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闇市

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「――はっ、はっ――はっ――はっ、――はっ」

 目的地などルカは考えていなかった。ただ一心不乱に、目元にたまった涙を振り払うために走っていた。夜のオレンジ色に輝く街灯に照らされた石畳の上を疾駆し、好んで人目を避ける裏路地ばかりを通った。

「はぁっ、くっそぉ、……はぁ、もう走れない……なさけないっ……」

 剣士育成学校では、たびたび遠征があった。中でも足となる馬や走行車両を失ったときの想定訓練がルカには厳しかった。ルカは生来の虚弱体質で、いくら鍛えてもその訓練に必要な体力が備わらなかった。

「はぁ、……はぁ。こんなんじゃ、また教官に怒られちゃうな……」

 どこかは知らない裏路地の、大通りの光があまり入ってこない暗がりの中、冷たいレンガの壁づたいに、ルカは歩いていた。足下がふらつく、前がよく見えない。限界まで走ったらしい。

 すると前方から、一人の中年男が奇妙な足取りでこちらに向かってきた。暗くてよく見えないが、どうも錯乱状態にあるらしい。徐々に近づいてきてからわかったが、左右の目が違う方を向いて、ぎょろぎょろと動き回っている。鼻息が荒く、小さく何かをつぶやいている。

「ままぁ、ミートスパゲティが足りなぁああい、はぁ、お花に水をやらないと……」
「ひっ……」

 思わず悲鳴を上げそうになったが、なんとかこらえて千鳥足の男の脇を通り抜け、ルカはそのまま前進した。どうにでもなれと思っていた。少しずつだが、青白い怪しい光の集まりが見えてきた。かすかに話し声も聞こえてくる。

(あ、まさか、ここって……)

 戦争の長引くメーベル王国の各地に生じ始めていた闇市に入ってしまっていた。青白い光の正体は、市場の店先に一つ一つかけられた照明器具の発するものだった。最初は首都のスラムで闇市が一つできただけだったが、ルカの住む地方までその市場は広がっているみたいだった。妙な匂いが漂っていて、頭がくらくらする。

「――そこの若いの……、買ってかないか」
「はい?」
「ランタンなら10ギル……、ヤードなら13ギル」
「いや、いいです……」

 ルカは本当は小心者で、薬物の隠語を耳にすると、すぐに帰りたい気持ちがおこった。店の奥でトロリとした表情を浮かべ、気持ちよさそうに半目を開けて痙攣している女性の姿が見えると、心底怖くなった。

 引き返そうとしたルカはある噂を思い出した。剣士育成学校で、落ちこぼれだったルカには話せる友達がいなかったが、小馬鹿にするためにわざわざ話しかけてくる悪趣味な輩はいた。

《――おい、へっぽこ野郎、知ってるか、この街の『老師』のことを! 闇市の老師様だよ、寿命の半分と引き替えに、天職を教えてくれる、すてきな老師様! どうせ落第するんだからよ、今からでも天職を占ってもらえや。まぁ、せいぜいトイレ掃除か、いいとこ貴族の屋敷の奴隷くらいが関の山だろうがな!》

 今思い出しても腹が立つ。あんな奴がうじゃうじゃいる学校なんて、こっちから願い下げだ。何が老師だよ、馬鹿馬鹿しい、どうせインチキな占い師に決まってる。ここまで来たんだ、ちょっとその老師とやらに話でも伺ってこようじゃないか、僕の天職を聞きにさ!
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