上 下
33 / 60
第2章──少年期5~10歳──

033 鳥なのに猪

しおりを挟む
 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「シア様~、何処いずこにいらっしゃいますでしょうか~。シア様~」

 ラングロフ邸の敷地内──中庭にて、フェリシアを捜す侍女の声が響く。その声のぬしを眼下に、渦中の人物は心地好く昼寝の最中だった。
 背の中程まである銀色の髪をハーフアップにし、膝下丈にフリルがあしらわれた、軽やかな薄桃色のドレスを身に纏った幼女である。しかしながら彼女のいる場所は大人一抱え程の太さを持つ樹木の上であり、通常ならばそのような場所に幼い子供──しかも女児がいるべきではなかった。

〈……フェル。捜されてるぞ?〉
〈ん~……?〉

 そんなフェリシアを抱き留めたまま、同じく樹木の枝に腰を掛けているのは、人化したグーリフである。
 彼は魔獣でありながらも、【フェリシアのソウルメイト】という称号のおかげか、【獣化】スキルを持つフェリシアに呼応するように【人化】スキルを持ったのだ。
 そして成長をフェリシアに合わせるように月日を重ね、現在五歳である彼女のそばにいてもおかしくない外見をとっている。

〈そろそろ茶の時間サッドじゃねぇか?〉
〈あ~……、そうかも。何か、お腹空いた感じする〉
〈それなら起きるか?〉
〈ん~……、そうするぅ〉

 スキル【以心伝心】テレパシーで会話しながら、寝ぼけまなこのフェリシアを支えるグーリフだ。
 更には甲斐甲斐しく、わずかに乱れた髪やドレスを整えてくれる。

〈ありがとう、グーリフ。もう大丈夫だよ〉
〈おぅ。それなら降りるぞ、掴まれ〉
〈ん〉

 グーリフは、己の首に抱き付くように腕を回したフェリシアを確認した後、フワリとネアンの魔力を纏って大地に降り立った。そうしてフェリシアと立ち並べば、その差は拳一つ分である。
 彼に言わせれば、これは額に唇を落としやすい身長差なのだそうだ。──フェリシア的にはそのような行為を好んでされたい訳ではないが、『守りの術式』をする為だと言われれば拒絶しようがない。
 さらに当然のように日に一度は必ずされる為、フェリシアはもはやそういうものだと諦める事にしていた。

〈……来たぞ〉
〈え、何処から……わ、ま、待って……っ!〉

 グーリフの言葉に視線を彷徨わせれば、屋敷の影から勢い良く飛んでくる茶色い固まり。突撃よろしく突っ込んできたので、フェリシアの本能的な恐怖が湧いた。
 勿論彼女に到達する前に、グーリフによって片手で軽々と止められるそれ──フェリシア専属侍女であるミアである。
 ミアはこのシュペンネルでは珍しい鳥属だ。ここは軍事国家として軍が政権の全てを掌握しているのだが、その九割を獣属が占めている。

「おい、鳥。フェルに何する」
「アッダダダ……、頭……潰れるぅ」
「ちょっと、グーリフ。それ、視覚的にもアウトだから」

 幼い外見でありながらも、その握力でミアの頭部を潰しかねないグーリフを、横からフェリシアが制した。
 フェリシアとしては、己と同じような見てくれの幼い子供でありながら、グーリフが単にサイズを合わせてくれているだけの魔獣である事を知っている。つまり、実行可能なのだ。

「ふん。フェルに免じて解放してやるが、いい加減覚えろアホドリめ」
「ひ~……ん、シア様ぁ」
「はいはい、よしよし。とりあえずミア、突っ込んで来るのはやめてね。マジで怖いから」

 頭部を解放されてすがってくるミアに対し、フェリシアは頭を撫でてやりながらのお願いである。
 ミアとしては当然のごとく、フェリシアを傷付けるつもりは一切ないのだ。しかしながら感情の抑制が上手くいかず、彼女の事となると猪突猛進する傾向がいまだ抜けない。──ちなみにグーリフがいる為、フェリシアに一度たりともミアの突進が当たった事はなかった。

「はいぃ、申し訳ないですぅ」
「で……シアを捜してたのは、お茶の時間サッド?」
「あ、そうでしたっ。お茶のお時間サッドなのは勿論ですが、シア様に茶会の御手紙が届いております」

 フェリシアはそれを聞き、明らかに嫌そうな顔になる。
 彼女のそんな様子に気付いたグーリフがフェリシアの頭部を撫でてくれるが、気分は全く晴れなかった。
 それもその筈で、フェリシアが五歳になった年明け──この国では新年と共に年齢が加算される──から、様々な方面からの招待状が届いている。勿論一番の理由は、『珍しい二人目の銀』であり、『銀狼の女児』だからだ。

「もう……それ、本当に嫌なんだけど」
「はい、存じております。ですが旦那様もお悩みのようで、どうやらお断り出来ない案件であるご様子でした」
「え~……。それって、大将クラスからって事じゃん」

 フェリシアの父ヨアキムは、中将である。つまり彼が断れない地位といえば、嫌でも察しがつくというものだ。

「なんだ。嫌なら俺がどうにかしてやろうか」
「いや、それって不味いよね。シアじゃなくても分かるよ、グーリフ。父様が首になっちゃうじゃん、物理的に」

 完全縦社会である軍部では、上官の命令は絶対である。
 グーリフとしてはフェリシアありきなので、周囲の事情は全くといって関与していなかった。

「困るのか?」
〈そもそも、『首』とはなんだ〉
〈え、そっから?……えっと、首チョンパになるんだよ。胴体とさよなら、つまり死んじゃうの〉
「そうなったら、反逆罪でラングロフもろともになる。シアは見世物になりたくはないけど、周囲に迷惑を掛けたくないからね」
〈そうか。さすがの俺も、頭が胴と離れりゃ無事でいられる保証はねぇな〉
〈当然そうなってほしくはないけど、生首だけで会話されたら漏らす自信あるよ〉
「さすがです、シア様。ご自身の意に添わなくともそれを呑み込む寛大なお心。このミア、感動致しました」

 フェリシアとグーリフがスキル【以心伝心】テレパシーも使って会話する中、ミアは手を胸の前で祈るように組ながら涙している。
 そんな何処かずれているミアだが、彼女はそのレンナルツの血から、持ち前の諜報能力を開花させていた。

「わたしが調べたところでは、旦那様は暮れから場を整えるように命じられていたようです。けれどもかどわかし事件の調査やシア様の負担を理由に、これまで引き延ばしていました」
「あ~……もう限界、みたいな?」
「そのようです。あれから四年経ち、人々の記憶から事件その物が風化しつつあります。いまだ国内で誘拐と思われる失踪事件はありますが、これといった証拠もなく件数も少ない為、大事おおごとになっておりません」

 フェリシアとしても、ミアから情報は得ている。
 あの『獣化誘拐事件』は、これまでの獣属としての在り方さえも否定した方法だった。ヒトとしての形態に獣属の耳や尾を持つ以外有り得ない筈の常識を覆し、強制的に亜人科のような形態変化をさせて連れ去る。
 違法薬物である変化の魔法液シハー・リュイドが、何故だか当たり前のように使われている組織の一端に触れた事件だった。

「獣化させられた被害者達は、もう完全に対応が終わってるんでしょ?」
「はい。解呪の魔法液シルア・リュイドを使うかの選択を迫られました。そして使用者の三割は無事、ご家族のもとに戻っております。……未使用者は完全に獣化したと報告を受けており、使用者の七割も負荷に耐えきれず絶命したと聞き及んでおります」
「……そう……ありがとう、ミア」

 しんみりとした空気に包まれる。
 元々発見時にも察する事が出来ていたが、強制的に獣化させられた子供達は、ヒトとしての意思を強く持てない者がいたのだ。
 辛うじて純粋な獣かどうかの判定は出来たものの、ヒトとしての知能をいつまでも小さな頭蓋に秘めていられない──そんな結末を迎えていったのである。
 家族としては苦痛を伴うと知っていても、己の子供ゆえ、本来の姿であるヒト形態に戻したかったようだ。本人の意思に関係なく解呪の魔法液シルア・リュイドを使われた被害者もいる。
 そして、そういった者達はほとんどが死亡。ヒトとして在りたいと、本人の強い意思が解呪に必要不可欠と、嫌でも人々に知らしめられた。──それでも勝率は五分である。

〈何だか、救ってあげられなかった事に罪悪感……〉
〈フェルに責任はねぇだろ。鳥を貸し出す訳にもいかなかったんだ。そもそもが、鳥の能力でフェルが元に戻ったのかも分からねぇ。俺に【人化】スキルがついた事もあって、フェルは【獣化】スキルを得た事でヒト形態に戻れたかも知れねぇんだ。それに【獣化】出来るなんて公表したら、今よりもっと珍獣扱いされっぞ〉
〈それは嫌だけど……〉
〈俺はお前がいれば良い〉

 いまだ割り切れていないフェリシアは、思い出す度にこうしてグーリフに怒られ、慰められるのだ。
 こうしたフェリシアの反応も知っているヨアキム含めラングロフ関係者全員が、彼女を守る為に鉄壁の防御体制をとっている。それが更にフェリシアの稀少価値をあげているのだが、どちらも引くに引けない状態となっていたのだ。
 そこへ、今回のなかば強引ともいえる茶会の誘いである。

「とりあえず、父様に聞いてみるしかないね。お茶の席に来るんでしょ?」
「はい、シア様。そのように伺っております」
「じゃあ行こうか。あ、勿論グーリフもね」
「……アイツが来るなら、俺は席を外した方が良いんじゃねぇか?」

 五歳児が肩をすくめたところで可愛いだけなのだが、グーリフがこう言う原因はヨアキムにあった。
 初めて遭遇──実際は部屋に乗り込んできたヨアキムとの対峙──の際、フェリシアと共寝ともねしている彼を視認した途端、狂人化バーサク状態になったのである。
 当然、グーリフは相手がヨアキムである事を判別した為、床に押さえ付けてネアンの魔力で拘束するだけに留めた。体力も魔力もヨアキムの上であるグーリフにしか出来なかったとはいえ、それ以来ヨアキムは明らかな敵意を見せるようになったのである。
しおりを挟む

処理中です...