞくぞくする感覚が背筋に走った。
いつの間にかバアルさんは、俺の首元に顔を寄せていた。彼の柔らかい唇が、首のラインに沿って、下の方から徐々に上へと、軽く触れては離れていく。
おまけに俺を撫でてくれる彼の手つきが変わってしまっていたのだ。優しく甘やかすものから、ドロドロに蕩けさせるものに。
お陰で気持ちはお祭り騒ぎに、頭の方は完全にパニックに陥ってしまっていたんだ。
「ちょっ……ま、待ってくださ……ぁっ…………待って、ホント、まずいんで……」
「……何か、問題がございますでしょうか?」
いやいやいや、問題しかないでしょうがっ……
わざとらしくリップ音を鳴らしてから顔を離したバアルさんは、悪びれた様子もなく艷やかな笑みを浮かべたまま。
それどころか、小首を傾げた彼に対して、俺が慌てて叫んだ言葉である。勿論、心の中で。
咄嗟に、力いっぱい握り締めてしまっていた、彼の白いシャツから手を離す。艶のある雰囲気を纏う彼から、思わず視線を逸らしてしまっていた。
しかし、それは悪手だった。代わりに俺の視界に映ってしまったのだ。緩んだ襟元から覗く、綺麗な鎖骨が。鍛え上げられた筋肉で出来た、逞しい谷間が。
くっきり浮き出ている滑らかな線を、彫刻のように盛り上がったカッコいい胸板を、つい俺はじっくり見つめてしまっていた。
不意に、頭の上からクスクスと笑いを押し殺した声が降ってくる。嬉しそうに、色っぽい笑みを深めている彼の瞳には、すでに妖しい熱を灯していた。
「あ……いや、その…………だ、だって……まだ朝ですよ?」
ついさっきの自分の行動を棚に上げ、逃れようとしている俺に、バアルさんは優しい声で提案してくる。
「……室内の明るさを気にしていらっしゃるのでしたら、術でお望みの暗さに致します。勿論、防音対策も万全に施しましょう」
頬をするりとひと撫でして、彼がパチンと綺麗なウインクを俺に送ってくれた瞬間、全ての窓を黒いモヤが覆い尽くした。
青い水晶で作られたシャンデリアの明かりだけが頼りになった室内は、程よく薄暗くなっていた。外から僅かに聞こえていた生活音も、すっかり消えてしまっている。
つい、この世界に居るのが、俺達二人だけになってしまったような。あり得ない錯覚を覚えてしまう。
「いかがでしょうか?」
どこか得意気に羽をはためかせている彼によって、俺が一番気にしていた問題はあっさり解決してしまった。
「う……あっほら、もうすぐグリムさん達だって来ますし……」
「……時間の操作など、私めにとって造作もないことは……貴方様ならば、良くご存知でしょう?」
「うぅ……それは、そうですけど……」
確かに、俺は重々承知している。
悪戯っぽい笑みを浮かべている彼が、この部屋に流れる時間を遅くしたり、早くしたりと自由自在に操作できることを。
なんせ、今までの大量の焼き菓子作りで、大変お世話になりっぱなしだったからな。
ここで突然だが、断られるのを前提にワザと高めの要求を最初にしておいてから、次に小さめのお願いをするという交渉術を、ご存知だろうか。
なんでも、要求を下げてくれたことによって、下げてもらえた方は、相手が自分の意志を尊重して譲ってくれたと感じて、受け入れやすくなるんだそうだ。
「……では、今ではなく……今晩でしたら……貴方様に昨晩のように、触れさせて頂いても宜しいでしょうか?」
気がつけば、部屋には本来の明るさが戻っていて、彼からも鼓動が煩くなってしまうような艶やかさがなくなっていた。側に居てくれるだけで安心出来るような、柔らかく温かい雰囲気に戻っていた。
両手で包み込むように俺の手を握り、先程の勢いとは打って変わって、おずおずと尋ねてくるバアルさん。あまりのギャップに気持ちが緩んだのか、自然と素直な気持ちが口からこぼれていく。
「へ? あ、はい勿論。夜まで待ってくれるんだったら、全然大歓迎ですよ。バアルさんに触ってもらえるの、俺……スゴく嬉しいですから……」
「……左様で……ございますか?」
「はい」
どこか不安げに細められていた緑の瞳が、即答し、頷いた俺を見てキラキラと瞬く。
ほんのり頬を染め、ぴょこっと立っている触覚を忙しなく揺らしている。バアルさんが再び、俺の顔色を窺うように見つめながら、握っている手に軽く力を込めた。
「……お嫌では、ございませんでしたか?」
「バアルさんにしてもらえて嫌なことなんて、俺にはありませんよ……その、好き……ですから」
「アオイ様……」
途端に大きくぶわりと広がった、白い水晶のように透き通った羽が、温かい日差しの中で淡く輝く。
この世のものとは思えない美しさに見惚れていた俺を、長く引き締まった腕が抱き寄せてくれる。あふれる喜びを隠しきれていない低音が「私も愛しております……」と囁いてくれる。
一瞬で頭の中にお花が咲き乱れてしまった俺は、腰どころか全身の力まで抜けてしまって。ふわふわした夢見心地のまま、彼の逞しい胸板に頬を寄せる形で、情けなくへたり込んでしまっていたんだ。
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