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教育熱というもの

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「では私はこれで」

 ケティがお辞儀を一つして、階段を下りていった。ダンテはふぅー、と大きく息を吐くと、次の言葉を言った。

「たくさん参考書が散らばっているね、もうこんなに勉強したのかい?」
「いえ、ただ闇雲に参考書を買ってみただけです、まだ読んでないのが結構あります」
「そうかい、まぁ、熱心でいいねぇ」

 勉強部屋の散らかり具合を見て、一目で要領が悪い子だと確信した。丸眼鏡の痩せ型をした少年。魔導師になる夢を見て目を輝かせる、いたいけな少年。ダンテの印象は、だいたいそのような感じだった。

「まず確認なんだけど、きみは魔導師科に編入したいんだよね」
「はい」
「他に、志望する学科はあったりするかな」
「いえっ、魔導師じゃなきゃダメなんです」
「どうして」
「父の敵をとりたいんです」
「……なるほど、意志が固いんだね」

 魔導師科の配点は勉学で2割、実践で8割という配分になっている。編入試験合格ラインは6割だ。もし本気でルカを合格させようと思うなら、勉強など一切捨てて、実践の魔法技能を高めた方がいいにきまっているが、何の知識もないルカに一から教え込むとなると気が遠くなった。

「お、私の本があるじゃないか」
「え、本当?」
「ほら、著者のところにダンテと書かれている、気づかずに買ったのかい?」
「すみません、手当たり次第に買ってしまって」
「参考書はたくさんやったってしょうがない、せっかくだから、これ一本に絞って取り組もう」
「はい、そうします!」

 知り合いの出版人に依頼されて書いた文献だった。今ではただの家庭教師だが、かつてはいっぱしの専門家だったのだ。書くだけなら簡単だった。実際、参考書代わりにもなるし、これ一冊で魔法学を広く浅く理解できるようにはなっている。

「先生、今の時期からだと、やっぱり実践を教わるのが先決でしょうか?」
「焦ることはないよ、まずは魔法の仕組みをじっくり学んだらいい。魔法学校の生徒になるなら、一般教養は身につけておかないとね。実践はあとから、少しずつ――」

◇◇

 ダンテ先生はとても物腰柔らかで、丁寧な教え方をする。ルカはいい先生に巡り会えたと思った。むちゃくちゃで悪徳な家庭教師もいるとどこかで聞いたことがあったから、少し心配していたのだ。

「いいかい、ルカ。魔法というものは一般に、出所の分からない摩訶不思議なものと思われているが、実はそんなことはないんだ」
「そうなんですか?」
「魔法のエネルギー源は何か知っているかい」
「もちろん、魔力です」
「そうだよねぇ、――」

 先生は勉強机の上に置かれたノートに、魔力と書いて、魔、という一文字を丸で囲んだ。

「では魔力を行使するものは誰か、ご存じかな?」
「魔法使いでしょ? ……違うんですか?」
「惜しい。まずそこが世間に勘違いされていることかもねぇ。とくに、魔法学校でもあえて倫理的な配慮として、間違った教え方をしているところもあるくらいだし」
「じゃあ誰が魔力を行使するんですか?」
「その前に、なぜ「魔」という文字が魔法や魔力に含まれているか、考えてごらん」
「うーん……分かりません」
「ずばり言うと、それは悪魔から取って付けられているんだ」
「えぇ!? 悪魔?」
「人類史としては、300年ほど前かな、最初の魔法使いが現れたのは。その人の晩年に有名なセリフがあるんだ。『我の中に悪魔を見たり』という、聞いたことないかな? 人間はもとより精神の中に悪魔を飼っている、なんて比喩表現が昔からあるけれど、あれはけして的外れな話じゃない。それはこの300年の間に現れた数々の高名な魔法使いが証言している。ある一定のレベルを超えた魔法使いは、どうやら夢や神秘体験を通して、その中に悪魔のような存在を見るらしい。残念ながら私は見たことがないがね」
「へぇーっ、知らなかったなぁ」
「悪魔を見た魔法使いたちが言うには、自分ではなく、その悪魔が魔力を行使しているのだそうだ。自分たちはその悪魔を精神内で使役している、だから魔法が使えるのだと、そう言うんだよ。変な話だけど、一流になると、みんなそういうことを言う。自分は魔法使いなんかじゃなくて、悪魔使いなんだ、と冗談めかしていったのは、隣国の貴族で、魔導師の資格を持つフェイリス伯爵だったかな?」
「悪魔かぁ……」

 ルカの頭の中に、夢の中の赤子がよぎったが、全く悪魔に似ても似つかないため、すぐに考えるのをやめた。

「こんなのは序の口。ここからは基本的な魔法の属性について、体系的に説明していこうと思う。ついてきてね」
「はい、頑張ります」

 そこからのダンテの話はルカにとってとても興味深いものだった。四大属性火水土風に加えて、上位属性・特殊属性の話や、魔法使いによって属性の得手不得手がはっきりしているところ、あるいはそれぞれの属性における有名魔導師のエピソードなど、古典的な歴史背景を交えた解説はとてもわかりやすく、ルカはエキサイティングな気持ちで拝聴した。

 ◇◇

「――では、また来週、同じ時間にお伺いしますので」
「先生、お疲れ様でした」

 夕暮れ時、ダンテはひと仕事を終え、玄関先で母親に別れを告げた。母親の後ろから、今日受け持った生徒が顔を出し、笑顔をきらめかせて言った。

「先生、また今度!」

 ダンテは笑顔で手を振り、それから駅に向かって歩き始めた。丸眼鏡の勉強熱心な生徒、名前はルカ。あれほど自分の話を熱心に聞いてくれた学生は、大学講師時代には一人もいなかった。

若かりし頃にたゆまぬ研究と努力で培った知識を教壇の上で丁寧に披露しても、単位がほしいだけの怠慢な学生のだらけた表情としか相対することのなかったダンテにとって、熱心な学生ほど魅力的な教育対象はなかった。

「あんな子には是非、魔法学を専攻してもらいたいのだがね……」

 夕日を眺めながら、ダンテはやりきれない気持ちでいた。たいして興味のなかった、不合格するのが目に見えている無茶な案件が、徐々に違う意味を持っているのにダンテは気づいた。

魔導師科の受験で学科試験の優秀者は、たとえ魔導師科に不合格でも、拾い上げで別の学科に編入が許されるケースがまれにあったな……。その希少ケースを思い出すと、ダンテの中でとうの昔に死んでいた教育熱が、わずかながらに息を吹き返した。

「魔導師にはなれずとも、魔法に携わる人間にはしてやりたいものだ」

 とぼとぼと駅に向かう35歳の教育者は、そうつぶやいて、ため息を一つはいた。
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