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蝉のリフレイン6

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 テスト当日、教室に入った僕は戸惑いを感じた。自分の席に他人が座っていたのだ。僕はすぐに頭を切り換えた。テストの日は出席簿の順に一時的な席替えがある。僕は自分の席を探した。左から二列目、前から三番目。
 栄二は右列後方の席に座って隣の女子と談笑していた。僕は恐る恐る自分の席に腰を下ろした。それから鋭く振り返り彼を見た。投げた視線の槍は受け止められることなく放物線を描き、彼の体をすり抜けて隅の掃除用具入れに突き刺さる。投てきに満足できず、わざと線を踏み越えてファールにする際の苛立ちを疑似体験する。彼が知覚するには、僕の視線は軽すぎるのだろうかと不安になる。
 彼の隣にいたのは新山香という女生徒で、このクラスの中心人物だった。教室内ではいつも周囲を友人で囲まれ、楽しそうに話しているような、いわゆる一軍の女だった。
 彼女を見ていると、毎度テレビに出てくるアイドルグループのセンターを思い出す。よく手入れされた黒髪は頭の上に光の輪を作り、前の方からは二本の触覚が垂れている。ぱっちりした二重の目とアヒル口の二つの派手なパーツに挟まれて控えめに立つ素朴な鼻、髪をかけることで現れる耳の形、日焼け止めを塗りたくって光沢を持った白い肌や、やや低めの背丈、会話中のあざとい仕草。色々な箇所が少しずつ似ていて、それらが寄り集まることで、記憶の中を踊り狂う女性集団と、彼女らを引き連れる一人の女を想起させる。
 彼女は本来、プレイボーイ風の不良男子としか話していないイメージだったから、栄二のようなのんき者と話している光景に違和感があった。会えば挨拶の一つくらいは交わしていたのかも知れないが、あんなに和気あいあいと話す間柄だったろうか。僕は首をかしげた。
 試験は粛々と行われた。僕は解答の精度に興味が無く、いつも三十分前には鉛筆を置いて退屈していた。後ろを振り向いて教え子の様子を見たいけれど、カンニングを疑われるのは避けたかった。僕は思いつきで、あるいは悪あがきのつもりで定規を手に取った。僕の定規は銀メッキで加工されていて、光の反射から後方のおぼろげな人影をかろうじて拾うことが出来た。定規はいくつかの黒髪と肌色、白い夏服の不鮮明な実像を捉えたが、彼は後ろから数えて二番目の席にいたので、手ぶれする像のどれが彼なのか分からなかった。映ってすらいなかっただろう。そんなことは定規を手に取る前から分かっているのだから、我ながら呆れた。
 休み時間に後ろでなされた談笑は、たくさんある教室の雑音に紛れ、時々、合間を縫って断片的に笑い声だけが聞こえた。僕は振り返らなかった。意味も無く作られた銀メッキの定規はいつまでも観察対象を捉えられないまま僕の手に揺られていた。
 テストが何事もなく終わり、翌週の頭からテスト返しが随時行われた。各教室は返却のつど狂喜乱舞していた
 ――ヨッシャー、ジコベスト!
 ――アカンッ、ヤラカシタ……
 ――○○チャン、ナンテンヤッター?
 教師が静かにしろと言っても誰も聞かなかった。僕は返却された社会六十四点の答案用紙を丸めてカバンに入れ、机の中から別の用紙を取りだした。そこには黒字で三者面談のお知らせと書かれてあり、面談希望の日時を書く欄が設けられていた。中段辺りに保護者への挨拶と労いの文言が印字されているのを見ると耳鳴りがした。こめかみがキリキリと痛み、苛立った。

「三者面談か」
 栄二の表情は喜びと悲しみの間をうろうろしていた。
「親来るんでしょ、いつもみたいに興奮しちゃダメだよ」
「せーへんせーへん」
 担任の半中は三者面談の時に限りフォーマルなスーツ姿で親子を待ち受ける。ビシッとした服から漂う教師の気配に緊張した覚えがある。
「今回は成績まあまあやし、そんな怒られんやろ」
 栄二は安らいだ顔で空を見上げ、風がなびいたとき、すぅっと息を飲み、あやふやな僕の目を不意に捉えて言った。
「お前のおかげで助かったわ、ありがとうな」
 無垢な笑みは瞳にじんわり染みこみ、焼きついた。
「一番良かった科目は、何点だったの」
「国語やな、五十八点」
「……平均割ってる」
「前回の二倍やぞ、頑張ったやろこれ」
 彼は、頑張った、頑張ったと雑に連呼した。幼い頃の記憶が脳裏をよぎる。関東の小学校にいた頃の記憶だ。運動会のかけっこで一番になり、母に褒めてもらいたくて周りを見回した記憶。今思えば、母が離婚したのはあの年だった。父の不倫が原因で、その時すでに別居状態にあった。
 真夏の香りが煙る世界、紅白帽子のつばの下に広がるまぶしい風景の中に母を探していた。砂埃の舞う運動場、保護者観覧席の間にうごめく数百種類の顔の中から、面影を見いだそうとした。しかし、いくら目をこらしても見つからない。僕はどうしても諦められなくて、自分に嘘をついた。母は来ている、だから、自分が見つけられないのが悪いのだ、と言い聞かせ、少しずつ濡れていく不明瞭な視界の中、校舎の隅々をさまよっていた。母は見つからなかった。
 僕は突飛な行動に出ていた。栄二の手を取って、強く握り込んでいた。栄二は驚いた顔で僕を見ている。自分でも信じられないくらい力んでいて、体は静止していた。
「なんや、どうした」
 心配そうにする彼の声で記憶が解け、手を離した。なぜ過去の記憶に体が支配されるのか、全く分からなかった。
「えっと、……栄二は、頑張った」
 ぽっと出の小さな賞賛に対し、栄二は白い歯を見せてガッツポーズした。
「せやろ、やっぱ俺、やれば出来るんや!」
 フランクフルトを口にしたまま小躍りして喜ぶ彼を見ていると、中庭の方から地鳴りのように叫ぶ蝉の声が徐々に近づいてくる幻聴がした。風は無かった。

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