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侵入者5
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「あなたの個性は尊重されるべきだと私も思うわ。けどね、社会に出るとき、あんまり融通が利かないようだと苦労するのよ。来年からは高校生なんだから、いつまでも孤立していたら、ずっとこのまま――」
川上が最後にいらないことを言いかけ、僕は口を挟んだ。
「うるさい」
冷たい調子で言うと、川上は押し黙った。これは多分、僕の言葉によるものではなく、僕の日常の暗い背景を思ってのことだ。
川上は僕から視線を逸らし、小声で言った。
「ちゃんと考えておいて」
川上は大事な時ほどきれい事を言わない。社会がどれほど理解できない存在に冷たいか、立場を明らかにしない曖昧な者を嫌うか知っているんだ。だから、いつだって現実的な解決策を提示しようとする。川上はどっちにするか、なんて言ったけど、本当は女の子らしく生きることを勧めている。それが一番望ましい、苦労しないと、時折言う。怒ろうとしても、申し訳なさそうにする可哀想な顔とぶつかって、気分が紛れてしまう。
少しの間保健室が静かになって、上の方から固い物を打つ音がしているのに気づいた。ネジを止める機械音もあって、しょげている川上に尋ねた。
「上で工事でもやってるの?」
「ん、これねぇ、屋上で太陽光パネルを取り付けてるのよ。今日業者さんがお見えになって、いよいよ施工らしいわ」
西館の屋上に太陽光パネルは似合わない。聞いた直後、そう思った。
「いよいよウチも近代化ってことかしら」
ちょっと嬉しそうにする川上に腹が立って、僕は席を外し、じゃあ、とだけ言って保健室を出た。後ろで何か言っていたけど、僕は意に介さなかった。
保健室を出た後、図書室に向かった。これは定番の校舎徘徊コースで、図書室の後は購買に寄って牛乳と焼きそばパンを買い、東館の屋上へ行くことになっている。
保健室を出てすぐの廊下を左に回ると、東館への渡り廊下に続くスライドドアが見える。そこを開けると左手に緑豊かな中庭があって、それは西館の一階、つまり職員室から一望できるようになっている。中庭にも手入れのために教師がじょうろを持ってうろついているので、見つからないよう注意しながら渡り廊下をそろりと歩き、廊下の途中にある中央校舎の引き違い戸に手をかけた。戸は授業中ゆえ鍵が掛かっていたが、僕はこの鍵の弱点を知っていて、戸の重なった部分の隙間に指をかけてガタガタ揺らせば鍵は外れてしまう。僕は慣れた手つきで、さして音を立てずに解錠し、戸を開けた。
小さな白い粒が浮遊する室内は、本棚の影と磨りガラスの窓から差し込む日光で白黒に色分けがなされ、部屋を漂う密度の濃い静寂は侵入者を見る間に包んだ。僕はいつのものように静寂に従い、出来るだけ物音をたてずに本棚をあさった。気になった物を数冊取り、日差しのかかったカウンター前の机に積んで、すすけた木製の椅子に腰を落とした。そして一番上にある本から手に取り、読み始めた。
先の授業で半中が紹介していた三島由紀夫の小説だった。好みの内容かどうか前もって知りたくて、かなり間を飛ばしながら読んだ。
読み進める内、幾度となく主人公の重苦しい心情描写に行き当たった。彼は美に取り憑かれた妄想癖の少年だった。どもりで周囲から孤立し、友の代わりに独自の精神世界を築いて自己を誇示するような、弱々しい寺の徒弟だった。
ある時を境に読み飛ばすのを止め、じっくり読むようになった。しかし、僕の集中を引き裂くようにチャイムが鳴って、そこで本を閉じた。結局一冊しか内容を伺い知れなくて、積んだ本を元に戻すのが面倒に思えた。
カウンターの上には数本入ったペン立てと貸し出し用紙が置かれている。僕はそこに、いつもそうするようにk・sとイニシャルだけ書いて、その隣に金閣寺と記し、積まれた本をそのままに図書室を出た。淀みなく流れる美しい文章と、主人公の結末に賭けたのだった。
川上が最後にいらないことを言いかけ、僕は口を挟んだ。
「うるさい」
冷たい調子で言うと、川上は押し黙った。これは多分、僕の言葉によるものではなく、僕の日常の暗い背景を思ってのことだ。
川上は僕から視線を逸らし、小声で言った。
「ちゃんと考えておいて」
川上は大事な時ほどきれい事を言わない。社会がどれほど理解できない存在に冷たいか、立場を明らかにしない曖昧な者を嫌うか知っているんだ。だから、いつだって現実的な解決策を提示しようとする。川上はどっちにするか、なんて言ったけど、本当は女の子らしく生きることを勧めている。それが一番望ましい、苦労しないと、時折言う。怒ろうとしても、申し訳なさそうにする可哀想な顔とぶつかって、気分が紛れてしまう。
少しの間保健室が静かになって、上の方から固い物を打つ音がしているのに気づいた。ネジを止める機械音もあって、しょげている川上に尋ねた。
「上で工事でもやってるの?」
「ん、これねぇ、屋上で太陽光パネルを取り付けてるのよ。今日業者さんがお見えになって、いよいよ施工らしいわ」
西館の屋上に太陽光パネルは似合わない。聞いた直後、そう思った。
「いよいよウチも近代化ってことかしら」
ちょっと嬉しそうにする川上に腹が立って、僕は席を外し、じゃあ、とだけ言って保健室を出た。後ろで何か言っていたけど、僕は意に介さなかった。
保健室を出た後、図書室に向かった。これは定番の校舎徘徊コースで、図書室の後は購買に寄って牛乳と焼きそばパンを買い、東館の屋上へ行くことになっている。
保健室を出てすぐの廊下を左に回ると、東館への渡り廊下に続くスライドドアが見える。そこを開けると左手に緑豊かな中庭があって、それは西館の一階、つまり職員室から一望できるようになっている。中庭にも手入れのために教師がじょうろを持ってうろついているので、見つからないよう注意しながら渡り廊下をそろりと歩き、廊下の途中にある中央校舎の引き違い戸に手をかけた。戸は授業中ゆえ鍵が掛かっていたが、僕はこの鍵の弱点を知っていて、戸の重なった部分の隙間に指をかけてガタガタ揺らせば鍵は外れてしまう。僕は慣れた手つきで、さして音を立てずに解錠し、戸を開けた。
小さな白い粒が浮遊する室内は、本棚の影と磨りガラスの窓から差し込む日光で白黒に色分けがなされ、部屋を漂う密度の濃い静寂は侵入者を見る間に包んだ。僕はいつのものように静寂に従い、出来るだけ物音をたてずに本棚をあさった。気になった物を数冊取り、日差しのかかったカウンター前の机に積んで、すすけた木製の椅子に腰を落とした。そして一番上にある本から手に取り、読み始めた。
先の授業で半中が紹介していた三島由紀夫の小説だった。好みの内容かどうか前もって知りたくて、かなり間を飛ばしながら読んだ。
読み進める内、幾度となく主人公の重苦しい心情描写に行き当たった。彼は美に取り憑かれた妄想癖の少年だった。どもりで周囲から孤立し、友の代わりに独自の精神世界を築いて自己を誇示するような、弱々しい寺の徒弟だった。
ある時を境に読み飛ばすのを止め、じっくり読むようになった。しかし、僕の集中を引き裂くようにチャイムが鳴って、そこで本を閉じた。結局一冊しか内容を伺い知れなくて、積んだ本を元に戻すのが面倒に思えた。
カウンターの上には数本入ったペン立てと貸し出し用紙が置かれている。僕はそこに、いつもそうするようにk・sとイニシャルだけ書いて、その隣に金閣寺と記し、積まれた本をそのままに図書室を出た。淀みなく流れる美しい文章と、主人公の結末に賭けたのだった。
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