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第八章 常夜の魔女と差別の壁
八の壱.
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「銀十両だよ」
「はぁ!?」
無茶苦茶な値段を聞いて翠蓮は素っ頓狂な声を上げた。そして、すぐに憤怒の表情になるとバンッと両手で机を激しく打ち付けた。
「巫山戯ないで!」
翠蓮がかんかんに怒るのも無理はない。今しがた提示された金額は机の上に置かれた一巻きの生地のものなのだ。
「相場の十倍じゃない!」
確かに反物は高級品だ。
だが、綿や麻でも仕立て込みで銀三~五両(銀一両=約16g)、反物なら一反銀一両程度である。因みに銀一両は百六十銭に相当し、庶民一人が二、三週間遊んで暮らせる金額である。
銀十両とはそれくらい高額なのである。これが絹ならまだ理解できるが、目の前の生地はそんな上等な物ではない。
「知らないよ」
「いい加減にしなさいよ!」
だが、無理な値段を要求した店の女将は不機嫌そうな顔でそっぽを向いて取り合おうともしない。その態度に翠蓮はいよいよ激怒した。
「ふん、嫌なら他所へ行っておくれ」
「月門には此処しか反物屋ないじゃない!」
「なら他の邑へ行けばいいさ」
「このッ!」
女将のにべも無い対応に翠蓮はぶち切れた。
「ちょっと落ち着いて翠蓮」
女将に掴み掛かろうとする翠蓮を蘭華は後ろから押さえ込む。蘭華は宥めようとするが翠蓮の腹立ちは収まらない。
「だけど、この業突婆ぁが!」
「翠蓮!」
暴言を吐こうとした翠蓮に鋭く名を呼んで蘭華は嗜めた。
「他人を罵ってはいけないわ」
「で、でもぉ」
「前に教えたでしょう。人の言葉はことほぎ、言祝ぎであり呪言でもあるのよ。口から出た呪いの言葉は現実のものとなって自分も相手も縛ってしまう」
「あ、うっ……はい……」
薄茶色の髪をそっと撫でると翠蓮は素直に大人しくなった。そんな翠蓮に優しく微笑むが、実は内心では蘭華も女将の態度に困惑していた。
女将の名は玉玲。
歳は四十半ばの恰幅の良い女性で、反物屋として裏表なく誠実に商売をしている人物であった。決して蘭華に好意的という訳ではなかったが、今まで玉玲にこんな底意地の悪い振る舞いをされた事はない。
蘭華は前に出て真っ直ぐ玉玲を見詰めた。
「どうしても銀一両にはなりませんか?」
「ならないね!」
つまり、玉玲には蘭華へ反物を売るつもりが無いと言う事だ。蘭華の紅い瞳が寂しさと哀しみに翳り、玉玲はたじろいで目が泳ぐ。
「な、何だい、私にも化け物を嗾けるつもりかい!?」
「玉玲さん……」
ああ、そう言う事かと蘭華は得心がいったが、それと同時に落胆の息が漏れた。玉玲は妖虎による襲撃犯が蘭華であるとの噂を信じたのだ。
「私の可愛い甥っ子があんたに怪我を負わされたんだ!」
「だからそれは蘭華さんじゃないわよ!」
「信じられるもんかい!」
玉玲はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
「はぁ!?」
無茶苦茶な値段を聞いて翠蓮は素っ頓狂な声を上げた。そして、すぐに憤怒の表情になるとバンッと両手で机を激しく打ち付けた。
「巫山戯ないで!」
翠蓮がかんかんに怒るのも無理はない。今しがた提示された金額は机の上に置かれた一巻きの生地のものなのだ。
「相場の十倍じゃない!」
確かに反物は高級品だ。
だが、綿や麻でも仕立て込みで銀三~五両(銀一両=約16g)、反物なら一反銀一両程度である。因みに銀一両は百六十銭に相当し、庶民一人が二、三週間遊んで暮らせる金額である。
銀十両とはそれくらい高額なのである。これが絹ならまだ理解できるが、目の前の生地はそんな上等な物ではない。
「知らないよ」
「いい加減にしなさいよ!」
だが、無理な値段を要求した店の女将は不機嫌そうな顔でそっぽを向いて取り合おうともしない。その態度に翠蓮はいよいよ激怒した。
「ふん、嫌なら他所へ行っておくれ」
「月門には此処しか反物屋ないじゃない!」
「なら他の邑へ行けばいいさ」
「このッ!」
女将のにべも無い対応に翠蓮はぶち切れた。
「ちょっと落ち着いて翠蓮」
女将に掴み掛かろうとする翠蓮を蘭華は後ろから押さえ込む。蘭華は宥めようとするが翠蓮の腹立ちは収まらない。
「だけど、この業突婆ぁが!」
「翠蓮!」
暴言を吐こうとした翠蓮に鋭く名を呼んで蘭華は嗜めた。
「他人を罵ってはいけないわ」
「で、でもぉ」
「前に教えたでしょう。人の言葉はことほぎ、言祝ぎであり呪言でもあるのよ。口から出た呪いの言葉は現実のものとなって自分も相手も縛ってしまう」
「あ、うっ……はい……」
薄茶色の髪をそっと撫でると翠蓮は素直に大人しくなった。そんな翠蓮に優しく微笑むが、実は内心では蘭華も女将の態度に困惑していた。
女将の名は玉玲。
歳は四十半ばの恰幅の良い女性で、反物屋として裏表なく誠実に商売をしている人物であった。決して蘭華に好意的という訳ではなかったが、今まで玉玲にこんな底意地の悪い振る舞いをされた事はない。
蘭華は前に出て真っ直ぐ玉玲を見詰めた。
「どうしても銀一両にはなりませんか?」
「ならないね!」
つまり、玉玲には蘭華へ反物を売るつもりが無いと言う事だ。蘭華の紅い瞳が寂しさと哀しみに翳り、玉玲はたじろいで目が泳ぐ。
「な、何だい、私にも化け物を嗾けるつもりかい!?」
「玉玲さん……」
ああ、そう言う事かと蘭華は得心がいったが、それと同時に落胆の息が漏れた。玉玲は妖虎による襲撃犯が蘭華であるとの噂を信じたのだ。
「私の可愛い甥っ子があんたに怪我を負わされたんだ!」
「だからそれは蘭華さんじゃないわよ!」
「信じられるもんかい!」
玉玲はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
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