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人間の俺でも、頑張れば魔術を使えるようになるらしい

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 夢のような時間が過ぎるのは、あっという間だ。

 ゆっくりと俺を解放した彼は一言「ありがとうございました」とお辞儀をしてから、オンとオフが切り替わったみたいに、いつも通り。

 淡々と業務、もとい俺の着替えを手伝う彼に、戻ってしまっていた。

 心なしか、触覚を揺らし、羽をパタパタはためかせているようにも見えるから、多分、機嫌はいいんだろうけど。

 大人な彼と違って残念なことに、俺はそこまで人間が出来ていない。

 そんなもんだから、いまだに胸の高鳴りは収まらない。それどころか、彼の指先が触れるだけで、勝手に身体がビクビク跳ねる始末だ。

 ただ、服を着させてもらってるだけなのにな。

「アオイ様」

「ひゃいっ」

「ふふ、此方へどうぞ」

 また噛んでしまった……おまけに笑われちゃったし……

 さり気なく俺の手を取り、大きな鏡の前にある椅子へと座らせてくれたバアルさん。

 彼の表情は、やっぱりいつもの穏やかな笑みを浮かべているだけ。ほんの少し前まで、彼の引き締まった腕の中にいただなんて、ウソみたいだ。

 ……そもそも、なんでバアルさんは、俺のことを抱き締めてくれたんだろう?

 さっき、俺は彼に何を言おうとしていたんだろう?

「…………様、アオイ様?」

「あ、すみません。なんですか?」

 俺が思考を飛ばしている内に、彼の手にはコードレスのドライヤーみたいな機械と、細かい細工が施された銀色の櫛が握られていた。俺の髪を丁寧にとかそうとしてくれていた。

「熱くはありませんか? こちらで温度調整は、しておりますが……」

「大丈夫ですよ。丁度いいです、ありがとうございます」

 ホントに何から何まで至れり尽くせりだな……ある程度は乾いていたんだから、後は自然乾燥でもよかったのに。

「それは何よりでございます」

 鏡越しに俺に向かって微笑みかける彼の眼差しは、とても優しさにあふれていた。

 思わず綺麗な緑色から逃げるように、目を逸らしてしまっていた。


 普段は寝癖がついたままだったり、鳥の巣みたく絡まっていたりしている髪は、サラサラのフワフワ。冬になればカサカサになってしまう肌も、しっとりぷにぷにしていて、まるで自分のものじゃないみたいだ。

「アオイ様、お水はいかがでしょうか?」

 いつの間にか、バアルさんは、動きやすそうなベストと腰にエプロンを巻いた姿から、元のスーツに着替えていた。

 ソファーの上で頬を摘まんだり、髪を弄ったりしていた俺に尋ねてくる。

「はいっお願いします。もう、喉、カラカラで……」

 流石というか、なんというか。並々と水が注がれた透明なグラスが、手品みたいに突然彼の手元に現れた。俺が返事をしたのと、ほぼ同時に手渡される。

 持っただけで、掌を通して伝わってくる冷たさに我慢できず、勢いよく口をつけ一気に飲み干してしまっていた。

 喉を通る心地のいい冷たさが、火照った身体に染み渡っていく。

 ほんのり感じるレモンの風味のお陰で、口の中がさっぱりするな。

「失礼致します」

 まさか、バアルさんって、俺の心が読めたりとかするのかな?

 なんてつい、思ってしまうくらいに手際よく、彼は空のグラスを俺の手からそっと受け取った。

 いくつかのレモンが浮かんだピッチャーから、おかわりを注いでくれる。

「ありがとうございます」


 その後、追加でもう一杯いただいた。一息ついた俺の隣に、バアルさんが腰掛ける。

 もう、彼にとって当たり前になったんだろうか。ごく自然に俺の肩を抱き寄せ、頭をよしよしと撫で始めてしまった。

 ……嬉しいんだけど、今はちょっと……いや大分、困ってしまう。

 ただでさえ、さっきの感触が、バアルさんに抱き締められた感覚が、残っているっていうのに。

 こんなに近くだと、優しいハーブの香りが、彼の心地のいい温もりが、伝わってきて……

 心臓が、壊れてしまいそうだ。

「アオイ様」

「は、はぃっ……どうか、しましたか?」

 もしかして、伝わってしまったんだろうか? ひっきりなしに、ドキドキと音を立てている胸の鼓動が。

 それとも、バレてしまったんだろうか? もう一回、抱き締めて欲しいだなんて、そんなおこがましいことを考えている俺の下心が。

「もしお疲れでなければ、まだ夕食まで時間がありますし、魔術を学んでみませんか? 不肖ながらこの老骨が、手取り足取りお教え致しますので」

「えっ!? 俺にも使えるんですか? バアルさんみたいに?」

 ゆるりと目尻を下げた彼からの提案は、もやもやとしていた考えが一気に吹き飛んでしまうほど、俺にとっては魅力的で。

「はい。高度なものとなると、それ相応の時間と訓練を有しますが……」

 大きな声を上げてしまったどころか、思わず白い手袋に覆われた彼の手を取り、握り締めてしまっていた。

「やりたいですっ! 教えてください!」

「ふふ……では、これから一緒に頑張りましょうね」

「はいっ!」

「いいお返事です。まずは簡単に、魔術の仕組みについてご説明致しましょうか」

 大きな手がぽん、ぽんと俺の頭を撫でてから、指先を軽く弾いて音を鳴らす。

「私共の世界には、目には見えませんが魔術の素になる物質が、空気中に多く含まれております」

 まだ明るかった室内が急に薄暗くなる。周囲に淡く光る粒が、いくつもぼんやりと浮かび始めた。

「イメージしやすいように、光を使って再現してみましたが……いかがでしょう?」

「はい、とても分かりやすいです」

 要は、分子みたいな物ってことなんだろうな。それにしても多くって……なんか引っかかる言い方だ。

 まるで、俺が居た世界にも少しはあったみたいな……

「そのお言葉を聞けて安心致しました。では、続けますね」

 今は彼の話に集中しようと一旦思考を中断し、姿勢を正す。

 向き直ると、淡い光の中で微笑む彼と目が合う。途端に心臓が大きく跳ねたせいで、さっきとは違う意味で集中力が乱れそうになってしまった。

「その魔力の素を、このように身体に取り込み、練り上げることで術を行使するのです」

 ゆっくりと言葉を紡ぎながら、彼が人差し指を立て、くるりと回すように動かす。

 すると、徐々に光の粒子が指先へと集まり、大きな光の球となって天井へと放たれる。

 光は俺達の頭上でぽんっと弾け、花火のようにキラキラ光る粒を落としながら消えていく。

 全ての粒が降り注いだ頃には、部屋の中が元通りに明るくなっていた。

「ここまでで、何かご質問はございますか?」

「あの、魔力の素のことなんですけど……多くってことはもしかして、俺が生きていた世界でも、それ自体は有った……ってことですか?」

「はい、左様でございます。ただ、あまりにも少な過ぎますので……」

「ああ、だから有っても使えないってことですね? というか、仮に使えたとしても、バアルさんみたいに教えてくれる人が居なきゃ話にならないか……」

「ふむ……やはりアオイ様は大変優秀でいらっしゃる。私だけの生徒にしておくには、勿体無いくらいです」

 力強く頷き、顔を輝かせた彼が「よく出来ましたね」と俺の頭をよしよし撫でてくれる。

 彼に褒められるのは嬉しい。なのに、何故か心の隅っこの方が、もやっとしてしまって。

「俺は、バアルさんだけがいいです。バアルさん以外の先生は……嫌です……」

 気がつけば、よく分からない我が儘を口にしてしまっていた。

「ごめんなさい……変なこと、言っちゃって……」

 大きく見開いた緑色に、居たたまれなくなって咄嗟に俯く。大きな手が、そっと握り返してくれてから、頬を優しく撫でてくれる。

「いえ、とても光栄に存じます」

 柔らかい低音に釣られ、おずおずと顔を上げれば、緑の瞳が微笑んでいた。

「貴方様のご期待に応えられるよう、精一杯努めさせていただきますね」

 不思議だ。宝石みたいな煌めきに見つめられるだけで、わだかまっていたハズのものが、あっという間に消えてなくなっていたんだ。
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