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国の事情

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「うぅ……ぐっ」
「そうだ、ちゃんと抑えて……」

 ルカの細い腕が小刻みに震えている。今にも魔力が暴走しそうになっているのを、必死に抑えているのだ。

「うっ!」

 ルカの腕が大きく揺れた。そして暴れた杖の先がダンテのほうへ向いてしまい、大量の放水がダンテの顔面を直撃した。

「――!」

 叫ぶ間もなく、ダンテは顔から胸にかけて水浸しになった。ルカが魔法を中止する。

「先生っ、大丈夫ですか」
「……これが大丈夫に見えるかな」
「すみません、僕がうまくやれないばっかりに……」
「いや、いいんだ、ふつう最初からできる奴なんていない……」

 ダンテはルカの才能に、なにか優等生とは違う尋常ならざるものを感じていた。すでに日が暮れていて、木々の間から濃厚な夕日の木漏れ日がたれ落ちてくる時間になっていたが、それでもなおルカに疲労の色は見られない。強いていうならば、自分の中の魔力の横溢を抑えるのに多少汗しているという程度だ。

「だんだん抑えが効くようにはなっている、実技訓練の初日にしては順調だと思ってくれ」
「ありがとうございます!」
「そろそろ日が落ちてしまう、今日はこれで終わりにしよう」
「分かりました」

 帰り道、役所の職員が森林公園の中を右往左往しているのが見えたが、ダンテはそれどころではなかった。水浸しになっているというのに、ダンテは一人考え事をして、ずっと黙っていた。ルカはそれを感じ取り、黙ってダンテについて行った。

(……ルカには慢心して欲しくない。彼の才能については、まだくわしく調べてみる余地があるが、このことを彼にはいわない方がいいだろう)
 
 教育者として、ダンテはルカを甘やかさない方がいいと判断していた。つまり、きみは魔法初学者として平凡であり、これからの努力次第で蛙にも龍にもなりうるのだと、そういう態度で指導すべきだと思ったのだ。そしてそれは正しかった。

「――おかえりなさい、……って、先生、どうされたんですか」
「いえ、どうぞお気になさらず」

 母ケティは息子をつれて帰ってきた家庭教師の濡れそぼった姿を見て、驚いた。ダンテはドライヤーを借りて髪だけ乾かすと、妹のリリーが帰ってくる前にさっさと帰ることにした。

 ルカが母に尋ねられて正直に白状すると、母はすぐにダンテに謝りに行った。

「ごめんなさいねぇ、うちの不出来な息子がご迷惑をおかけしたみたいで」
「いいんですよ、彼はただ熱心なだけです、私も見習わなくては。では失敬」

 この日を境に、ダンテは合格確率0パーセントから、30パーセントに意識を切り替えることになる。

 ◇◇

 ――メーベル王国、首都ボルグ。第三会議室。秘書官ネルは会議室の扉横で、会議の内容をメモしながら聞いていた。

「王になんと申し開きしたらよいのだ、くそっ……」
「落ち着きたまえ、これは言い方の問題だ」
「しかし嘘はつけまい、じり貧の状況がいよいよまずくなってきたことを、どう言い訳するんだ。まさかまた、わが軍は各地で順当に勝ちを収めておりますなどとのたまうのではないだろうな。勝つのにどれほどの費用がかかっているのか、王が知らぬはずはあるまい」
「兵器開発部はどうなってるんだ、ネル君」

 ネルは抱えていた報告書の中から会議室のメンバーの人数分(といっても、数名欠席)コピーしていた資料を配った。

「資料にもありますように、新型兵器の開発にはそれ相応の費用がかかります、ですから現状としては、他国に発注することが多くなっています」
「何にも変わっちゃいないじゃないか! 金がないから安く作れと何度言ったら分かるんだ!」
「……申し訳ありません、何度も開発部に掛け合っているのですが……」
「まてまて、秘書官に怒鳴ってもしょうがないじゃないか、そんなことよりも、国の収益を上げる方から考えたいね、私は」
「ガイウス公国に奪われた土地が取り返せればいいんだが」
「例の、神秘の森かね。しかしあれは扱いが難しい森だぞ、資源の調達ルートを確保するのに長年手こずっていたじゃないか」
「いや、それがだ、ガイウスの奴ら、森の赤猿を退けるガス兵器を開発して、がっぽり儲けているらしい」

 会議場に大きなため息が聞こえた。

 メーベル王国は平凡な国である。商売上手なところがあるが、資源量に欠け、経済は微妙なデフレがここ数年連続していた。そして第三次世界大戦は前回の大戦を大きく上回る、なんと十二年もの間続いていた。軍事費はかさみ、それでも近隣の大国に押され気味で、いくつか領土を奪われていた。

「……やはり教育だ。国を立て直すには、教育しかあるまい。特に全国の魔法学校の教育レベルを上げねば、優秀な魔導師は排出できないのだ」
「せめて一人、世界的な魔導師が出てきてくれれば、話は違うんだがなぁ」

 大国が大国たる権威を持ち得たのは、他でもない魔導師の力である。中でも五賢帝と呼ばれる世界トップの魔導師は、かならず大国に所属し、重要な戦地にのみ切り札として登場する。直近であれば、ナショジオ海戦において、巨大孤島カナリヤ国に海から攻め入った神聖ロラン帝国が、五賢帝のひとり氷帝バルザックを久々に登場させたのは有名である。

「ですねぇ、著名な魔導師のいる国に、優秀な魔導師たちは集いますから」
「はっは、最高の客寄せパンダという訳か。兵器に金をかけるより、人材費の方が安上がりなのは間違いないな」
「しかし戦力の話ばかりしていても……」
「他に何があるというのかね、世は戦乱の時代だぞ、すべての国が戦争屋でしかないのだ」

 会議はこれで何度目だろう、と、傍観していたネルは思った。この国に明るい未来はあるのかと疑いたくなるようなずさんな会議だ。国の重役が他力本願ではどうしようもない。

「――……では、指定の魔法学校の予算を増額し、兵器開発事業、および一部の公共事業を縮小する方向でよろしいでしょうか」

 異論がなかった。兵器開発や公共事業がなどがなくても、現代は仕事の種類だけは豊富で、職には困らないだろうなどとたわけた考えを持った上級国民たちがそのように決めたのだ。実際はスラムや闇市などが拡大している。

 すべての重役が会議場を去った後、ネルは会議場を整理し、それから外へ出て、閉じた扉背を預けた。

「……はぁ、疲れた。こんなしょっぱい国、もういやよ、いつになったら任務解除になるのかしら。こんな国、たいして危険じゃないわ」

 ネルは他国のスパイだった。周辺で一定の戦力と規模を持つ国の動向をうかがうために送り出されたエリート諜報員の一人。この戦争時代にスパイなど、常套手段だった。スパイの報告はすべて書簡にて独自ルートで祖国に通達されていた。

「やぁ、ネル、お疲れ様」
「ああ、オールズさん、お疲れ様です」

 ネルは女性スパイだけあって、容姿端麗である。美しい金髪のショートヘアーと切れ長の澄んだ瞳を持ち、スレンダーであるために、潜伏先の国ではいろんな男に声をかけられる。

「仕事終わりですか?」
「そうですね、今日はこれでおしまいです」
「……この後一緒にお食事でもいかがですか」

 中年の、エリート気取りの無能男からの誘いを断るわけにはいかないのがつらいところだった。このオールズという男は家柄がよく、それなりに権力を握っている。人脈も豊富で、しかし短気で有名だ。不機嫌にさせるわけにはいかない。

「ええ、ぜひ」

 ネルは作り笑いを浮かべた。
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