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侵入者3
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明くる金曜、僕はまたしても登校した。今日は三限と四限の間くらいの時間に校門をくぐった。見回りの教師はどこか目立たない所へ煙草を吸いに行く時間帯だったから、正門から堂々と入ってやった。この学校の警備は手薄だった。
僕が最初に向かったのは保健室だった。保健室にはちょうど良い話相手がいて、僕は気分が乗るとそこに立ち寄る習性があった。俗に言う、保健室登校というやつだ。
職員室の真横、保険だよりまみれの扉をぶしつけに開けて中へ入る。肌色のカーテンが風になびく薄暗い室内で、スヌーピーのデザインされたマグカップを持つ女と目が合った。
「あら、こんにちは」
ダークブラウンの長い癖毛を後ろに払い、白衣を正して挨拶をするこの女の名は川上。当校の養護教諭で、独身のアラサーだ。
「よ、川上」
上機嫌の僕は調子よく流し場へ向かい、乾かしてあったカップを取って、薬缶から熱湯を注いだ。
「あなた昨日、早退したでしょ」
「あれ、どうして知ってるの?」
僕は事務の机に乗せてあった救急箱の横にティーバッグの箱を見つけると、そこから一つ取って、熱湯に浸し、灰色の椅子に座った。
「昨日の六限、保険の授業にいなかったじゃない」
「あのパンチパーマが告げ口したの?」
「違うわよ、昨日は前澤先生が急用で外に出てらしたから、私が代わりに……って、あなたねぇ、パンチパーマとか言わないの」
保健の授業は体育教師の前澤がレギュラーだったが、たまにこういう代打があるらしい。僕は時々しか登校しないから、これっぽっちも知らなかった。
「皆言ってるよ、僕だけじゃない」
「他の子は関係ないの、あなたのモラルの問題よ」
僕がふいっと顔を背けると、川上は小さくため息を吐き、次いで言った。
「今日はどうしたの、二日続けて来るなんて、珍しいじゃない」
僕は上手く理由が話せなくて、しばらくカップの中の茶色い濁りを見つめた。
この部屋には紅茶の匂いが漂っている。中庭の植木が微風に木の葉をざわめかせ、数匹の蝉が奇妙に野太い声でうめいているのが聞こえる。
夏の刺々しい日差しはカーテンに濾され、柔らかい光になって繊維の隙間から部屋に漏れている。保健室というのはいつもこうだった。晴れた日はこんな風に、無粋な蛍光灯の光は無くて、心地よい薄明と、自然な涼しさがあった。とても息がしやすかった。
「なんとなく」
僕がそう言うと、川上は微笑んだ。
「毎日学校に来るのは良いことよ」
僕は薄化粧の女の笑顔を覗きながら、カップに口を付けた。まだ香りだけの熱い水だったけど、気にせず飲んだ。
「でも、遅刻して良いとは言ってないわよ?」
僕は飲みながら笑った。
「僕が一限に来たことあった?」
「……記憶に無いわね」
川上が肩をすくめて呆れる姿は、意外と可愛かった。これが独身というのだから世知辛い。
「昨日はどんな授業だったの?」
僕が聞くと、川上は男女の体の仕組みについて、と言うので、僕は悔やんだ。
「しまった、授業出れば良かった」
「どうして?」
「だって、どうせ変な空気になったんでしょ、あれ結構好きなのに、もったいないことしたなぁ」
「やあねぇ、教師からしたら気まずいのよ、前澤先生ったら、変なときにバトンパスするんだから」
僕は話しながら、南栄二のことを思った。南だったらどんな顔をしただろう。あいつも気まずい顔をするのかな、それとも、あの続きが見られたのかな。
僕が妄想に耽っていると、川上が言った。
「霞、聞いてるの?」
僕は全く聞いていなかった。
「ごめん、何?」
「だから、どっちにするか、もう決めてたりするのって」
「あぁ、またその話」
「こら、大事なことよ」
川上は真剣な表情で見つめた。きっと、男女の体がどうとか言った拍子に思い出したんだろう。
「言ったでしょ、僕は僕なの。男とか女とか、そんなの関係ないよ」
僕が最初に向かったのは保健室だった。保健室にはちょうど良い話相手がいて、僕は気分が乗るとそこに立ち寄る習性があった。俗に言う、保健室登校というやつだ。
職員室の真横、保険だよりまみれの扉をぶしつけに開けて中へ入る。肌色のカーテンが風になびく薄暗い室内で、スヌーピーのデザインされたマグカップを持つ女と目が合った。
「あら、こんにちは」
ダークブラウンの長い癖毛を後ろに払い、白衣を正して挨拶をするこの女の名は川上。当校の養護教諭で、独身のアラサーだ。
「よ、川上」
上機嫌の僕は調子よく流し場へ向かい、乾かしてあったカップを取って、薬缶から熱湯を注いだ。
「あなた昨日、早退したでしょ」
「あれ、どうして知ってるの?」
僕は事務の机に乗せてあった救急箱の横にティーバッグの箱を見つけると、そこから一つ取って、熱湯に浸し、灰色の椅子に座った。
「昨日の六限、保険の授業にいなかったじゃない」
「あのパンチパーマが告げ口したの?」
「違うわよ、昨日は前澤先生が急用で外に出てらしたから、私が代わりに……って、あなたねぇ、パンチパーマとか言わないの」
保健の授業は体育教師の前澤がレギュラーだったが、たまにこういう代打があるらしい。僕は時々しか登校しないから、これっぽっちも知らなかった。
「皆言ってるよ、僕だけじゃない」
「他の子は関係ないの、あなたのモラルの問題よ」
僕がふいっと顔を背けると、川上は小さくため息を吐き、次いで言った。
「今日はどうしたの、二日続けて来るなんて、珍しいじゃない」
僕は上手く理由が話せなくて、しばらくカップの中の茶色い濁りを見つめた。
この部屋には紅茶の匂いが漂っている。中庭の植木が微風に木の葉をざわめかせ、数匹の蝉が奇妙に野太い声でうめいているのが聞こえる。
夏の刺々しい日差しはカーテンに濾され、柔らかい光になって繊維の隙間から部屋に漏れている。保健室というのはいつもこうだった。晴れた日はこんな風に、無粋な蛍光灯の光は無くて、心地よい薄明と、自然な涼しさがあった。とても息がしやすかった。
「なんとなく」
僕がそう言うと、川上は微笑んだ。
「毎日学校に来るのは良いことよ」
僕は薄化粧の女の笑顔を覗きながら、カップに口を付けた。まだ香りだけの熱い水だったけど、気にせず飲んだ。
「でも、遅刻して良いとは言ってないわよ?」
僕は飲みながら笑った。
「僕が一限に来たことあった?」
「……記憶に無いわね」
川上が肩をすくめて呆れる姿は、意外と可愛かった。これが独身というのだから世知辛い。
「昨日はどんな授業だったの?」
僕が聞くと、川上は男女の体の仕組みについて、と言うので、僕は悔やんだ。
「しまった、授業出れば良かった」
「どうして?」
「だって、どうせ変な空気になったんでしょ、あれ結構好きなのに、もったいないことしたなぁ」
「やあねぇ、教師からしたら気まずいのよ、前澤先生ったら、変なときにバトンパスするんだから」
僕は話しながら、南栄二のことを思った。南だったらどんな顔をしただろう。あいつも気まずい顔をするのかな、それとも、あの続きが見られたのかな。
僕が妄想に耽っていると、川上が言った。
「霞、聞いてるの?」
僕は全く聞いていなかった。
「ごめん、何?」
「だから、どっちにするか、もう決めてたりするのって」
「あぁ、またその話」
「こら、大事なことよ」
川上は真剣な表情で見つめた。きっと、男女の体がどうとか言った拍子に思い出したんだろう。
「言ったでしょ、僕は僕なの。男とか女とか、そんなの関係ないよ」
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