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第38話 切開―常闇の魔女―
しおりを挟む実際に体の一部を切り取るのですから、創傷部の壊死組織の除去には痛みが伴います。
そこで――
「これはメーテルの根から抽出した麻痺薬とヤドクガエルの皮膚から分泌されている毒を摂取して混ぜた麻酔薬です」
――鞄から取り出した水薬瓶の中身はメーテルとヤドクガエルを原材料にした麻痺薬。
メーテルは観賞用としても知られるとても綺麗な白い花です。実は、その根に毒が含まれており、誤って摂取すると悪心嘔吐、痙攣、瞳孔散大、幻覚などの症状が現れます。
また、ヤドクガエルは皮膚から毒を分泌して外敵から身を守る蛙で、その毒を矢尻に塗って狩猟に利用されたりもします。
どちらも有毒であると一般的にも知られておりますので、これらを薬として使用するとは薬師でもないと想像できないでしょう。
更に、肉芽形成や鎮痛効果のあるアンゼリカの花、皮膚温度を上げ血行促進させる騎士の花として有名な兜菊など他に幾つもの生薬も混合しております。
「それらを修治で毒性を弱めて、更に十分に薄めたもので……あっ!」
そう解説しながら瓶の中に入っている麻痺薬を布に染み込ませ自分の手甲に塗布しようとしました。が、突如、横から伸びてきた手にがしっと掴まれ止められてしまいました。
その大きく力強い手はハル様のものでした。
しかも、ハル様はひょいっと私の手からあっさりと麻痺薬を染み込ませた布を取り上げてしまったのです。
「これを塗って麻痺してしまっては治療に差し支えがあるでしょう」
「で、ですが……」
ソアラさんの同意を得るのに必要なのです。だから返してくださいと説得しようとしましたが、それよりも早くハル様は自分の手甲に麻酔薬を軽く塗り込んでしまいました。
「ハ、ハル様!?」
私は素っ頓狂な声を上げ、ソアラさんは目を大きく見開いて絶句しています。
「別に死ぬ様なものではないのでしょう?」
「それはそうですが……ハル様が試されなくとも……」
不用心な振る舞いを咎めようとしたのですが、ハル様はにっこり微笑み私の言葉を封じました。
「俺はトーナ殿を信じていますから」
素敵な笑顔を添えて私の心をくすぐる言葉を囁かれ、私の顏は急激に熱くなりました。
こんなの反則です……これでは何も言えないじゃないですか。
ハル様……ズルいです。
「おっ、本当に感覚が無くなった……凄いな、つねっても痛みをまったく感じない」
「ハル様……もう……」
少しだけ怨みがましい目を向けてもみましたが、麻痺した手を面白そうに自身で玩ぶ無邪気なハル様に毒気を抜かれてしまいました。
ハル様の気遣いなのは分かるのですが……はぁ、気を取り直して説明を続けましょう。
「この水薬で麻痺させてからメリルさんの剥がれかけた皮膚を切り取ります」
これから行う処置の解説を加えながら、メリルさんの創面とその周辺に麻痺薬を塗布していきました。
「剥がれて壊死した皮膚は元通りになる事はありません。その代わりに内側から新しい皮膚が形成されるのですが……この古い皮膚が残っていると再生を妨げたり、膿を形成してしまったりするのです」
新しく取り出した切開用の刃物を手に取って、メリルさんの傷口の不用な部位を丁寧に、ですが手早く切り取りました。
後はラシアの青い軟膏を広範囲に塗り、油紙を貼付して包帯を手際良く巻いていくだけです。
「これで傷の手当ては終了です。後は定期的に洗浄すれば良いでしょう」
一通りの処置を終えソアラさんに笑い掛けました。
ですが、私の振る舞いに気圧されたのか、彼女は表情を強張らせ息を飲んだのでした……
――《用語解説》――
【デブリードマン】
壊死組織は細胞が死んでおり決して元には戻りません。また、壊死組織を残したままでは再生の遅延や細菌感染の原因になります。その壊死組織を除去する手技を『デブリードマン』と呼びます。
デブリードマンには外科的に切除する方法と蛋白分解酵素を含む軟膏を使用する方法があります。一般的には外科的デブリードマンを選択する場面が多いでしょう。
切除する際には壊死組織周辺の組織も切り取る為、侵襲性(痛みを伴う)のある手技になります。その為、局所麻酔を前もって行うのですが、今回トーナが使用した局所麻酔薬は江戸時代に華岡青洲が用いた『通仙散』(麻沸散)を参考にしております。
華岡青洲は初めて全身麻酔で乳がんの治療を行った医師です。通仙散は内服薬で全身麻酔としての効能を持ちますが、華岡青洲はこれの開発に妻を実験台としたことで有名です。
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