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第63話 守りたいもの―白銀の騎士―
しおりを挟む「山は越えました。まだ急変の可能性は無いとは言えませんので予断は許しませんが、ひとまずは持ち直したと見て良いでしょう」
三日三晩も続いたトーナ殿の献身によってメリル殿は一命を取り留めた。
大きな戦争がない現在では、この国の騎士は人よりも魔獣と戦う方が多い。
だから、少ないながらも魔獣に襲われ毒にやられた人間も見た経験はある。
そんな俺から見て、メリル殿はもう駄目なのではないかと思われた。
彼女の母親であるソアラ殿も同じように感じていたのかもしれない。
トーナ殿が静かに告げた内容にソアラ殿は喜び涙を流していた。
それは正に聖女が起こした奇跡なのではないかと思いたくなるような光景だった。
だが、彼女は聖女ではないし、彼女の施した医療はけっして奇跡などではない。
いや、トーナ殿は正に聖女の如き美しく、忍耐強く、とても優しい女性だ。
それは間違いない。
あの黒絹よりも艶やかな黒い髪も、あの紅玉を思わせる神秘的な赤い瞳も、あの全てを見通したような理知的で白皙な顔も、まさに神の手による奇跡的な配色と美貌としか言いようがない。
しかも、治療ではどのような汚れ仕事も患者の為に厭わぬトーナ殿は、ただ表面に見える美しさだけではなく、その内面も底の砂粒まで見える澄んだ川のように清らかで穏やかなのだと断言しよう。
だから、トーナ殿が聖女の如き女性である事に異論があろう筈もない。
だが……
彼女に視線を向ければ、その顔にはかなり疲れの色が見えた。
ふわぁ……
メリル殿の容態が安定して気が緩んだのだろ。
どこか人とは違う超然とした彼女が欠伸をするのがおかしくて、思わずくすりと笑ってしまった。
笑ったのに気がついた彼女が恨みがましく睨んできたのだが、それさえも可愛く微笑ましいものだった。
だが、幾ら可愛くとも疲れている彼女をそのままにはしてはおけない。
「トーナ殿はあまり寝ていないのでしょう?」
「ええ、まあ……」
実はこの三日三晩、トーナ殿はメリル殿に付きっきりで殆ど休んでいない。
「少しお休みになられたらいかがですか?」
彼女がそんな状態なのにもかかわらず、娘の事しか頭にないソアラ殿に殺気にも近い視線を送った。
俺の殺気にソアラ殿は慌てて部屋を用意しに出て行った。
まったく気の利かない女中だ。
トーナ殿が不眠不休で治療したから娘が助かったというのに、この女にはそれに対して報いる気持ちがないのだろうか?
いったい他の誰にこれほどの献身的な治療が出来るだろう?
だから、彼女の治療を聖女の奇跡などと軽々しく言っていいものではない。
メリル殿が助かったのは、一人の薬師が努力によって身につけた知識と技術と彼女がその身を削った献身によって生み出した結果なのだ。
だからこそ、トーナ殿が聖女ではなく魔女と呼ばれ虐げられる事実を受け入れ難い。
だからこそ、彼女が魔女と呼ばれて迫害される様を見ると歯痒い気持ちになるのだ。
「トーナ殿はこの国を出ようとは考えないのですか?」
トーナ殿を家へ送るその帰路で、そんな疑問が思わず俺の口から出てしまった。
だが、これは愚問であった。
トーナ殿のような可憐でか弱い女性が外国に移住するのは簡単ではないのは当たり前だった。
彼女はとても目立つ絶世の佳人だ。
この事実に異論は絶対に認めない。
そんな彼女が異国へ旅立てばどうなるか……
道中で、山賊、盗賊に狙われる未来しか見えない。
いや、同道した旅の者が、彼女の美しさに理性を失って襲い掛かるかもしれない。
周囲に誰もいない野道で可憐なトーナ殿を目にして果たして理性を保っていられるものだろうか?
否だ!
断じて否だ!
そんなの考えるまでもなく無理に決まっている。
断言しよう。
俺なら間違いなく襲う。
襲わない理由がなかろう。
今この時だって、彼女を抱き締めたい衝動に駆られている。
手を繋ぐだけで我慢している自分を褒めてやりたいものだ。
そんな邪な葛藤をしているうちに森が開け、前に見たラシアの花畑が視界に広がった。
彼女との逢瀬も終わりを告げている。
「……この国は私にとって……確かにとても住みにくい所です……ですが、同時に大切な想い出もある…場所なのです……」
その花畑の中にぽつんとある小さな薬方店を見詰めながら、トーナ殿が自分の心情を吐露した。
「どの様な場所であっても、ここには私の帰るべき家があるのです」
そうだ。ここには彼女の想い出が詰まっている。
辛かった事、楽しかった事、悲しかった事、嬉しかった事……色々な記憶が今の彼女を形作っている。
「トーナ殿、もし困った事があれば俺を頼ってください」
「ハル様?」
だから、それを簡単に捨てられる筈もないのだ。
「俺は出来るだけ貴女の力になりたいのです」
それなら俺は彼女をその思い出と共に守り抜く。
「トーナ殿……いえ、トーナさん、俺はあなたが好きです……大好きです」
他の誰が……例え世界の全てが彼女の敵になろうとも、俺だけは絶対に彼女の味方であり続けよう。
そう誓った……
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