上 下
5 / 9

出発

しおりを挟む
 しばらくして、ローライトがバスローブを巻いて出てきた。長い髪をかき分けて、わりと端正なルックスが表に出てくる。

「不機嫌な我が主、いったいどうした」
「……知らない」

 彼は小首をかしげた後、ベッドに座り、それから部屋の中を見回し始めた。

「レイラ、レイラよ、あれはなんだ」
「うん?」

 布団から顔を出して様子をうかがうと、彼はテレビをまじまじと見つめ、むむむ、とうなっている。

「これに限っては、用途が分からんな」
「テレビよ、そんなのも知らないのね、原始人」
「げっ、原始人……この私が……」

 彼はちょっとショックを受けてみたいにしょげたが、めげずに立ち上がり、そこからテレビをいじりに行った。

「どれが作動スイッチなのだ」

 小型の間接照明の下にリモコンがあった。私がベッドからつけてやると、ちょうど昔の映画の再放送がやっていた。

ローライトは口をあんぐり開けてしばらく動けないでいたが、そこから堰を切ったように叫んだ。

「ぬあぁぁあぁぁぁ! どういうことだ! なんだ! どうした!」
「落ち着きなさい、あほ原始人」
「これが落ち着いていられるか! 小人が、たくさん絵の中に閉じ込められて右往左往している! どういう仕組みだ、――はっ、まさか封印!? となると、これは我が同士なのかっ」
「ちーがーう。これはテレビといって、映像を電波で受信するもの。って、電波って分からないかしら」

 彼はテレビの前でがくっと肩を落とした。

「……ぐぅっ、かつてはハイカラだった私が、ちょっと目を離した隙に、無知を極めている。なんてざまだ……」
「いまはハイカラなんていいません」

 彼は戦闘能力は高そうだけど、現代特有の知識はまるでなかった。どうやら1200年のギャップは相当のものらしい。私は彼に助けられたお礼に、いろいろ教えてあげた。

「――ふむ、つまり現代科学はいかずちの力を操り、それを機械の原動力としていると」
「そうよ、人力じゃないんだから」
「……うまく飲み込めないが、まぁ、了解した……」

 彼はその後もぶつぶつ言いながらテレビを見つめ続けていた。私はいい加減眠気に耐えられなくて、気づいたときには眠ってしまっていた。


 ――朝の日差しが窓から入ってきていた。私は眠い目をこすりながら体を起こし、周囲を見渡した。壁掛け時計の針は10時半を回っていた。

「……あら、もうこんな時間」

 部屋には誰もいなくて、代わりに女性用の旅行鞄と市販のスーツ一式が置かれていた。私の着替えということだろうか。買ったのはおそらく彼だ。朝のうちに店に行ってきたのだとしたら、仕事が早い。また盗んだ金で買ったのだろうが、他に手段がないし、大目に見てあげることにしよう。

 私はさっそく着替えてみて、洗面所の鏡の前に立った。。市販の服を着た私は貴族の娘というより、どこにでもいる普通の、「働く女性」のように見えた。それからロビーに向かった。彼はしれっとロビーのイスに座っていて、新聞を広げて読みふけっている。図体がデカいからとても目立っている。

「ローライト、おはよう」
「む、お目覚めか、眠り姫よ」
「へんなあだ名つけないでよ。それより、どうしたの、小綺麗になっちゃって」
「ひげを剃り、髪を切った。それから執事服を用意した。安物だがな」

 彼はいちおう執事らしく見えた。最も大きいサイズの服でもややぴったり感が出てしまう図体を除けば、ごく普通の紳士に思える。

「それより、だ。これを見たまえ」

 大手新聞社「ノエル・タイムズ」の新聞だった。その三面記事には、私と元婚約者のカシアスとのことがピックアップされていた。貴族のパーティで一悶着、事態は婚約破棄にまで発展、会場は一時騒然、などと書かれている。

 ローライトは腹を抱えて笑った。

「ハッハッハ! 本家の跡継ぎも落ちぶれたものよな! おい、レイラ、世間は貴様のことを『悪役令嬢』などと呼んでいるぞ、何をやらかしたのだ! ハッハ!」

 私はうるさく笑い飛ばすローライトの頭を拳でどついた。

「――ぐっ、何をする」
「あなたが笑うからよ」
「こういうのは笑ってあげるのが優しさだろうに」
「いやよ、こんなの汚名だわ。どうせあることないこと書かれて、悪役令嬢なんかにでっち上げられているんだわ」
「何を言うか、ノエル・タイムズは私の時代からあった、誠実な新聞社だぞ、ノエルには何度か会ったことがあるし、世話もしてやったのだ。奴は正しい情報を発信することを誰よりも心がけていた」
「……え、あなた、ノエル・デラ・トリエと会ったことがあるの?」
「ああ、そうさ。背が低くて、気が弱いくせに野心家だった。元は平民だったのを、私が根回しして、貴族位に就かせてやったのだ、そのときは泣いて感謝されたぞ、フハハ」

 彼の時代はどうだったのか知らないが、この新聞社は政治色が強く、貴族世界への忖度が激しいことで有名だった。事実、記事の中では、より高位なカシアスを擁護し、婚約破棄された私はさんざん罵倒されていた。

「しかし調べてみると、やはり貴様の元婚約者は皇族の遠縁らしいな」
「それがなに」
「本家のプライドの残り香みたいなものだろう。いちおう皇族と遠いつながりがあることを暗に示そうとして、皇族の端くれと縁談を持ったのじゃないか?」
「知らないわよ、父が決めたことですし」

 ローライトはフーンと大きな鼻から息を吐き出して、それから言った。

「そもそも、こんなゴミ男とレイラが釣り合うはずもない。本家純正の血と、分家の絞りかすでは婚約など成立しないのだよ、はじめからな」

 彼は新聞をびりびりと破り去って、乱雑にロビーに捨てた。周囲の客が驚いた表情でこちらを見ている。

「掃除など命じるなよ、マイロード。これから新しい人生が始まるのだ」

 カシアスの顔写真の破れた切れ端が私の足下に滑り落ちてきた。私はその切れ端を足で踏みつけ、そうね、これから始まるのよ、と言った。涙が一瞬にじんだけれど、意外に気分は晴れやかだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

眼鏡を外した、その先で。

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
お父様の部屋の前で、偶然聞いてしまったのは。 執事の高原が結婚するということ。 どうして? なんで? 高原は私のこと、愛してくれてるんだと思ってたのに。 あれは全部、嘘、だったの……?

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

婚約破棄された侯爵令嬢は、元婚約者の側妃にされる前に悪役令嬢推しの美形従者に隣国へ連れ去られます

葵 遥菜
恋愛
アナベル・ハワード侯爵令嬢は婚約者のイーサン王太子殿下を心から慕い、彼の伴侶になるための勉強にできる限りの時間を費やしていた。二人の仲は順調で、結婚の日取りも決まっていた。 しかし、王立学園に入学したのち、イーサン王太子は真実の愛を見つけたようだった。 お相手はエリーナ・カートレット男爵令嬢。 二人は相思相愛のようなので、アナベルは将来王妃となったのち、彼女が側妃として召し上げられることになるだろうと覚悟した。 「悪役令嬢、アナベル・ハワード! あなたにイーサン様は渡さない――!」 アナベルはエリーナから「悪」だと断じられたことで、自分の存在が二人の邪魔であることを再認識し、エリーナが王妃になる道はないのかと探り始める――。 「エリーナ様を王妃に据えるにはどうしたらいいのかしらね、エリオット?」 「一つだけ方法がございます。それをお教えする代わりに、私と約束をしてください」 「どんな約束でも守るわ」 「もし……万が一、王太子殿下がアナベル様との『婚約を破棄する』とおっしゃったら、私と一緒に隣国ガルディニアへ逃げてください」 これは、悪役令嬢を溺愛する従者が合法的に推しを手に入れる物語である。 ※タイトル通りのご都合主義なお話です。 ※他サイトにも投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

処理中です...