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第1章──幼年期1~4歳──

019 魔獣の気持ちと男親の気持ち

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 全てにおいてグーリフ自身が出来るのならば、わざわざ別のれさせはしない。──何故だか湧き上がる不可解な感情に、グーリフは不愉快になった。
 その為か、ヨアキムを押し退けるようにして、フェリシアの眠っているベッド横へ体を沈める。少しでも彼女に近付く為に。
 鼻先でフェリシアにれると、条件反射のようにフェリシアに抱き付いてこられた。

「あ~、良いなぁ。……魔獣のくせに」
「ふん。俺の勝ちだ」
「本来ならば、父様大好き~とか言われつつ、俺がフェルからの愛情を目一杯もらえる筈だったのに……」

 グチグチとうるさいヨアキムが鬱陶しいものの、現在フェリシアを独占出来ているという優越感が心地好いとグーリフは感じている。
 ちなみに何度も繰り返すが、ヨアキムにグーリフの言葉は通じていない。

「なぁ、お前も寝るのか?……はぁ、良いよなぁ。俺も添い寝したい……。フェルを一番に助けたのが俺だったら、こんな風に魔獣相手に指咥えて見てるなんて事、なかったんだ。それもこれも、事務仕事を押しつ……」
「ラングロフ中将、こちらにいらっしゃいますか?」

 呟いてたヨアキムの言葉が、扉の向こうからの呼び掛けにさえぎられた。
 勿論グーリフは、声が聞こえる前から歩み寄るそれに気付いていた。しかしながら匂い的に、フェリシアをここに連れてくる際に、非常に役立ったヒト種である。
 多少近付いてくるくらいは、それほど警戒心をいだかなかった。勿論、フェリシアに必要以上に寄られるのは不愉快だが。

「な、何だ、ベルナール」
「いえ。お散歩・・・が終わったと、鳥属の侍女から聞きましたので」

 わずかながら、警戒を乗せた声音で扉向こうに返答をするヨアキム。それに対し、ベルナールは淡々とではあるが、含んだ物言いを返してきた。
 グーリフにとっては、判別はどちらも雄だ。つまりはフェリシアに寄せ付けたくはない。

「お前、さっさと出ていけよ」
「な、何だよ。出ていけって言ってるのか?」

 ブルルッと鼻を鳴らし、ヨアキムを静かに見据えるグーリフ。
 その言葉が通じていない筈なのに、基本的に感覚で生きているヨアキムは、グーリフの言いたい事を何故か正確に読み取っていた。

「くそぉ、魔獣に追い出される当主って……。ここ、オレの家だよなっ?!」
「ラングロフ中将?」
「あぁっ、分かってる。今行くから、待てっ」

 文句をたれるヨアキムだが、それ以上の時間サッドを取る事を認めないとばかりに、扉向こうからベルナールがかす。
 グーリフの知った事ではないが、ヨアキムは執務室でベルナール他と書類仕事をしていた際の逃走だったのだ。フェリシア云々うんぬんは感情的な行動の結果であり、立場上は己を律するべきだった。

「くくくっ、良い気味だな」
「くそっ、馬鹿にしやがって……っ。そのうちお前の立場を分からせてやる、覚えてろよっ」

 ブルルッとグーリフが鼻で笑えば、ヨアキムは意味が通じたかのように、悪役張りの捨て台詞を吐く。
 しかしながら眠っている娘の部屋なので、苛立ちのままに物へ当たる事も出来ずにいた。
 グーリフはフェリシアに顔をり寄せつつ、ヨアキムの行動を観察する。言動から、次の動きを推測する為だ。
 そこへカチャリと軽い音と共に、別の雄──ベルナールが顔を出す。

「早くして下さい、ラングロフ中将。いつまで待たせるのですか」
「あっ!お前、勝手にレディの部屋を開けるなよっ」
「中将が遅いからですよ。淑女レディの部屋に長居するなど、紳士の風上かざかみにもおけませんね」

 とうとう、待たせたままだったベルナールが扉を開けたのだ。
 ヨアキムが怒鳴ろうが、意に介す事なく流されただけである。

「あっ、ちょっと待て!あの魔獣をだなっ」
「はいはい、また今度にして下さい。魔獣殿、御邪魔致しました」
「ちょ、待て、ベルナール~……っ」
「行きますよ。部下を待たせたまま、いつまでも油を売っていないで下さい」
「あ~~~~っ」

 そんな騒がしさと共に、ヨアキムとベルナールが退室していった。
 グーリフはそれらを見送った後、しばらく周囲の音を警戒する。そして静かに足音が去ると、ようやく少しだけ体の力を抜いた。

「あの鳥、わざと俺に気配を知らせていやがったな。根性悪ぃ奴めっ」

 グーリフは溜め息をくように、ブルルッと鼻を鳴らす。部屋の外に、ミアがいたからだ。
 ──散歩の途中でフェリシアが眠った後、ヨアキムを拾うまでの間に受けた、ミアからの殺気混じりの敵意。
 単に、グーリフの背中からフェリシアを抱き留めるべく、近付いてくるのならばまだ良い。それを、上空から獲物を狙うかのように、フェリシア目掛けて舞い降りてくるのだ。
 グーリフが、ネアンの魔力で守っているフェリシア。いくら自分より弱いと分かっていても、それを無神経にスルー出来なかった。それどころか、反射的に殺してしまいそうになるのを──フェリシアが悲しむだろうから──必死に耐えていたのである。

「疲れた……。無駄に、疲れた……」

 グーリフは、フェリシアの柔らかな頬に鼻先をりつけた。
 魔獣である彼が、本来ならば滅するまで知る事のなかっただろう温もり。

「……ぅう~……ん……、グ……、リフぅ……」

 むにゃむにゃと寝惚けながら、フェリシアもさらに力強くグーリフにしがみつく。
 引かれ合う磁石のように、二人は種族の壁をものともせず、互いを求め合っていた。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「くそっ、あの魔獣っ」
「……もう少し、私情を控えて下さい、ラングロフ中将」

 なかば強制的に執務室へ連れ戻されたヨアキムだが、先程の苛立ちは続いている。
 基本的に討伐する側の組織に所属している事もあり、ヨアキムはいまだグーリフの件を認められないでいた。
 それどころか、知能が高いだろう魔獣の、ヨアキムに対する態度も原因の一つである。

「そうは仰いますが、中将が屋敷内に滞在する事を認められたのです。違いますか?……それよりも、休んでいないで手を動かして下さい」

 執務机に向かうが、書類の内容が全く頭に入って来ないヨアキムである。
 第3師団の任務は多岐に渡る為、費用の申請から任務の報告。細かなものならばイトネ報まで、師団長であるヨアキムの目を通さなくてはならない書類が多くあるのだ。
 勿論、総数4,000名からなる師団なので、それを取り纏めるのは一人でない。師団は三つの連隊に分けられていて、そのうちの第1連隊1,500名がヨアキムの直接率いる部隊だ。

「うむむむ~~~っ」
「これらの書類の決裁は、本来ならば既に終わっていなければならないものです。本日中に御願い致します」
「なっ?!こんなにもたくさんあるのだぞっ?も、もうイトネが暮れかけて」
「えぇ、知っております。御願い致します」

 ベルナールは初めから、ヨアキムの言い分など聞く耳を持っていないようである。そして外が赤らんで来ている為、間もなく日も沈む時間サッドだ。
 ヨアキムは、ベルナールからの圧しの一言に愚痴りながらも、渋々書面に目を通し始める。
 午前中来ていた第2連隊大佐のコンスタントや、第3連隊中佐のウォレン。第2大隊少佐のユグは、ヨアキムがフェリシアと共に屋外へ出て行った為、やむを得ずベルナールが帰宅させたと報告を受けていた。

「皆様の努力を無にしないで下さい。第2連隊レイ大佐も、第3連隊バハル中佐も、第2大隊ミククス少佐も。通常任務以外で、フェリシア嬢の誘拐事件捜査に当たって下さっているのです」
「あ~、もう。分かってるっ。フェルは無事戻って来たものの、まだ犯人の捕縛まで至っていないって言うんだろ?」

 聞き飽きたとばかりに、ヨアキムはペンを持たない手を振る。
 それでなくとも忙しいのに、増加した屋敷への襲撃者と、フェリシア誘拐事件が続いたのだ。邸内への襲撃者は、既に息子達に委任してある。しかしながら、フェリシアの誘拐は実行犯すら捕まっていない。
 しかもよりによって、内部に侵入されたばかりか、放火までされたのだ。

「くそっ、またこの書類……っ。ベルナール、ユーリのところの第5旅団に、もう少しまともな書記官はいないのか?」
「えぇ、いらっしゃいませんね。取り纏めているホーチュメディング少将が、御自分の扱い安い部下を御所望なのです。頭の回る者は色々と指摘事項が多いらしく、少将は何かと理由を付けて他部所へ追いやってしまいますからね」

 報告書の文字が汚く、読みづらい書面を弾きながらヨアキムは何度目かの問い掛けをした。
 このやり取りは、もう何年も前から繰り返されている。その度に、ベルナールから同じように答えられた。
 第5旅団少将であるユーリは、非常に自己評価の高い男である。更には、何の根拠があっての事か、ヨアキムがいなくなれば中将職が己のものになると思っているのだ。

「ったく、足りないなら補う存在をおけば良いものをっ」
「そうですね。ラングロフ中将を私が補佐しておりますから、能き……考える事が多少不得手でも、第3師団をおとしめる者がいない程度には保てております」
「頼りにしてるからさぁ……。ベルナール、この書類に判を押しといてくれよ」

 さらっと自分をディスるベルナールに怒る事なく、ヨアキムは書面を突き出す。
 基本的にベルナールが全ての書類に目を通しているので、ヨアキムの役割としては判子を押すだけだ。内容の過不足はチェック済みなので、許可をすれば良い。

「ダメです。当たり前でしょう」
「くそっ、部下が優しくないぃ~」
「あのですね。私は中将の御気持ちを考慮し、半日御嬢様とたわむれる時間サッドを御作り致しました」
「そ、それでもだなぁっ。れ合う時間サッドが少なすぎて、フェルが俺に距離を取ってるんだよぉ!」

 ベルナールに切り捨てられたヨアキムは、ここぞとばかり叫んだ。
 ようは息子とは違い、女児とどのような接し方をすれば良いのかが分からず、考えあぐねているうち、互いに距離が出来てしまっただけらしい。
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