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Sors immanis et inanis, rota tu volubilis,(恐ろしく、そして虚ろな運命よ、回転する運命の輪よ)
冷酷非情な女たち
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アディが女侯邸を訪ねた時、既にエクトールは邸の一室に監禁されていた。
元帥は初めてそこで「新しい世界の王」となる野望を彼に示したのだ。その暁には相応の地位を与えることを約束するから、国王やアシュトン将軍を裏切ろと迫り、高潔なエクトールを憤慨させた。
「元帥!あなたと言う人は…!そうだ、将軍に…アシュトン将軍に会わせてください。あなた方が将軍を拐かした、違いますか?」
エクトールは強い視線を元帥に向け非難を浴びせた。行方不明になっているアシュトン将軍に関して、軍の諜報部は必死に足跡を追っている。無論、警務隊もだ。もし自分と同じく将軍も捕らえられているとすれば──
しかし裏切りなど騎士道にも否、人道にもとることだ。愛するアディが信ずる唯一の神にもだ。とても首を縦に振ることは出来なかった。
「君は大変に優秀な兵士だ。だからこそ打ち明けた…。アシュトン将軍は最後まで理解出来なかったからな」
「まさか、将軍は──!」
背筋を冷たい汗が流れるのを感じ、それに続く言葉を辛うじて飲み込む。恐らく、自分の最悪のシナリオは間違っていないのだろう…エクトールはそう感じた。ここで拒否し続ければ将軍と同じ運命を辿る。だが国を裏切るなどロアン伯爵の家名が許さない。何より──
(アディ、君と約束した。絶対に戻ると──)
その様子を冷たい目で観察していたジョセフは、パチンと指を鳴らした。するとほどなく屈強な男が3人部屋に現れる、エクトールを取り囲み木の幹のように太い腕を持つ男が背後から彼を扼した。
「ロアン伯エクトール、その気になるよう身体に訴えかけるとしようか。やれ」
ジョセフの短く無情な一言がきっかけで、凄惨極まる拷問が始まった。
──すぐに音を上げるだろうとタカをくくっていたが、存外手間取った。やはりあの将軍が気に入るだけのことはある、と直情的で古臭い正義漢の持ち主である老兵──と言ってもジョセフと年齢は変わらないが──の顔を思い出し、苛ついた様子で自室を意味無く歩き回っていたところ、ノックの音がしてマノンが入ってきた。
「ご機嫌いかが?元帥?」
「ふん、お前はあの若造が気になるだけだろう…拷問に耐えられなかったら、お前の愛玩人形にするがいい」
「その言い方…それじゃあ、アシュトン将軍と同じように?」
「そうだ。それが一番手っ取り早い。記憶を消し、一から我々の思想を教えこんでゆく…砂に水が染み込むようにな」
「そう…。これからって時に将軍に逃げられた失態は二度と犯さない事ね。まあ、私たちの『善導』を受け入れられず記憶をなくした中年男なんて今頃どこかで野垂れ死んでいるでしょうけど」
「──マノン、俺のやり方が前近代的とでも言いたいのか?」
初めてジョセフが気色ばみ、妻の取り澄ました顔を射抜くように鋭い視線を向ける。
マノンは半ば呆れて肩を竦め「口出しはしないわ。但し、今度は──エクトールだけは失敗のないように。彼には任務が山ほどあるし、それを遂行できる唯一の人材と言って過言はないの」そう忠告するとコツコツとヒールの音を響かせ夫の部屋を出ていった。
「お前の玩具としてもな」
妻の姿が廊下に消えると、ジョセフは忌々しげに見えない背中に向かって吐き捨てた。同時に、妻に影のように付き纏う死神めいた執事の幻影にも。
マノンは夫の部屋を出ると、鬼女のような笑いを浮かべエクトールが監禁されている牢へとひとり歩いて行く。女侯爵らしい豪奢な紫色のドレスに黒貂の毛皮のショールを巻いた姿で、エクトールの牢の前に立つと、彼は満身創痍の身体を無造作に横たえていたが、気配を感じ反射的にはっと身を起こしこちらを見る。その目に微かながらの怯えがあるのを、この女怪は見逃さなかった。
「安心して、エクトール。あなたをここから出してあげる」
マノンが猫なで声を出すと彼は吐き捨てるように「何を言う!お前たち夫婦の計画だろうが!誰がそんな口車に乗る?!」と毒づいた。
「気の毒に。今まで散々ひどい目にあったでしょう? 私がすぐにここから出してあげるわ。私は…あの場では黙っていることしか出来なかったの」
そう言ってマノンは鍵を取り出し牢を開けた。
「夫人、牢番は?」
「少しお金を握らせたから大丈夫。さあ、ここから出ましょう」
しかし、エクトールの戦士としての勘が危険信号を発していた。もしこの女に付いて行ったらとんでもないことになるのではという、勘だ。
だが、このままここにいても逃げ出す術もない。一度恭順を示し、隙をついて逃げる。それしかあるまい。
「あなた、アドリエンヌに会いたくないの?」
マノンが低い声で畳み掛ける。
アディ…そういえばあの後一度も会っていない。前線の兵舎に着くなりここに監禁されてしまったからだ。
(ふふ、アドリエンヌの名前を出したら動揺しているわ)
マノンは腹の中で笑った。彼を連れ出すのも、自分のよく知っている「洗脳機械」に会わせるためだった。この「洗脳機械」と呼ばれる存在に会ったら最後、永遠にその洗脳が解けることはない。
ジョセフの拷問の仕方は前近代的すぎる。もっと効率的なものを使わなければ…。そんな時「洗脳機械」の創り主である「彼女」と出会い、2人の女怪はたちまち意気投合した。知らぬは夫ばかりなり。しかし、大きな顔をできるのもそれまでだ。頃合いを見てジョセフにも「彼女」にもあの世に行ってもらう。
「エクトール! これがアドリエンヌに会える最後のチャンスよ」
悪魔は常に人の弱いところを突いてくる。
「…わかった。あなたを信じよう」エクトールが漸く首を縦に振った。
「それじゃ、ジョセフ…元帥にわからないように静かにね」
マノンは満身創痍の哀れな騎士に黒貂のショールを被せてその手を引き、外に出ると早速待たせておいた馬車に乗せた。
マノンはこうしてエクトールの拉致に成功した。行く先は勿論「洗脳機械」のところだ。
元帥は初めてそこで「新しい世界の王」となる野望を彼に示したのだ。その暁には相応の地位を与えることを約束するから、国王やアシュトン将軍を裏切ろと迫り、高潔なエクトールを憤慨させた。
「元帥!あなたと言う人は…!そうだ、将軍に…アシュトン将軍に会わせてください。あなた方が将軍を拐かした、違いますか?」
エクトールは強い視線を元帥に向け非難を浴びせた。行方不明になっているアシュトン将軍に関して、軍の諜報部は必死に足跡を追っている。無論、警務隊もだ。もし自分と同じく将軍も捕らえられているとすれば──
しかし裏切りなど騎士道にも否、人道にもとることだ。愛するアディが信ずる唯一の神にもだ。とても首を縦に振ることは出来なかった。
「君は大変に優秀な兵士だ。だからこそ打ち明けた…。アシュトン将軍は最後まで理解出来なかったからな」
「まさか、将軍は──!」
背筋を冷たい汗が流れるのを感じ、それに続く言葉を辛うじて飲み込む。恐らく、自分の最悪のシナリオは間違っていないのだろう…エクトールはそう感じた。ここで拒否し続ければ将軍と同じ運命を辿る。だが国を裏切るなどロアン伯爵の家名が許さない。何より──
(アディ、君と約束した。絶対に戻ると──)
その様子を冷たい目で観察していたジョセフは、パチンと指を鳴らした。するとほどなく屈強な男が3人部屋に現れる、エクトールを取り囲み木の幹のように太い腕を持つ男が背後から彼を扼した。
「ロアン伯エクトール、その気になるよう身体に訴えかけるとしようか。やれ」
ジョセフの短く無情な一言がきっかけで、凄惨極まる拷問が始まった。
──すぐに音を上げるだろうとタカをくくっていたが、存外手間取った。やはりあの将軍が気に入るだけのことはある、と直情的で古臭い正義漢の持ち主である老兵──と言ってもジョセフと年齢は変わらないが──の顔を思い出し、苛ついた様子で自室を意味無く歩き回っていたところ、ノックの音がしてマノンが入ってきた。
「ご機嫌いかが?元帥?」
「ふん、お前はあの若造が気になるだけだろう…拷問に耐えられなかったら、お前の愛玩人形にするがいい」
「その言い方…それじゃあ、アシュトン将軍と同じように?」
「そうだ。それが一番手っ取り早い。記憶を消し、一から我々の思想を教えこんでゆく…砂に水が染み込むようにな」
「そう…。これからって時に将軍に逃げられた失態は二度と犯さない事ね。まあ、私たちの『善導』を受け入れられず記憶をなくした中年男なんて今頃どこかで野垂れ死んでいるでしょうけど」
「──マノン、俺のやり方が前近代的とでも言いたいのか?」
初めてジョセフが気色ばみ、妻の取り澄ました顔を射抜くように鋭い視線を向ける。
マノンは半ば呆れて肩を竦め「口出しはしないわ。但し、今度は──エクトールだけは失敗のないように。彼には任務が山ほどあるし、それを遂行できる唯一の人材と言って過言はないの」そう忠告するとコツコツとヒールの音を響かせ夫の部屋を出ていった。
「お前の玩具としてもな」
妻の姿が廊下に消えると、ジョセフは忌々しげに見えない背中に向かって吐き捨てた。同時に、妻に影のように付き纏う死神めいた執事の幻影にも。
マノンは夫の部屋を出ると、鬼女のような笑いを浮かべエクトールが監禁されている牢へとひとり歩いて行く。女侯爵らしい豪奢な紫色のドレスに黒貂の毛皮のショールを巻いた姿で、エクトールの牢の前に立つと、彼は満身創痍の身体を無造作に横たえていたが、気配を感じ反射的にはっと身を起こしこちらを見る。その目に微かながらの怯えがあるのを、この女怪は見逃さなかった。
「安心して、エクトール。あなたをここから出してあげる」
マノンが猫なで声を出すと彼は吐き捨てるように「何を言う!お前たち夫婦の計画だろうが!誰がそんな口車に乗る?!」と毒づいた。
「気の毒に。今まで散々ひどい目にあったでしょう? 私がすぐにここから出してあげるわ。私は…あの場では黙っていることしか出来なかったの」
そう言ってマノンは鍵を取り出し牢を開けた。
「夫人、牢番は?」
「少しお金を握らせたから大丈夫。さあ、ここから出ましょう」
しかし、エクトールの戦士としての勘が危険信号を発していた。もしこの女に付いて行ったらとんでもないことになるのではという、勘だ。
だが、このままここにいても逃げ出す術もない。一度恭順を示し、隙をついて逃げる。それしかあるまい。
「あなた、アドリエンヌに会いたくないの?」
マノンが低い声で畳み掛ける。
アディ…そういえばあの後一度も会っていない。前線の兵舎に着くなりここに監禁されてしまったからだ。
(ふふ、アドリエンヌの名前を出したら動揺しているわ)
マノンは腹の中で笑った。彼を連れ出すのも、自分のよく知っている「洗脳機械」に会わせるためだった。この「洗脳機械」と呼ばれる存在に会ったら最後、永遠にその洗脳が解けることはない。
ジョセフの拷問の仕方は前近代的すぎる。もっと効率的なものを使わなければ…。そんな時「洗脳機械」の創り主である「彼女」と出会い、2人の女怪はたちまち意気投合した。知らぬは夫ばかりなり。しかし、大きな顔をできるのもそれまでだ。頃合いを見てジョセフにも「彼女」にもあの世に行ってもらう。
「エクトール! これがアドリエンヌに会える最後のチャンスよ」
悪魔は常に人の弱いところを突いてくる。
「…わかった。あなたを信じよう」エクトールが漸く首を縦に振った。
「それじゃ、ジョセフ…元帥にわからないように静かにね」
マノンは満身創痍の哀れな騎士に黒貂のショールを被せてその手を引き、外に出ると早速待たせておいた馬車に乗せた。
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