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初めましては、土下座から

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 真っ直ぐに俺へと向けられた、熱のこもった眼差しに、胸が高鳴って仕方がない。

 まるで熱に浮かされているみたいだ。頭がぽやぽやしてしまって、上手く言葉が出てこない。

「あ…………ぅ、えっと……」

 バアルさんは、待ってくれていた。黙ったまま、ただただ俺の頭を撫で続けている。

「じゃあ、もう少し……だけ……」

 その優しい手つきが名残惜しくて、もっと、いっぱい撫でて欲しくて。俺は、うっかり首を縦に振ってしまっていた。

 しっかり二度寝まで満喫してしまった。当然のごとく彼の長く筋肉質な腕を、枕代わりにしたままで。



 青天の霹靂っていう言葉は、まさに今の俺が置かれている状況にぴったりだな、なんて。頭の片隅でひとりごちながら、吹き出しそうになっていた食後のハーブティーを飲み下す。

 そうだ、一旦落ち着こう。ゆっくり深呼吸をして、瞼を閉じて開けば現状が。

 普通の一般男性に比べ長身で、均整の取れた体躯をしたバアルさんよりも、縦にも横にもガッシリとした男が。

 思いっきり背伸びして、その丸太みたいに太い腕を伸ばせば、青く輝くシャンデリアに届いてしまいそうな体格の男が。

 頭に山羊みたいな鋭い角を生やし、コウモリのような真っ黒な羽を広げた男が。

 突然、扉を開けた勢いのまま俺に向かって「誠に申し訳ない!!」と大声で叫びながら、床にめり込むレベルの土下座をしてくるっていう、漫画かなんかの導入にしたってブッ飛んでいるシチュエーションが、変わるはず…………あー……いや、変わんねぇわ。全く。

 何とも言えない空気の中で、バアルさんが口を開く。

「サタン様。いの一番に、アオイ様に謝罪を申し上げたかったというお気持ちは、お察し致します」

 抱きついたままの俺の背を、あやすように撫でてくれながら。

 何とも情けない話だが、俺はビビってしまっていた。謎の男の行動や、風貌以前に、大きな扉が開け放たれた凄まじい音で。ソファーから一瞬、ケツが浮くほどに。

 そして、反射的に隣で腰掛けていたバアルさんに、しがみついてしまったのだ。彼の黒いスーツにくっきりとしたシワがつくまで、ぎゅうぎゅうと。

 その拍子に、俺の手から飛んでいってしまった白い陶器のカップとソーサー。いかにも高そうなそれらは、重力に従って落ち、砕け散ることも、残った中身をぶちまけて、細かい刺繍が施された絨毯を汚すこともなかった。

 自ら意思を持っているかのように宙を浮かび続けてから、銀の装飾があしらわれたテーブルへと無事着地したのだ。言わずもがな、バアルさんの魔術のお陰だろう。

「ですが、まずは自己紹介から始めるのが礼儀ではございませんか?」

 平然とした顔のバアルさんは、額の触覚も、背にある半透明の羽も、キリッとした眉すらピクリとも動かさない。

 ただ、淡々と、今しがた目の前で起きた突拍子もない出来事を、俺に説明してくれている。

 かつ、無言で頭を下げ続けている大男に向かって、咎めるような言葉を口にしていた。

「いや、うん、まぁ自己紹介は大事ですよね…………ってサタン様!? この人が!?」

 バアルさんの落ち着ききった態度に、ようやく冷静さを取り戻せた。ワンテンポ遅れて彼の言葉を咀嚼した為、思わず大きな声を上げてしまっていた。

「確かに、お主の言う通りじゃのう……完全に失念しておったわい」

 腹に響く重低音で、ぽつぽつと呟くサタン様が、のそりと顔を上げた。ふわふわの絨毯の上で正座したまま、居住まいを正している。

 改めてその姿を見ると引退……じゃなくて譲位、だっけ。それをされているとはいえ、王様らしい迫力というか威厳に満ちあふれているな。

 ただ、緩く後ろに纏めた長髪と立派な髭、それから大胆に開いた胸元から覗く、逞しい大胸筋のせいか。ご隠居した貴族のおじ様ってよりは、海賊のお頭ですって言われた方が、納得しちゃいそうなんだけどさ。

「わしの名はサタンと申す。アオイ殿、度重なる無礼、どうかお許し下され」

「へ? いえいえ、そんな、ちょっとびっくりしただけですし……全然気にしてませんから」

 俺としては、部屋に訪れるなり突然スライディング土下座をかまされたことよりも。現在進行形で、地獄の元トップに頭を下げさせていることの方が、気になって仕方がない。

「うむ……噂通り寛大なお心をお持ちのようじゃ。ますます申し訳ないのう。謝罪が遅れてしまって」

 何度目かの俺の「頭を上げて下さい」と「せめてソファーに座って下さい」というお願いが、やっと通り、テーブルの向かいのソファーへとサタン様が腰を下ろす。

 あらかじめ、彼らのような体格に合わせて、あつらえられているんだろう。

 鈍い音を立てて軋んだものの、潰れたり壊れたりすることもなく、大柄な身体をしっかりと受け止めた。

「改めて此度の件……手違いでお主の命を刈り取り、地獄へ落としてしまったことをお詫び申し上げる。本当にすまなかった」

 大股を開き、真ん中にどっしりと構えている巨体を折り曲げ、今度はテーブルへと擦りつけんばかりに頭を下げる。

 あまりの謝罪っぷりに、逆に申し訳ない。お腹がいっぱいどころか、胃がキリキリと痛んでしまう。

「いえ、その……さっきも言いましたけど……もう、済んだことですから」

 完全に納得出来たのかと問われると、出来ているとは断言出来ないけど。

 思っていたよりも、自分は切り替えが早い方だったのか、それとも単純過ぎるのか。今の生活は生活で、それなりに楽しめているというか、不思議と心が満たされてしまっているのだ。

「ここに来てから、まだ数日ですけど……皆さんスゴくよくしてくれてますし……それに」

 まるで吸い寄せられるみたいに、ふっと目が自然と彼を、紅茶を淹れ直しているバアルさんを追ってしまう。

 俺の視線に気づいてくれたんだろう。かち合った緑色が、ぱぁっと輝きを増していく。白い髭が素敵な口元に喜びが満ちていく。

 ぶわっと胸の奥から、何かが込み上げてきた。

 熱くて仕方のないそれは、今にもあふれてしまいそう。なのに、縫いつけられたみたいに、目が離せない。

 大きな窓からこぼれる柔らかい日差しを受け、キラキラと宝石のように煌めく瞳から、離すことが出来ない。

「……バアルが、どうかしたかの?」

「い、いえっ……あー……とにかく、だ、大丈夫なんでっご心配いただきありがとうございますっ」

 気づけば、サタン様から声をかけられるまで、じっとバアルさんを見つめ続けてしまっていた。

 今更ながら慌てた俺は、自分の胸の前で腕をわたわた動かすという、明らかに挙動不審な行動を取ってしまう。

 挙げ句「この通り、元気ですからっ」と、大してついてもいない力コブを強調するように、トレーナーを二の腕まで捲り上げ、ぐっとポーズを決めてしまっていた。

 サタン様は、見た目のワイルドさからは考えられないくらい、お人好しな方だった。

 人間も悪魔も元気が一番じゃからのう、と鋭く尖った歯を見せながら、太い指で自慢の顎髭を撫でながら、うんうんと頷いてくれたのだ。
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