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第五章 過去との再会

第51話 こんなとき、好きな人にしてあげたいこと

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 熱を測ると三十九・三度とまだまだ高かったが、たくさん寝たためか、眠くはなかった。
 それを春陽が正直に二人に伝えると、二人からそれでも寝てるようにと返されてしまい、春陽は額に冷却シートを貼って、大人しくベッドで横になることに。
 冷却シートは悠介達の見舞い品の一つで、測った体温を聞いた悠介に貼ることを強制された。
 二人にはあらためてうつらないように早く帰った方がいいと春陽は伝えたが、二人からは、
「勝手に帰るから気にするな」
「そんなこと気にしないで」
 と、全く聞き入れてもらえなかった。自分の言っていることは間違っていないはずなのに解せない。
「しっかし、お前がそんな酷い風邪引いたの初めて見たな」
「自分でも驚いてるよ」
 悠介の言葉に春陽は苦笑いを浮かべる。
「まあ、あれだな。きっと、ちょっとはゆっくり休めって体が言ってるんだよ。お前ずっと頑張り過ぎてたからな」
「そうか?そんなつもり全くなかったけど……」
「そうやって春陽が気づいてやらないから、今こうなってるんだろ」
 悠介は呆れたような目を向ける。
「……そう、かもな」
 なんとなくこの話題は自分に分が悪いと春陽は感じた。
 そんな気の置けない二人のやり取りに雪愛はくすくすと笑うのだった。
 それからも三人でしばらく話していると、薬が効いてきたのか、段々春陽が会話に参加しなくなっていき、いつの間にか目を閉じて、再び眠りに就いた。

「さて、と。春陽もまた寝たことだし、俺はそろそろ帰るわ」
 春陽が寝たことに気づいたところで、悠介が言った。
「私はもう少しここにいたいと思うんだけど……」
「わかった。それなら、鍵は白月から麻理さんに返してくれ」
 悠介は雪愛の言うことがわかっていたようで驚きもなく同意した。
「ええ。今日はありがとう、佐伯君」
「いや、それじゃあな」
「ええ、また」
 こうして、悠介が帰り、春陽の部屋には、春陽と雪愛二人きりとなった。

 悠介を見送って、部屋に戻った雪愛は、ベッド横に座った。
 春陽の顔を覗くと、薬が効いて楽になったからか、それともさっきのような夢を見ていないからか、穏やかな寝顔をしていた。
 ずっと見ていたい気持ちになり、自然と雪愛の顔に笑みが浮かぶ。

 しばらく春陽の寝顔を眺めていた雪愛だったが、徐に手を伸ばし、春陽の髪をそっと撫でた。
 春陽の髪は柔らかく、撫でている手が心地いい。
「ふふっ」
 思わず声に出てしまった。
 くすぐったかったのか、春陽の頭が動いたため、雪愛は撫でていた手をピタッと止め、身体を若干ビクッとさせる。
 雪愛は、そっと春陽の頭から手を離すと、春陽が目を覚ましていないことを確認し、ほっと安堵の息を吐いた。

 それから雪愛の目は、テーブルの一角に吸い寄せられた。
 そこにあるのは雪愛との思い出のものばかり。
 雪愛の顔が再び綻ぶ。
 他に何もないからこそ、そこが輝いて見えるのは、雪愛の気のせいだろうか。

 そして、再び春陽の寝顔をしばらく見ていた雪愛は、何かを思い立ったのか、そっと立ち上がり、大きな音を立てないように気をつけながら春陽の部屋を出て行った。

 どれだけの時間が経っただろうか。
 春陽は目を覚まし、体を起こした。
 朝と比べても随分と楽になっている。
 スマホを見ればもうすぐ十六時だった。
 午前中に雪愛達が来たことを考えると、昨日あれだけ寝たというのに結構寝ていたようだ。
 スマホには何件かメッセージが届いており、春陽はそれを開こうと思ったが、その手が止まり、ゆっくりと扉の方を見て目を大きくした。
 見える範囲に人がいなかったので、てっきり悠介も雪愛も帰ったものだと思っていた春陽だったが、キッチンに続く扉が開いており、何か音もしていて、そこに人の気配を感じたからだ。

 すると、音が途絶え、部屋に誰か―――雪愛が入ってきた。
「あ、おはよう、春陽くん。起きたんだね。体調はどう?」
「あ、ああ、おはよう雪愛。体調は大分良くなったと思う、けど……」
 雪愛がいることに驚く春陽。
 話しながら春陽の目の前まで来た雪愛は自分の手を春陽の額、は冷却シートが貼ってあるため、頬にやった。もちろん春陽の体温を調べるためだ。
「よかった。うん、熱は大分下がったかな?けど一応お熱測ってみて?」
「わかった。ってそうじゃなくて、雪愛は帰らなかったのか?」
 悠介の姿は見当たらない。おそらくは帰ったのだろう。何もないこの部屋で雪愛は一人、ずっとここに?申し訳ないやら嬉しいやら複雑な気持ちだった。
「うん。佐伯君は春陽くんが眠ってちょっとしてから帰ったんだけどね」
「こんな部屋ずっといても退屈だっただろ?」
 春陽は、雪愛に聞きながら、言われた通り、体温計を取り出した。

 ちなみに、この体温計、引っ越しの際に麻理から持たされたものだったりする。
 でなければ絶対に自分で買うことはなかった品だ。
 だからこそ、春陽は、使わないと思いながらも捨てる訳にもいかず、ずっと持っていたのだ。
 それがこの度大活躍しているのだから、さすがは麻理さん、といったところだろうか。

 閑話休題。

「うーん、全然退屈じゃなかったよ?私はもう少しいたかったから。……駄目だったかな?」
 実際、雪愛は春陽の寝顔を見ているだけでも退屈なんて感じなかった。
「いや、誰もいないと思ってたから吃驚しただけだ」
 首を横に振り駄目じゃないと否定する春陽。 
 すると、そこで春陽のお腹がぐぅと鳴った。
 昨日の昼食以降、食べたのは先ほどのゼリーだけという状態に、お腹が苦情を言っているようだ。
 加えて、何だかいい匂いがすることも原因だろう。
 お腹が鳴ったことが恥ずかしかったのか、顔を赤くする春陽。
「ふふっ、今なら何か食べられそう?一応いつでも食べられるようにおかゆ作ってあるんだけど」
「……ああ、食べられそうだ。ほら、熱も大分下がった。おかゆ、雪愛が作ってくれたのか?」
 計測が終わった体温計を見ると、三十七・八度と三十八度を切っていた。
 これもお腹が少し元気になった原因かもしれない。
 春陽は雪愛にも体温計の表示を見せた。
「よかったぁ。けど、それでもまだ高いんだから油断しちゃダメだからね?おかゆは私が作ったものだよ。春陽くんが寝てる間にね、何かできることないかなって思って。少しお買い物に行ってきたの。今は野菜のスープ作ってて、もうすぐできるからお腹が空いたときに温めて食べてね。他にも、レトルトのものをいくつか買ってきたの。保存が効くから置いておこうと思って」
 雪愛は、春陽の食べられそうという言葉と体温計の表示、両方に安堵した。
 そして、どうやら雪愛は春陽が寝ている間に食材を買いに行き、その後はずっと料理をしてくれていたらしい。
 春陽が感じたいい匂いはそのスープのようだ。
 それは確かに退屈はしなかったかもしれないが、春陽は申し訳なくなった。
「悪い、雪愛に迷惑ばかりかけて……」
「迷惑なんかじゃないよ。私がやりたくてやったことだもん」
 最初の言葉は少し怒ったように、次の言葉は優しい笑みを浮かべて雪愛は言った。

 春陽が辛いときに何かしたいのは当たり前で、迷惑だなんて言ってほしくない。
 自分と春陽は恋人なのだから、もっと頼ってほしい、そんな想いからだった。

「…ありがとう、雪愛」
 雪愛の想いが伝わったのか、春陽は笑みを浮かべて雪愛にお礼を言った。雪愛はそれが嬉しかった。


 雪愛は、キッチンに戻り、スープができあがったのを確認し、火を止めると、作ったおかゆを温め、そこに卵を落として仕上げをした。
 まだ熱があるせいか、喉が渇いていた春陽はその間にスポーツドリンクを飲んでいる。飲みながらぼんやりとキッチンの方に目を向ける。ベッドに腰掛けている春陽からは雪愛の姿は見えない。
 もしかしなくても、この家の食器や調理器具が活躍したのはこれが初めてではないだろうか、なんてことを思う。
 それらも引っ越しの際、麻理に持たされたものだった。

 実際、雪愛が料理を実行できたのはこれらが揃っていたことが大きい。
 さすがに、調理器具などから買ってくるのは、購入することが嫌な訳ではなく、春陽の家に物を勝手に増やしてしまうことに悪い気がしてしまうから。雪愛は買い物に行く前に、心の中で春陽に一度謝って、キッチンの棚を開けて、この家に何があるかを確認した。ある程度調理器具が揃っていることを確認して、それで何が作れるか、そのために必要なものは何かを考えながら買い物をしてきたのだ。


「熱いから気をつけてね」
 それほど時間をかけずキッチンから戻ってきた雪愛は、そう言っておかゆをテーブルに置く。
 湯気を立てている卵入りのおかゆはとても美味しそうだ。
「ありがとう」
 春陽は雪愛にお礼を言うが、なぜだろう、雪愛がスプーンを手に持ったまま渡してくれない。
「雪愛?」
 これでは食べられない、と春陽は困惑気味に雪愛の名を呼ぶ。
 すると、雪愛は頬を赤らめ、若干早口になりながら言った。
「春陽くんまだ熱あるし、自分で食べるのが大変だったら私が食べさせてあげるよ?」
 春陽は目を大きくした。
 何を言い出すんだ彼女は。
「いや、食べるくらい自分でできるけど……」
「っ、そっか……」
 春陽がそう言うと、明らかにしょんぼりしてしまった。
 まさか、食べさせたい、のか?
 春陽は雪愛の様子を見て、その結論に辿り着いた。
 熱とは違う理由で春陽の顔が熱くなる。
 ここまでしてもらった感謝や申し訳なさ、されることの気恥ずかしさなど様々な思いが一瞬過った春陽だったが、すぐに決心した。
「……やっぱり食べさせてもらっていいか?」
 春陽のその言葉を聞いた雪愛の変化は劇的だった。
 ぱっと満面の笑みを浮かべて、「うん!」と頷くのだった。

 おかゆをスプーンに掬って、冷ますようにふー、ふーと息を吹きかけてから、春陽の口元にスプーンを差し出す雪愛。
「はい、どうぞ。あーん」
 春陽はいただきます、と言うと、それをパクっと口に入れる。
 優しい味のおかゆは身体に、そして心に染みていくようだった。
「どうかな?食べられそう?」
 おかゆを飲み込んだ春陽は、表情を綻ばせながら雪愛に言った。
「……ああ、美味しい。こんな美味いの初めて食べたよ」
「よかったぁ。でも大げさだよ?普通のおかゆなんだから」
 不味くはないはず、と思っていても、やはり春陽に食べてもらうのはドキドキしていたのか、春陽の感想に雪愛も微笑んだ。
 子供の頃からこんなことをされた記憶がない春陽は非常に恥ずかしかったが、その後も最後の一口まで雪愛に食べさせてもらうのだった。

「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「本当に美味かったよ」
「ふふっ、ありがとう」

 食後に薬を飲み、一息吐いたところで、お腹が満たされて本格的に頭の働きが戻ってきたのか、春陽は雪愛に言わなければならないことがあると気づいた。
 自分は昨日美優と話すために大学を去って、雪愛に何の説明もしていない。
 雪愛からすれば、自分は突然女子大生と一緒にどこかに行ったことになる。
(馬鹿野郎が!)
 呑気におかゆを食べている間も、それどころか昨日からずっと雪愛を不安にさせていたかもしれない、と自分に怒りが湧いた春陽は心の中で自分を罵倒する。

 春陽は姿勢を正して雪愛をまっすぐ見つめた。
「雪愛、聞いてほしいことがあるんだ。昨日のオープンキャンパスでのことなんだけど」
「うん」
 春陽の様子に雪愛も姿勢を正す。
「昨日の女子大生、美優っていうんだけど、あの人は、俺の姉なんだ」
「……そうだったんだ」
 それは昨日悠介に聞いて知っていたが、雪愛は余計なことは言わなかった。
 あまり驚いた様子のない雪愛を不思議に思いつつ春陽は言葉を続ける。
「六年ぶりに会ってさ。最初は驚いたけど、それで少し話をしてたんだ。だから雪愛が心配するようなことは何もないから―――」
 安心してほしい、その言葉は雪愛によって遮られた。
「心配するよ」
「え?」
「心配、するよ。あの時の春陽くん、顔色がすごく悪かった。それは風邪のせい?……それとも美優さんに会ったから?」
 後者だと半ば確信を持って雪愛は聞いた。
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