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第1章──幼年期1~4歳──

009 襲撃

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 それでも、フェリシアの視界にはハッキリと見える。他者に見せる事は不可能だが、この人物が怪しいのだという証拠・・があった。

≪名前……デイラ・ルター
年齢……19歳
種別……ヒト科獣属タヌキ種
体力……-D
魔力……-D【モコ
称号……【暗殺者】≫

 フェリシアは歩み寄ってくる丸い耳をした栗色の髪の女性──デイラに対し、どう反応したら良いのか読みかねている。
 目の前の人物は称号に【暗殺者】とあるだけあって、さすがに真っ当な生き方はしていないだろう。そして、そんな人物を仮にラングロフ家で正規に雇っていたとしても、末の娘につかえさせる事はないとフェリシアは推測出来た。
 一イトネしか家族とは接触していないが、あの激甘な感じから、フェリシアはそう断言すら出来る。

「……誰?昨日、見なかったけど?」

 とりあえずフェリシアは、真っ直ぐ視線を向けて問い掛ける事にする。こちらに対する態度を見極める為だ。
 そして昨日より慣れたのか、フェリシアの口はそれなりに発音出来るようである。──長文はまだ舌を噛みそうになるが。

「あら、一度見ただけで覚えて下さるのですか?ふふふ、素敵ですね。実は私、昨日はお休みを頂いていたのです。本日御会い出来て嬉しく思います。私はロレラと申します」

 にこやかに自己紹介をしてくるデイラは、ロレラ・・・と名乗った。──明らかに偽名と分かり、この時点でフェリシアの中で『信頼出来ないアウト』と判断される。
 それでもフェリシアは行動に移せなかった。何せ嘘を判断は出来ても、それに抵抗する程の実質的な力がない。物理的にデイラの方が力は上なのだ。

「そう……。それで、何の用?」

 どう対応すれば当たり・・・なのか、フェリシアは必死に頭を回転させる。
 『記憶』からもこのような経験はない。だが創作物にあふれた世界にいた為、ここで取り乱して騒ぐのは悪手だと判断したのだ。

「あら、落ち着いた御様子ですね。こちらへは御着替えを御持ち致しましたの」

 笑顔で歩み寄ってくるデイラである。確かにその手には折り畳んだ服らしき布を持っていた。
 けれどもにこやかな笑顔にも裏がありそうで、視線を外す事が出来ないフェリシアである。そして明らかな経験不足から、それを全く外に出さないなど不可能だった。

「ふふふ、御可愛らしいです。御髪おぐしがふわふわになっていらっしゃいますよ?」

 つまりは全身で警戒している事に気付かれたようで、デイラは楽しそうにフェリシアを揶揄やゆする。
 そしてフェリシアが内心ムッとした時、パシャリと冷たい液体が掛けられた。
 目を見開くフェリシア。したたり落ちるしずくを見て、それが無色透明である事が分かると同時に、自動発動したスキル【神の眼】説明書を読んで愕然とする。

≪名前……変化の魔法液シハー・リュイド
材質……魔法液
用途……特定の物質への変化
強度……+E
特長……しゅを強化させる≫

(あ……何かこれ、ダメそうなやつ?)

 驚きの余り、フェリシアは対処すら出来なかった。そしてすぐに己の身体を襲う激痛。その全身をねじられるような痛みに、フェリシアはまともに声も出せなかった。
 小さな手で己の身体を抱くフェリシアの肉体は、溶けるように形を変えていく。
 変化が終わり、ベッドの上に力なく横たわっていたのは、片手で抱き上げる事が可能な小さな狼──それが現在のフェリシアの姿である。最終的にフェリシアは、ヒト科から獣の容姿となったのだ。

「ふふふ、本当に素敵ですね」

 楽しそうなデイラの声が聞こえた気がするが、既にフェリシアは痛みの余り、意識が朦朧もうろうとしている。
 次に肉体に浮遊感を覚えたが、布袋に押し込められた事により、フェリシアの視界は完全にさまたげられてしまった。
 明らかに移動の為にだろう。フェリシアはデイラによって易々やすやすと捕獲されてしまったのだ。

≪名前……荷物袋ヴィボ
材質……ガザー生地
用途……入れる・被る
強度……-D
特長……耐久性に優れている≫

 運ばれていく揺れの中、フェリシアは唯一視界に映るスキル【神の眼】説明書を見る。
 そして危機感を感じながらも、身体に全く力が入らない自分の弱さを実感した。ゾクリと本能が警鐘を鳴らす。

(このままじゃ、さらわ、れ、る……)

 しかし、フェリシアの意識はそこまでしか続かなかった。生まれて二イトネ目にして、『初誘拐』である。──全くもって嬉しくないが。
 その後デイラは御丁寧にも痕跡が残らないようにと、フェリシアのベッドに油を撒いて火を放った。
 勢い良く立ちのぼった炎と煙を横目に、デイラは軽々と二階であるフェリシアの寝室の窓から飛び降りる。
 そしてモコの魔力を使って着地地点を柔らかくし、落下の衝撃を全て無効化させたのだ。

「ふふふ。ラングロフ家と言えども、この程度なのね。所詮は過去の栄光なのかしら」

 デイラは屋敷を見上げてそう呟くと、そのまま大地に沈むように姿を消す。
 そうしてフェリシアの痕跡が完全に途絶えたのだった。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「くそっ、どうなっているんだ!」

 ヨアキムは力任せに拳を振り落とし、重厚な執務机を大破させる。
 彼のスキルは【怪力】。それは有り得ない程の力を持つ。
 ここはシュペンネル第3師団の中将執務室──つまりはヨアキム専用の部屋だ。
 現在、ここにはヨアキムともう一人の人物がいるのみ。白髪にとがった三角の耳、スラリと伸びた細い尾を持っている。

「落ち着いて下さい、ラングロフ中将」
「しかしベルナール、これが落ち着いていられるか?!」

 ヨアキムにベルナールと呼ばれた男は「また机をダメにして」と、その白い髪をサラリとき上げ、赤い瞳を真っ直ぐヨアキムに向ける。

「公私混同するな、ヨアキム」
「っ!」

 鋭い言葉と視線から殺気に近いものを感じ、ヨアキムはグッと押し黙った。これは軍人としての職業的感覚であったが、ベルナールから物理的に幾度も攻撃を受けているからでもある。
 そしてそれを見たベルナールは小さな溜め息と共に視線を落とし、気配を通常に戻して静かに口を開く。

「貴方が取り乱してどうするのですか、ラングロフ中将」
「……すまない」
「御気持ちは御察し致しますが、現在我々の部隊から精鋭を放って捜索しています。報告を御待ち下さい。そして話は変わりますが、先程こちらが届きました」

 われを取り戻したヨアキムに、ベルナールはネコ種特有の隙のない身のこなしで一枚の書面を差し出した。
 初め興味なさそうだったヨアキムは、スンと鼻を鳴らすと、奪うように手にとってその紙に目を通す。

「何だ、これは」
「ええ。こちらは、フェリシア御嬢様の誘拐とは関係ありませんが」
「いや……この匂い……」

 再びピリリとした空気をまとうヨアキムに対し、ベルナールはその意図が伝わっていなかった。
 書面の内容はベルナールも確認している為、ここまでヨアキムが気色けしきばむ意味が分からない。
 実際にその書類の内容は、『昨日の』ラングロフ家長女誘拐事件とは無関係な筈の、『第5旅団からの会計報告書』だった。

「匂い、ですか?私はネコ種ですから、ラングロフ中将程嗅覚が良くないので分かりません。何が引っ掛かるのですか?」
「……微かにフェルの匂いがする」
「フェル……、御息女様のですか?いえ、まさか……。そちらの差出人は、第5旅団長であるホーチュメディング少将です」

 ベルナールはいぶかしみながらも、ヨアキムの言葉を疑う理由もない為、事実のみを報告する。
 ちなみに第5旅団とヨアキムの師団は系統が違うが、今回別件で第3師団内の一つの連隊がそこと共同任務に当たっているからだ。

「第5旅団……。今回任務についているのは、コンスタントの第2連隊だったな」
「はい。レイ大佐からも報告が来ています」

 コンスタント・レイはヒツジ種特有のふわっと感があり、見た目通りの穏やかな性格をしている。
 しかし種族的な群居ぐんきょ性から、軍内部での協調性を逸脱する行為を極端にいとう部分があった。つまりは縦社会である軍部の規約ルールを重んじ、裏切りを許さない潔癖性がある。
 今回コンスタントには、第5旅団との共同任務における報告は勿論、旅団長のユーリ・ホーチュメディング少将の監査も頼んであった。

「コンスタントならば信頼が出来る。定期的に報告をあげるようにベルナールが取り決めておいてくれたお陰で、俺のそばにいなくとも逐一ちくいち指示を出せて助かる」
「御誉め頂き光栄です。ラングロフ中将が脳き……んんっ。信頼して細部を私に御任せ頂ける為であります。ところで、レイ大佐に何を御指示されたのですか」

 ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべたヨアキムに、ポロリと本音らしきものをこぼしながらも、ベルナールは不思議そうに問う。
 何故ならば頭脳戦には向かず、基本的に力でねじじ伏せる系のヨアキムなのだ。ベルナールに知られる事なく、緻密ちみつな計画を立てるタイプではない。

「ユーリは事あるごとに俺へ楯突いて邪魔するばかりか、ナディヤが卵を産んでからというもの、しつこく密偵を放ってきていてな。勿論、実質的証拠は上手く隠してある為に糾明に至れない。そして今回の事件だ。……知っていると思うが、我々オオカミ種は特に身内の匂いに敏感だ。そしてこのユーリの書類からは、微かにだが間違える事のない娘の匂いがする」
「そう……ですか。ホーチュメディング少将が些末さまつな謀略を巡らせていたのは聞き及んでいますが、まさか標的が御息女様であったとは。……ではラングロフ中将、私は何をすれば宜しいですか?」

 ヨアキムの言葉に思考を巡らしたのは数クゴ。ベルナールはすぐに思い付く幾つかの方針を決めていた。
 孵化したばかりの幼子を誘拐され、中将であるヨアキムの内心が穏やかである訳がない。事件から一イトネ経過している事もあり、早急な解決が求められていた。
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