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22話
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◆◇◆◇◆◇
「────キさんの」
本来であれば静粛にしなければならない場所。走るなんて言語道断な場所で、しかし私は叫ばずにはいられなかった。
息切れを起こしていたせいで声が掠れる。
でも、それでも。
「リキさんの、ばかぁぁぁぁあ!!!!」
現在進行形で、私は〝大図書館〟の中で猛ダッシュをしていた。背後から迫る〝青白い何か〟から逃げる羽目になったのは、100パーセント隣で並走するリキさんのせいだった。
「リキさんがあんな事しなければ今頃……!」
最後は、言葉にならなかった。
私はちゃんと提案したのだ。
絶好とも言える機会かもしれないけれど、絶対にヴァンを待った方がいい。
万が一を考えれば、ヴァンのいない今、深追いをするべきではない、と。
けれど、私のそんな真っ当な意見を聞いた上でリキさんはこの好機を逃すべきではない。
後を追おう。
そう言って、乗り気じゃなかった私の手を掴み、半ば強引に追い掛けようとした。
それこそが、間違いの第一歩。
そして最大の間違いがハクの存在だった。
明らかに追い掛けるべきでない相手に対して、あろう事か、リキさんを止める役として活躍してくれるであろうハクが私を裏切ったのだ。
要するに、ハクも追い掛ける賛成派だった。
『ま、まあまあ、今はその、責めても仕方がないというか?』
「……これ、ハクのせいでもあるんだからね」
ぱたぱたと羽根を羽ばたかせ、移動するハクを私は睨め付ける。
ハクにも自分がこの状況に陥った一因があると自覚しているのだろう。
あからさまにリキさんを庇っていた。
というか、ハクが反対してたら多数決でどうにか出来ていた筈なのだ。リキさんが正直に聞いてくれていたかは微妙なところだけど。
『……ぃ、いやいやでも、あそこで引き返してたらもう二度とアレに出会えなかったかもしれない訳で』
度々自分の世界に入ってまでハクが考え込んでいたことは知っている。
〝精霊〟と関係の深いダークエルフが関わっていた事も含め、思う事があったのだろう。
それは分かる。
でも、だ。
「その結果こうなってるんだから、私の意見が正解だったんだよ……!! ハクは当分おやつ抜きだから……っ」
『そんな!?』
今はまだ怪我らしい怪我を負ってない事もあり、笑い事のようなもので済んでいるが、一つ気になる事がある。
「……でも、可笑しな事もあったもんだよな。試作品なら兎も角、魔導具が使えねえ、なんて事はこれまで一度もなかったってのに」
全く発動しなかった訳ではない。
発動兆候はあった。
私達を追う〝青白い何か〟に対して、リキさんが懐から取り出した魔導具を使おうとした────そこまでは何も問題はなかったのだ。
けれど、発動した瞬間に魔導具がその効力を失った。
そんな摩訶不思議な現象に見舞われたせいで、私達は逃げ出す羽目になっていた。
「故障、は考えにくいんだが、他に理由らしい理由も見当たらねえし」
己なりにリキさんが自分の考えを纏める。
そこで私はふと疑問に思った。
魔導具が発動しなかった事に対してではなく、男性にしては痩躯で、どちらかと言えば女性に近い華奢な体格のリキさんが全く息切れをしていない事についてである。
かれこれ数分は走っているのに、喘鳴を隠し切れていない私と異なって、かなり余裕そうだった。
若干、肩で息はしているものの、見た感じ、鍛えてるようには思えないのにどうしてそんなに余裕そうにしているのだろうか。
私がそんな疑問を抱いていた丁度その時だった。
「……ただ、こっちの身体強化の魔導具も普段よりずっと効果が薄れてんだよな。この程度の距離で普通は息切れを起こす筈ねえんだが」
何処からともなく取り出した魔導具を見て、リキさんは答えを口にした。
「……私が必死に走ってる傍で、諸悪の根源のリキさんはそんなものを使ってたんですか」
「え? ぁ、いや、その、えっと、」
巻き込むだけ巻き込んだ自分だけ楽して、私は必死に走っていたと思うと、途端に馬鹿らしくなった。
同時、ふつふつと殺意のようなものが湧き上がる。
「へえーそうですか。あーそうですか。リキさんはそういう人なんですね。よく分かりました」
自分の発言ながら、なんて棒読みで感情の篭っていない言葉なのだと思わずにはいられない。
けれど仕方がない。
こればかりはリキさんが悪い。
ハクだって、何も言えないのか、無言を貫いているのがその証拠である。
やがて、リキさんは私の視線から逃れるべく何度も視線を泳がせた後、その場凌ぎをするように口を開いた。
「そ、そういえば、おれ達随分と走ってると思わねえか?」
どうにも、私と同様、体力に自信がない人のようで身体強化の魔導具を私に貸すか否かを葛藤しながらそんな疑問を投げ掛けてくる。
────いや、そこは私に貸してくれていいじゃん。
つい、喉元まで出かかった不満を私は飲み込んだ。
「……確かに、そうですね」
色々と不満はあったが、現状把握に努める。
体感なのであまりアテにはならないが、少なくとも五分以上は走っている。
あの裏口からそこまで歩いた記憶もなければ、確かに〝大図書館〟は広かったが、表の入り口まで五分走っても着かないほどの距離があるようには見えなかった。
なのに、私達は未だに走っている。
逃げる事に必死になっていたから疑問に思わなかったけれど、言われてもみればそうだ。
「未だに辿り着く様子もないし、こりゃ、考えられる可能性は一つだけだな」
答えは私でも分かる。
「恐らく、これが一連の〝失踪〟の正体で、おれ達はそれに巻き込まれたと考えるべきだろうな」
魔法による仕掛けが作動したのか。
はたまた、魔導具による何かか。
判然とはしていないが、何らかの事象に巻き込まれたと考えるべきだろう。
運が良いのやら、悪いのやら。
……いや、ヴァンと合流出来ていないのだから、これは運が悪い部類だ。
『……ちなみに、失踪した人間が見つかったケースは?』
「あると言えばある」
「……なんですか、その含みのある言い方は」
初対面だからと私の中にあったリキさんへの遠慮は、先程までのやり取りの間で極限まで削り取られていた。
責めるような物言いをする事への抵抗がもう一切と言って良い程に存在していない。
「気を失って見つかった生徒がいたって話はもうしただろ?」
「ええ、それは聞きましたけど」
「失踪した筈の一部の生徒が、見つかったケースもあるにはあった。ただ、それは気を失った状態でかつ、数日経っても目覚めない重症化つきの状態で、なんだわ」
要するに、無事で見つかったケースがないから素直に「ある」と答えられなかったということか。
────いやでも、待ってよ。
「……それって、もしかしなくてもお姉様と同じ症状なんじゃ」
何かが私の中で繋がったような気がした。
この考えが的外れでないならば、〝大図書館〟での一連の騒動に、少なくともダークエルフが────〝精霊〟の存在が噛んでいる事は確かなものとなる。
しかし、そこまでだ。
核心の部分にまでは踏み込めない。
少なくとも、この〝大図書館〟で何が起こっているのか。それを突き止めない限りには。
「というか、どうしてリキさんはそれを先に話してくれなかったんですか」
「治療方法が分かってる訳でもなし、それに、本当に同じ症状かどうかの確信がおれにはなかった。だから変に勘違いをさせる結果になる事は避けようと思って話さなかった」
意外にも尤もな理由だった。
とはいえ、である。
「……ただ、色々と理解出来たのは良い事だが、出口に辿り着くどころか、ヴァンとも合流出来ねえんじゃ、完全にジリ貧だなこりゃ」
未だ走り続けているが、辿り着く気配はない。同じような景色が延々と続いている。
私達の体力が尽きるのが先か、正体不明の〝青白い何か〟に捕まるのが先か。
そういう話になってしまっている。
「だが、ここで体力切れを起こすくらいなら、物は試しで色々とやってみるのも手ではあるよな」
顔の向きはそのままに、視線だけが動く。
私と。そして、ハクへ。
「たとえば、魔法をドカンと一発撃ってみるとか。尤も、あんたの場合は〝精霊術〟になるんだろうが」
割とその提案はアリな気がした。
けれども、それをするならば息を切らしている私ではなく、リキさんがすべきではないだろうか。
「無理無理。おれの場合は魔導具製作の能力全振りだから、魔法はからっきしなんだわ」
……丁度、私の頭の中を覗いたのではと思ってしまう程にピンポイントな言葉がやってきた。
なんて頼りにならない人なのだろうか。
「……ハク。手伝って」
『分かったよ』
何はともあれ、ここはやってみるべきだろう。正体不明の〝青白い何か〟に相対する事に顔が引き攣るけれど、そうも言ってられない。
逃げる足を止め、相手と向き直って直視。
逃げ出したい欲に駆られたけれど、それらをどうにか押し殺して私は編み上げる。
「光よ────」
相手は幽霊のような存在。
ならば、どこぞの物語のように光で浄化など出来てしまうのではないか。
殆ど願望のような思考回路だが、それに従い私は精霊術を行使。
そうあれかしと願う。
やがて、確かな手応えと共に精霊術が発動────聖光がごとき光が敵に降り注ぐ……と思われた瞬間、編み上げた筈の精霊術が何故か掻き消された。
「────え」
まるで薄れて消えるような。
リキさんの魔導具の時と同じような光景が、私の目の前で広がった。
『……ッ、ま、ず』
足を止めてどうにかしようと試みた事で、ある程度存在していた距離が縮まってしまっていた。
恐らく、敵の射程圏内。
故に、逼迫したような様子でハクが言葉を漏らす。
精霊術が何の予兆もなく、掻き消されたという事実を前に呆けていた私は、即座に逃げるという事が出来なかった。
次いで、焦燥感に駆られたハクもハクで精霊術を行使にかかるも、それすらも掻き消される。
しかし、何故かその速度が私よりもずっと遅かった。
……意味が、分からない。
「……やっぱりそういう事かよ」
最中、妙に納得したような様子で忌々しげに呟くリキさんの言葉が頭に残った。
直後、手を取られ、ぐぃ、と引っ張られる。
「足止めは無理らしい。ちょいと時間をくれ、どうにかおれが────」
ジリ貧と分かっていながらも、足止めが無理ならば必然、逃げるしかない。
そう理解したリキさんに手を引かれ、再び足を動かそうとした、その時。
「…………こっちだ」
覚えのない声が聞こえてきた。
感情が希薄な、消え入りそうな声。
私達の目の前に姿を現していなければ、気づく事はなかったであろう青年。
何故ここに人が……?
と、一瞬思うが、目の前の人物が失踪した人間なのではないか。
そう思ったと同時、そばにいたリキさんの顔が滅茶苦茶引き攣っている事に気づく。
まるで、どうして貴方がここにいらっしゃるのですかと言わんばかりに。
リキさんは公爵位を賜った家の人間。
あからさまに敬意を払うべき人間は限られている立場だからこそ、その態度に少しだけ違和感が残った。
でも今は、理由を考えてる時間すら惜しい。
体力の限界もすぐそこ。
それもあって、私達は突如として現れた青年の言葉に従う事にした。
「……声を出すなよ」
無数に並ぶ本棚で生まれた隙間に私達を引き込むと、立てた人差し指を口元に当てながら、青年は言う。
隙間とはいえ、横からは丸見えのこんな場所でやり過ごせるとは到底思えなくて、「何を考えているんですか」と言いたくなる。
けれど、声を出すなと言われてしまった手前、反論らしい反論も出来なくて。
もうどうにでもなれと自棄になりながら、すぐそばを通り過ぎる〝青白い何か〟に気付かれるのではと戦々恐々として────。
(……なん、で?)
明らかに私達に焦点を当てて追いかけて来ていた筈のソレは、すぐそばで杜撰すぎる隠れ方をしていた私達に一切気付く事なく、通り過ぎた。
全くもって意味不明、理解不能な現象を前に、私はどうなっているのだと声を上げようとしたが、先んじてリキさんが口を開いていた。
「……どうしてこんな場所にいるんですか。殿下」
でん、か?
「いやなに、知識欲に負けてな。それと、ここらで王都を騒がせる賊徒の鼻っ柱を折ってやるのも楽しいなと思ったのだよ」
〝青白い何か〟が過ぎ去り、ある程度の距離が生まれた事を確認した後、殿下と呼ばれた青年は楽しそうにそう答えた。
「賊徒の、鼻っ柱……?」
まるでそれは、〝大図書館〟で起こっている一連の騒動が、王都を騒がせている帝国の人間とダークエルフによるものだと「確信」を得ているかのような物言いだった。
疑問が多過ぎて、頭がパンクしてしまいそうだ。
「ああ。これでも一応、王子の身であるからな。放蕩だなんだと好き勝手言われているが、偶には貢献してやるのも悪くなかろう? 特に、ダークエルフと帝国の奴等には好き勝手やられてる訳なのだから」
どうにも、彼は正真正銘、王子様であるらしい。引きこもりだった私でさえも、第一王子と第二王子の顔は見たことがある。
その記憶に引っかからないという事は、銀髪の彼の正体が第三王子ラバン・ノーレッドであるという何よりの証拠であった。
マグノリア公爵家が後ろ盾となっている王子だからこそ、リキさんが顔を引き攣らせているのだと解釈も出来る。
最早確定だった。
……確かに、私達の中でも今回の〝大図書館〟での一件も帝国の人達が絡んでいるのではという予感はあった。
けれど、動機やら、理由が不明だった。
「奴らの狙いは、この〝魔法学園〟の地下に眠る〝聖遺物〟の奪取。その為に私達の国は掻き回され、混乱に陥った。さっきの化物も、その副産物だ」
「……〝聖遺物〟?」
もう、分からない事だらけだった。
『簡単に言うと、古い力を持った魔導具だよ』
「知ってるの? ハク」
『まぁね。でも、〝聖遺物〟ってのはそんなに使い勝手のいい物じゃなかった筈だけど』
「────その通り。〝聖遺物〟は間違っても使い勝手の良いものではない。だからこそ、この空間が生まれ、あの化物さえもが跋扈している」
……最近、ハクの姿を見れる人が多いせいで感覚がおかしくなってる気はするんだけど、それでも多過ぎる気がする。
貴方もハクの事が見えるんですねという指摘をどうにか飲み込み、私は殿下の言葉を受けて溜息を漏らすリキさんに視線を移した。
「やはりそうですよねえ。まあ、薄々勘付いてはいましたが、さっきのノアさんのアレで確信に変わったところでした」
「……どういう事ですか」
私を当て馬にしたという事だろうか。
責めるような視線を向けると、「確証が欲しかったんだよ」とリキさんに目を背けられた。
「要するにこの空間は、魔法や精霊術の行使に必要な〝エネルギー〟を吸収してるって事だ。そしてあの化物は、〝エネルギー〟に反応している可能性が高い。というより、それでほぼ間違いない。そうでなければ、すぐ側を素通りしてくれる訳がないからな」
こんな杜撰な隠れ方にもかかわらず、バレなかった理由を教えてくれる。
何らかの方法で隠してくれたのだろう。
「恐らく、失踪者は生命力のようなものを奪われた結果、目覚めないのだろうよ」
「でも、どうしてそんな事を」
『そのエネルギーが、〝聖遺物〟を使う為の代償として使用されるって事じゃないかな』
……ああ、そういうことか。
「なら、その原因を突き止めて、魔導具なら魔導具を。魔法陣なら魔法陣を壊せって事ですね」
やる事が決まっているなら話は早い。
「その通りだ。が、闇雲に探しても見つからないだろう。現に、かれこれ一日以上彷徨っているが、それらしきものを見た試しがない。あの化物が本体なのかと疑いはしたが、どうにも違うようであるからな」
「成る程……」
人から奪う事を前提にして作られているならば、何らかの対策を立てていても不思議じゃない。
闇雲に探し歩いても確かに時間の無駄だろう。
ならば、今ある手掛かりをもとに考えて行動をするべきだろう。
「……そもそもの可能性として、私達が閉じ込められてる場合、この空間は〝擬似固有結界〟に近い筈……」
ヴァンと共に編み出した〝ディア・ガーデン〟に似通った何かである可能性は高い。
それを前提に考えれば、ある程度見えてくるものがある。
入学の手続きをする必要があるかと思って携帯していたペンを私は取り出す。
紙は常備していなかったので、心の中で「ごめんなさい」と言って床にガリガリと私は書き込む事にした。
「魔法を始めとしたエネルギーを吸収してる場合、空間そのものとは別の魔法陣として組み込んでる可能性が高くて────私だったら、その魔法陣はここに置く。でも、魔法師的にはこれはベストじゃない。だったら、」
『一応、向こうにはダークエルフがいる。だからノアや僕みたいに精霊術師としての視点で考えても良いかも』
「あぁ、そっか。だったらここは────」
ヴァンと一緒に魔法の勉強をするようになってから、こういう考える事が割と好きになっていた。
何かを一から生み出す事も同様に。
何より、この一件にあの散々迷惑を掛けてくれた帝国の人達が絡んでいるなら、彼らの企みを滅茶苦茶にしてやり返したいという想いも強かった。
お陰で、やる気に満ち満ちていた。
「意外だな」
最中、ラバン王子の声が聞こえた。
邪魔をする気はないのだろう。
ただ思った事を口にしているだけの様子だった。だから、返事をせずに私に出来ることを続行しようとして、
「ヴァン・エスタークが好いている人間だ。もっと大人しくて、人畜無害な人間なのかと思っていたが、そうじゃないのだな」
「ぶっ」
ガリッ、とペンが斜め上へと無骨な線を描いた。動揺から、手元が狂ってしまったらしい。
『……何をしてるのさ、ノア』
「い、いや、その、な、なんでもありません」
私に話しかけている訳じゃなくて、これはただのラバンさんの単なる感想。
でも、ヴァンのその好いてるはあくまで友達として、だと思いますよと言おうか迷う。
でも、だったら今の私達の婚約者という関係が説明出来なくなる。
それには深い訳がと説明する訳にもいかないし、した場合、色々と面倒臭い上にヴァンの厚意が無に帰してしまう可能性もある。
最善は何も言わない。
聞こえないフリを通す。
絶対にこれに限る。
「だが、惚れた理由は分かる気がするな。リキへの態度も良い意味で遠慮がない。普通、放蕩王子だろうが、公爵家の跡取りと王子に囲まれていたら多少なり身構えても可笑しくないだろうに。ただヴァン・エスタークにはそれが心地良かったのだろうな。ああ、その通り。心を許せる友人はいつの世も貴重なものだ」
……いや、これでも十分身構えてます。
でも、位の高い人間だからといって、誰も彼もが失言一つで打ち首に────なんて理不尽な事をする訳でもないし、何なら親しみやすく優しい人ばかりだ。
明らかに怖そうな人ならまだしも、そうでないならばおっかなびっくりビクビクするのもアホらしいかなって思ってこうしてるだけ。
ただそれだけだった。
「それとも、それをしても問題ないと思えるだけの裏打ちされた実力があるという事なのか。ならばその自信はどこから湧き上がってくるのか。いやはや、実に興味深い。貴女は未知だ。これ以上なく心をくすぐられる」
……なんか興味を持たれていた。
たぶん、これあれだ。
この方、変人だ。
ツッコミどころ満載だけど、ここでツッコんでしまったら碌なことにならない。
集中していたから聞こえていなかったふりを通すべきだという予感があった。
「何より、精霊を連れている事にも興味を惹かれる。精霊術については殆ど文献が残っていない。特に、精霊に好かれる人間は稀有であるらしい」
思った事がそのまま垂れ流されてゆく。
私を凝視している筈なのに、ぴくぴくと痙攣を起こしながら引き攣る私の表情にラバンさんは気付いていないのだろうか。
「ああ、気になる。私は貴女の事にどうしようもなく気を惹かれているらしい。まるで胸を締め付けられるようだ。……そうか。これが、そうなのか。これが俗に言う────「恋」という奴なのか」
「いやそれただの好奇心です」
……流石の私も我慢の限界だった。
これ以上放置していては取り返しのつかない事になりそうで、口を挟んでしまったけどこのラバン王子を私がどうこう出来る気がしない。
知り合いなんだからどうにかして下さいと、縋るような視線をリキさんに向けてみる。
「この人……じゃない。この方、世間じゃ放蕩王子だなんだと言われてるけど、一言で言い表すなら知識欲の塊みたいな人なんだよ。基本的に、殿下に知らない事は殆どないと思った方がいいレベルで。だからなんだろうぜ。この方は、その、有り体に言うなら「未知」マニアなんだよ」
要するに、変人という事らしい。
なんて面倒な人なんだ。
「つぅわけで、その、なんだ。諦めてくれ」
おれにも無理。と無情にも返された。
やがて、私が手を止めてラバンさんを見つめ返してしまった事もあり、何故か流れるような所作で手を取られた。
滅茶苦茶整ったお顔が私の視界に映り込む。
ラバンさんに見つめられでもすれば、コロッと恋に落ちてしまう女性もいるのではないだろうか。
端正な顔立ちに加え、落ち着いた声。
加えて、身分は一応王子様である。
私も何も知らなかったら、心臓の脈動が速くなっていたかもしれない。
でも、目の前のこの方は私を好奇心の対象としか見ておらず、加えて中身は変人だ。
お陰で熱に浮かされる事もなく、これ以上なく冷めた目で見る事が出来た。
「ところで、この騒動が落ち着いたら一度、城に来ないか。落ち着ける場所で是非とも話を」
城に赴いてみたいという気持ちがゼロと言ったら嘘になる。
でも、それに至るまでの心労やらを考えたら行く気にはなれないし、何より今の私はヴァンの婚約者であって。
そんな私が幾ら王子殿下とはいえ、男女二人で────というのは拙いにも程がある。
だから断ろうとしたその瞬間だった。
「────漸く見つけた、と思ったら、何をやってるんですか。殿下」
親しみ深い声と共に、握られていた手ごと、べりっと容赦なく引き剥がされた。
心なし、怒っているような気がする。
否、怒ってるんだろう。
視線を若干上に向けると、無表情ながら声の主────ヴァンは知り合いならば辛うじて分かるレベルで苛立ちをあらわにしていた。
そのそばで、100パーセント他人事だったリキさんは、「おっ」なんて呑気に言っていた。
それもあってだろう。
「この状況。それと、どうしてここに殿下がいるのか。全部事細かに説明して貰おうか────リキ」
「……おれかよ」
ヴァンの怒りの矛先は、容赦なくリキさんへと向いた。
まあ、諸悪の根源はリキさんだし、その怒りは全然間違っていないので同情する気にはこれっぽっちもなれなかった。
「────キさんの」
本来であれば静粛にしなければならない場所。走るなんて言語道断な場所で、しかし私は叫ばずにはいられなかった。
息切れを起こしていたせいで声が掠れる。
でも、それでも。
「リキさんの、ばかぁぁぁぁあ!!!!」
現在進行形で、私は〝大図書館〟の中で猛ダッシュをしていた。背後から迫る〝青白い何か〟から逃げる羽目になったのは、100パーセント隣で並走するリキさんのせいだった。
「リキさんがあんな事しなければ今頃……!」
最後は、言葉にならなかった。
私はちゃんと提案したのだ。
絶好とも言える機会かもしれないけれど、絶対にヴァンを待った方がいい。
万が一を考えれば、ヴァンのいない今、深追いをするべきではない、と。
けれど、私のそんな真っ当な意見を聞いた上でリキさんはこの好機を逃すべきではない。
後を追おう。
そう言って、乗り気じゃなかった私の手を掴み、半ば強引に追い掛けようとした。
それこそが、間違いの第一歩。
そして最大の間違いがハクの存在だった。
明らかに追い掛けるべきでない相手に対して、あろう事か、リキさんを止める役として活躍してくれるであろうハクが私を裏切ったのだ。
要するに、ハクも追い掛ける賛成派だった。
『ま、まあまあ、今はその、責めても仕方がないというか?』
「……これ、ハクのせいでもあるんだからね」
ぱたぱたと羽根を羽ばたかせ、移動するハクを私は睨め付ける。
ハクにも自分がこの状況に陥った一因があると自覚しているのだろう。
あからさまにリキさんを庇っていた。
というか、ハクが反対してたら多数決でどうにか出来ていた筈なのだ。リキさんが正直に聞いてくれていたかは微妙なところだけど。
『……ぃ、いやいやでも、あそこで引き返してたらもう二度とアレに出会えなかったかもしれない訳で』
度々自分の世界に入ってまでハクが考え込んでいたことは知っている。
〝精霊〟と関係の深いダークエルフが関わっていた事も含め、思う事があったのだろう。
それは分かる。
でも、だ。
「その結果こうなってるんだから、私の意見が正解だったんだよ……!! ハクは当分おやつ抜きだから……っ」
『そんな!?』
今はまだ怪我らしい怪我を負ってない事もあり、笑い事のようなもので済んでいるが、一つ気になる事がある。
「……でも、可笑しな事もあったもんだよな。試作品なら兎も角、魔導具が使えねえ、なんて事はこれまで一度もなかったってのに」
全く発動しなかった訳ではない。
発動兆候はあった。
私達を追う〝青白い何か〟に対して、リキさんが懐から取り出した魔導具を使おうとした────そこまでは何も問題はなかったのだ。
けれど、発動した瞬間に魔導具がその効力を失った。
そんな摩訶不思議な現象に見舞われたせいで、私達は逃げ出す羽目になっていた。
「故障、は考えにくいんだが、他に理由らしい理由も見当たらねえし」
己なりにリキさんが自分の考えを纏める。
そこで私はふと疑問に思った。
魔導具が発動しなかった事に対してではなく、男性にしては痩躯で、どちらかと言えば女性に近い華奢な体格のリキさんが全く息切れをしていない事についてである。
かれこれ数分は走っているのに、喘鳴を隠し切れていない私と異なって、かなり余裕そうだった。
若干、肩で息はしているものの、見た感じ、鍛えてるようには思えないのにどうしてそんなに余裕そうにしているのだろうか。
私がそんな疑問を抱いていた丁度その時だった。
「……ただ、こっちの身体強化の魔導具も普段よりずっと効果が薄れてんだよな。この程度の距離で普通は息切れを起こす筈ねえんだが」
何処からともなく取り出した魔導具を見て、リキさんは答えを口にした。
「……私が必死に走ってる傍で、諸悪の根源のリキさんはそんなものを使ってたんですか」
「え? ぁ、いや、その、えっと、」
巻き込むだけ巻き込んだ自分だけ楽して、私は必死に走っていたと思うと、途端に馬鹿らしくなった。
同時、ふつふつと殺意のようなものが湧き上がる。
「へえーそうですか。あーそうですか。リキさんはそういう人なんですね。よく分かりました」
自分の発言ながら、なんて棒読みで感情の篭っていない言葉なのだと思わずにはいられない。
けれど仕方がない。
こればかりはリキさんが悪い。
ハクだって、何も言えないのか、無言を貫いているのがその証拠である。
やがて、リキさんは私の視線から逃れるべく何度も視線を泳がせた後、その場凌ぎをするように口を開いた。
「そ、そういえば、おれ達随分と走ってると思わねえか?」
どうにも、私と同様、体力に自信がない人のようで身体強化の魔導具を私に貸すか否かを葛藤しながらそんな疑問を投げ掛けてくる。
────いや、そこは私に貸してくれていいじゃん。
つい、喉元まで出かかった不満を私は飲み込んだ。
「……確かに、そうですね」
色々と不満はあったが、現状把握に努める。
体感なのであまりアテにはならないが、少なくとも五分以上は走っている。
あの裏口からそこまで歩いた記憶もなければ、確かに〝大図書館〟は広かったが、表の入り口まで五分走っても着かないほどの距離があるようには見えなかった。
なのに、私達は未だに走っている。
逃げる事に必死になっていたから疑問に思わなかったけれど、言われてもみればそうだ。
「未だに辿り着く様子もないし、こりゃ、考えられる可能性は一つだけだな」
答えは私でも分かる。
「恐らく、これが一連の〝失踪〟の正体で、おれ達はそれに巻き込まれたと考えるべきだろうな」
魔法による仕掛けが作動したのか。
はたまた、魔導具による何かか。
判然とはしていないが、何らかの事象に巻き込まれたと考えるべきだろう。
運が良いのやら、悪いのやら。
……いや、ヴァンと合流出来ていないのだから、これは運が悪い部類だ。
『……ちなみに、失踪した人間が見つかったケースは?』
「あると言えばある」
「……なんですか、その含みのある言い方は」
初対面だからと私の中にあったリキさんへの遠慮は、先程までのやり取りの間で極限まで削り取られていた。
責めるような物言いをする事への抵抗がもう一切と言って良い程に存在していない。
「気を失って見つかった生徒がいたって話はもうしただろ?」
「ええ、それは聞きましたけど」
「失踪した筈の一部の生徒が、見つかったケースもあるにはあった。ただ、それは気を失った状態でかつ、数日経っても目覚めない重症化つきの状態で、なんだわ」
要するに、無事で見つかったケースがないから素直に「ある」と答えられなかったということか。
────いやでも、待ってよ。
「……それって、もしかしなくてもお姉様と同じ症状なんじゃ」
何かが私の中で繋がったような気がした。
この考えが的外れでないならば、〝大図書館〟での一連の騒動に、少なくともダークエルフが────〝精霊〟の存在が噛んでいる事は確かなものとなる。
しかし、そこまでだ。
核心の部分にまでは踏み込めない。
少なくとも、この〝大図書館〟で何が起こっているのか。それを突き止めない限りには。
「というか、どうしてリキさんはそれを先に話してくれなかったんですか」
「治療方法が分かってる訳でもなし、それに、本当に同じ症状かどうかの確信がおれにはなかった。だから変に勘違いをさせる結果になる事は避けようと思って話さなかった」
意外にも尤もな理由だった。
とはいえ、である。
「……ただ、色々と理解出来たのは良い事だが、出口に辿り着くどころか、ヴァンとも合流出来ねえんじゃ、完全にジリ貧だなこりゃ」
未だ走り続けているが、辿り着く気配はない。同じような景色が延々と続いている。
私達の体力が尽きるのが先か、正体不明の〝青白い何か〟に捕まるのが先か。
そういう話になってしまっている。
「だが、ここで体力切れを起こすくらいなら、物は試しで色々とやってみるのも手ではあるよな」
顔の向きはそのままに、視線だけが動く。
私と。そして、ハクへ。
「たとえば、魔法をドカンと一発撃ってみるとか。尤も、あんたの場合は〝精霊術〟になるんだろうが」
割とその提案はアリな気がした。
けれども、それをするならば息を切らしている私ではなく、リキさんがすべきではないだろうか。
「無理無理。おれの場合は魔導具製作の能力全振りだから、魔法はからっきしなんだわ」
……丁度、私の頭の中を覗いたのではと思ってしまう程にピンポイントな言葉がやってきた。
なんて頼りにならない人なのだろうか。
「……ハク。手伝って」
『分かったよ』
何はともあれ、ここはやってみるべきだろう。正体不明の〝青白い何か〟に相対する事に顔が引き攣るけれど、そうも言ってられない。
逃げる足を止め、相手と向き直って直視。
逃げ出したい欲に駆られたけれど、それらをどうにか押し殺して私は編み上げる。
「光よ────」
相手は幽霊のような存在。
ならば、どこぞの物語のように光で浄化など出来てしまうのではないか。
殆ど願望のような思考回路だが、それに従い私は精霊術を行使。
そうあれかしと願う。
やがて、確かな手応えと共に精霊術が発動────聖光がごとき光が敵に降り注ぐ……と思われた瞬間、編み上げた筈の精霊術が何故か掻き消された。
「────え」
まるで薄れて消えるような。
リキさんの魔導具の時と同じような光景が、私の目の前で広がった。
『……ッ、ま、ず』
足を止めてどうにかしようと試みた事で、ある程度存在していた距離が縮まってしまっていた。
恐らく、敵の射程圏内。
故に、逼迫したような様子でハクが言葉を漏らす。
精霊術が何の予兆もなく、掻き消されたという事実を前に呆けていた私は、即座に逃げるという事が出来なかった。
次いで、焦燥感に駆られたハクもハクで精霊術を行使にかかるも、それすらも掻き消される。
しかし、何故かその速度が私よりもずっと遅かった。
……意味が、分からない。
「……やっぱりそういう事かよ」
最中、妙に納得したような様子で忌々しげに呟くリキさんの言葉が頭に残った。
直後、手を取られ、ぐぃ、と引っ張られる。
「足止めは無理らしい。ちょいと時間をくれ、どうにかおれが────」
ジリ貧と分かっていながらも、足止めが無理ならば必然、逃げるしかない。
そう理解したリキさんに手を引かれ、再び足を動かそうとした、その時。
「…………こっちだ」
覚えのない声が聞こえてきた。
感情が希薄な、消え入りそうな声。
私達の目の前に姿を現していなければ、気づく事はなかったであろう青年。
何故ここに人が……?
と、一瞬思うが、目の前の人物が失踪した人間なのではないか。
そう思ったと同時、そばにいたリキさんの顔が滅茶苦茶引き攣っている事に気づく。
まるで、どうして貴方がここにいらっしゃるのですかと言わんばかりに。
リキさんは公爵位を賜った家の人間。
あからさまに敬意を払うべき人間は限られている立場だからこそ、その態度に少しだけ違和感が残った。
でも今は、理由を考えてる時間すら惜しい。
体力の限界もすぐそこ。
それもあって、私達は突如として現れた青年の言葉に従う事にした。
「……声を出すなよ」
無数に並ぶ本棚で生まれた隙間に私達を引き込むと、立てた人差し指を口元に当てながら、青年は言う。
隙間とはいえ、横からは丸見えのこんな場所でやり過ごせるとは到底思えなくて、「何を考えているんですか」と言いたくなる。
けれど、声を出すなと言われてしまった手前、反論らしい反論も出来なくて。
もうどうにでもなれと自棄になりながら、すぐそばを通り過ぎる〝青白い何か〟に気付かれるのではと戦々恐々として────。
(……なん、で?)
明らかに私達に焦点を当てて追いかけて来ていた筈のソレは、すぐそばで杜撰すぎる隠れ方をしていた私達に一切気付く事なく、通り過ぎた。
全くもって意味不明、理解不能な現象を前に、私はどうなっているのだと声を上げようとしたが、先んじてリキさんが口を開いていた。
「……どうしてこんな場所にいるんですか。殿下」
でん、か?
「いやなに、知識欲に負けてな。それと、ここらで王都を騒がせる賊徒の鼻っ柱を折ってやるのも楽しいなと思ったのだよ」
〝青白い何か〟が過ぎ去り、ある程度の距離が生まれた事を確認した後、殿下と呼ばれた青年は楽しそうにそう答えた。
「賊徒の、鼻っ柱……?」
まるでそれは、〝大図書館〟で起こっている一連の騒動が、王都を騒がせている帝国の人間とダークエルフによるものだと「確信」を得ているかのような物言いだった。
疑問が多過ぎて、頭がパンクしてしまいそうだ。
「ああ。これでも一応、王子の身であるからな。放蕩だなんだと好き勝手言われているが、偶には貢献してやるのも悪くなかろう? 特に、ダークエルフと帝国の奴等には好き勝手やられてる訳なのだから」
どうにも、彼は正真正銘、王子様であるらしい。引きこもりだった私でさえも、第一王子と第二王子の顔は見たことがある。
その記憶に引っかからないという事は、銀髪の彼の正体が第三王子ラバン・ノーレッドであるという何よりの証拠であった。
マグノリア公爵家が後ろ盾となっている王子だからこそ、リキさんが顔を引き攣らせているのだと解釈も出来る。
最早確定だった。
……確かに、私達の中でも今回の〝大図書館〟での一件も帝国の人達が絡んでいるのではという予感はあった。
けれど、動機やら、理由が不明だった。
「奴らの狙いは、この〝魔法学園〟の地下に眠る〝聖遺物〟の奪取。その為に私達の国は掻き回され、混乱に陥った。さっきの化物も、その副産物だ」
「……〝聖遺物〟?」
もう、分からない事だらけだった。
『簡単に言うと、古い力を持った魔導具だよ』
「知ってるの? ハク」
『まぁね。でも、〝聖遺物〟ってのはそんなに使い勝手のいい物じゃなかった筈だけど』
「────その通り。〝聖遺物〟は間違っても使い勝手の良いものではない。だからこそ、この空間が生まれ、あの化物さえもが跋扈している」
……最近、ハクの姿を見れる人が多いせいで感覚がおかしくなってる気はするんだけど、それでも多過ぎる気がする。
貴方もハクの事が見えるんですねという指摘をどうにか飲み込み、私は殿下の言葉を受けて溜息を漏らすリキさんに視線を移した。
「やはりそうですよねえ。まあ、薄々勘付いてはいましたが、さっきのノアさんのアレで確信に変わったところでした」
「……どういう事ですか」
私を当て馬にしたという事だろうか。
責めるような視線を向けると、「確証が欲しかったんだよ」とリキさんに目を背けられた。
「要するにこの空間は、魔法や精霊術の行使に必要な〝エネルギー〟を吸収してるって事だ。そしてあの化物は、〝エネルギー〟に反応している可能性が高い。というより、それでほぼ間違いない。そうでなければ、すぐ側を素通りしてくれる訳がないからな」
こんな杜撰な隠れ方にもかかわらず、バレなかった理由を教えてくれる。
何らかの方法で隠してくれたのだろう。
「恐らく、失踪者は生命力のようなものを奪われた結果、目覚めないのだろうよ」
「でも、どうしてそんな事を」
『そのエネルギーが、〝聖遺物〟を使う為の代償として使用されるって事じゃないかな』
……ああ、そういうことか。
「なら、その原因を突き止めて、魔導具なら魔導具を。魔法陣なら魔法陣を壊せって事ですね」
やる事が決まっているなら話は早い。
「その通りだ。が、闇雲に探しても見つからないだろう。現に、かれこれ一日以上彷徨っているが、それらしきものを見た試しがない。あの化物が本体なのかと疑いはしたが、どうにも違うようであるからな」
「成る程……」
人から奪う事を前提にして作られているならば、何らかの対策を立てていても不思議じゃない。
闇雲に探し歩いても確かに時間の無駄だろう。
ならば、今ある手掛かりをもとに考えて行動をするべきだろう。
「……そもそもの可能性として、私達が閉じ込められてる場合、この空間は〝擬似固有結界〟に近い筈……」
ヴァンと共に編み出した〝ディア・ガーデン〟に似通った何かである可能性は高い。
それを前提に考えれば、ある程度見えてくるものがある。
入学の手続きをする必要があるかと思って携帯していたペンを私は取り出す。
紙は常備していなかったので、心の中で「ごめんなさい」と言って床にガリガリと私は書き込む事にした。
「魔法を始めとしたエネルギーを吸収してる場合、空間そのものとは別の魔法陣として組み込んでる可能性が高くて────私だったら、その魔法陣はここに置く。でも、魔法師的にはこれはベストじゃない。だったら、」
『一応、向こうにはダークエルフがいる。だからノアや僕みたいに精霊術師としての視点で考えても良いかも』
「あぁ、そっか。だったらここは────」
ヴァンと一緒に魔法の勉強をするようになってから、こういう考える事が割と好きになっていた。
何かを一から生み出す事も同様に。
何より、この一件にあの散々迷惑を掛けてくれた帝国の人達が絡んでいるなら、彼らの企みを滅茶苦茶にしてやり返したいという想いも強かった。
お陰で、やる気に満ち満ちていた。
「意外だな」
最中、ラバン王子の声が聞こえた。
邪魔をする気はないのだろう。
ただ思った事を口にしているだけの様子だった。だから、返事をせずに私に出来ることを続行しようとして、
「ヴァン・エスタークが好いている人間だ。もっと大人しくて、人畜無害な人間なのかと思っていたが、そうじゃないのだな」
「ぶっ」
ガリッ、とペンが斜め上へと無骨な線を描いた。動揺から、手元が狂ってしまったらしい。
『……何をしてるのさ、ノア』
「い、いや、その、な、なんでもありません」
私に話しかけている訳じゃなくて、これはただのラバンさんの単なる感想。
でも、ヴァンのその好いてるはあくまで友達として、だと思いますよと言おうか迷う。
でも、だったら今の私達の婚約者という関係が説明出来なくなる。
それには深い訳がと説明する訳にもいかないし、した場合、色々と面倒臭い上にヴァンの厚意が無に帰してしまう可能性もある。
最善は何も言わない。
聞こえないフリを通す。
絶対にこれに限る。
「だが、惚れた理由は分かる気がするな。リキへの態度も良い意味で遠慮がない。普通、放蕩王子だろうが、公爵家の跡取りと王子に囲まれていたら多少なり身構えても可笑しくないだろうに。ただヴァン・エスタークにはそれが心地良かったのだろうな。ああ、その通り。心を許せる友人はいつの世も貴重なものだ」
……いや、これでも十分身構えてます。
でも、位の高い人間だからといって、誰も彼もが失言一つで打ち首に────なんて理不尽な事をする訳でもないし、何なら親しみやすく優しい人ばかりだ。
明らかに怖そうな人ならまだしも、そうでないならばおっかなびっくりビクビクするのもアホらしいかなって思ってこうしてるだけ。
ただそれだけだった。
「それとも、それをしても問題ないと思えるだけの裏打ちされた実力があるという事なのか。ならばその自信はどこから湧き上がってくるのか。いやはや、実に興味深い。貴女は未知だ。これ以上なく心をくすぐられる」
……なんか興味を持たれていた。
たぶん、これあれだ。
この方、変人だ。
ツッコミどころ満載だけど、ここでツッコんでしまったら碌なことにならない。
集中していたから聞こえていなかったふりを通すべきだという予感があった。
「何より、精霊を連れている事にも興味を惹かれる。精霊術については殆ど文献が残っていない。特に、精霊に好かれる人間は稀有であるらしい」
思った事がそのまま垂れ流されてゆく。
私を凝視している筈なのに、ぴくぴくと痙攣を起こしながら引き攣る私の表情にラバンさんは気付いていないのだろうか。
「ああ、気になる。私は貴女の事にどうしようもなく気を惹かれているらしい。まるで胸を締め付けられるようだ。……そうか。これが、そうなのか。これが俗に言う────「恋」という奴なのか」
「いやそれただの好奇心です」
……流石の私も我慢の限界だった。
これ以上放置していては取り返しのつかない事になりそうで、口を挟んでしまったけどこのラバン王子を私がどうこう出来る気がしない。
知り合いなんだからどうにかして下さいと、縋るような視線をリキさんに向けてみる。
「この人……じゃない。この方、世間じゃ放蕩王子だなんだと言われてるけど、一言で言い表すなら知識欲の塊みたいな人なんだよ。基本的に、殿下に知らない事は殆どないと思った方がいいレベルで。だからなんだろうぜ。この方は、その、有り体に言うなら「未知」マニアなんだよ」
要するに、変人という事らしい。
なんて面倒な人なんだ。
「つぅわけで、その、なんだ。諦めてくれ」
おれにも無理。と無情にも返された。
やがて、私が手を止めてラバンさんを見つめ返してしまった事もあり、何故か流れるような所作で手を取られた。
滅茶苦茶整ったお顔が私の視界に映り込む。
ラバンさんに見つめられでもすれば、コロッと恋に落ちてしまう女性もいるのではないだろうか。
端正な顔立ちに加え、落ち着いた声。
加えて、身分は一応王子様である。
私も何も知らなかったら、心臓の脈動が速くなっていたかもしれない。
でも、目の前のこの方は私を好奇心の対象としか見ておらず、加えて中身は変人だ。
お陰で熱に浮かされる事もなく、これ以上なく冷めた目で見る事が出来た。
「ところで、この騒動が落ち着いたら一度、城に来ないか。落ち着ける場所で是非とも話を」
城に赴いてみたいという気持ちがゼロと言ったら嘘になる。
でも、それに至るまでの心労やらを考えたら行く気にはなれないし、何より今の私はヴァンの婚約者であって。
そんな私が幾ら王子殿下とはいえ、男女二人で────というのは拙いにも程がある。
だから断ろうとしたその瞬間だった。
「────漸く見つけた、と思ったら、何をやってるんですか。殿下」
親しみ深い声と共に、握られていた手ごと、べりっと容赦なく引き剥がされた。
心なし、怒っているような気がする。
否、怒ってるんだろう。
視線を若干上に向けると、無表情ながら声の主────ヴァンは知り合いならば辛うじて分かるレベルで苛立ちをあらわにしていた。
そのそばで、100パーセント他人事だったリキさんは、「おっ」なんて呑気に言っていた。
それもあってだろう。
「この状況。それと、どうしてここに殿下がいるのか。全部事細かに説明して貰おうか────リキ」
「……おれかよ」
ヴァンの怒りの矛先は、容赦なくリキさんへと向いた。
まあ、諸悪の根源はリキさんだし、その怒りは全然間違っていないので同情する気にはこれっぽっちもなれなかった。
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