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第1章──幼年期1~4歳──

014 懐いてくれてる?

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 ベルナールは、差し出した水を魔獣が飲んでくれるか、半信半疑だった。
 そもそもが、警戒心の強い魔獣相手である。こちらの意図しない事を敵意と見なされる事も有り得るのだ。
 けれどもそんな心配をよそに、魔獣は鼻を近付けて匂いを嗅いだ後、ベルナールの差し出した水を音を立てて飲み始める。余程喉が渇いていたのか、すぐさま皿を空にした。

「え?まだ飲む?」

 こちらを見つめているようなので、ベルナールは再度サジルの魔力で皿を満水にしてやる。すると再び喉を鳴らして飲んでくれた。
 何やら無性に嬉しくなったベルナールはリレバラの元へ戻り、自分の愛馬用である青人参ズニを二ツイア、鞄から取り出す。そして少し不満げなリレバラの鼻先を撫でながら、一ツイアを彼女へ、食べ終わったのを見計らってもう一ツイアを持って魔獣へ近付き、差し出してみた。

「おぉ~」

 二ビャユ目の水を飲み干した魔獣は、ベルナールの差し出した青人参ズニに鼻を近付ける。そしてわずかに考えるかのようにこちらをじっと見た後、リレバラと同じようにポリポリと食べ始めたのだ。
 思わず感動して、声を出してしまう程に、ベルナールは感激している。

「あ、悠長な事をしている時間サッドはないんだった。あのね、この子を……運んでくれる?ヒトの多いところに行っても、大丈夫なら、だけど」

 ベルナールは我に返ると、魔獣に話し掛けた。
 本当はその背中から、フェリシア嬢とおぼしき銀色獣だけを受け取りたいのだが、どうにもそれはさせてくれなさそうなのである。その為、とりあえず野営地に連れ帰りたかった。
 魔獣はベルナールの言葉を聞き入れたのか、ブルルッと鼻を鳴らす。そしてその場から立ち去る訳でもなく、じっとベルナールを見たのだ。

「あれ?通じてる?分かっているの、かな?……ま、まぁ、とりあえずこっちね。ほら、リレバラ。そんなに緊張しないで大丈夫だって。帰るよ?あ、ついてきてね~」

 ベルナールは馬と魔獣に話し掛けながら、不意に「引率の先生か?」と首をかしげながら騎乗する。
 ともかく、自分も野営地から無断で外出している為、なるべく早めに帰らねばならなかった。
 わずかに不安に思いながらも、ベルナールはリレバラの馬首を来た方向へ向ける。そして振り返れば、魔獣もちゃんと同じ方向を向いていた。

「うん、大丈夫そうだね。行くよ?」

 少しだけ胸を撫で下ろしつつ、ベルナールは速足はやあし程度の速度でリレバラを走らせる。音からも分かるが、魔獣もついてきている事を振り返って確認してしまった。
 馬はヒトの会話を聞いていると言うが、魔獣もその程度の知能はあるようである。そもそも魔力が強い分、普通の動物より長生きなのだ。
 中々に珍しい体験だと、ベルナールは内心誇らしく思う。

「少し速度を上げても、背中のフェリシア嬢、大丈夫かな?」

 リレバラを走らせて分かったが、野営地から少し離れ過ぎていた。このまま速足はやあしでは時間サッドが掛かり過ぎる。
 その為魔獣に確認をしてみたのだが、軽くブルルッと鼻を鳴らしてくれた。これまでの会話(?)から、これが了承の意だとベルナールは判断する。
 そしてリレバラに指示を出し、速足はやあしから駈足かけあしに移行した。勿論、問題なくこちらに追従してくれる。
 見たところリレバラの走りよりも軽く、体格の違いもあるが、魔獣の方がスタミナがありそうだった。これでもしも襲歩しゅうほなどしたら、こちらが置いていかれそうである。
 けれどもそんな心配をよそに、魔獣はきちんとベルナールと並走し、無事野営地に到着したのだった。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「どうしたら良いのでしょうか」
「今はまだ、体力が足りない。仕方がないだろっ」

 侍女とヨアキムの声が、早朝の廊下に響く。
 ここはラングロフ邸に急遽用意された、客間にあたる場所だった。──フェリシアの部屋を放火によって焼失してしまった為、使用可能な二階と、数が足りない為に一階も、一家の私室になっている。
 無事フェリシアを見つけたベルナールからの連絡により、野営地へ即座に駆け付けたヨアキム。そして獣型ではあるものの、その匂いから間違いなく自分の娘と断定し、自宅まで自らが護衛となり連れ帰ってきたのがイトネが変わった深夜だ。
 それから医師としての資格も持つ、執事のノルトに診察を依頼した。けれども、結果はかんばしくない。
 フェリシアの衰弱が酷く、現在の獣型から元に戻す為の解呪の魔法液シルア・リュイドを使えないとの事だった。
 ヒト型でない事とまだ生後三イトネ目の幼子である為、薬も飲ませられない。布に水を湿らせ、口元を濡らしてあげる事しか出来ていなかった。

「父様」

 そこへ、まだ寝間着のままではあったが、マルコが侍女見習いのミアを連れてきている。
 ミアはワシ種のレンナルツ家所縁ゆかりの者なので、今は出自しゅつじの確認をしている事もあり、仮の立場として『侍女見習い』をさせていた。

「どうした、マルコ」
「父様。シアの治療に、ミアを使って」
「……何?」

 いつになく固い表情のマルコを見たヨアキムは、それが冗談や軽口ではない事は伝わる。
 しかしながら意味が分からず、いぶかしげに眉をひそめてしまった。
 使う・・という意味も、だからどうなのだと内心思っているのも、隠しようもなく顔に出ていたらしい。

「ぼくの言葉、信じられない?」
「………………信じよう。まだミアは正式な当家の侍女ではないんだが」

 マルコとミアの間で視線をさ迷わせつつ、ヨアキムはどう対処して良いのか考える。
 けれども、マルコは真っ直ぐな視線のままだ。

「大丈夫。彼女は絶対に、シアに危害を加えないから」
「うむ……、良かろう。俺も立ち会う」
「ダメ。父様ったら、シアとミアにナニする気なの?母様に言いつけるよ?」

 突然、ジトッとした視線でヨアキムをみやるマルコ。
 ヨアキムは何の悪気もないのに、後ろの侍女とミアからも、意味ありげな視線を向けられている気がする。

「な、何故だっ。俺は何もしないぞ。ただフェルが心配なだけで……」
「大人しく待っててよ、父様。それじゃまた」
「あぁ、マルコ……まっ」

 そんなやり取りでマルコに立ち去られ、ヨアキムはまんまとやり込められてしまった。
 悲しげな声で次男を呼ぶ当主に対し、侍女はいつもの事なのでと、そのまま優しく見守る事にする。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「では、ミア。お願いするよ」
「はい、マルコ様」

 ミアが静かに、フェリシアの寝ているベッドに歩み寄って行った。
 それを見送りながら、ベッドに横たわる小さな銀色の獣を見て、マルコはギリッと歯を食い縛る。──そうでもしないと、呪いの言葉が次から次へとあふれ出そうだったからだ。
 マルコは昨日早朝、自分のスキル【神託】によって、『フェリシアの身に危険が迫っている』事を知った。けれどもその初めて受けたスキルの反動で、魔力値の低いマルコは昏倒してしまう。
 ──気が付いたのは火災の消火が終わった後。つまりは、完全にフェリシアがいなくなってしまった後だった。
 これでいない筈がない。己の力不足によって、助けられなかったかもしれない妹が、今再び目の前で、瀕死の状態におちいっているのだ。

(頼む……っ。二回目の【神託】が、ミアの能力だったんだ。……頼む、から……っ)

 内心で祈る。これ以上ない程、マルコは祈った。
 ミアの能力を【神託】に見たのが深夜、普通なら深い眠りにいる時間サッドである。今回はそれを活かせるようにと、まだ暗い非常識な時間サッドにミアに使いを出した。
 爪の先が掌に食い込む程、マルコは拳を握り締める。
 ミアからの協力条件は、能力を口外しない事。そして、身の安全を守る事だ。──彼女はみずからのスキルを嫌っている。理由は教えて貰えなかったが、マルコとしてはフェリシアが元気になるならどうでも良かった。

「シア……っ」

 ミアの周囲が白く輝いている。勿論、光の中心にあるのはシアの肉体だ。
 【神託】で見たミアのスキルは、【白魔女(魔力補正×2)】。白魔女として、強い治癒系の魔法が使えるらしい。
 マルコに分かったのはそれだけだが、通常の治癒魔法が効かないのは、父親ヨアキムの対応から分かっていた。効果があるのならば、即座にフェリシアに掛けている筈だからである。
 ポタリと、足元に何かが落ちた。マルコが虚ろな視線を落とせば、そこには紅い小さな華が咲いたように、彼の掌から滴り落ちた血液が落ちている。

(あ……、何だ。華か……)

「マル兄、痛いの?」

 感覚が麻痺したかのようだったマルコの耳に、フェリシアの幻聴が聞こえた。
 しっかりしろ、と頭を振れば、先程よりクリアなフェリシアの声が届く。
 ゆっくりと顔を上げた。その視線の先に、不安そうなフェリシアの顔がある。

「シア……?」

 おかしい、と思った。先程まで彼女は獣型だったのである。
 そもそもヒト科は、その形を変えられないのだ。亜人科は二種類の形態を取れるらしいが、フェリシアはヒト科獣属。特殊な解呪の魔法液シルア・リュイドでない限り──。

「シアっ!」

 ともあれ、そんな事はどうでも良かった。
 今、そこに元気なフェリシアがいる。抱き締めないで、何をするというのだ。
 マルコがガバッと勢い良くベッド上のフェリシアに抱き付けば、「きゃうっ」と可愛い声が聞こえる。温かい。生きているのだ。

「良かった……っ」
「あ、あの……。申し訳ございません、マルコ様。フェリシア御嬢様が、その、苦しそうです」

 言いにくそうに告げられたミアからの進言に、マルコはようやく我に返る。手元にはフェリシア。しかも、結構な力で抱き潰していた。

「の~っ!!ご、ごめん、シアっ!大丈夫っ?!」
「申し訳ございません、マルコ様。落ち着いて下さいませ」

 混乱と動揺の中、マルコはフェリシアの両肩を持って揺さぶる。
 そこで彼を物理的に止めたのは、当たり前ながらミアだった。後ろからマルコとフェリシアを纏めて抱き締めている。

「っ?!」
「はい、落ち着きましょう、マルコ様。ついでに、御身体を故意に傷付ける事は、フェリシア御嬢様が悲しまれますのでお止めください」

 背中に感じる柔らかさに息を呑むマルコ。後半の言葉を彼にしか聞こえないような小声で告げ、ミアは暴れなくて都合良いとばかりに、マルコの両掌に出来た裂傷を治癒していた。
 その間にフェリシアは復活し、マルコの両手を確認する。しかしながら何処にも傷はなく、綺麗な子供の掌だった。
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